コスモス「他人のニンフィアを手に入れた」
レッド「イーブイ系統は他人から授けられる運命にでもあるのだろうか」
立ち上る湯気を目で追う。
ふわりと温泉特有の仄かな硫黄の香りが鼻につくが、不快感は全くと言っていいほどない。むしろこれこそが醍醐味だと、夜空にさらけ出す白磁色の肌に湯をかける人影は、ふぅ、と息を吐いた。
「い~い湯、だ、なっ」
「ピカチュ♪」
ババンババンと湯に浸かるのは、レッドとピカチュウの二体だった。
ここはオキノタウンに存在する銭湯。歴史的文化財の方に目が行きがちだが、実は地方有数の温泉街としても有名なのだ。
日が落ちれば幻想的な雰囲気を醸し出す風情豊かな淡い光で見られるのも、そういった観光名所としての側面もあるからこそである。
「シロガネ山にも温泉はあったけど……こういうのもいいね」
「ピカピカ」
手ぬぐいを頭に乗せたピカチュウがうんうんと腕を組んで頷く。
少し前まではカントー屈指の秘湯に浸かっていたレッド達であるが、やはり山中の天然露天風呂と町中の温泉では、味わいが違うというものだ。
「あぁ~……このまましばらく浸かってたい……」
「ピ~カ~……」
「でもコスモスも居るから、いつまでも浸かってる訳にもいかないし……」
いつも傍に付いてくる弟子はと言えば、塀で隔てられた先の女湯でしっぽり浸かっている。
彼女的にはすぐにでもホテルに帰り、明日のジム戦に向けての作戦会議を行いたがっていたが、どうしても温泉に入りたかったレッドがごねて今に至っていた。
「迷惑だったかな?」
「ピ~カ」
「ピカチュウもそう思う? やっぱりあんまり気を張り詰めてもバトルはうまくいかないしね……」
レッドはバトル好きだ。三度の飯よりバトルが好きだ。『仕事と私のどっちが大切なのよ!』と問われたらとりあえずバトルと答えるくらいには好きだ。
強者に挑む時はいつも緊張よりも前に興奮が先立っていた。初めてのポケモンバトル、ジムリーダーや四天王、果てにはポケモンリーグ決勝戦におけるグリーンとのバトルでさえも、凍りつくように強張る全身を熱く滾る心が凌駕したからこそ、チャンピオンの玉座につくことができた。
程よい緊張も熱いバトルのエッセンスなのは否定しない。
けれども、より大切なのは緊張すらも楽しむ心の余裕であろうとレッドは温泉でトロトロに蕩けた頭で結論付ける。
「ここでリラックスしてって……明日はいい感じに頑張ってくれるといいな……」
「ピッカ~」
『温泉卵~』
「ん……?」
『栄養満点なラッキーの卵を使った温泉卵~、ぜひいかがですか~?』
銭湯の外から聞こえてくる露天商の声だろうか。
しかし、問題はそこではない。
温泉卵───しかも、ラッキーの卵を使ったとなれば、それこそホエルオー級の温泉卵に違いない。
「買いに……行かなきゃ」
ある種の使命感に駆られるレッドは、先ほどまで顎近くまで身を沈めていた状態から立ち上がり、颯爽と脱衣場へと向かうのだった。
食べ切れるかなど───
***
かっぽーん、と。
湯殿からの湯気が流れ込む脱衣場前の休憩所。そこに設置されたベンチに腰掛けるコスモスは、地域限定のフルーツオレに舌鼓を打ちながら作戦会議中だった。
ルカリオはカフェオレ、ゴルバットはバナナオレ、ニンフィアはいちごオレ───完璧な布陣である。温泉で火照った体に浸み込んでいく冷涼さと糖分は頭を使った作業には不可欠であると断言できよう。
特にレッドとは対照的に理論派のコスモスは、より脳味噌が糖分を欲する訳である。
「ニンフィアの技は大体把握できた。後は対戦相手の情報……」
携帯端末で挑戦するジムリーダーの情報を映し出す。
揺るがぬ地面の大黒柱、リック。
前回戦ったピタヤの攻撃的なバトルスタイルとは裏腹に、こちらは守りを固め、堅実的に相手を削る持久戦を得意とする。
新任されたばかりのジムリーダーとだけあって公式戦の情報は数えるほどだ。得られたのはバトルスタイルと数体の手持ちポケモンくらいか。しかも、当時と今の手持ちが同じという確証はない。
「ただ、
それでもエキスパートタイプとバトルスタイルが判明しているのなら、ある程度の推測は立てられる。ロケットチルドレンとして叩き込まれたバトルの基礎知識は同年代のトレーナーとは比べ物にならない。『ただの下っ端と比べられてもらっては困る』とはコスモスの談だ。
うんうんと考えを巡らせていけば、あっという間に時計の針は進む。
すっかり体が冷めて瓶の中身も尽きる頃、ようやく明日の方針が固まる。
「───うん、後は臨機応変に対応する。それでいくから、バトル中はくれぐれも勝手な行動はとらないように」
淡々とした口調で念を押せば、ルカリオとゴルバットが力強く頷く。
「……ニンフィア、聞いてた?」
しかし、ただ一匹───新入りのニンフィアだけは困惑した様子を隠さない。
育て屋での雰囲気と違う所為か? それにしても煮え切らない表情だ。もしも意思疎通が図れてなければ明日のジム戦に響くと思い至るコスモスは、先ほど口にした内容を繰り返す。
「いい? 相手の技を避けたりするのは任せるけど、勝手に技を出したりしたらダメ。特にニンフィアは付き合いが短いから、私の指示だけ聞いて動くように」
「フィ~……?」
「大丈夫。これでも反射神経は良い方だから」
本当に大丈夫なの? という視線に首を縦に振るコスモス。
いくら優れているトレーナーだとしても、出会ったばかりの───それこそレンタル同然のポケモンを扱って勝利するのは至難の業だ。相手が同じ状況ならばまだしも、今回はあくまでこちらの都合で挑むジム戦であるのだから、ジムリーダーは当然使い慣れたポケモンを用いるだろう。
それを踏まえても尚、自身のポケモンの動きは逐一制御できるに越した事はない。
コスモスが必要とするのは与えられた役割を忠実にこなす“道具”。
期待を超える必要も、予想を裏切る必要もない。想定する展開を上手く構築し、勝利への道を辿る───いわば、詰め将棋のような戦略こそ最良だとコスモスは考える。
「結果に一喜一憂する必要はない。勝ちも負けも戦略に組み込んで、勝利への道筋を立てるのがトレーナーの役割。周りの目なんか気にしなくていい。バトルにおける貴方の価値は……私だけが決めていいから」
「───面白い考えですね」
反射的に振り向く。
すれば、そこには開放的な女性が居た。
「表の注意書きはご覧になられましたか?」
「実はこれタトゥーじゃないんですよ」
「日焼けですか」
「えぇ」
「じゃあ、せめて下着は着てください」
「これは失敬」
そう言って赤髪の女性は、いそいそと衣服が入っているロッカーを目指す。
と、ここまで全裸で話しかけていた事案一歩手前の女性は、言われた通り下着を穿いているが、
「上もお願いします」
「あちゃあ」
余りにもラインが際どいランジェリーだったが故、念のために上着を着用することも要求する。反応を見る限り、本当に下着だけ身に着けるつもりだったことは想像に難くない。
「ぁ」
しかしながら、服を着ても尚布面積に不安を覚えるファッションに悟ったような声が漏れた。
ほぼビキニなトップスにホットパンツ。そこにパーカーを一枚羽織るだけという、町中を歩くにあたって必要最低限を隠すような装いだ。それを目の当たりにしたコスモスも「どれだけ露出したいのか」と、初めて犯罪者を見るような奇異の眼を隠せなかった。
意図せぬ形で思考を中断されてしまった。
もうすぐ飲み物もなくなる頃合いだった為、コスモスはちょうどいいと立ち上がる。
「───いやぁ、失礼。温泉ってどうも開放的になりがちで」
「……私に何か用事が?」
だが、退室する直前で呼び止められてしまった。
まだ何かあるのかと辟易するコスモスが振り向いた───瞬間、女性のベルトに並ぶモンスターボールが目に飛び込んだ。
年季が入った、否、日に焼けた色合いが目を引く。
例え日光に焼かれたとしても、どれほどの時間晒し続ければここまで色が変わるだろうか。
それだけ長い間、ポケモンを連れて歩いているとすれば……。
「キミ、ジムチャレンジャーですよね」
「どうしてそうだと?」
「めでたくトーホウにポケモンリーグが設立された年。そして、新任されて間もないジムリーダーの情報を収集している……これだと不十分?」
「なるほど」
「キミのその画面を見る熱烈な視線。ぜひとも自分にも向けられたいものです。ゾクゾクします」
「もしもし、ジュンサーさん」
「待って」
───危うい香りがするが、推理力も中々どうして。
湯煙に乗じる露出狂という評価を覆し、女性の容貌を目に焼き付ける。
健康的に日焼けした小麦色の肌には、ある種の規則性を感じさせる肌色のラインが幾重にも重なっていた。よくよく観察すれば、それが肌を焼いた時に着ていた水着の跡であろう。
最早民族の伝統的なボディペイントと言ってしまった方がしっくりくる複雑な日焼け跡は、その装いのせいで隠すどころか、寧ろ見せつけんばかりだ。
一度見たら忘れない、そんな印象を文字通り
「はぁ……おっしゃるとおり私はジムチャレンジャーですよ。ポケモントレーナーのコスモス。以後お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとう。自分の名前はヒマワリ」
「しっかりと記憶しておきますよ」
「その必要はありません。キミにはもっと違う形で記憶に焼きつけたいから」
これは餞別です、と瓶のミックスオレを手渡してくる女性───ヒマワリは、颯爽と出口へ向けて歩き出す。
「あぁ、そうそう。さっきの価値観云々の話だけれど」
「お気に障りましたか」
「まさか。他人の価値観をどうこう言う見た目に見える?」
説得力の塊だ。これで他人を否定するようだったらミラーコートを叩きつけてやるところだ。
「自分、こう見えても人を見る目はあって。だから断言します、キミは強い」
「それは光栄です」
「そういったトレーナーには共通点があるの。それはね───美学があるかどうか」
言い換えるとするならば、ポリシーや信念だろうか。
プロもアマチュアも関係なくトレーナーが抱いているバトルへの考えを強さと結びつけるヒマワリは、徐にボールを放り投げる。
刹那、彼女の背中より三対の翼が生えた。
火の粉の鱗粉を振り撒くそれは紛れもなくポケモンのものだが、咄嗟に正体が頭に浮かんでこない当たり、相当珍しい種族であろう。
背中に掴まるポケモンによって浮遊を始めるヒマワリは、巻き上がる熱風による上昇気流と共にぐんぐん高度を上げていく。
それはまるで、高みより挑戦者を待ち受ける王者のようで───酷く癇に障った。
「今度会ったら、キミの美学を見せてくれると嬉しいな。もちろん、ポケモンバトルで」
「必要に迫られれば、やぶさかじゃありません」
「期待───しちゃってもいい?」
「それなら先に謝っておきます。『期待に添えられず、ごめんなさい』」
淡々とした……これは挑発だ。
なるほど、カワイイ能面の奥には中々に腹を空かせた猛獣を飼わせているものだと女性の口元が吊り上がる。
「でも、まずはオキノジムの攻略が先だね」
「観に来ますか?」
「自分は知らない方が楽しめるタチで」
「そうですか、私は逆ですね」
「んふっ……
そう言ってヒマワリは去っていった。
彼女が去るや、コスモスは端末に地図を映し出す。オキノジムを攻略したとして、次に向かう町は、
「……スナオカタウン、と」
これからの道を視線で辿り、コスモスは銭湯を後にした。
「そんなことより」
暖簾を出たところで
「……先生、どうされたんです?」
お腹がぽっこりと膨れ上がったレッドが、ベンチの上で横たわっていた。
その隣ではカビゴンが巨大な温泉卵を頬張っている。何とも幸せそうな表情だ。今にも“はきだす”を繰り出そうとしているレッドとは正反対である。
「……コスモス」
「はい」
「一回、バトルしようか」
「! ……望むところです」
思わぬ申し込みにコスモスの眼光が閃く。
片や、レッドの瞳はいつもに増して暗い影がかかっていた。一見すれば冷たく威圧的ともとれる瞳。戦う前から対戦相手を怯えさせるプレッシャーを与える───が、コスモスは奮い立つ。
師弟共々ハイライトのない死んだ目を爛々と輝かせている彼女は、これより始まる特訓に期待を抱いていたのだ。
(このタイミングでの先生から申し出……これにはきっと、明日のジム戦に向けての教示に違いありません!)
一度の経験を経て当初は打算的であった尊敬の念も、徐々に純粋な敬意へと昇華し始めていた。
妄信? 上等だ。結果が出ている以上、その強さは信ずるに値するのだから。
サカキがそうであったように、このレッドにも信じられる圧倒的強さがある。
彼の強さを一つでも我が物とすれば、それだけ早くロケット団再興へと繋がるのだから、コスモスの指導を受けるモチベーションはこの上なく高い。
信ずるべきは強さ。
強さには理由があり、理由には意味がある。
だからこそ、レッドの特訓には意味があるとコスモスは考えていた───純粋過ぎるが故に。
「腹ごなししないと……死ぬっ」
「? 何か言いましたか」
「……ううん、広場の方に行こうか」
「はい。ちょうど明日のジム戦に向けて、最終調整がしたかったところでしたので」
「そう……ちょうど……よかった……」
レッドの目の前は真っ暗になった。
***
空一面の青色。なんとも清々しい日よりだ。
しかし、タクシーから降りる挑戦者と同行者の前に聳え立つのは、そんな蒼天を衝かんばかりの高層ビル。
見上げるだけで首が痛い。定位置に乗っていたピカチュウは思わず「ととと」とバランスを崩し、後ろへ転がり落ちかける。
だが、寸前でコスモスが受け止めて事なきを得た。
「お待ちしていました、コスモスさん! レッドさん!」
と、立ち尽くしていた二人の下へリーキがやってきた。
「おはようございます」
「おはようございます! ジム戦ですよね?」
「もしかして案内は貴方が?」
「はい! 実はビルの中にジムがあるんです。案内板はあるんですけれど、よく迷う方がおられるみたいで……折角なので迎えに行ってあげなさいって言われてきました!」
「それはご親切にどうも」
こっちです! と浮足立って先導するリーキの後に続く。
言われるがままついていくコスモスに対し、レッドは田舎者丸出しで辺りをキョロキョロと見渡す。
「シルフカンパニーぐらい大きい……」
「ピカ!」
「でも、お店もいっぱいあるね」
所謂オフィスビルと呼ばれる類の建物内には、飲食店のみならずフレンドリィショップやポケモンセンターといったトレーナー向けの店舗も数多く存在していた。これもビル内にジムを構えている関係だろうか。
「目移りする……」
「ピ!」
「ん? どうしたの、ピカチュ……ウ」
相棒の声でハッとする。
右を見る。居ない。
左を見る。居ない。
前も後ろも見てみる。居ない。
さっきまで前を歩いていたはずの少女二人は、いつの間にか姿を消していた。
───いや、
「……はぐれた」
ポツンと。
いい年の青年が一人、ビルの中で迷子になってしまった。
まずい、とレッドは冷や汗を流す。
お世辞にも方向感覚に長けているとは言えない自分が、果たしてこの迷宮同然のビルで目的地にたどり着けるだろうか?
案内板を見ろ? 馬鹿を言え、案内板見ても分からないんだよ───心の中のイマジナリー
「人に……聞こう」
それはレッドにとって一世一代の決意であった。
しばらくシロガネ山に籠っていた所為か、彼のコミュニケーション能力は底辺まで下がってしまっている。
聞けばいいとは言ったものの、そもそも誰に聞けばいいかもわからない。
通りすがりの人に聞くのはなんとなく憚られる。できればスタッフのような人間が望ましいが、生憎周りにはそれらしき姿は見受けられない。
「……っスー……」
詰んだ。
思わず天を仰いで立ち尽くす。しかし、目の前には天井しか映らない。
「……いや、まだ早いか」
このままコスモスの試合を見られず仕舞いになってしまうのはレッドにとっても不本意だ。
思い出せ、イワヤマトンネルで迷った時を。フラッシュもあなぬけのひも持たず強引に入山した結果、一寸先も見えない闇の中を延々と彷徨い続けた思い出と比べれば、この程度どうということはない!
「……よし!」
いざ、ジムへ向かわんと駆け出した。
エスカレーターに乗り!
エレベーターを降り!
階段を駆け上がり!
自販機で買ったサイコソーダで一服し!
扉という扉を開け!
そして!
「ここはどこだ」
状況は悪化した。
本当にここはどこだ? 私は誰だ───そう続きそうになるくらい、訳の分からない場所に迷い込んでしまった。最早元の場所に帰ることさえままならない。
完全なる迷子だ。意気込んで駆け出した過去の自分が呪わしくなり、レッドは両手で顔を覆った。
「どうして……どうしてこんなことに……」
「ピカァ……」
「俺を慰めてくれるの?」
よいよいと涙を流すレッドの肩を叩くピカチュウ。その面持ちには悲しみと哀れみが二割、そして呆れが八割を占めていたが、そこまで読み取る余裕は今のレッドにはなかった。
はてさて、どうしたものか。場所が場所だ。辺りには低層階にあったような店も見当たらない。もしかすると社員だけが立ち入れる場所に来てしまった可能性も否めない。
そうなってしまえばお縄につくしかなくなるが、再三言うようにこの場から帰還する方法も分からないのが現状だ。まだ自分から警察に連絡してもらった方が帰還できる可能性は高い。
いや、寧ろアリなのではないか? とレッドは半ば混乱状態に陥っていた。
「……警察……」
「呼んだかね?」
不意に声が聞こえて振り返る。
そこには茶色のコートを羽織る壮年の男性が立っていた。
***
やはり緊張するものだ。
眼前に佇む御仁が何者か知っているからこそ、自然と背筋は伸び、襟元を正さなければならなる衝動に駆られる。
軽く咳払いをし、男は名乗った。
「お初お目にかかるよ、カントーポケモンリーグチャンピオン……レッドくん」
「……名前」
「おっと、自己紹介が遅れてしまったね。私のことは『ハンサム』とでも憶えてください」
「ハン……サム」
「ああ、念の為に言っておくがこれはコードネームでね。私はこういう者で……」
何か言いたげな表情のレッドへ、ハンサムは徐に懐から一冊の手帳を取り出した。
そこには写真と名前───そして、物々しい雰囲気を漂わせる金のボールのマークが輝いている。
「いわゆる、国際警察です」
「……ハンサム」
「こほん、そう何度も口にしないでくれると助かる。こういう身の上なのでね」
ジュンサー等の警察官とは違う括りに含まれる国際警察の身分である事実を念押しし、ハンサムは「さて」と口火を切った。
「私が君に会いに来た理由は他でもない。ぜひとも君の耳に入れたい話があって……」
「ジム戦に……」
「! ……成程。既に事情は察しているという事か」
一瞬驚愕の色に彩られたは、すぐさま平静へと返る。
しかしながら、その内心は未だ地元の警察はおろか、国際警察内部でもごく一部の人間しか知らない案件に関わっている事実を認めているレッドへの驚嘆でいっぱいだった。
流石はかつてロケット団を壊滅させたポケモントレーナーだ。
その打ち立てた伝説に恥じぬ正義の炎が瞳の奥に燃え上がっているのを垣間見つつ、ハンサムはハッと飲んだ息を吐き出した。
「それなら話が早いですな。ここで立ち話をするのもなんだ。君なら既に見ているかもしれないが、彼女のバトルを観ながらの方が飲み込みやすいでしょう」
言うや、ハンサムの足はとある場所を目指す。
その迷いない足取りにはレッドも無言でついていく。
しばしの間、沈黙が流れる。
コツコツと靴底が床を打つ足音だけが響く中、目を伏せたハンサムは独り言つ。
「……これも何かの運命か」
誰に言うでもない独り言は沈黙の中に吸い込まれていく間にも、二人は目的地へと近づいていく。
近づくにつれ伝わる震動───これはバトルの余波だろうか。
その時、ズシンッ、と腹の底に響く大きい揺れが走る。それからは打って変わって水を打ったように静まり返った。
「ここか」
察したように呟きハンサムが扉を開く。
ここが目的地だ。いや、目的とする人物が居る場所と言った方が正確か。
重要なのは“場所”ではなく“人”だった。今まさにジム戦に挑んでいる少女こそ、ハンサム───延いては、国際警察が目につけている少女がジムリーダーへの挑戦権を求め、熱いバトルへ身を投じていた。
「勝者、
勝利を掴んでも、あくまでも平静を崩さない少女。
ジムトレーナーを難なく下した彼女は、ビルの中層階に堂々と鎮座するバトルコート上で汗を拭う。それも周りに張り巡らされた霧でバトルコートは熱気が籠っているからか。
「ム! もうすぐジムリーダーとのバトルに入るようですな」
「……」
「おっと、すみません。どうぞ腰を下ろして」
先にレッドを観戦席に着かせてからハンサムも座る。
彼が言う通り、観戦席の一角を陣取るモニターを見る限り、あと一勝でコスモスはジムリーダーへの挑戦権を得られるらしい。
トレーナーによっては挑戦権を得ることさえままならず敗退することも珍しくはない───それがポケモンジム制覇というものだ。
しかしながら、コスモスは難なくあと一歩というところまで迫っている。
誰も口にこそ出さないが、観戦している人々は皆彼女の挑戦権獲得を信じて疑っていない。それだけの強さを見せられたという訳だ。
「流石……というべきですかな」
ハンサムはレッドを一瞥する。
あくまで視線は気取らせない。彼女の特殊な出生を考慮すれば、やたらと触れるのも気持ちは良くないはずだ、と。
それでも彼が何を思い、かつての“敵”を傍らに置いているか……理由までは分からずとも、どういった目で見ているかが気になった。
だがしかし、次の瞬間にハンサムは自身の浅薄な振る舞いに固まった。
少女を見つめる青年の視線。何者にも汚される予知のない真紅の瞳は、じっと戦いに挑んでいるトレーナーとポケモンだけを映している。
その瞳は、まるでかつての自分───ロケット団を壊滅させた頃の面影を重ねているようにも見えた。
(
だからこそ、傍に居る彼へ目をつけた。
───いや、ロケット団を壊滅させ、チャンピオンの座から颯爽と下りて姿を眩ませた彼がこうして行動を共にしている以上、彼女の素性を知っていると見て間違いないだろう。
「では、早速本題に入らせていただきます。話とはロケット団……いえ、あの少女についてと言った方が早いでしょう」
既に報告は上がっている。
数年前に壊滅したはず悪の組織の蠢動は、今や遠く離れた地方にまで及んでいると知った。何より組織の犠牲者と言える少女に接触したとなれば、事態が急を要することは言うまでもない。
「おそらく奴らは組織の再興を目指し、目ぼしい人間に声をかけていることでしょう。元構成員などもその対象だ」
壊滅した組織だからと侮る事なかれ。
あらゆる分野に手を出していたロケット団の勢力は根強い。ジョウト地方のラジオ塔占拠事件など、その最たる例だ。各地に散らばった構成員は雌伏の時を過ごして再興の瞬間を待っている。
虎視眈々と力を蓄え───。
「……単刀直入に申し上げます。君にあの子───コスモスくんを任せたい」
未来ある少女が、再び奴らの犠牲にならぬように。
「元ロケットチルドレンとして隷属を強いられた、少女の未来を!」
少女の知らぬ場所で、過去は暴かれる。
Tips:ニンフィア
新たにコスモスの手持ちに加わったポケモン。穏やかであり、喧嘩を好まない心優しい性格。昔育て屋に預けられ、そのまま元の主であるトレーナーに引き取られることなく数年の時を過ごしていた。争いごとと思っていたポケモンバトルに苦手意識を持っていたものの、コスモスとレッドによる“バトルで育まれる友情”を目の当たりにし、バトルを見る目を変え、コスモスの手持ちに加わった。