コスモス「マッギョは強敵だった」
レッド「スヤァ……」
『ずぞぞぞぞ!!!』
勢いよく麺を啜る音が食堂に響き渡る。
お昼時、この清潔感を覚える白色を基調とした食堂には、このオフィスビルで働く社員と彼らのパートナーポケモンがこぞって集う。小さなポケモンから大きなポケモンまで一堂に会せる広さは流石というべきだろう。
そんな中、激闘を繰り広げたコスモスらはリックやリーキと一緒に昼食を取っていたのである。
食すのはオキノ名物のカモネギ蕎麦。実際にカモネギが使用されている訳ではないが、香ばしい焦げ目がついたネギが丸々入った蕎麦からは、食欲をそそる出汁の香りが湯気に乗って立ち上ってくる。
社員食堂だからと侮ることなかれ。老舗にも負けぬ味わい深さに舌鼓を打っていれば、瞬く間に蕎麦が入っていた容器は空となった。
「……ごちそうさまでした」
行儀よく手を合わせてお辞儀するコスモス。
近くで特製ポケモンフーズを食べていたパートナーたちも、ほぼ同時に食事をとり終えたようだ。
「いい食いっぷりだったな。うちの食事は気に入ってくれたかい?」
「ええ、美味しかったです」
「そりゃあ良かった! なんならうちの社員にでもなってみるかい?」
「残念ですが遠慮しておきます。勤める組織は既に決めているので」
「おや、そうなのか?」
そりゃ残念、と答えるリックは一息吐くようにコップに口をつけた。
「それならせめて、デザートでも頂いていかないか?」
言うや、配膳役のサンドがお盆を持ってくる。
乗せられてきたデザートから漂う香ばしい匂いに、コスモスは傍目から見ても分かる程に目を輝かせ、ごくりと喉を鳴らした。
「ガレットだ! 召し上がれ」
「いただきます」
「カロスの方じゃミアレガレットのもあるが、こっちのも味は負けてないぞ! なんてったって地域活性化の為にうちの会社で一から監修した一品でな、まずはソバの実の品種から拘って……」
「ごちそうさまでした」
「ちょ、早」
一方、自分のペースで箸を進めるレッド。その涼しい顔の裏側では、ガレットを奪おうとするピカチュウに徹底抗戦していた。
「おいしかった?」
「あと10皿はいけます」
「カビゴン?」
「私の体重は460キロもありませんよ?」
「あったらビックリしちゃう」
そう言っている間にもレッドのガレットは、呼ばれたと勘違いして飛び出てきたカビゴンが気付くや、鈍重な見た目からは想像もできぬ神速の動きで飲み込まれた。その際、ガレットを掴んでいたピカチュウも巻き込まれ、現在上半身をカビゴンに咥えられ、足をじたばたさせている。『ピッカァ~!』と呻き声を漏らしながら“10まんボルト”を放つも、カビゴンにはさほど効いていない様子だ。
その光景をベトベトになった手を拭うレッドが眺め、一言。
「……え? カビゴンって460キロなの?」
「一般的にはですが」
「ゴローニャの重さは?」
「だいたい300キロです」
「100キロも……道理で動かせなかった訳だ」
「先生、その言い方だとゴローニャは動かせるように聞こえます」
「え?」
「え?」
思いのほか
動かせるんだなあ
閑話休題。
「お二人さん、次はスナオカタウンに向かうのかい?」
デザートも平らげ一息吐いたのを見計らったリックが聞いてくるのは、コスモスらの次なる目的地だった。キョウダンタウンから東に向かってきた今、次のジムを目指すとなれば、必然的にリックが口にしたスナオカタウンが目的地となる。
名は体を表すと言う通り、スナオカタウンは広大な砂礫地に無数に並ぶ砂丘が名所の町だ。
「徒歩で行くつもりならゴーグルでも買っておくといいかもなあ。道中に海岸があるんだが、風の強い日は砂が目に入って痛いのなんの……」
「でも、じめんタイプのポケモンがたくさん居るんですよ!」
ここぞとばかりに口を開いたリーキに、親馬鹿なリックは『その通りだ!』と過剰に声を出す。その所為で周りの視線を集めてしまい、途端に恥ずかしくなったリーキにプイっと顔を逸らし、リックがショックを受けるまでがワンセット。
散々見てきた光景だ。コスモスもレッドもさらりと流し、会話を続ける。
「次のジムはほのおタイプみたいですし、じめんタイプを捕まえておくのもいいかもしれませんね」
「……そう言えば、手持ちとかどうするつもりなの?」
「どうとは?」
「六体、どう固めるのかなって」
「そういうことですか」
湯飲みの中に入っていた蕎麦茶を飲み干し、コスモスはバッグに入っていた飴を一つ口に放り込む。ガレット一つでは足りなかった糖分が補給され、バトルで疲弊した頭がスーッと冴え渡る。
元々手持ちについての考えはあった。
「六体に固執するつもりはありません。必要に迫られればその都度捕まえて育てます」
「……大丈夫なの?」
「ご心配には及びません」
大抵、トレーナーが連れて歩くポケモンは六体が限界だ。
それはいつからの風習だったか。しかしながら、何十年も昔のポケモンリーグからすでに六体と決まっていたからか、現在までも“手持ちは六体まで”というルールは続いている。
バトルに興じぬトレーナーならいざ知らず、リーグを目指す者は大抵六体のフルメンバーを決め、王の玉座を争う頂上決戦に挑むものだ。
どのような構成にするか? これはトレーナーにとって永遠の課題だ。
ポケモンの種類は、優に数百を超える。この中から最高の組み合わせを選べと言われたところで実際には無理な話だろう。
例えばチャンピオンが使っているような強力な種族を選出したとしよう。しかし、どのようなポケモンであっても弱点は存在する。となれば、いかに他の手持ちで弱点を補完するかが問題となっていくだろう。
そして、その弱点を補完するポケモンにも弱点は存在する訳で───と、問題は堂々巡りだ。そもそも弱点補完が出来ていたところで、それはあくまで負けにくくする為の策であり、勝てるかどうかはまた別の話だ。
しかし、世間一般的に強者と謳われるポケモントレーナーにはある共通点が存在する。
それは手持ちの六体とは別に、他のポケモンも並行して育てているという点だ。
シンオウリーグ現チャンピオン・シロナを例に挙げよう。
彼女の手持ちはエースのガブリアスを筆頭に、ミカルゲ、ロズレイド、トゲキッス、ルカリオ、ミロカロスが選出されている場合が多い。だが、試合によってはトリトドンやグレイシア、時にはシンオウ地方には生息していないウォーグルやシビルドンを手持ちに加えている時も存在する。
このようにチャンピオンでさえ手持ちの六体は絶対に不変という訳でもなく、場合によって入れ替わるものなのだ。
であるならば、リーグを目指すトレーナーも多くのポケモンを捕まえるべき───という単純な話でもない。
六体以上のポケモンをリーグ本戦に耐えうるレベルに育てられるのか?
そもそも、それだけの数のポケモンを養える潤沢な資金源はあるのか?
課題は様々な壁として、駆け出しのポケモントレーナーに現実を突きつけてくる。
夢のない話だと言われようが、それだけの課題を超えて手に入れられるのが四天王やチャンピオンといった栄光ある立場である。
(そんな心配をされてるんでしょうが、私にはスポンサーが居ますしね)
だがしかし、コスモスには過去に手にしたジュニアカップの成績に釣られた企業が名乗りを上げ、今やスポンサーとして後援している。故に資金面には問題はないし、六体以上捕まえた時に育成を任せる育て屋の伝手も確保されているのだ。
プロともなれば、育成も専門業者に頼むことも少なくない。時間は有限だ。他のジムチャレンジャーを出し抜くには、使えるものは使っておくに越したことはない。
ゆくゆくはありとあらゆるポケモンを育て、鍛え、いかなる相手にも対応できる構成を成し得られるだけのポケモン軍団を作る───それこそがサカキの剣として、ポケモンリーグチャンピオンとなるべくして育てられた意義であると、コスモスは自負している。
「先生にはご迷惑をお掛けするつもりはありませんので、ご心配なさらず」
「……うん」
「……?」
しかし、レッドの様子は芳しくない。
何か不味い受け答えをしてしまったであろうか。途端に冷や汗が止まらなくなるコスモスの脳内では、グルグルと思考が巡る。
───そう言えば。
レッドの手持ちはピカチュウをはじめとした六体以外、見たことがない。
フシギバナ、リザードン、カメックス、カビゴン、ラプラスといずれも強力なポケモンだ。鍛えに鍛えたルカリオでさえ、ただの一度でさえ瀕死にできた試しがない。タイプ相性で有利なカビゴンですら体力を半分も削る前に返り討ちにされるのが関の山だ。
すなわち、彼の手持ちは一体一体の強さが極まっている。
タイプ相性の優劣さえ覆すレベルの高さ。炎すら押し返す草、水を焼き尽くす炎、草を圧し潰す水───どれもが少女にとって衝撃的な光景であったことは記憶に新しい。
これだけのレベルに鍛え上げるには、気が遠くなる時間をかけたに違いない。
ある時、育成の真相を探るべく問いかけたコスモスにレッドはこう返した。
『……山籠もりしてた』
なんてアナログな。
けれど、その成果をまざまざと見せつけられた以上、コスモスはこれっぽっちも疑念を抱かなかった。それはもう純粋な眼差しで『なるほど』と声を弾ませていたとな。
『なんで!! なんでそんな変な方向に思い切りがいいの!』
かつての教育担当だったロケット団幹部が目にすれば、きっと頭を抱えるだろう。
「……先生は、手持ちを入れ替えることには不服でしょうか」
「……ちゃんと育てられる?」
「それは」
この言葉、額面通り受け取ったならばトレーナー失格だ。
ここで育て屋に預けるなどと甘ったれた考えを抱けば、瞬く間に師から失望を買ってしまうことになるだろう。
おそらく彼が求めているレベルはもっと
「……育てられます」
「……本当に?」
「はい」
───やはり、先生は私をトレーナーの“高み”へと導いてくれる。
出会えた幸運に感謝しつつ、コスモスは口の中の飴を呑み込んだ。
「昨今、がくしゅうそうちは手持ち全員へと経験が行き渡るよう改良されていますが」
「うん?」
「得られるのはあくまで
「うん」
「わざの構成も十分突き詰めるつもりです。メーカーによってはわざマシンが何度も使えるようになりましたが」
「うん?」
「安易にわざ構成を変更すれば、わざの練度が低くなってしまいますので。今後の課題ですね」
「うん」
「課題と言えば、道具もです。近年のルール改正に伴い、大抵の大会では道具を持たせられるようになりましたけれど」
「うん?」
「まだこちらは手持ちが固まっていませんし、探り探りになっていくのは私の至らなさに尽きます」
「うん」
「ですが、ゆくゆくは先生を納得させられるようなベストな組み合わせを突き詰めていきます!」
そう声高々と宣言した頃、傍に座っていたリックやリーキのみならず、聞き耳を立てていた社員らも『おー』と感嘆の声を上げ、力説していた少女へ惜しみない拍手を贈る。
しかし、周囲の人間を満足させられたとして、目の前の師を満足させられなければ及第点ではないのだ。
恐る恐ると、コスモスは面を伏せたレッドへ問いかける。
「……これでは不十分でしょうか、先生」
「……ふふっ」
「!」
レッドが───笑った。
滅多に笑わない彼が。
それだけでコスモスの緊張感は一気に高まる。
「これが……時代」
「先生……?」
「……うん。今は……それでいいと思う」
「! ……ありがとうございます」
ほっ、と思わず息が漏れる。
(ひとまずは、といったところですね)
だが、まだまだ油断できない。
彼は言った。『今はそれでいい』と。
それはつまり、現状を打破した先に更なる課題が待ち受けていることを意味する。これだけの育成の果てに、まだ何かやるべきことがあるのだろうか?
その事実に慄く───だがしかし、心の片隅で得も言われぬ疼きが脈動している感覚をコスモスは覚えた。
(なに、この感覚……?)
言葉で説明できない不気味さとは裏腹に、不思議と高揚していく気分は悪くはない。
(そう言えば)
過去にもう一度、同じ気分に陥った記憶がある。
今となっては懐かしいサカキとの思い出。
敬愛するボスの傍らで言葉を交わす機会に恵まれた時の───。
『お前にはこれからロケット団の更なる飛躍の為、リーグ関係者として……具体的には四天王やチャンピオンの座を奪ってもらう』
『はい』
『だが、その前段階として一つ指令を出す。心して聞け』
『よろしくお願いいたします』
『───私よりも強くなれ。以上だ』
『……え?』
『それがロケット団の……いや、私の野望を達成する為、お前に遂行してもらわなければならない“過程”なのだからな───』
───そうだ、あの時と同じ。
自分にとっての頂点は当然、ロケット団の首魁であるサカキに他ならなかった。
彼こそが至上であり至高。それよりも上が居るなどとは、当時夢にも思っていなかった。
だがしかし、こうして今ロケット団という組織から離れたからこそ理解が及び始める。ロケット団にとっての至上はサカキであっても、彼が最強である必要はない。無論、彼の圧倒的なまでのトレーナーとしての腕に惹かれた団員も数多く居よう。
それでも護衛すべきボスを守る盾が、誰一人ボスよりも腕が立たないのはなんとも不甲斐ない話だ。
「……ふふふっ」
「コスモスさん?」
「いえ、なんでもありません」
「そうですか? でも、すっごい楽しそうな顔してますよ!」
リーキに言われるや、コスモスはスマホロトムで自身の顔を映してみる。
そこには静謐な瞳の奥に、ギラギラと野望の火を燃え盛らせる自分の顔が映っていた。
なるほど、と、一つ腑に落ちた。
そして、一つ枷が外れた気分だ。
───私は
敬愛するボスやチャンピオンでさえも通過点。
(きっと先生は、既にその先を見越しているんですね……)
追っていた背中の一つだったサカキ。
さらにその先に佇む存在に、コスモスはレッドの背中を幻視するのであった。
***
「……これが……ジェネレーションギャップ」
「先生さん?」
独り言つレッドに、リーキが声をかける。
随分としみじみとした面持ちであるが、彼は実に穏やかな声音で続けた。
「……便利な世の中になったね」
「は、はぁ……?」
ポケモントレーナー、レッド。
気分はさながら未来に
「フッ……」
───知らなかった。
がくしゅうそうちの機能、わざマシンの仕様、ポケモンの持ち物。
全部が全部、自分の知っているものとは変わっている事実を他人から聞く様は、さながら孫の話を聞く祖父のようだった。
***
「コスモスさん! 先生さん! どうかお達者で!」
「はい、リーキさんもお達者に」
スナオカタウンへと続く道路の目の前で見送られるコスモスとレッド。
一抹の寂しさに涙を零すリーキの肩を叩きながらも、コスモスは『ポケモンリーグで会えますよ』とこれから向かう目標と共に再会の場を伝える。
そんな頼もしい言葉の傍ら、レッドはわざわざ運転して送ってくれたリックに頭を下げていた。
「送ってくれてありがとうございます。座席がフカフカだったです」
「おっ、そうかい? 折角ならこのまま車で送ってやりたいところだが、余計なおせっかいだろう。ポケモントレーナーの旅は歩いてナンボ! 違うかい?」
「ピッピカチュウ!」
「ピカチュウもそうだそうだと言ってます」
元気よく声を上げるピカチュウ。旅の醍醐味を理解する電気鼠に、リックも『分かるねぇ~』と頷きながら顎鬚をなぞる。
「だが、次のジム……スナオカジムリーダーにはくれぐれも気をつけな」
「……どういう意味で?」
「ぶっ飛んだ奴さ。オレも長年トレーナーとして場数を踏んできたが、バトル中にあんなことをしでかす奴は見たことない」
そう述べるリックは頭を抱え、苦々しさを顔で表現した。
気になったコスモスは単刀直入に訊いてみる。
「随分と問題のある方で?」
「問題というか、一歩間違えれば炎上……いや、ジュンサーさんの世話になるな」
「そんな人がジムリーダーなんですか?」
「腕は確かなんだ、腕は」
腕以外に問題がある人物像を抱き、コスモスとレッドの眉間にも皺が寄る。
「とりあえず善処はします」
「ああ、気をつけてな。先生くんもコスモスちゃんの指導、よろしく頼むよ」
「俺に指導できることなんて、そんなに……」
「またまた! ……言わなくても分かる。キミこそが彼女をリーグへと導くトレーナーだ」
期待しているよ、と逞しい手がレッドの肩を叩く。一般人ならば大きく体勢を崩すであろう衝撃にも、この青年は微動だにせず直立不動を貫いた。
並大抵の鍛え方はしていない───と、別れ際にトレーナーの方に慄きつつも、リックとリーキはオキノタウンを発った二人に手を振り続けていた。
それから彼らの姿が見えなくなった頃、見えてきた光景はと言えば。
「これが砂丘……」
「……大きい」
「想像以上でした」
丘と言うよりも、最早小山に等しい見上げんばかりの大きさである砂丘が無数に聳え立つ砂礫地。地方最大の砂丘と、無数のじめんポケモンが生息する道路が目の前には広がっていた。
「崖の上を行く道もありますが……どうします?」
「砂丘、行こう」
「分かりました」
あからさまに目を輝かせている───と言っても第三者視点では限りなく変化がないように見える違いだが───レッドの様子に、コスモスは言われるがまま砂礫地へと足を踏み入れた。
「なるほど……これは随分と足腰を鍛えられそうな……」
「シロガネ山の山中を思い出す……あっちは雪だったけど」
「ふっ……ふっ……!」
「……疲れた?」
「ふっ……なんの、これしき……!」
とは言うものの、コスモスの額にはすでに汗が浮かび上がっている。
ここには日光を遮る木々もない。燦々と照り付ける太陽の光は、広大な砂丘にこれでもかと熱を与えていく。
上も熱い、下も熱い。控えめに言って地獄だと、コスモスは内心で呟いた。
(ですが、これもなにかしら考えがあってのこと……根を上げるわけには!)
横を一瞥すれば、一滴の汗も窺えないレッドが普段と変わらぬペースで歩いていた。
「はひぃ……はひぃ……」
「……コスモス」
「ひぃ……ひぃ……」
「ねえ、コスモス」
「はひぃ?」
「フシギバナ……乗る?」
「乗らせてください」
ここで一句。
陽射し浴びると
元気だナ
「ちゅ~……」
「しばらく休んでていいよ」
「ありがとうございます」
のっしのっしと歩くフシギバナの花弁の下。
その日陰となる場所で、コスモスは水分補給がてら休憩する羽目になっていた。
片やコスモスを乗せて歩くフシギバナは、燦々と降り注ぐ日光に元気溌剌と言わんばかりの様子である。
「少しばかり甘く見ていました。こんなに暑いとは……」
「霰降らす?」
「いえ、それはラプラスにも悪いですし」
「いや、俺が」
「霰乞いは聞いたことないですね」
などと気の抜けた会話を交わしている間にも、涼しい顔を浮かべていたレッドの額にも汗が滲み始める。
「流石に暑い……寒いのはどうにかなるんだけどなぁ」
「同感です。私も着込めば何とかなる分、寒い方が……」
「ブルブル震えてれば、なんか体が温かくなるし」
「シバリングはそこまで万能ではないかと」
「そう?」
澱みのない眼差しで振り返ってくるレッドに対し、コスモスは『それよりも』とバッグに手を突っ込んだ。
「塩飴はいかがですか? 先生も念のために」
「あー……うん、もらう」
「分かりました。少々お待ちを……」
「そこに飴入ってるの?」
「色々入ってますよ。塩飴に私用の甘い飴、ポケモンの育成用にもふしぎなアメや各種色んな種類の飴を取り揃えて……、……?」
バッグを漁るコスモスの手が止まる。
能面のような真顔から、次第に怪訝な面持ちへと変わっていくにつれ、辺りは不審な空気に包み込まれていく。
「どうしたの?」
「いえ、何か知らない感触がバッグの中に……」
「ピカチュウ……は、そこに居た」
「ピカァ?」
あ゛? とでも言いそうな目つきで睨みつけてくるピカチュウは、自分が犯人ではないとふんぞり返る。
となれば、なおさらバッグの中に潜む不可思議な感触に説明がつかない。
───まさか、野生のポケモンが潜り込んだか?
ルカリオの感知をすり抜け、バッグに潜り込むなど並大抵のポケモンでは為し得られない。余程気配を隠すのが上手いポケモンか、はたまたエスパータイプのようなテレポートを扱えるポケモンか。どちらにせよ、もぞもぞと蠢いている正体を暴かない分には先に進めない。
見つめ合うコスモスとレッド。
意を決し、少女は綿菓子のような物体をバッグから引き抜いた───!
「……ピィ?」
「ピィ?」
「ぴぃ?」
「ピ?」
引き抜いたのはピィ───ではない。
例えるならば、夜空色の綿菓子。そのガス状らしき体は、手に持っていても欠片程の重さを感じないほどに軽い。
「……なんですか、この……ポケモン?」
「ピィ?」
「というより……」
謎の侵入者を引っこ抜いた際、辺りに散らばった飴の包装の数に青ざめるコスモス。
片手に狼藉者を握りつつ、バッグの中身を確認する彼女の額には、炎天下の行脚よりも多い汗がこれでもかと浮かび上がっていた。
「な……ない……ない、ない、ない!」
「ないって……何が?」
「ポケモンの育成に取っておいたふしぎなアメが……ほぼ全部」
「え」
「それと、私が買い溜めておいた飴も……一つ残らず」
「あ」
バッグを逆さにすれば、既に食い尽くされて中身がなくなった包装が虚しい音を奏でて落ちてくる。
一方、無味に等しいふしぎなアメに比べ、特産品の果汁を使った地域限定の飴を平らげた未知のポケモンは実に満足げな表情を浮かべながら、コロコロと最後の飴を味わっている途中だった。
「ピィ♪」
「う……」
「ピ?」
「───」
刹那、どこからともなくモンスターボールを取り出したコスモスが、未知のポケモンへ躊躇いなくボールを投げつけた。
既に掴まれていたポケモンは抵抗する間もなくボールへ吸い込まれれば、そのまま暴れる様子もなく捕らえられるに至った。
カチッ☆ と鳴り響く捕獲音は、この時ばかりはやけに虚しく響き渡る。
何とも居た堪れない空気だ。
これにはレッドも見るに見かねて声を掛けようと、意を決して前へと踏み込む。
「ねえ、コ」
「あぁーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
「すみませんなんでもないです」
慟哭。
フシギバナの上で蹲りながら、たった今捕獲したポケモンの入っているボールを掲げる姿は、リーグ出場を期待されている新人トレーナーにしては余りにも悲嘆と絶望に彩られたものであったと、後のレッドは語った。