コスモス「くろいまなざしさえあれば逃げられなかったのに……」
レッド「だからサファリゾーンは初っ端ボールが正解」
「ハッハッハ、そうかそうか! あのギャラドスを捕まえようとするなんざ、随分と胆が据わった嬢ちゃんじゃねえか!」
偉丈夫の笑いごとで、ただでさえ揺れる車内が一段と大きく揺れる。
「だから言ったじゃないですか。逃げられたって」
「随分腕に実力に自信があるんだな。ポケモンリーグにでも挑戦するクチか?」
「その為にあのギャラドスが欲しかったんですが」
大の大人でも圧倒されそうな強面の偉丈夫に対してもコスモスは平常運転だった。
それはさておき偉丈夫───アオギリと名乗った男は、少女の豪胆な様子にもう一度呵々と笑ってから言葉を紡ぐ。
「確かにあんな大物滅多にお目に掛かれねえ。手に入れりゃあって気持ちは分かるが……そいつはやめておいてもらいてえもんだ」
「何故です?」
「そりゃあ、あいつがこの湿原の
団体向けのワンボックスワゴンの中には、他にも存在するアクア団の面々が和気藹々と談笑していた。中でも成り行きでコスモスと共に同乗したレッドは、膝に置いたピカチュウを女性団員に可愛がられ、やや肩身が狭そうに角に追いやられていた。
各々が別の話題で盛り上がる中、アオギリはこう語る。
「どこもそうだ。そこにはそこの生態系ってもんがあって成り立っている。この湿原なんかは特に顕著さ。ジャンボマウンテンから流れてくる綺麗な雪解け水が、道中の土やら何やらから栄養を運んで、この盆地に溜まって肥沃な泥を生み出している。それが他とは違う独自の環境を生み出してる訳だ」
「独自の環境にはそれに適応したポケモンが集まると」
「そうだ! だが、何も環境だけが自然を形成してる訳じゃねえ。そこに棲むポケモンもまた自然の一部……むしろポケモンの方が環境を変えちまう場合だってざらにある」
ほんの少し声色が重くなったのは、気のせいではないだろう。
「カビ臭い本をひっくり返しゃあ、そこら一帯を支配するヌシが外敵を追い払っていたなんていう記述はいくらでも見かける。その逆もまた然りだな」
「……つまり、あのギャラドスを捕まえたら湿原の生態系が崩れると」
アオギリの力説を聞き終えたコスモスは、長いため息を吐いた。
どうにも先のギャラドスはコイノクチ湿原において影響力の大きい個体らしい。考えなしに捕獲すれば、外敵の侵入をみすみす許すことで生態系を大きく変える───延いては湿原の環境を変えかねない。
「それもそれで自然の摂理だと思いますが」
「達観が凄いな嬢ちゃん。いくつだ?」
12歳である。
「……まあ、おれ達アクア団は土地に根付いたポケモンが健やかに暮らしていけるよう、そうした環境を調査・保全する自然保護団体ってワケだ。モットーは『ポケモンにとっての理想郷を』だ」
「それはまた、」
つい最近スポンサーになってもらったマグマ団と真逆の信条ですね、という感想は心の中だけで完結させた。
さてさて。
そもそもどうしてコスモスとレッドがアクア団の運転する車に乗っているのだろうか? 理由は車窓の外に見えてくる町にある。
湿原から響くカエルのコーラスを背に、コスモスは隅に追いやられていたレッドの方を向く。未だに膝の上のピカチュウを女性団員に可愛がられ、当の主人である彼は限りなく存在感を消すよう努めていた。差し込んでくる光の角度の関係からやけに濃い影がかかっており、ちょっとした心霊写真っぽくなっている。
「先生、見えてきました。カチョウタウンです」
「……もう着く?」
「あと10分くらいさね。着いたら起こしてやるから、寝ちゃってくれても構わないよ」
ハンドルを握る男勝りな口調の女性が割って入ってきた。
自己紹介に際して『イズミ』と名乗った彼女は、現アクア団の幹部であり、過去にはデボンコーポレーションにも勤めていた才女でもある。
「……おかまいなく」
「あら、そう? 気分悪くなったら言いなよ」
イズミに気を遣われつつ、再びレッドは存在感を消す。
そのまま眠りに入るのかと思われたが、反響してくる黄色い声が睡眠という現実逃避を許さなかった。
「きゃ~、かわいい~!」
「ピカチュウ触るなんてこの前行ったポケモンカフェ以来だわ!」
「……え? なにそれ知らない。アタイ呼ばれてないんだけど」
「ア、アンポンターン! どうでもいいのよ、そんなこと!」
「ポロック食べる? 何味が好きかな?」
ピカチュウの前に並ぶ瓜二つな顔───が、五つ。
ここまでくると最早壮観な光景を目の前にしつつもみくちゃにされるピカチュウは、喜びとも戸惑いとも取れる微妙な表情を浮かべていた。
光が輝きを増す程に影も濃くなっていくとは言うが、まさにそれを体現しているかのような光景だ。
それを見ていたコスモスは、
「……なるほど」
なにが? と問いかけたくも、問いかけられないレッドなのであった。
***
豊かな恵みの坩堝、カチョウタウン。
コイノクチ湿原より河口へ流れる水には豊富な栄養が含まれており、海辺にやって来るポケモンの種類が多岐に渡ることから、古くより水産業の町として栄えている町でもある。
北は湿地、南は海と水とは切っても切り離せない立地にこそあるが、ジメジメとした気候とは打って変わって住民は快活だ。あちこちで溌剌とした競りの声が行き交っている。
「それじゃあこの辺でおさらばだな。新鮮な話が聞けて楽しかったぜ」
「こちらこそ。アオギリさんはまだカチョウタウンに居られるんですか?」
「まだしばらくはな。なんせ最近噴火があったろう?」
ジャンボマウンテンか、とはすぐにあたりがついた。
コイノクチ湿原はジャンボマウンテンの下流。噴火の影響が少なからずあることは想像に難くはない。
「生態系が丸々変わるかもしれませんね」
「まあな。だが、だからって何もしねェのも違うだろ?」
やはり堅気とは思えない笑みを浮かべながらも続ける。
「オレ達はオレ達にやれることをするのみよ。
「いいえ、同感です」
「お?」
「まあ、理想論がそのまま実現できることに越したことはありませんが」
「違ェねえや!」
ガハハッ! とアオギリは一頻り笑う。
「それじゃあここらへんでお暇させてもらうぜ! ジム戦頑張れよ、嬢ちゃん。なんでもこの町のジムリーダーは随分腕が立つらしいからな」
「みずタイプを使ってくるらしいですね」
「おう。だから、特訓するなら湿原がピッタリだ。オレ達はしばらくここに滞在してるから、また顔を会わせるかもしれねえな!」
『そん時はよろしく頼むぜ!』とアオギリは団員を連れていった。中にはピカチュウとの別れを惜しむ五つ子団員も居たが、姉御肌なイズミに尻を引っぱたかれて泣く泣く去っていった。
こうしてコスモスとレッドは二人っきりになった。
するとレッドが、
「……疲れた」
「車酔いですか?」
「人酔い」
「酔い止めならありますが」
「効く? 人酔いに」
五つ子の圧にやられたレッドは心なしか萎びていた。まるで塩漬けにされたナゾノクサのように頬が痩せこけている。
「私達もどこかで休憩しましょう」
「かたじけない」
「カカピカピ」
同様に疲れ切ったピカチュウも連れ、二人は町中を散策することにした。
アオギリ達に下ろしてもらった場所は商店街の近くだったのか、夕暮れ時にも関わらず人で溢れかえっていた。あるいは外食に来た家族連れ、あるいは仕事帰りのサラリーマンだ。
しかし、二人がやって来た場所は少し開けた広場。中央に設置されている噴水周りには小鳥ポケモンの他に、道中見かけたウパーやニョロモといったみずポケモンが水遊びしている。
なんとも癒される光景だ。
しかし、視覚的に癒されたところで肉体的に癒されないのが現実の悲しい部分である。
「……」
「先生、飲み物でも買ってきましょうか?」
「……おいしいみずを……」
「了解しました」
息絶え絶えの師の姿に、コスモスは全力で自動販売機へと向かい購入する。
それから水を受け取ったレッドはちびちびとおいしいみずを煽り始めた。
「染みる……」
「そんなにですか」
「シロガネ山でとれた水だからかもしれない」
故郷(?)の水が体に合う赤帽子は、ゆっくりと財布から小銭を取り出す。
「これ……おいしいみずのお代」
「はい。じゃあおつりの250円───」
「おつりはあげる。何か買ってきていいよ。俺はもう少しここで休んでるから」
「ありがとうございます」
現金な彼女の辞書に遠慮なんて言葉は存在しない。
小銭を受け取るや否や、少女は一直線に屋台の列へと突っ込んでいく。思いがけない収入を手にしつつ屋台を物色する瞳は、綺羅星の如く爛々と光り輝いていた。
「むむむ……」
屋台のラインナップはより取り見取りだ。軽食系のサンドイッチを始めとし、デザートのアイスやクレープを売りに出しているところもある。
しかし、甘党のコスモスは自然と後者の屋台が並ぶ方へと視線が向く。
すると、屋台の一つから溌剌とした売り子の女性の声が聞こえてくる。
「ひんやり美味しいアイスはいかがですかー!? ただいまバイバニラチャレンジを開催中でーす!」
「ん?」
「チャレンジャーの方は手持ちからポケモンを一体選抜し、店員との勝ち抜き戦を行ってもらいまーす! 店員の手持ちを一体倒す度にアイスクリームを一段追加! 最大六段追加の七段虹色アイスクリームをゲットできちゃうかも!?」
「……おぉ」
「六体全員倒したらなんと
「……」
チラッ。
視線を向ければ若干乗り気でないルカリオが佇んでいるが、最早是非はなかった。
「ルカリオ、GO」
「……クワンヌ」
合理的という言葉など、甘味の前にはただの建前だ。
いざ戦地へ赴かん。
少女の足取りは勇ましかった。
***
(───長かった)
今日ここに至るまでの道程を思い返す男は、それはしみじみと感慨に耽っていた。
男の出身はイッシュ地方だった。そして、一年中景色に白銀という色彩が映り込むような寒冷地であった。
子供の頃は人並みにポケモントレーナーに憧れ、近所で捕まえたポケモンを相棒にし、ジム制覇を喧伝して旅に繰り出したものだ。それが夢見事であると気付いたのは四つ目のジムで挫折した時である。
同世代では他人よりも秀でたバトルの才能も、一度町の外に出てみればありふれた凡才程度でしかない。同じジムで三度目の敗北を喫してベンチで黄昏れていた時、去り際にすれ違った少年がさほど時間もかからずジムを制覇し出てきた姿を目撃した瞬間、それを痛いほどに理解してしまった。
それからはしばらくひどい有様だった。
実家に帰ってからは一日中ボーっとテレビを眺め、無為に時間を費やしていた。今となってはなんと無駄な時間を過ごしたことかと後悔するばかりであるが、当時はそれほどまでに明確な初めての挫折の衝撃が大きかった。世間では夢半ばで旅から帰還し、その反動で無気力になった子供を『ギガインパクト・チャイルド』などと揶揄していたが、まさか自分もその一員になってしまうとは。
だからか、通っていた中学も高校も中の下クラスの学校だった。
在学中に内定も決まらず、卒業後はバイトを転々とする日々。無垢な少年時代だった自分に『将来はフリーター』なんて伝えれば、きっとショックのあまり近くの湖に身を投げかねないだろう。
だが、暗澹たる日々にも光明は差すものだ。
転機はヒウンシティからやってきたアイスの出張販売だった。なんでも世間で大流行の『ヒウンアイス』とかいうブランドらしく、バイトも休みで暇だった自分は家族のお使いで買いに向かわせられた。
わざわざこんな肌寒い地域まで出張販売だなんて御足労なことだ……そんな卑屈は、アイスを一口食べた傍から爆散した。
「なんだ、この……なんていうか……えーと……こうッ、旨いのはァーーーッ!?」
偏差値の低さが露呈する感想を叫んでしまった。
けれど、鬱屈とした日々をリフレッシュするには十分なインパクトであった。
その日の内に今のバイトを辞める連絡をした。惰性で続けていた仕事に未練なんてものはないと、あれよあれよという間にヒウンシティまで飛び出した。
それからは熱意と気合でヒウンアイスを売り出すバイトに受かり、数年の雇用期間と正社員採用の試験に合格した。
さらに時を経て、今やイッシュ地方という枠を超えた土地でヒウンアイスを販売するに至っている───その道程を思えば、目尻からほろりと一粒涙が溢れる感慨も理解してもらえるだろう。
(こういう海外から進出した店は最初のインパクトが大事だ。話題性で客を呼び込んでから、まずは一定数の固定客化を狙う。そこからが勝負だ! 注目されるキャンペーンで人の目を呼び込み、新規の顧客を開拓する!)
その第一弾としてのバイバニラチャレンジ。
人間は無料という言葉に弱い。例えそれが一定の条件に当てはまることが必要だとわかっていても、無料という魔力には抗えないのだ。事実、無料キャンペーンを実施したチェーン店に長蛇の列が並び、あっという間に無料分が完売したケースが往々にして存在する。
バイバニラチャレンジは全勝すれば無料だが、途中で負ければ1000円徴収。一個当たり通常100円であることを考えれば、全勝したところで300円の利益しかない。
そもそもチャレンジャー側の使用ポケモンが一体なのに対し、店側は六体のフルパーティだ。余程の腕の立つトレーナーでなければ───今のところの敗北は偶然通りがかったアイスに目がないシンオウチャンピオンだけだ───成功を掴み取ることは限りなく低い。
しかし、それでも挑む人間は挑む。
なぜならば、ゲームコーナーのUFOキャッチャーと同じ理屈だ。誰も彼もが絶対に得をして景品が取れるからとUFOキャッチャーをしている訳ではない。『取れたらいいな』とは思えど、大抵は失敗しても『まあ、いい退屈凌ぎにはなったな』と納得するだけだ。
そして、ことポケモントレーナーにおいてはバトルに関するイベントは嬉々として挑戦する統計結果が出ている(自社調べ)。
(そういうトレーナーに限って大抵は一、二体倒したところで倒される……こっちとしては出費も抑えられるし、SNSでのPRで注目を集められる!)
「……ついでに俺も勝てて気分はウハウハ。これぞまさに一石三鳥って寸法よ! ふふふふ……ふはははは、ふはーっはっはっは!! ひゃーーーーーッ↑↑↑!!」
5分後。
「バイバニラ戦闘不能ぉー! 勝者、チャレンジャー!」
「あぴゃーーーッ!!?」
一体につき1分も掛からなかった。
広場近くの公共バトルフィールドには相棒のバイバニラが倒れていた。そんな相棒が物言わぬ骸……いや、道端に落ちたアイスクリームのように無惨な姿で倒れる光景は、過去の挫折を掘り返されるようだった。
「うぎぐぐぎぐぅ……な、なんで……!?」
「チャレンジ達成おめでとうございまーす! 六タテなんてビックリ! お若いのにとってもお強いんですねー!?」
「相手がそんなに強くなかったので……」
「あぱぁ!?」
『おいうち』を喰らい、今度こそ目の前が真っ暗になった。
そんな無様な屍を晒す店員など眼中にないコスモスは、意気揚々とアイスのショーウインドウを覗き込む。ここからが楽しい時間だ。
「まずはバニラ。チョコは外せない。果物系もいいけれど、きのみ系のフレーバーもおいしいし……」
「ワフッ……」
六連戦でお疲れのルカリオであるが、七種類のフレーバーを選ぶウキウキルンルン☆ルンパッパなご主人に水を差すような真似はできない。
かつて通わされていたスクールでしばしば巻き起こっていた、給食の余りデザート争奪戦を制していた暴君は他でもない、この少女なのである。負かした男子に『雌ゴンべ』と陰口を叩かれても尚、何食わぬ顔でデザートはしっかりと食らっていた実績は伊達ではない。
「それじゃあこれとこれと、あとそれも。あっ、食べにくいので積み重ねないで一個ずつ別のカップに入れてください」
「はーい! かしこまりましたー!」
七段が完全否定される。食べにくいなら仕方がない。
「広場に戻ってから……むふふ」
目はジト目のまま、口角だけは吊り上がるコスモスはカップに入ったアイスクリームを片手に凱旋する。残りの六個は、ルカリオが持つ紙のトレーの窪みにすっぽり収まっている。
ちょうどトレーナーと手持ち六体分があるのだ。折角ならば友好を深める場として、全員顔を合わせながらのアイスパーティも悪くない。
「みんな、出ておいで」
「ゴルバッ!」
「フィア!」
「ヴァアアア!」
「モッグ! モッグ!」
「……ユ?」
ルカリオ以外の五体がボールから姿を現す。いつのまにやら六体のフルパーティだ。構築の完成度はまだまだではあるが、調整は都度行えばいいと長い目で見ればいいだろう。
「配るから並んで。はい、ゴルバットは桃で、ニンフィアは抹茶。ヌルはクラボ味ね。ゆっくり食べて」
手持ちの好きな味は大方把握しているコスモスは、てきぱきとそれぞれの好きなフレーバーのアイスを配っていく。
嬉々として舌で舐めるゴルバットとニンフィアの傍ら、小首を傾げてからふんだくるように受け取ったヌルは、普段のきのみと同じく勢いに任せて喰らった。その結果、ガッキーン! と脳天を凍て刺す痛みがヌルを襲った。一撃必殺!
「ヴァ、アアア……!?」
「人の言うことを聞かないからそうなる」
「モッグ!」
「ユ……!」
「二人にはこっち」
と、悶絶しているヌルを横目にミニマムな二体にもアイスを配る。
「コスモッグにはパチパチ弾ける奴が入ってるプラズマシャワー・フレーバーで、ユキハミには……このオーロラベール・フレーバーね」
前者はオレンジとソーダ系のミックスらしいが、後者は色々と混ざり過ぎて最早何味か想像することも難しい代物であった。
が、トレーナーに負けず劣らず食べ盛りの二体には、未知のフレーバーであっても魅力的に見えたのだろう。コスモスの手に握られたアイスに目を爛々と輝かせている。
今にも飛びついてきそうな二体をどうどうと制しつつ、零しても大丈夫なように紙皿を地面に置く。
「ゆっくり食べるんだよ」
鎮座するカラフルなアイスを前に二体は小さな口を大きく開ける。
あと少しでも顔を寄せれば甘味のパラダイスに辿り着く。食べる前から、ひんやりとした冷気が爽快なフレーバーの芳香を漂わせてくる以上、もう我慢は限界だった。
「モ───!」
「ユ───!」
「レロンッ」
「……ッグ?」
「……ハミ?」
満面の笑みでアイスに食いついた───にも関わらず、口の中は虚無の味だった。味も匂いもあったもんではない。
「……ピ、ピィー!」
「ユッ……ミュ……」
「ルカリオにはチョコ味で、私はバニラ味……むふふ」
「ピィ―! ピィー!」
「ん? さっきから何を騒いで───ぶっ!?」
ちょうど自身の分を手に取る為に背を向けていたコスモスだが、振り返るや否や泣き喚くコスモッグの体当たりを喰らった。
頭に対して体は貧弱なコスモスは危うく王道バニラ味を落としかけるが、気合いと執念で崩れかけた体勢を持ちこたえ、アイスを死守してみせた。
「な、何事……あれ? もうアイス食べた?」
「ピィ、ピィー!」
「……ュ……」
「……流石に早過ぎるか」
動と静の泣きっ面を晒す二体に考えを改める。
いかに食いしん坊な二体でも一瞬でアイスを完食するなど不可能だ。ましてやカップごとなどありえない。そんなお行儀の悪い───もとい、ぶっ飛んだしつけをした覚えはない。
となれば、人間なりポケモンなりに盗られたと見る方が自然な流れだ。
優雅なアイスパーティに水を差す不届き者はどこの誰だ? 沸々と怒りが湧き上がってくるコスモスは他人が泥棒に物を盗まれたところでどうも思わないが、自分の物を盗まれたとなれば『げきりん』を繰り出すドラゴンポケモンのように怒り狂う女だ。
ましてや甘くておいしいデザートともなれば、怒りのボルテージはのっけからクライマックスである。
「私の戦利品のアイスを……よくも!」
「バウッ!」
波動で気配を感じ取ったルカリオが指し示す方に振り向く。
人間なら即刻ジュンサーさんに突き出す。ポケモンであれば、法に触れない程度にバトルで打ちのめす腹積もりだが、
「ァアーン……ゲコッ」
街灯の上。
ポケモンが、居た。
ちょうどオーロラベール・フレーバーを頬張った青色のカエルポケモンが、ゲップのような音を響かせる。
「ュ」
「フィアー!?」
その光景を目の当たりにしたユキハミがショックの余り白目を剥いて倒れた。『もうやめて、ユキハミのHPはゼロよ!』とニンフィアが駆け寄ってくるが、再起不能は確定的だ。
「……ゲッコウガか」
こちらを嘲笑っているカエルポケモンを見たコスモスが呟く。
しのびポケモン、ゲッコウガ。コイノクチ湿原でレッドが見かけたというケロマツの最終進化形である。素早い動きで敵を翻弄し、時には圧縮した水の手裏剣で鉄をも両断する戦い方は、同じカエルポケモンのニョロボンやガマゲロゲと比べてもスピードやテクニックに比重を置いている。
だが、そんなこと知ったこっちゃない。
「……野生であろうが人のポケモンであろうが、まずはあそこから引き摺り落とす。ゴルバット!」
「ゴ、ゴバッ!?」
「『くろいまなざし』!」
「バ、バット!」
剣呑な声色にビビりつつも、ゴルバットはゲッコウガの元まで飛翔して刮目する。
刹那、目が合ったゲッコウガの瞳が深い暗闇の底を覗き込んだかの如く、瞳孔が大きく広がった。
「これでもう逃げられない。大義名分を得た正義の恐ろしさを思い知らせてくれる! ゴルバット、『きゅうけつ』!」
鬼気迫る表情で指示を飛ばすコスモスに、ゴルバットも鋭い牙を携えた口を開いて応える。
ゲッコウガはみず・あくタイプ。むしタイプの技である『きゅうけつ』は効果が抜群だ。一撃でも叩き込めばあのにやけ面を崩すには十分。
そう思った、次の瞬間だった。
「コウガッ!」
「な、」
飛び掛かってきたゴルバットを華麗に宙返りで回避するゲッコウガ。
あの不安定な足場からよくもあれほどまでの跳躍をできるものだ。
そう驚いたのも束の間、ゴルバットのがら空きの背中目掛けて凍て刺す冷気が解き放たれる。
「バァ!?」
「ゴルバット!?」
「ゲコゲコゲコ!」
予想よりもできる相手にコスモスは歯噛みする。
視界には『れいとうビーム』を喰らい墜落するゴルバットが見えていた。しかし、その間にも思考は既に次の段階へと移っている。
「着地を狙う! ルカリオ、『はどうだん』!」
「バァウ!」
着地。
その足で大地を踏みしめる生き物であるならば、大部分に該当する明確な隙。
そこさえ狙えばあの不届き千万な盗人カエルに一泡吹かせられるはずだ。紙トレーを片手にエネルギーを収束させているルカリオは、ものの数秒で攻撃の準備を終えた。
青々とした光を撒き散らす光弾を前に、未だ地に足を着けられていないゲッコウガは目を丸くしている。
だが、もう遅い。
満を持して手から離れた光弾の軌道は、ゲッコウガの着地点と見事重なっている。これでゲッコウガの運命は二つに一つになった。
一つは直撃。
そして、もう一つは辛うじて避けつつも爆風に煽られるかだ。どちらにせよコスモス達の優位に働く未来は確実───。
「そこ!」
「ゲッ───コウガァ!」
「なっ……」
の、はずだった。
刹那、空中で制止したゲッコウガが地面に着弾した『はどうだん』の爆風に煽られ、一瞬宙に舞い上がる。
何故───と思考を巡らせるコスモスの視界に飛び込んだ物体は、長く伸びるピンク色の、
(
ロープ代わりに絡まっていた舌が街灯から離れる。即席の命綱となっていた長い舌は、今度は頭を振ったゲッコウガに合わせて勢いよく前方へと突き出された。
狙いはルカリオ。
しかし、相手の感情を読み取れるルカリオの反応は早い。予知していたかの如くその場から一歩分横に逸れて舌を回避する。思いつきの不意打ちが通じる程、コスモスのルカリオの危機感知能力はお粗末ではない。
「バウァ!?」
「なに……!?」
にも関わらずだ。
ルカリオは悲鳴を上げながら吹き飛ばされていた。舌は当たっていない。外野から横槍を入れられた訳でもない。
「『かげうち』……!?」
攻撃は地面から。
もっと正確に言うのであれば、ルカリオの真横を通り過ぎていた
それこそ『はどうだん』が爆発した光を背に受け、普段よりも色濃く浮かび上がって影こそが暗器であり本命。
結果、目の前の舌だけを攻撃と捉えていたルカリオの意表を完全に突いた。
「あっ」
そして、それはルカリオが守っていたアイスが手を離れることも意味する。
「レロン」
「ちょ、待っ」
宙を舞うアイス→戻っていく舌→巻き取られていくアイス→ゲッコウガの手に収まる。
一連の流れを目の当たりにしていたコスモスは、思わず前のめりになりながらアイスへと手を伸ばした。待ってくれ。そいつは(店員の)血と汗と涙を流して手に入れたアイスなのだ。無料だからいいという話じゃない。無料にしてみせたのは紛れもなく自分達なのだから、無料というスパイスも加えて美味しい思いをしていい権利は自分にある訳であって、とにもかくにも返してくださいお願いしま───
パクンッ。
ゴクンッ。
ゲプッ。
「ゲコゲコゲコゲコwwwww」
「 」
笑った。
いいや、嘲笑いやがった。しかも明確に指を差しながら。
呆然と立ち尽くすコスモスを一頻り笑った泥棒ガエルは、青空に響き渡る高らかな笑い声を上げながら遁走を始めた。
しばし、コスモスはその背中を遠巻きに見つめる事しかできなかった。
伸ばす先を見失った手は脱力するようにゆっくりと下ろされていく。その間、おずおずと傍に近寄ってくるのは彼女の手持ちであった。してやられて申し訳なさそうにするルカリオやゴルバット、アイスを奪われ涙目のコスモッグとユキハミ、そして困惑するニンフィアとヌルと反応はそれぞれだ。
だが、彼らには一つ共通していた気持ちがあった。
「……す……」
力なく開かれていた手が、軋む音を奏でレベルで固く握りしめられた。
思わずギョッとする面々。それでも視線は上へとは向けられない。
頑なだった。普段はしっかり目を見て話を聞くルカリオでさえも、この時ばかりは耳を垂れ下げ、尻尾を股下の間に潜らせて震えていた。
理由は、目の前にあった。
「───あの盗人ガエルが私のアイスを奪ってタダで済むと思うなよ挙句私を嘲笑うなんてよっぽど痛い目を見たいようだいいだろうそっちがその気ならこっちも本気だよ私を誰だと思ってる地の果てまで追いかけてでもツケは返させてもらうぞ捕まえる算段なんていくらでも立てられるんだ私の持ちうる全てを行使してでもとっちめてやるからな具体的には〇〇〇して×××して△△△からの□□□で
雌ゴンベが怒り狂っていた。
大至急、糖分の補給が求められていた。
***
「ふぅー……」
ジャバー、と水洗のバックミュージックと共に公衆トイレから一つの人影が練り歩いてくる。
「すっきりした……」
「チュピカー」
「待たせてごめん」
用を足してきたレッドを出迎えたのは、タンッタンッと足でリズムを刻むピカチュウであった。
プニプニな腕の手首を指で叩きながら『遅い!』と身振りテブリムで訴えてくる彼を
「……騒がしいけど、何かあった?」
「カァ?」
「分からないっか」
まあいいや、と早々に思考を中断した彼は広場へと戻る。
何事もそうだ、耳で聞くより目で見た方が早い。『事件は現場で起こっているんだ!』とは、一世を風靡した映画でも言っていたセリフだ。
「『ゴールデンボールブリッジを封鎖せよ!』だっけ……」
「なあ、そこのあんた。ちょっくらいいか」
「?」
声につられて振り向けば、ウェーブ掛かった藍色の総髪を垂らす流し目の青年が、腕を組みながら立っていた。タンクトップの下にギャラドスのようなみずポケモンが描かれたタトゥースリーブを着込んでおり、筋肉質な肉体も相まって初見のインパクトは中々大きい。
「……」
「なんで無言でボールを構えるんでぃ。別に
あ、そう……と手にしたボールを定位置に戻すレッドはどこかしょんぼりしていた。とことんバトル脳だ。もしくはカツアゲしてくる輩が揃いも揃ってポケモンバトルを仕掛けてくるカントー地方の風土の所為だ。
「じゃあ何の用で?」
「人探し……いや、ポケモン探しだな」
「ポケモン……」
さてさて、151匹を超えると怪しくなってくるぞとピカチュウと見つめ合う。
「ちなみにどんなポケモン?」
「ああ、済まねえな。なに、そんなに見つけにくいポケモンってワケでもねぇ。ぼくよりちっと小さめのカエルみてぇなポケモンなんだが……」
「……ガマゲロゲ?」
「いや、惜しいな。ガタイが良い方じゃなくて、どっちかっつったら細身の方でェ……」
溜め息を一つ零し、青年は告げる。
「
───ドォン!!!
言葉を遮るように爆発音が轟いた。
ただならぬ雰囲気。瞬く間にどよめきは二人が居る広場まで波及してきた。
「……」
「……そっちか、あのすっとこどっこぉぉぉおおおおおおおい!!!!!!」
刹那、青年は風となった。
あるいは電光石火。あるいはアクアジェット。とにもかくにも目にも止まらぬ速さで駆けだした青年の姿は、すでにレッドの目の届かぬ場所へと消えていた。
「……そういえばコスモスは?」
「ピカァ?」
まさか爆心地が連れの少女の近くなど、この時は夢にも思わない。
Tips:アクア団
アオギリがリーダーを務めるホウエンに拠点を置く組織。『ポケモンにとっての理想郷を作る』という信条の下、かつては悪事紛いの事件をしでかしてきた経緯があるが、今では過去を省みて人間とポケモンが共生できるような環境保全活動を中心とした企業として社会貢献に勤しんでいる。
ホウエンに拠点を置く組織として、かつて敵対関係であった組織とは今でもライバル視し火花を散らし合うような間柄である。