愛と真実の悪を貫く!!   作:柴猫侍

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前回のあらすじ

コスモス「フーズ・ザット・ポケモ~ン」

デネブ「It`s Pikachu!!!」

コスモス「イッツ・メタモ~ン」

デネブ「Fuuuuuuuuuu○k!!!!!」


№058:時を超えた遭遇

 

 

 

「オーッホッホッホ! コスモスさん、今日という今日はアナ」

「ユキハミ、『こごえるかぜ』」

レリゴォ(少しも寒くないわ)ーーー⁉」

 

 セリフを遮った為に現れた雪の王女が繰り出したかのように、凍て刺す風が吹き抜けていく。

 標的は背中に立派な蕾を背負うフシギソウ。血走ったような紅い瞳は依然として変化がないシャドウポケモンの彼は、直後に襲い掛かる『こごえるかぜ』に堪らず身を縮こまらせた。

 

 そこへ大急ぎで駆け寄るベガ。

 彼女は震えるフシギソウを擦って温めながら、ユキハミに指示を出していたコスモパワーエネコ顔のコスモスを睨みつける。

 

「ちょっと、ワタクシのフシギソウになにするんですの!?」

「なにって……バトルしてるんだから技くらい食らわせるでしょう」

「くさポケモンにこおり技は御法度でしょうに!!」

「バトルしてるんだから弱点くらい狙うでしょう」

「こんなに震えてしまって……なんて可哀そうなんでしょう!! よしよし、後でワタクシが淹れたお茶で身も心も温めて差し上げますわ!!」

「貴方シャドウポケモン使うの向いてないんじゃないですか?」

 

 凍えるフシギソウに寄り添うベガを見て、コスモスが呆れた声を漏らす。

 

 ロケットチルドレン同士の抗争から数日。

 とうにテリアの処遇についての話はまとまり、元々の目的も達したコスモスは本島へと帰る定期便を待つ日々を送っていた。

 その間、コスモスは次なるジム戦に向けて特訓三昧の日々。相手はもっぱらくさタイプを得意とするベガと、それなりに有意義な時間を過ごしていた。

 

「まあ、それで強くなるのなら構いませんけど。特訓相手はある程度強くなきゃ話になりませんからね」

「ぐぬぬ……! 勝者にのみ許された高慢……恨めしいや……!」

「もっと先生を見習ってほしいです。先生のフシギバナだったら『つるのムチ』で縦横無尽に飛び回って空から『どくのこな』やら『しびれごな』の絨毯爆撃で攻めて来るというのに」

「コスモスさんはワタクシに何を求めてるんですの……ッ!?」

 

 嘘か真か定かではない内容に慄くベガであるが、当人の瞳は真剣(マジ)であった。それが尚の事恐ろしかったのは言うまでもない。

 

 

「……」

 

 

 そして、その元凶の男はちょっと離れた場所にちょこんと座っていた。

 ここ最近『赤先生』『赤いの』などと、まともに名前で呼ばれていない男・レッドである。その後ろ姿もどこか哀愁が漂っている。

 しかし、漂うのは何も哀愁だけではない。

 不意にそよ風が温かく香ってくる。

 

「そなたもどうじゃ?」

 

 そう訊いてくるのは、今となっては顔なじみの村長だ。

 白銀に染まった気品溢れる髪を結い上げる彼女は、紅茶が淹れられたティーカップを差し出してきていた。

 

「今日はいつもと趣向を変えてのぅ。いつもの茶葉に乾燥させたオレンのみの皮を入れてある」

「……いただきます」

 

 受け取ったティーカップに口を付けてみれば、確かに紅茶の後から複雑な風味が見え隠れする。この様々な味が入り乱れるフレーバーは確かにオレンのみにしか演出できない。

 

 しかし、美味しいかどうかはまた別の話。

 

(甘いようで苦いようで酸っぱいようで渋いようで辛いようで……こ、これは)

 

「味はどうだ」

「お……いしい、です」

「そうか……わしはあんまり良い味とは思わんが」

 

───気遣いの意味。

 

 レッドは心の中でそう思いつつ、余ったオレンティーを横で眠っていたカビゴンの口へ注いだ。

 村長も自分で注いだオレンティーを口に含むが、やはり口には合わなかったのだろう。口に含んだ分だけを飲み込んだかと思えば、持参した茶菓子を口直しに頬張る。

 

「今回は失敗じゃったのぅ」

「他のきのみでも試したことが?」

「うむ。甘いきのみだったら大概成功するんだが、時々こうして他のきのみにも手を伸ばしてる訳じゃ」

 

 そしてこのザマである。

 中々思うようにはならないといういい例だ。

 

 残念な仕上がりのオレンティーはカビゴンに飲み干してもらうことにし、村長はまた新たな茶葉をティーポッドに入れていく。

 お湯はあらかじめリザードンの尾の炎を用いた沸かしたものを使う。

 ティーポッドへ沸き立てのお湯を注げば、みるみるうちに華やかな香りが辺りへと広がっていく。

 

 この時すでに美しい琥珀色の液体は出来上がっていた。

 しかし、まだ完成の時ではない。

 

「紅茶は蒸らしの時間が肝要じゃ。じっくりと茶葉の旨味や香りがお湯へと移る時を待つ……短過ぎれば満足に引き出し切れず、長過ぎても今度は雑味まで抽出してしまう。紅茶の世界というのは奥深いものじゃ」

 

 時間が経つにつれ、紅茶の芳醇な香りは増してくる。

 時間にして3分ほどだろうか。十分に蒸らし終えた紅茶をカップに注げば、最初の琥珀色からさらに美しい赤みを帯びた───まるで紅玉のような輝きを放っていた。

 

 それに口を付けた村長は満足そうに微笑む。

 

「ふむ……やはり紅茶はティーカップで飲むに限るのぅ」

「他のカップと違いが……?」

「当然じゃ。器の形状から厚みに至るまで……すべてが紅茶を楽しめるよう趣向が凝らされておる。古くから紅茶を嗜んできた者達の知識の賜物じゃ」

「おぉ」

「正しい時間に正しい空間。それら二つが合わさることで、ようやく真価は発揮される」

 

 何事にも言える話じゃのぅ、と。

 

 そう言いながら村長は紅く澄んだ水面を覗き込んだ。

 真似してレッドもティーカップを覗き込むも、先ほどカビゴンにオレンティーを飲ませたばかりだった。

 当然、器には何も入っていない。紅茶の香りを楽しむこともできなければ、彼女のように彩りを見て楽しむこともできない。

 

 ただただ空っぽな器の底を見つめ込み、虚しい気持ちになるばかりだった。

 

「それ、器を貸せ。そなたにも淹れてやる」

 

 しかし、今度は村長が気を利かせてくれる番であった。

 空っぽの器が真紅の液体で満たされる。何の気なしに覗き込めば、自分の顔がはっきりと映り込むのが見えた。

 

「……」

「見えるか? それがそなたの内側じゃ」

「つまり……血と臓物の色?」

「違う」

 

 臓物て、と。

 これには村長も苦笑交じりにせせら笑う。

 解答を否定されてシュンとするレッドであるが、答えは間もなく彼女の口より語られた。

 

「その紅茶は己が身を映し出す鏡……映し出されしは、いわばそなたの心よ」

「ふーーーー……むぅ?」

「たっぷり間を取ったところで分かっておらんのが丸分かりじゃのう。まあ無理もない。あたしたち一族が伝承してきた小難しい神話の一節を例えてみただけじゃ」

「神話?」

 

 聞き返すレッドに、村長は紅茶が入った器に目を遣りながら説く。

 

「時間と空間、両方があってこそ宇宙は成り立つ。宇宙とはわらわ達が住む世界のこと。そして、世界を正しく認識する為には心が欠かせぬ……そういう話じゃ」

「ちゃんと蒸らして良い器に注いだら美味しい紅茶ができるけど、どう思うかはその人次第……ということ?」

「噛み砕いたらそうなるのう」

 

 そう言って村長はもう一口紅茶を含み、小休止を挟んだ。

 その紅茶を味わいながら青天井を仰いだ彼女の横顔は、とても絵になっていた。しかし、彼女は生きた人間であった。どこかの美術館から額縁に入れられた一枚絵などではない、今を生きる人間としての感情の移ろいが見えた。

 

「ふぅ……随分昔にも聞かせた話じゃ。あの時はいい例えが思い浮かばなかったが、身近な物で例えようとしたら紅茶(これ)ぐらいしか思いつかなくてな。どうじゃ、理解できたか?」

「元の神話を知ったらなんとか」

「重畳。暇な時に考えた甲斐があったな」

「今までにも他の人に聞かせる機会が?」

 

 レッドが何気ない質問を投げかければ、『そりゃあなあ』と気の抜けた返事が返ってくる。

 

「人に言い伝えてこその神話じゃ。まだ文字すらもない古の時代より後世を想って神話を伝承することを使命とする一族もいるくらいじゃ。まったく……どうせなら口伝なんぞではなく、もっと楽な方法で遺してほしいものだがのう」

「……時間の花?」

「そうじゃなあ。あれがあったら良かったんだがのう」

 

 

 

「クロバット、『クロスポイズン』」

「ジュカイーーーンッ!!?」

 

 

 

「お、また勝負がついたのう」

 

 村長が視線を向ける先では、クロバットの毒々しい翼に打ち据えられたジュカインがノックダウンされていた。

 気絶するジュカインに寄り添うベガの一方で、クロバットの頭を撫でるコスモスは指折り数え、

 

「島に来てからこれで私が50戦50勝ですね」

「ぐ、ぐぬぬぬぬ! 次こそは……次こそは……!」

「いえ、今日はもうおしまいにします。ハードワークは非効率なので」

「むっきー! そ、そうやって勝ち逃げするんですのね!? 勝ち逃げするんですのねぇーーーッ!?」

「せめて勝ち星が競ってからそのセリフを吐いてください」

「ぐぎーッ!?」

 

 ポケモンバトルでもトークバトルでも負かされたベガは、どこからともなく取り出したハンカチを思いっきり噛み締める。

 

 その光景にレッドは布地が破れないかと心配するが、村長の方はと言えば呆れ憐れむような視線を投げかけていた。

 

「やれやれ。シャドウポケモンなぞと言いおってからに……心を縛って過ぎた力を得ようとしたところでたかが知れておるわ。のう、ポケモン使い?」

「……ポケモン使い?」

「おっと、今風に言えばポケモントレーナーだったな。人とポケモンは写し鏡のような存在。どちらかが欠けても真価は発揮できんということは、そなた達の方がよく知っているだろう」

 

 ちょうど先ほど話した宇宙の関係に近いのだろう。

 時間と空間、両方があってこその宇宙。どちらか一つでも欠けてしまえば宇宙そのものが成り立たなくなる。

 

 それはポケモントレーナーにも言える話だ。

 トレーナーとポケモンなくしてポケモントレーナーは成立しない。そして、互いが互いをパートナーと認め合う心を欠いてもいけない。

 

 たったそれだけ。

 それだけだというのに、

 

「シャドウポケモンとやらを作った人間は何を考えているんだか」

 

───いつの時代にも気が知れん輩はいるものじゃのう。

 

 しみじみと、彼女はそう締め括った。

 

「……村長」

「おっと、すまんな。年寄りの長話に付き合わせてしまって。しかしなんだ、今のそなた達のようなポケモントレーナーを見ていると、時代が正しく前へと流れているものだと実感できるのう。やはり人もポケモンも収まるべきところに収まってこそじゃのう。そなた達に会えて良かったわ」

「……どういたしまして?」

「ふっ。そこはもっと自信を持って頷いておけ」

 

 クツクツと笑いながら、その視線はコスモスの方に向けられた。

 

「あの娘は、そなたの下で何色に染まるのだろうな。朱に交われば赤くなるとは言うが、黒は何を混ぜても黒じゃしのう」

「……」

 

 意味深な言葉にレッドが黙り込んだ。

 まさにその時だった。

 

 

 

『Yeah!!』

 

 

 

「む? なんじゃ、森の方が騒がしいのう……」

 

 ちょうど真後ろ。

 時間の森が広がる木々の隙間を抜けてくるように、溌剌とした声が響き渡ってくる。

 

 やけにネイティブな発音であるが、そうなってくると心当たりのある人物はただ一人だ。

 

「きらきらミツ、ゲットデース! これでデリシャスなヨウカンもクッキングできマース!」

『ハァ……ハァ……し、死ぬ……!』

 

 輝く汗を頬に伝わせる少女───デネブが採取したきらきらミツの入った瓶を高々と掲げて現れる。その後を追ってくるようにアルタイルも現れたが、彼女に関しては中々に物騒な言葉を漏らしていたような気がする。

 

「ほほう、元気な童達じゃ。見ていて退屈しないのう」

「村長村長」

「なんじゃ? そんなテリアのように繰り返さんでも聞こえてとるわ」

「奥」

「む?」

 

 能面の如き無表情ながら眉間に皺を寄せるレッドに、村長は小首を傾げた。

 直後、デネブ達がやって来た森側から何やヴヴヴヴヴッと小刻みに震える重低音が鳴り響いてくる。耳にするだけで危機感を煽る振動音であるが、その正体はまさに今森の中から飛び出てきた。

 

 

 

「ビィーーーーッ!!」

 

 

 

『ぎゃあああ、まだ追ってきてるぅー!? だから無理に採るのやめようって言ったのにぃーーー!?』

「HAHA! Nice joke!」

『ジョークで済んでないんだってば! 殴る、絶対後で殴る!』

「コスモース! ヘルプ・ミー!」

『助けてほしいのはこっちだってのぉおおああすぐ後ろに居るぅううう!? 助けてコスモスゥーーー!!』

 

 仔細把握。

 ハニーハンターがハニーにハントされようとしていた。

 

 当然というべきか、ビークインだけでなく取り巻きのミツハニーらも鬼のような形相でデネブとアルタイルを追いかけていた。

 

 まるでこんな風に叫びながら───。

 

(おう、よくも)(うちの組からミツ)(持ってってくれたのう)!」

ハニー(舐めとんのか、ワレェ)!」

ハニー(おらぁ、しっかりケジメつけんかぃ)!」

 

 流石に誇張し過ぎたかもしれない。

 だが、野生で暮らす彼らにとってミツが重要であるのもまた事実。追われることは当然の結果であった。

 

「やれやれ、すごいことをしたのう。さて、逃げるか」

「はい」

 

 このあとめちゃくちゃ逃げ回った。

 

 

 

「ぎゃーーー!? なんでこっちに来るんですの!? ワタクシ虫が苦手なんですってばァー!! 生理的にもタイプ的にも!!」

「その言葉、ユキハミが聞いたらどう思うでしょうか?」

「ちょ……どうしてユキハミをくり出したんですの? やめて、近づけないでェー!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日の夕食の席。

 

「これがもりのヨウカンだ」

『おぉー!』

 

 食卓の上に黒い光沢が輝く四角い物体が鎮座する。

 歓声に囲まれながら差し出されたこれこそ、シンオウ地方にて銘菓として知られている一品、もりのヨウカンだ。

 

「きみ達が材料を集めてくれたおかげで作ることができた。遠慮なく食べてくれ」

 

 普段通りの仏頂面ながら、ほんの僅かに声色を和らげるジーの申し出。

 これをわざわざ断る理由のない居候共は、我先にと切り分けられた羊羹へ虫のように群がり始める。

 

「いただきます」

「あっ!? コスモスさんったら、ワタクシが狙っていた一番大きいのを取りましたね!?」

 

「アルは今日一日お疲れ様で賞としてミーの分もあげマース♪」

『うぷ……つ、疲れて胃が受け付けないから一口でいい……』

 

「あー、疲れた頭に糖分が染み渡るよ~! やっぱり頭を使った後は甘い物だよね~!」

「……おいしい」

 

 各所から返ってくる好意的な反応に、ジーは黙って目を細める。微笑むような、あるいは観察するような目つきだった。

 そんな視線を投げかけられたコスモスはふとした疑問を投げかける。

 

「ジーさんは食べないんですか?」

「わたしか?」

「作った本人だけ食べていないのはちょっと気が引けるので」

 

 次の瞬間、欲望のままに羊羹を貪り食らっていた面々の動きが止まる。

 

───思ってもみなかった。

 

 辺鄙な離島で食す絶品の甘味に遠慮を忘れていた面々は、気まずそうにゆっくりとお茶を啜る。しかし羊羹の甘みとお茶の渋みがまた合うんだな、これが。

 

「……いや、わたしのことは気にしないでいい」

「そうですか?」

「最近甘い物が受け付けないのでな。きみ達だけで食べてくれれば……それで嬉しい」

「そういうことでしたらあむあむ」

 

『言い切ってから口に入れる速さ』

 

 遠慮が要らないと分かった時のコスモスの動きは速かった。

 ねっとりと舌に絡みつく甘みを熱いお茶で溶かしながら、口全体に広がる優しい甘味を十二分に堪能する。

 

「ふぅ……前にももりのヨウカンを食べたことがありますけど、こっちの方が濃厚で美味しいです」

「……そうか」

 

 『それなら良かった』と漏らすジーは、タイミングを見計らっていたかのように全員を見渡す。

 

「……全員、明日にここを発つのだろう? 朝も早いことだ。今日は早めに床に就くと良い」

「ワタクシ達はともかく、コスモスさん達は定期便の船で帰りますものね」

「はい。最悪乗り遅れた時にはクロバットに空を飛んでもらいます」

 

 庭先でもりのヨウカンを味わっていたクロバットが『え? マジすか?』と振り返ってくる。齧りついていた羊羹を口から落とす程の衝撃だったらしいが、未だ主から冗談だというネタバラシはされない。その間、羊羹はユキハミに喰い尽くされた。

 

「……帰る手段はきみ達に任せるにしても、長距離を移動するんだ。しっかりと休んだ方がいいだろう。風呂は早めに沸かしておく」

「そんなお気遣いしていただかなくても……」

 

「いいや、コスモス氏。ジー氏はワタシに早く出て行ってもらいたいのかもしれないよ?」

「それを自分で言うということは、相手に一方的な不利益を被らせている穀潰しという自覚があるんですね」

「うんうん。思いの外辛辣な言葉が返ってきてワタシは年甲斐もなく泣きそうさ」

 

 自虐に想像以上の火力を上乗せされたテリアは若干涙目になった。

 が、その時。

 

「……ふっ」

 

『!』

 

 どこからともなく聞こえてきた含み笑いに、当人以外の全員の視線が一人に集まった。

 笑みの主は他でもない。

 

「……どうした?」

「ジ、ジー氏が笑った……?」

「やっぱり博士って大概失礼ですよね」

 

 ジーの含み笑いに言及するテリアを、これまた遠慮のないコスモスがツッコんだ。

 

「だが、こんなことは初めてだよ! なるほどなるほど、ジー氏の笑いのツボはこういう感じなのか。メモメモ、っと」

「メモしたところでいつ使うんですか」

「んー、お歳暮持ってお邪魔した時とか?」

「お歳暮……」

 

 一番持ってこなさそうな人間から出てきた一言に、(特に)ロケットチルドレンの面々が信じられないものを見る表情を浮かべる。

 

「……気にしなくていい」

 

 だが、テリアの贈答にもジーは辞退を申し出た。

 

「全部わたしが勝手にしてやったことだ」

「おぉー! ジー氏ったら太っ腹ぁ! いよっ、器が大きいねぇー」

 

「これがダメな大人ですか」

「他人の優しさにかまける……こんな大人にはなりたくありませんわね」

「ディス・イズ・バッド・エグザンプル。反面教師デース」

『人間の恥』

 

「ジー氏、絶対お歳暮贈るからね。要らないって言われても贈るから」

 

 冷たい視線に背中を刺されて涙目となるテリア。

 流石に不憫に思ったのか、ジーからも『……勝手にしろ』と彼女の申し出を受け入れる言葉が出てきた。ここまで来ると逆に情けなくなる気がする。

 しかし、変なところで図々しいのがこの女博士だ。一時の面目を保てさえすれば、後のことはどうでもいいのだろう。

 

「さぁーて、今日は皆でチャチャッと寝ちゃおうか! 効率的な労働には十分な睡眠が必要不可欠だからね!」

「鏡要りますか? お古でいいなら」

「っくぅー! 辛辣ぅー!」

 

 そんな言葉を皮切りに、全員が夕食の後片付けに手をつけた。

 

「皆でゴシゴシ皿洗いデース!」

「皿が一枚、二枚……───九枚……あれ? 一枚足りないですわぁ~⁉」

「作ればいいんじゃないですか?」

『コスモスの無茶振りが過ぎる』

 

 狭い台所でミッチミチになりながら皿洗いをした後は、

 

「皆で裸の付き合いデース!」

「いや狭い狭い狭い狭い! 四人は狭いですって!? ドバドバ溢れてますわ、湯水のごとく!」

「まあ湯水ですしね」

「……熱い……きゅう……」

 

 狭い浴槽でミッチミチになりながら湯浴みを済ませ、そして、

 

「こうして四人で寝ていると、アジトに居た頃を思い出しマース」

「そうですわね。まあ流石にあの時は各々のベッドで寝てましたけれどッ!」

「ちょっと二人共、私の布団から出てってください。暑苦しいです」

『なんで皆頑なに布団で寝ようとしてるの?』

 

 客室に用意された一組の布団のスペースを奪い合うように、ミッチミチになりながら横になっていた。あくまでこの家は独身の中年男性が住む家だ。来客用の布団が用意されているとしても数には限りがある。

 

 一つだけの布団を奪い合う少女達。

 そこから彼女達が寝付くまでの一時間、閑静な離島の一軒家から喧噪は絶えなかった。

 

 しかし、時間が経つにつれて島の静寂は増していく。

 ホーホーやヤミカラスの鳴き声だけが響く夜闇が暗さを色濃くなり、吹き抜ける風が奏でる木々のざわめきや海岸に打ち寄せるさざ波だけがよく聞こえるようになった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時計の針が頂点を指していた。

 最早島内は完全に静まり返り、人の気配などこれっぽっちも消え失せていた。

 

「……」

 

 そんな中だった。

 ただ一軒だけより物音が発せられる。眠りを妨げぬよう細心の注意を払われた音量であったが、静寂の離島の宵闇には不気味なくらい響き渡っていた。

 

 だが、その人影は構わず歩を進めていく。

 街頭などというものは存在しない。月明かりだけが頼りの暗闇が延々と続いている中で、だ。

 

 しばし舗装されていない道を進む砂利の音が響く。

 その次には湿った落ち葉が踏み潰される音、そして細かな浜の砂が踏みしめられる音と続いた。

 

 真夜中の散歩にしては随分と長い道だった。

 目の前には広大な海原が広がっている。夜になろうとも眠りを忘れぬ潮流が荒々しく唸り声を上げるそれは、ともするとこの先に進もうとする者を拒んでいるようにも見えた。

 

「……」

 

 が、人影は前へと向かう。

 一見すると身投げにも捉えられかねない行動。

 しかし、一向に人影が海中へ沈んでいく様子は見られなかった。荒れる水面の上をさも当然かのように渡り歩いているではないか。

 

 人影は進む。後ろを振り返ることはない。

 足元では波が寄せては返すを繰り返している。前進と後退の光景が延々と繰り返されていた。

 

 けれども突き進む人影は目をくれることもない。

 もはや自分が前に進んでいるのか後ろに戻っているのか定かでない中、それでも思う方へと足を進めていた。

 

「……ここが、」

 

 いつしか人影は辿り着いていた。

 巨木に埋もれる一軒の社。息を飲むような神々しい雰囲気は、木漏れ日となって差し込んでくる月光により、尚の事妖しい存在感を際立たせていた。

 

 一瞬、その人影は目を奪われたように立ち尽くす。

 しかし、新たに現れた足音に意識を引き戻されることになる。

 

「グルゥ……」

 

 木陰よりゆらりと現れる影が唸る。

 ゲンエイじまを巣とするポケモン・ゾロアーク。仲間に対する情が厚い一方、敵対者には容赦しない苛烈な攻撃性を有するポケモン───その原種とヒスイ種の二体は、招かざる来訪者に対し明確な敵意を見せていた。

 

「ロォ……!」

「ゾォオオオ!!」

 

 すぐさま白い───ヒスイ種のゾロアークが飛び出した。

 血に濡れたような体毛を靡かせ、鋭利な爪を侵入者目掛けて振りかぶる。人間が食らえば一たまりもないのは言うまでもない。

 

 ザンッ、と。

 

 肉を切りつける音が暗闇に響いた。

 ぐらりとシルエットが揺れる。

 

「ガッ……!?」

 

 直後、最初に仕掛けたゾロアークが倒れた。

 長い体毛が倒れる身体と共に大きく揺れれば、ちょうど陰になっていた場所に立っていた存在が露わになる。

 

「マニュ……」

 

 鋭利な鉤爪の具合を確かめるポケモン。

 扇子を彷彿とさせる赤い鬣とは対照的に、暗い体毛は闇に溶け込んでいた。

 

 まるで闇に乗じることを宿命づけられたかのような姿。

 そのポケモンが繰り出した『つじぎり』こそ、ゾロアークを切り伏せた一撃に他ならなかった。

 

「……マニューラ」

 

 呟かれた声にマニューラが振り返る。

 僅かに吊り上がる目尻は、久しく紡がれなかった自分の名を呼ばれたことへの喜びが窺えた。

 

「ロァアアア!」

 

 が、しかし、間髪入れず仲間をやられたことに憤るゾロアークが仕掛けてくる。

 繰り出された『ナイトバースト』は地面を抉りながら敵対者へと迫る。これまた強烈な攻撃であり、お世辞にも打たれ強いとは言い難いマニューラでは防ぎきれぬ攻撃であった。

 

 そして、いざ目に前まで迫った瞬間だった。

 

「ガアアアッ!」

 

 突如燃え盛る紅蓮の炎が衝撃波を迎え撃つ。

 宵闇を真っ赤に照らす火炎は荒々しい衝撃波を留めたかと思えば、数秒の拮抗の後、みるみるゾロアークの方へと押し返していく。

 これには目を見張るゾロアークであったが、攻撃を途中で止めることはできない。たとえできたとしてもあっという間に周囲を炎に巻かれ、瞬く間に全身を炙られて終わっていたことだろう。

 

 それだけ隔絶した実力差は、当然の結果をもたらす。

 

「ロァアアアッ!?」

 

 抵抗虚しく攻撃を押し返されたゾロアークは、苛烈な炎に全身を焼かれる。

 

 決着は一瞬だった。

 全身を灼熱で焼かれたゾロアークが倒れる。すぐさま仲間を心配するように飛び出してくるゾロア達の中には尚も抵抗心を見せる個体も居たが、()()はゆっくりと陰から姿を現し───。

 

「アォオオン!」

「!!」

 

 直後、遠くまで響き渡る悍ましい遠吠えにゾロア達が逃げ帰っていく。

 一目散に巣へと逃げていくゾロア達からは、最早抵抗の意思は消え失せていた。

 

 その様子に満足するでもない視線を送っていた侵入者は、隣に並ぶよう姿を現したポケモンへ目を落とす。

 

「ヘルガーか」

「グルルルッ……」

 

 反り返る二本角の曲線が妙に禍々しいポケモン、ヘルガーだ。

 本来群れで狩りをする彼の周りに居るはずのデルビルは見受けられない。

 しかし、だからといってこのヘルガーが群れから外れた個体である訳ではない。ただ一人、唯一付服従するに値する存在の隣と付かず離れずの距離を保つ。

 

 それが群れの()()()()に従う子分としてあるべき姿と言わんばかりにだ。

 

「……」

 

 周りに目を遣れば、続々と別の気配がやって来ているのが分かる。

 

 森から。

 空から。

 そして、海からも。

 

 呼ばれた訳でもなく結集した強大な気配は、ただ一人へと静謐な───それでいて熱烈な視線を送りながら言葉を待っていた。

 

「……そこで待て」

 

 低い言葉が響いた。

 集まったポケモンは静かに頷き、じっとその場に佇む。

 

 月明かりの下へ歩み出す人影。

 逆立った青髪に白髪が混じり始めた男は、年季の入った奇怪な衣装の服装に身を纏いながら社の階段を上っていく。

 つい人の出入りがあったことを示す足跡を新たに刻みながら、とうとう男は社の扉に手を掛ける。

 

「……ふぅ……」

 

 一瞬の間があった。

 まるで躊躇するかのような無音が流れたが、深く息を吸い込んだ男は意を決したような強い眼差しの下、勢いよく扉を開いたのだった。

 

 そして、そこには───。

 

「……」

 

 古ぼけた社の中は幻想的だった。

 中央に鎮座する時間の花は、屋根に空いた穴から差し込んでくる月の光に照らされ、室内を淡い光で満たしていた。

 

「……」

 

 しかし、それ以外には特にこれといって何もない。

 男はしばし室内を散策する。物色するまでもない殺風景な空間を一周し、元の場所へと立ち戻った男はその場に立ち尽くし、

 

「……フン」

 

 鼻を鳴らし、一度社の外へと赴く。

 

「子供はもう眠る時間のはずだが?」

 

 新たに現れた人影があった。

 巨大な翼を生やす子供の影───それが彼女の所有するクロバットのものでないと分からなければ、おとぎ話にでも出る幻獣と見紛うであろう姿だ。

 二対の翼を羽搏かせながらゆっくりと舞い降りるコスモスは、社の前に佇む男───ジーを見下ろしていた。

 

「子供が全員寝ているとは限りませんよ。それはポケモンにも言えます」

「……敏い子供だ、君は」

「何を。私が追っていることは気づいていましたよね」

「さてな」

「それで? 目当ての物は見つかりましたか?」

 

 単刀直入なコスモスの物言いに、一瞬ジーの眉が動く。

 

「……それも把握していたのか?」

「憶測ではありますが、なんとなくは」

「なるほどな」

 

 大した行動力だ、とジーが感嘆したような息を漏らす。

 それも実際どう思ったかまでは定かではない。あくまでコスモスの目にはそう映っただけという話だ。

 

 若干瞼が重い目を擦るコスモスは、悠然と立ち尽くす男を視界から離さない。

 こんな時間にまで目を覚まし社の下まで赴いた理由……それはゾロアークを退けてまでゲンエイじままでやって来たジーを追う為だ。

 

 気づいたのはルカリオであった。

 夜分も警戒を怠らなかった彼の波導は、とある感情を抱きながら森へと赴くジーの波動を感じ取った。

 そしてルカリオは就寝中の主人を起こした。当初は深夜に出かけるジーに対し、不審半分心配半分で跡をつけていたが、それはゾロアークを撃破するジーの姿勢で不審に大きく傾いた。

 

 尾行中、様々な憶測が脳裏を過った。

 これまでのジーの言動、村長の話から察するに考え得る可能性は絞られるが、

 

(彼は何かとんでもないことをしでかそうとしているのでは?)

 

 それが自分の利益に寄与しない領分であればいいが、そうでないとも断言できなければ無視できないのがコスモスである。

 

 自然と身構えるコスモス。

 しかし次の瞬間、一呼吸置いたジーは柄にもない微笑を口元に湛えた。

 

「手掛かりは……私の記憶は見つからなかった」

「……」

「まあ、予想はしていたことだが」

 

 思いの外、さっぱりとした態度だった。

 これにはコスモスも毒気を抜かれる。

 

 ゾロアークを打ち倒してでも社へ侵入した男のものとは思えない表情(それ)を浮かべたジーは、両手を後ろに組みながら目を伏せた。

 

「ふふっ……昔着ていた服を引っ張り出してはみたものの、こんなものに縋ってまで過去を追い求めようとするのは私らしくもない」

 

 ワッペンのように堂々とデザインされた『G』の文字。

 それが何を意味するのか、コスモスには知る由もない。

 だがしかし、端々に見受けられる生地のほつれや色褪せは、否応なしに流れた歳月を想起させてくる。

 

「所詮、過去は過去。過ぎ去ったものに立ち戻ることは不可能という訳だ」

 

 クツクツとした、まるで自嘲染みた笑い声が静寂の中に響き渡る。

 一頻り笑い終えたのか、ジーはゆっくりと面を上げてコスモスへと視線を戻す。

 

 そして、

 

 

 

「私は、恐らくはタイムトラベラーだ」

「!」

 

 

 

 告白は突然だった。

 

「断定しないのはそもそも私に記憶がないからだが……それでも薄ぼんやりとだが、記憶していることはある」

 

 思い出を語る口振りに反し、表情は歪んだものへと変貌する。それが彼の過去に対し苦々しい感情の表れであることは火を見るよりも明らかであった。

 

「以前の私が親というものに諦観していたこと。私から何かを奪っていく大人に対し、強い憎悪を覚えていたこと……そして、そう感じる心というものをひどく疎ましく思っていたこと」

「……」

「私は……心さえなければと常々考えていた」

 

 ギリッ、と軋む音が鳴り響いた。

 

「そして私は心を消そうと考えた。その為にした所業も……うっすらとだが憶えている」

「一体何を?」

「今の世界を壊し、新たな世界を創り出そうとした」

「……」

 

 余りにも突飛な内容に、コスモスも思わず目が点とならざるを得なかった。

 しかし、目を凝らせば暗闇の中でも彼の後ろで組まれた両腕が震えているのが見え、それが嘘ではないということを思い知らされる。

 

 何故ならば、無感情を謳うには大き過ぎる激情がそこにはあった。

月明かりを背負い、陰に隠れた表情には滲むような苦心がありありと現れていた。

 

「……思えば、私はひどく感情的な人間だったようだ」

「……他人事みたいに言いますね」

「ああ」

 

 搾り出したような声色が続く。

 

「そもそも、記憶を失う前と後の私は同一の存在であると言えるのだろうか? 側だけが同じの違う存在と言えるのではなかろうか?」

 

 同じコンピューターでも、インプットされたプログラムが違えば挙動が違うように。

 

 中身が違えば別物と言えるものがこの世にはごまんとある。それは人間とて例外ではないと言わんばかりだった。

 

 けれど、とジーは持論に否を入れる。

 

「今だからこそ言えるが、記憶が消えるとは言っても全てが消える訳ではない」

「……つまり、何を言いたい訳ですか?」

「今の私が過去の私と連続性のある存在と仮定するならば……私にはやりたいことがあった」

「やりたいこと?」

「心を完全に消すことだ」

 

 淡々と告げられた真意。

 これにはコスモスも予想の斜め上を行ったようで、面食らった表情を浮かべる。

 

「心を……消すですって?」

「ああ。私はこの島に来てから感情とは無縁の生活を送ってきた。それはある種、かつての私が望んでいた一つの世界に近しいものだっただろう」

 

 それは必要以上に人と接することなく、ポケモンとすら触れ合うことを必要としない生活を指す。

 昨今の社会からしてみればおおよそ考えられない生活ではあるが、ジーはそれこそ追い求めていた世界だと力強く語った。

 

 誰にも干渉されることのない孤独な世界。

 必要以上に踏み込むこともなければ、必要以上に踏み込まれることのない時間と空間自体は、孤独を愛する者にしてみれば心地の良いものなのだろう。

 これにはコスモスも特段否定するつもりはない。人には人の生き方があるのだから。

 

「だが、いかに安寧と平穏の中に生き様とも……この胸に埋もれたままの歯車は、いつまで経っても軋む音を立てていた」

「歯車?」

「これを私は───過去の自分の呼び声だと思った」

 

 ジーは己の胸に手を当てる。

 

「……それでも私はそれがいったい何なのか、一向に思い出せなかった。途方に暮れた。何か手掛かりを得られないかと森にも赴いた」

 

 それが彼の時間の森でのオーパーツ探しに繋がっていた。

 過去の記憶を思い出す手掛かり。理由はそれに尽きた。

 

 そして、いつの間にか時は流れた。流れ過ぎた。

 最初は一年。それが数年。やがては十数年と。あるかも分からない手掛かりを探しに森を行ったり来たりしては、得られぬ成果に落胆し、自身が落胆しているという事実にさらに落胆する……そのような日々を送っていたのだった。

 

「私は……いい加減疲れた。自分にも分からぬ心の靄の正体に。それならいっそ、何も感じないようになれればいい」

「……」

「心を……なくせばいいとな」

 

 長い独白を経て、ジーは息を吐いた。

 空気が重い。きっとこれは夜の湿気を服が吸ったからだけではないと、沈黙を誤魔化すようにコスモスは自分でそう結論付けた。

 

 そうしている内にも息が整ったジーはゆっくりと後ろへ振り返る。

 そこには依然として社が鎮座していた。悠久の時を思わせる巨木と社。神聖な空気を漂わせる建物を前にして、ジーはどうしようもないものを見る視線を送った。

 

「せめて……せめて今度こそ完全に記憶を消し去れればいいと、その手掛かりを探しに来たつもりだったがな」

「……記憶を取り戻したいとは思わないんですか?」

 

 ひどく安直な質問は、一拍の沈黙すら気まずいと思う少女なりの抵抗だった。

 対して質問を受けたジーは、ほんの少しの間だけ思案顔を浮かべた。

 

「……不要だ。逆に訊くが、世界を憎むが余りに心を消し去ろうと目論んだ男が必要とされているか? 私はそうは思わない」

「その割には、過去の貴方は復讐にこだわっていないように思えますが」

 

 この時。

 この時、初めてだ。

 初めて、ジーの瞳に光が差した。

 

 大きく見開かれた瞳は『呆気に取られた』を体現していた。

 思いもよらない言葉に衝撃を受けたジーは、その強面な表情を無防備に弛緩させながら唇を震わせる。

 

「……なんだと?」

「分かりませんか? 『心を消す』……今も過去も、貴方はそればかりに固執しています」

「それのどこがおかしい?」

「私には、()()()()()()()()()()()()()()()に重きを置いているように聞こえますが」

 

 淡々とした口調で語るコスモス。

 ジーは『別の……』と譫言のように呟いた。

 

 彼の脳内では今、過去から現在までの自分を立ち返る思考が巡らされていた。

 

 どうして心を消したがるのか?

 どうして心を疎ましく思うのか?

 どうして───。

 

「苦痛」

 

 その瞬間、二人の間には紛れもない空白が過ぎ去った。

 流れる時間も、今居る空間さえも忘れ去ってしまうような正真正銘の無の時間。一瞬にも満たない刹那の“間”ではあったが、それはあてもなくフラフラと彷徨っていたジーを現実に引き戻すには十分過ぎる引力を持っていた。

 

 そして、引き寄せられた視線を一身に受ける少女はあくまでも個人的な所感を続ける。

 

「貴方はそこから逃げたかったんじゃないですか? 何かを奪われた苦しみを……奪い返すでも取り戻そうとするでもなく。ただ、逃げようとした」

「私が……逃げようと?」

「でなければ、感情的と自称した貴方の行動に道理が通らないです。察するに、貴方は奪われたことに怒りや憎しみを抱けど、結局諦めた」

「……」

「そもそも何を諦めたか……諦めざるを得ない理由があったかは知りませんが」

 

 『もっとも、これはあくまで憶測ですが』───そうコスモスは締め括った。

 今ある事実を組み合わせてそれらしい憶測を語ることなどいくらでもできる。実際には判明していない事実の方が多いのだから、真実とは程遠い荒唐無稽な推論になっていてもおかしくはない。

 

 コスモスにジーの過去など知る由もない。

 ただ、復讐よりも心を消す方へと舵を取った彼の心情を想像した時、そのような考えが脳裏を過ったのだった。

 

「まあ、あまり真に受けない方がいいかと」

「いいや、腑に落ちた」

「?」

「やはり君は賢い子供だ。私にはない客観的な視点からの意見をくれる」

「実際他人ですので」

「真理だな」

 

 他人だから客観的になるのは当然だ。

 オブラートにも包まずに言い切ったコスモスに、ジーの声色は和らいでいた。

 

「ふぅ……結局は何も得られなかったが、無駄足ではなかった。手に入らないとさえ分かってしまえば、醜く足掻く理由もなくなる」

「……記憶を取り戻すことは諦めると?」

「ああ。私にはもう過去など必要ない。残りの人生を植物のように……波に揺さぶられることもない静穏な暮らしに費やそう」

 

 そう告げたジーは階段を降り始めた。

 そんな彼の肩が落ちているように見えたコスモスではあったが、だからといって掛ける言葉も見つかりはしなかった。

 

 落胆の色を隠さず、社から降りるジー。

 その、まるで人生の舞台から降りるかの如き悲壮な空気を前には、彼の半分の人生すら生きていない小娘にはとても───。

 

「……ジーさん」

「心配は無用だ。それよりもゾロアーク達には悪いことをしてしまった。きずぐすりでもあればいいんだが」

「良ければ使いますか?」

「……すまない。また貸しができてしまったな」

 

 先とは打って変わって穏やかな空気が流れ始める。

 今まで溜めに溜め込んだものを吐き出したジーは、いくらか気が晴れた表情を湛えていた。

 

「いえ、むしろこれで借りた分をお返しできます。一週間も寝泊まりさせていただいたんですから」

「……生真面目なんだな、君は」

「それはお互い様かと」

「……それも……そうか」

 

 自分で倒したポケモンを治療するなど、まさに生真面目さが為す行いだろう。

 これまた自嘲気味に鼻を鳴らしたジーは、そうして少女が差し出したきずぐすりに手を伸ばす。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビィー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時空が歪み、一匹のポケモンの姿が現れた。

 植物のような瑞々しい生命力に満ち溢れるポケモンは、小さな羽を忙しなく羽搏かせながら社を抱きかかえる大樹の周りを飛び回る。

 

 まるで妖精のダンスであった。

 無邪気な笑顔を湛えながら、月明かりの下をゆらゆらと舞い続ける。

 

 そのなんとも幻想的な光景には、コスモスもジーも目を奪われていた。

 

()()()()()()()───ッ!!?)

 

 刹那、コスモスの全身が総毛だった。

 何も突然現れたポケモンに怯えたからではない。その程度で恐怖するほど彼女の肝は小さくもなかった。

 

 だが。

 

「───」

 

 今。

 まさに今、目の前でそのポケモンに凄絶な視線を送る男から溢れ出る感情の濁流に圧倒されたのだ。

 差し出していたきずぐすりなど後に回すかのように、彼の手は宙を舞う一匹の妖精の方へと向かう。

 

 そして、その名を紡ぐ。

 

「……()()()()……」

「ビィ?」

「私の───!」

 

「クロバット、『アクロバット』!!」

 

 直後、乾いた音が打ち鳴らされる。

 何かを打ち据える音は痛いほどに鼓膜を震わせ、遠くまで響き渡っていった。

 

「……何を、」

「何をするつもりですか?」

 

 セレビィの舞う空中では、二体のクロバットが翼を交差させていた。しばし鍔迫り合いの形で翼を押し合っていた二体であったが、力に押されたコスモスのクロバットが一足先に後退することで一旦は仕切り直しとなる。

 

「ビィー!」

「わぷっ」

 

 直後、訳も分からずキョトンとしていたセレビィが、コスモスを見るや否や笑顔を咲かせて彼女の胸へと飛び込んでいく。

 これにはコスモスも驚くも、だからといって幻とも謳われるポケモンを懐に抱えた喜びは浮かび上がってこない。

 

 むしろ、向けられる凄絶な視線に全身が強張る思いをしていた。

 あれは明らかに友好的な者に対する視線ではない。邪魔者───己の計画を阻む者に対するそれだ。

 降り立った直後からボールから出ていたルカリオも、いつの間にやら彼女の前へと歩み出していた。激情の奔流に当てられた所為か、彼の全身の毛を棘のように逆立っていた。

 

(こんなルカリオは今まで見たことが……)

 

 すなわち、それほどまでの事態だということ。コスモスも否応なしに緊張した面持ちを浮かべる。

 対するあくまでジーは淡々と、

 

「セレビィを捕まえる」

「何の為にです?」

「己の過去に戻る為に」

「そうやって記憶を取り戻した後は?」

「事の次第によっては───」

 

 

 

───また新たに世界を創り出す。

 

 

 

 取り繕うこともせず言い切ったジーに、コスモスは気取られぬ程度の溜め息を吐いた。

 

「……今のジーさんは冷静じゃないです」

「そうかもしれないな」

「それなら引き下がるつもりは?」

「ない」

「そう、ですか」

 

 じりじりと。

 じりじりとコスモスはジーから距離を置くように引き下がる。

 

 しかし、ジーもまた少女の───彼女が抱きかかえるセレビィを手にせんと前へ歩を進めていった。

 ある程度まで進んでいったところで、今度はコスモスのクロバットが前を阻むように下りてくる。時を同じくしてジーのクロバットも、眼前の邪魔者を打破すべく舞い降りた。

 

 二体のクロバットがにらみ合う。

 その二体を挟みつつ、二人のトレーナーの視線もかち合った。

 

「……どうやら、穏便に済む雰囲気じゃなさそうですね」

「君には手荒な真似はしたくない。悪いことは言わん、セレビィを置いて退くんだ」

「それはできません」

「……退くんだ」

「できません」

 

 たとえ、彼の掲げる野望が荒唐無稽な話に聞こえたとしても。

 0.01%でも自分の、組織の、そして首領(サカキ)の不利益に繋がる可能性があるとするならば───。

 

「私は、貴方の野望を止めなければなりません」

「……ならばやむなしか」

 

 指を鳴らすジー。

 すると、少し離れた場所に待機していたポケモン達が彼を囲むように姿を現した。マニューラ、ヘルガー、クロバット、ドンカラス、そしてギャラドス。

 誰も彼もが立ちはだかる少女にドス黒い戦意を向け、主の野望を遂げさせようと奮い立っていた。

 

 しかし、誰よりも戦意に満ちていたのは当のトレーナー自身だ。

 

 

 

 

 

「私の正義……誰にも邪魔はさせない」

 

 

 

 

 

 その瞳に宿っていた感情は、過去に対する怒りと、憎しみと、憤りと。

 そして、もう一つ───。

 




Tips:ジー
 カイキョウタウンに住む男性。落ち窪んだ瞳に、白髪交じりの逆立った青髪と威圧的な風貌をしている。口調は淡々と一見不愛想に受け取られる人間であるが、居候であるテリアの面倒を看るなど意外にも面倒見がいい。
 20年ほどまえにカイキョウタウンにやってきて以降、家と時間の森を行き来しながらオーパーツを拾い集める生活を送っていたが、その理由は自分の消えた記憶を取り戻す為。曰く、自分がタイムトラベラーであることは薄々感じ取っており、ほんのわずかに過去を憶えてはいるものの、あまり良い記憶ではないらしい。
 過去の自身の本懐が「心を消す」というものは理解しているが、その結論に至った経緯までは思い出せていない。

 ゲンエイじまを訪れて過去への手掛かりがないと一旦諦めはつき、以後平穏な生活を送ろうと心に決めたが、その時に時渡りの力を持つセレビィが現れて改心。
 セレビィを我が物とし、過去へと戻るべくコスモスと対峙することとなった。
 彼の手持ちは長年放し飼いにされていたらしいが、どのポケモンをとっても野生のそれとは比べ物にならないほど鍛え上げられており───。



 全力で立ち向かわなければ、コスモスに勝機はないだろう。
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