IF第一話 名を持たぬ介入者
足裏へ、硬い感触が戻った。
ざらついた石。
シオン「……来たな」
視線を上げる。
石畳。
木と石で組まれた建物。
馬車。
露店。
腰に剣を下げた人間。
そして、人。
多い。
シオン「事故転移……」
周囲を見回す。
空気。
重力。
身体状態。
どれも、少なくとも即座に生命を脅かす異常はない。
シオン「環境安定」
指を軽く動かす。
シオン「身体異常なし」
次。
自分自身。
この世界では、今の姿そのものが目立つ可能性がある。
シオン「偽装ユニット、起動」
装備の輪郭が揺らいだ。
特殊素材。
端末。
保護装備。
外から見える全てが、周囲の人間へ溶け込む形へ変化していく。
数秒。
そこに立っていたのは。
どこにでもいそうな旅人だった。
動きやすい服。
外套。
革靴。
腰には。
この街で何度か見かけたものと同型の片手剣。
特殊装備ではない。
本当に。
ただの剣。
シオン「……これでいい」
周囲を見る。
誰も。
こちらを気にしていない。
シオン「まずは情報収集」
目立たない。
能力を見せない。
現地社会へ影響を与えない。
状況が不明な段階で。
こちらから世界を変えない。
――介入、最小限。
それが。
ピースギア介入班の基本だった。
◆
人混みを歩く。
聞こえる会話。
貨幣。
食文化。
服装。
警備体制。
全てを。
何気なく見る。
その途中。
視界の端。
小柄な少年。
腕を掴んでいる大柄な男。
シオン「……」
少年が抵抗する。
男の手が上がる。
一歩。
シオンの足が止まった。
助ける。
それ自体は簡単だ。
だが。
どう助けるか。
シオン「介入、最小限」
男の死角へ。
歩幅を変える。
接触。
男の重心が前へ出た瞬間。
足を払う。
男「うおっ!?」
派手な音。
男が石畳へ転がった。
シオンは。
少年を見ない。
助け起こさない。
少年自身が逃げられるなら。
それでいい。
案の定。
少年はすぐに走り出した。
人混みへ。
消える。
男「てめ――!」
シオンはもう。
その場にいなかった。
周囲の視線が集まるより先に。
人の流れへ入り。
歩幅を合わせ。
ただの旅人へ戻る。
シオン「……これ以上は不要」
◆
市場。
果物屋。
店主「兄ちゃん、旅人か?」
シオン「ええ」
外套を少し整える。
シオン「少し道に迷いまして」
店主「珍しい格好でもないが、見ない顔だな」
シオン「遠くから来たので」
嘘ではない。
店主「ここは王国ルグニカだ」
シオン「ルグニカ」
知らない。
だが。
反応は見せない。
シオン「そうですか」
軽く頭を下げる。
シオン「ありがとうございます」
店主「おう」
歩き出す。
王国。
貨幣経済。
中世相当の技術。
ただし。
魔法らしき現象の痕跡がある。
シオン「……面倒そうだな」
小声。
路地へ入る。
その時。
不良「おい」
シオン「……」
三人。
進路。
封鎖。
不良「さっきから何ぶつぶつ言ってやがる」
別の男。
左右。
退路。
シオン「なるほど」
不良「金目のもん、持ってんだろ?」
シオン「持ってないと言ったら?」
不良「身体で分からせるだけだ」
シオン「……」
抜刀。
不要。
制圧。
三秒。
そう判断した。
その瞬間。
少女「どけどけー!」
不良「は?」
金髪。
小柄。
速い。
三人の間を。
一気に抜ける。
少女「じゃまー!」
シオン「……」
少女は。
一瞬だけこちらを見る。
少女「よく分からんが、強く生きろよ!」
そのまま。
消えた。
シオン「……何だったんだ」
不良「待ちやがれ!」
一人が追おうとする。
シオン「やれやれ」
足。
一歩。
懐。
一人目。
肘。
腹。
男「ぐっ!」
二人目。
腕。
引く。
足を掛ける。
転倒。
不良「てめぇ!」
三人目。
ナイフ。
シオン「遅い」
剣は抜かない。
柄だけ。
手首。
打撃。
金属音。
ナイフが地面へ落ちる。
男「っ……!」
シオン「これで終わりにしとけ」
その時。
少女「そこまでよ」
冷たい声。
振り向く。
銀。
長い髪。
紫水晶のような瞳。
シオン「……」
ただの少女ではない。
立ち方。
視線。
そして。
周囲の空気。
少女「今なら」
一歩。
少女「返すだけで済ませてあげる」
不良「俺たちじゃねえ!」
不良「盗ったのはさっきのガキだ!」
銀髪の少女が。
男たちを見る。
次に。
シオンを見る。
シオン「金髪の子なら」
少女「知ってるの?」
シオン「今ここを通った」
少女「……」
地面。
氷。
一瞬。
不良たちの足が固定される。
シオン「魔法」
少女「?」
シオン「いや」
首を振る。
シオン「助かった」
少女「動かないで」
まだ。
警戒は解かれない。
当然。
シオン「分かった」
両手。
見える位置。
そして。
少女の肩。
白いもの。
猫。
宙に浮いている。
シオン「……」
猫「ありがとう」
シオン「喋るのか」
猫「悪い人じゃなさそうだね」
シオン「……かわいいな」
猫「そこ?」
少女の表情が。
ほんの少しだけ崩れた。
猫「僕はパック」
シオン「シオン」
少女「私は……」
一瞬。
間。
少女「サテラ」
シオン「サテラ」
名前。
周囲の反応。
パックの目。
何かある。
だが。
今は。
聞かない。
シオン「いい名前だ」
少女「……え?」
シオン「?」
少女「なんでもない」
その反応だけ。
記憶しておく。
◆
盗まれた徽章。
金髪の少女。
王都。
貧民街。
最低限の情報を集めながら。
三人で追うことになった。
シオンは。
追跡装置を使わなかった。
使えば早い。
だが。
必要ない。
足跡。
聞き込み。
人の流れ。
そして。
少女が通った痕跡。
それだけで十分だった。
やがて。
一軒の建物。
シオン「ここだな」
サテラ「分かるの?」
シオン「人の出入りが偏ってる」
パック「変なところ見てるね」
シオン「仕事柄」
扉。
ノック。
中。
巨漢。
老人。
老人「なんじゃ」
シオン「金髪の少女」
一拍。
シオン「十五歳くらい」
老人「……」
シオン「ここに来てる?」
奥。
声。
少女「誰が十五だ!」
シオン「いた」
フェルト「年齢の話じゃねぇ!」
サテラ「あなた!」
フェルト「げ」
交渉。
徽章。
金。
品物。
思ったより。
普通に進む。
シオンは。
口を挟まない。
現地人同士で。
解決できるなら。
それが一番いい。
だが。
扉。
開く。
女「――いい匂い」
シオン「……」
空気が。
変わった。
黒。
細身。
湾曲した刃。
歩き方。
視線。
殺気。
シオン「全員下がれ」
フェルト「は?」
女「血の匂いがするわ」
サテラ「エルザ……」
シオン「知ってるのか」
返事より。
速い。
刃。
シオン「!」
抜刀。
初めて。
ありふれた片手剣。
金属。
衝突。
重い。
シオン「……っ」
見た目に反して。
強い。
エルザ「普通の剣ね」
シオン「そう見えるなら正解」
蹴り。
回避。
机。
破壊。
シオン「フェルト!」
フェルト「なんだ!」
シオン「衛兵呼べ!」
フェルト「任せろ!」
走る。
シオンは。
追わない。
エルザも。
追わせない。
剣。
二撃。
三撃。
受ける。
流す。
下がる。
殺せる装備はある。
だが。
ここでは出さない。
まだ。
必要ではない。
エルザ「変ね」
シオン「何が」
エルザ「もっと持っているでしょう?」
シオン「何のことだ」
エルザ「ふふ」
その時。
外。
足音。
そして。
赤。
青年。
ラインハルト「そこまでだ」
シオン「……」
一目。
分かる。
立ち方。
気配。
空気。
シオン「別格」
青年はこちらを一瞬見る。
ラインハルト「僕はラインハルト」
シオン「シオン」
それだけ。
剣を下げる。
一歩。
後退。
役割。
終了。
ここからは。
自分が前へ出る場面ではない。
ラインハルトが。
エルザへ向き直る。
その戦いを。
シオンは観察する。
速い。
強い。
そして。
異常。
シオン「……この世界の上限値」
想定を。
大幅に上方修正する必要がある。
◆
戦闘終了。
エルザ。
消失。
少なくとも。
一度は。
そう見えた。
サテラが。
深く息を吐く。
サテラ「シオン」
シオン「?」
サテラ「私」
視線。
逸らす。
サテラ「嘘をついてた」
シオン「名前?」
サテラ「……うん」
パックは。
黙っている。
少女は。
シオンを見る。
サテラ「本当の名前は」
一拍。
エミリア「エミリア」
シオン「そうか」
エミリア「怒らないの?」
シオン「理由があったんだろ」
エミリア「……」
シオン「なら」
少しだけ。
口元を緩める。
シオン「改めてよろしく」
エミリア「……うん」
その瞬間。
背後。
殺気。
シオン「――」
遅い。
いや。
反応は。
間に合った。
身体を捻る。
だが。
刃。
背。
接触。
エミリア「シオン!」
衝撃。
大きい。
しかし。
刃は。
内部へ入らない。
RIG。
自動防御。
衝撃分散。
エルザ「……あら?」
シオン「……っ」
痛み。
ではない。
首筋。
小さな感覚。
注入。
シオン「これは……」
身体。
遠い。
力が抜ける。
視界。
暗くなる。
RIGは。
斬撃を止めた。
だが。
別の何か。
神経。
あるいは。
強制遮断。
シオン「なるほど……」
膝。
落ちる。
エルザ「殺した」
耳元。
声。
エルザ「――つもりでいなさい」
シオン「……」
その言葉。
記録。
生命反応。
正常。
心拍。
低下。
意識。
遮断。
シオン「……最小限介入で」
最後。
わずかに笑う。
シオン「初日からこれか……」
視界が。
完全に。
暗転した。
それでも。
生命反応だけは。
消えていなかった。