王都の朝は早い。
まだ太陽が高く昇る前から、通りには人の気配が満ちていた。
馬車の車輪が石畳を叩く音。
露店を開く商人の声。
遠くで鳴る鐘。
宿の窓際に立ち、シオンはしばらく街を眺めていた。
シオン「……情報が多すぎる」
村とは違う。
ここでは、建物よりも。
道よりも。
人そのものが情報だった。
騎士。
商人。
貴族の従者。
荷運び。
旅人。
足早に歩く者。
周囲を気にしすぎている者。
逆に。
こちらを隠そうともせず、値踏みする者。
シオン「……」
その全てを拾えば。
必要な情報より。
不要な情報の方が圧倒的に多い。
シオン「人そのものがノイズか」
カエデ『情報量を制限しますか?』
内部通信。
シオン『いや』
カエデ『理由』
シオン『必要なノイズもある』
カエデ『了解』
その中でも。
一つだけ。
特に強いものがあった。
期待。
王選。
誰が王になるのか。
誰が勝つのか。
誰につけば得をするのか。
街全体が。
まだ始まってもいない勝敗を。
既に考えている。
シオン「選ばれる場所、か」
昨夜。
エミリアの表情。
思い出す。
不安。
決意。
そして。
その両方を。
隠そうとしていた顔。
シオン「……寝不足だな」
自分も。
恐らく。
彼女も。
外套を羽織る。
剣。
腰。
いつも通り。
ただの片手剣。
シオン「行くか」
◆
王都。
朝。
人の流れ。
エミリア。
その半歩後ろ。
シオン「……」
前へ出すぎない。
だが。
離れない。
人の流れが。
右へ。
位置変更。
左。
変更。
後方。
一人。
接近。
ただの商人。
問題なし。
エミリア「……見られてるわね」
声。
小さい。
シオン「当然」
エミリア「やっぱり?」
シオン「ああ」
彼女は。
もう。
単なる銀髪の少女ではない。
王候補。
そう認識されている。
だから。
好意。
敵意。
恐怖。
好奇心。
打算。
全て。
同じ形。
視線。
として。
向けられる。
シオン「気にしすぎるな」
エミリア「簡単に言うわね」
シオン「全部を気にしたら」
一拍。
シオン「歩けなくなる」
エミリア「……それもそうね」
少し。
笑う。
シオン「大丈夫?」
エミリア「それ、私が聞こうと思った」
シオン「俺?」
エミリア「ずっと周り見てるから」
シオン「仕事」
エミリア「休んでる時ある?」
シオン「寝てる時」
エミリア「それ休んでない気がする」
シオン「……」
否定。
できない。
◆
城。
外周。
騎士。
整列。
門。
通行。
確認。
手順。
統制。
シオン「……」
形式。
秩序。
非常によくできている。
だからこそ。
気になる。
シオン『カエデ』
カエデ『はい』
シオン『騎士の動き』
カエデ『平常値より硬直傾向』
シオン『やっぱり』
声。
必要以上に。
短い。
動き。
速い。
視線。
多い。
何かを。
警戒している。
シオン「……」
秩序というものは。
外から。
壊れるとは限らない。
中。
人。
立場。
感情。
そこから。
崩れる方が。
むしろ。
厄介。
シオン「近いうちに荒れる」
エミリア「え?」
シオン「いや」
エミリア「何かあるの?」
シオン「分からない」
正直に。
シオン「でも」
城。
見る。
シオン「空気が硬い」
エミリア「空気?」
シオン「人の」
エミリア「……」
少しだけ。
表情が曇る。
◆
門の手前。
エミリアが。
立ち止まった。
シオン「?」
エミリア「ねえ」
シオン「うん」
エミリア「もし」
そこで。
言葉。
止まる。
シオン「……」
待つ。
急かさない。
エミリア「もし私が」
指。
僅かに。
握る。
エミリア「ここで立てなくなったら」
シオン「……」
意味。
物理ではない。
シオン「その時は」
少し考える。
シオン「立てる場所まで戻ればいい」
エミリア「戻る?」
シオン「一回」
シオン「離れてもいい」
エミリア「王都から?」
シオン「ああ」
エミリア「王都じゃなくても?」
シオン「王都じゃなくても」
一拍。
シオン「立てる場所なら」
エミリア「……」
少し。
驚いた顔。
そして。
笑う。
小さい。
エミリア「ありがとう」
シオン「まだ何もしてない」
エミリア「そういうところ」
シオン「?」
エミリア「なんでもない」
◆
城内入口。
シオンは。
止まる。
エミリア「来ないの?」
シオン「俺はここまで」
エミリア「どうして?」
シオン「中は」
一拍。
シオン「君の場所」
エミリア「……」
シオン「護衛が前に出る場面じゃない」
エミリア「でも」
シオン「必要なら呼んで」
エミリア「……待っててくれる?」
シオン「動かない」
エミリア「本当に?」
シオン「ここからは」
嘘ではない。
シオン「動かない」
エミリア「……分かった」
少し。
不安そうに。
それでも。
前を向く。
エミリア「行ってくる」
シオン「いってらっしゃい」
扉。
閉じる。
シオン「……」
壁。
寄る。
視線。
下。
動かない。
だが。
見ていない。
わけではない。
カエデ『内部情報を取得しますか?』
シオン『しない』
カエデ『理由』
シオン『エミリアが』
一拍。
シオン『自分で行った』
カエデ『了解』
信じる。
という行為。
介入しないこと。
それも。
護衛の一部。
◆
時間。
経過。
一時間。
二時間。
王都。
喧騒。
変わらない。
騎士。
行き来。
増える。
声。
少し。
荒い。
シオン「……」
何か。
始まっている。
だが。
ここから。
踏み込む理由はない。
今のところ。
シオン「王都は戦場じゃない」
小声。
ただし。
戦争が。
起きないとも限らない。
シオン「剣を抜く理由」
腰。
触れない。
シオン「まだなし」
カエデ『内部で感情変動』
シオン「……」
カエデ『エミリア周辺』
シオン『詳細は』
カエデ『取得していません』
シオン『それでいい』
拳。
僅かに。
握る。
シオン「……」
待つ。
◆
扉。
開く。
複数人。
出る。
騎士。
貴族。
候補者。
それぞれ。
表情。
違う。
シオン「……」
そして。
エミリア。
シオン「!」
歩く。
普通。
だが。
顔。
硬い。
少し。
疲れている。
シオンは。
前へ出ない。
エミリアが。
こちらへ来るまで。
待つ。
エミリア「……待った?」
シオン「いや」
エミリア「嘘」
シオン「時間は経った」
エミリア「それを待ったって言うのよ」
シオン「そうか」
エミリア「……」
シオン「大丈夫?」
エミリア「……分からない」
シオン「そう」
それ以上。
聞かない。
エミリア「聞かないの?」
シオン「今」
少し考える。
シオン「話したい?」
エミリア「……」
首。
横。
シオン「なら」
一歩。
隣。
シオン「後でいい」
エミリア「……うん」
◆
帰路。
城。
遠ざかる。
エミリア「シオン」
シオン「うん」
エミリア「私」
止まる。
シオンも。
止まる。
エミリア「ちゃんとできてたかな」
シオン「知らない」
エミリア「即答?」
シオン「中にいなかった」
エミリア「……そうだった」
シオン「でも」
エミリアを見る。
シオン「戻ってきた」
エミリア「?」
シオン「立って」
一拍。
シオン「戻ってきた」
エミリア「……」
シオン「なら」
シオン「今日はそれで十分じゃないか」
エミリア「……」
少し。
目を伏せる。
エミリア「甘いわね」
シオン「そう?」
エミリア「たぶん」
シオン「なら」
再び。
歩く。
シオン「明日は少し厳しくする」
エミリア「何それ」
少し。
笑った。
その笑いが。
聞けたなら。
今は。
それでいい。
◆
夜。
宿。
窓。
王都。
灯り。
シオン「……」
昼。
城。
騎士。
人。
感情。
情報。
全部。
頭の中で。
並べる。
シオン「声が多すぎる」
カエデ『物理的な音量ではありませんね』
シオン「そう」
期待。
不安。
敵意。
打算。
理想。
全部。
言葉にならなくても。
聞こえる。
シオン「この街」
窓。
見る。
シオン「静かな場所がない」
カエデ『警戒を上げますか?』
シオン「いや」
カエデ『では』
シオン「維持」
剣。
壁。
立てかける。
シオン「まだ」
敵。
決めない。
味方。
決めすぎない。
ただ。
状況を見る。
シオン「……来るなら」
一拍。
誰へでもなく。
シオン「来い」
挑発。
ではない。
確認。
自分自身への。
王都は。
何事もなかったように。
夜を続けている。
だが。
その下。
見えない場所で。
歯車が。
一つ。
また一つ。
噛み合い始めていた。
シオンは。
それを。
まだ。
止めなかった。
止めるべき時では。
なかった。