王都の朝は、早い。
まだ日が高くならないうちから、通りには人の気配が満ちていた。
馬車の軋む音、露店の準備をする声、遠くで鳴る鐘。
宿の窓からそれを眺めながら、彼は静かに息を吐いた。
(……情報が多すぎる)
村とは違う。
ここでは、人そのものが“ノイズ”だ。
剣を帯びた騎士。
商人。
貴族の使い。
視線を泳がせる者と、あからさまに値踏みしてくる者。
――そして、期待。
(選ばれる場所、か)
昨夜のエミリアの表情を思い出す。
決意と、不安が入り混じった目。
「……寝不足だな」
小さく呟き、外套を羽織る。
通りを歩くエミリアの横で、彼は半歩後ろに立つ。
前に出すぎない。
だが、離れすぎない。
人の流れが変わるたび、無意識に位置を調整していた。
「……見られてるわね」
エミリアが、声を落として言う。
「当然だ」
王都に来た瞬間から、
彼女は“王候補”として見られている。
好意も、敵意も、打算も。
すべてが同じ視線に混ざって飛んでくる。
(ここで感情を動かしたら、終わりだ)
「大丈夫?」
「……ああ」
それ以上の言葉はいらなかった。
城の外周。
騎士たちが整然と立ち、通行人を選別している。
形式。
手順。
秩序。
だが、秩序というものは――
内側から壊れる。
彼は視線を上げずに、空気の流れだけを読む。
(ここは……近いうちに荒れる)
理由はわからない。
だが、兆しはある。
人の声が、わずかに上ずっている。
騎士の動きが、必要以上に硬い。
「……ねえ」
エミリアが、立ち止まった。
「もし、私が――」
言葉が途切れる。
彼は、少しだけ視線を向けた。
「もしも、だ」
「ここで立てなくなったら……」
少し考え、短く答える。
「その時は、立てる場所まで戻ればいい」
「王都じゃなくても?」
「王都じゃなくても、だ」
エミリアは、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
城の中へ入る前、彼は立ち止まった。
「俺は、ここまでだ」
「……待っててくれる?」
「動かない」
嘘ではない。
だが、真実のすべてでもない。
彼は“動かない”が、
“見ていない”わけではなかった。
エミリアが城内へ消えるのを見届け、
彼は壁際に寄り、視線を落とす。
(さて)
王都は戦場じゃない。
だが、戦争が始まらないとも限らない。
剣を抜く理由は、まだない。
力を見せる必要も、ない。
――今は。
「……来るなら、来い」
誰に向けた言葉でもなく、
誰かを挑発するでもなく。
ただ、世界に向けた確認だった。
王都の喧騒は、何事もなかったかのように続いていく。
その裏で、確実に歯車が噛み合い始めていることを、
彼だけが感じ取っていた。