意識が浮上した。
最初に感じたのは、薬草の匂いだった。
次に、身体を包む柔らかなシーツ。
ゆっくり目を開けると、豪奢な天蓋が視界いっぱいに広がっている。
イズモ「うっ……うん?」
身体を起こそうとした瞬間。
イズモ「いっ――」
全身に鈍い痛みが走った。
筋肉だけではない。
身体の内側まで熱を持っているような、妙な疲労感。
エミリア「イズモ?」
声の方を見る。
ベッドの傍ら。
エミリアが座っていた。
イズモ「……おはよう」
エミリア「おはよう、じゃないわよ」
怒っている。
ただ。
その奥にあるのは、それ以上の心配だった。
イズモは視線を落とした。
最後に覚えているのは、ユリウスとの激突。
そして。
自分の身体の内側から浮かび上がった、使徒としての感覚。
イズモ「……さっきは、ごめんな」
エミリア「……」
イズモ「心配しすぎた挙げ句、自分で余計に心配かけた」
苦笑する。
イズモ「カエデも衛星もつけてたのにな」
エミリア「それとは別の話」
イズモ「はい」
逃げられない。
エミリア「どうして、ユリウスと戦うことになったの?」
イズモ「……」
エミリア「きっとイズモのことだから、何か理由はあったんでしょ?」
少し考える。
言い訳を作ろうと思えば作れる。
ユリウスから挑発された。
決闘を申し込まれた。
騎士として認められていなかった。
だが。
それだけで済ませれば、自分に都合が良すぎる。
イズモ「事実と感情、分けて話す」
エミリア「うん」
イズモ「事実だけなら、ユリウスが決闘を申し込んできた。俺は受けた」
一度息を吐く。
イズモ「それだけ」
エミリア「じゃあ、感情は?」
イズモ「……腹が立ってた」
正直に答える。
イズモ「騎士として足りないって言われたことも、エミリアの隣に立つ資格みたいな話をされたことも」
拳をゆっくり開く。
イズモ「抑えてるつもりだった」
イズモ「でも決闘を申し込まれた瞬間、見返せるチャンスだって思った」
エミリア「……それだけのために?」
静かな声だった。
だからこそ刺さる。
イズモ「……うん」
逃げずに答える。
イズモ「そこは完全に俺が悪い」
頭を下げる。
イズモ「まだ、怒りの制御ができてなかった」
イズモ「アンガーマネジメント失敗した。ごめん」
しばらく返事はなかった。
外から、王都の遠い喧騒が聞こえる。
やがて。
エミリア「明日、私は屋敷に戻るわ」
イズモ「うん」
エミリア「カエデとロズワールも一緒」
イズモ「じゃあ俺は、レムと残って治療か」
エミリア「そう」
イズモは腕を見る。
今までなら。
こういう状況でも、何か起きれば即座に飛び出していた。
イズモ「分かった」
エミリア「……本当に?」
イズモ「治療中は創造能力も使わない」
エミリア「え?」
イズモ「何かあったらカエデに頼る」
少し迷ってから、懐の端末を取り出した。
イズモ「これ」
エミリア「前に渡してくれた端末?」
イズモ「プログラム追加した」
画面を操作する。
イズモ「俺が創造能力を使ったら、そっちに警告が飛ぶ」
エミリア「……そこまでするの?」
イズモ「する」
即答。
イズモ「今の俺、信用度ゼロだろ」
エミリア「ゼロまでは言ってないけど……」
イズモ「自分でも信用できない」
端末を手渡す。
イズモ「何か理由つけて出撃する可能性あるから」
エミリア「自分で言うんだ」
イズモ「自覚はある」
困ったように。
それでも、少しだけエミリアが笑った。
エミリア「……分かった」
端末を握る。
エミリア「ありがとう」
イズモ「こっちこそ」
◆
翌日。
王都にあるクルシュ邸。
治療室。
イズモ「……」
柔らかな光が身体を包んでいる。
温かい。
だが。
イズモ「なんかこれ、妙に落ち着かないな……」
フェリス「動かないでくださいにゃ」
イズモ「はい」
身体の奥。
自分では認識できない場所へ、治癒魔法が入り込んでいる感覚。
フェリス曰く、ゲート。
魔法を扱うための器官らしい。
そしてイズモの場合。
創造能力を使うたび、そこへ異常な負荷がかかっている。
フェリス「よくこれで普通に戦ってましたねぇ」
イズモ「普通ではなかった気がする」
フェリス「褒めてません」
イズモ「ですよね」
扉が静かに開いた。
ラインハルト「失礼する」
イズモ「ラインハルト?」
フェリス「面会は短めにお願いしますにゃ」
ラインハルト「分かっている」
ベッドの傍らまで来る。
少しだけ表情が硬い。
ラインハルト「今回の件は、すまなかった」
イズモ「待って」
ラインハルト「?」
イズモ「先に俺から」
身体を起こそうとして。
フェリス「動くにゃ!」
イズモ「はい」
寝たまま続ける。
イズモ「ユリウスを傷つけた」
イズモ「そこは俺の責任だ。すまなかった」
ラインハルト「……」
イズモ「本人にも、そのうち謝る」
ラインハルト「そのうち?」
イズモ「今は無理」
即答した。
ラインハルトは少し眉を寄せた。
ラインハルト「だが、あの決闘には何の意味もなかった」
イズモ「それは違う」
ラインハルト「?」
イズモ「収穫はあった」
ラインハルト「収穫?」
イズモは天井を見る。
イズモ「俺、あそこで初めて使徒化した」
ラインハルト「使徒……」
イズモ「ああ」
自分の手を見る。
今は普通の人間のものだ。
イズモ「今まで、使徒の身体になれる可能性は知ってた」
イズモ「でも実際に起きたことはなかった」
ラインハルト「だから、あの戦いをチャンスだと?」
イズモ「結果論だけどね」
一拍。
イズモ「本来なら、戦闘以外で確認すべきだった」
ラインハルト「……そうだな」
イズモ「そこは反省してる」
ラインハルトは少し黙った。
イズモ「あと」
ここまで話したなら。
隠す理由も薄い。
イズモ「俺、この世界の人間じゃない」
ラインハルト「……」
驚きは、ほとんどなかった。
イズモ「反応薄いな」
ラインハルト「薄々は気づいていた」
イズモ「ですよね」
ラインハルト「武器も技術も、何一つこの世界のものではない」
イズモ「向こうじゃ軍人だ」
ラインハルト「軍人?」
イズモ「二佐」
ラインハルト「それで、ユリウスと渡り合えたのか」
イズモ「まあ、それなりに実戦経験はある」
ラインハルト「それなり、か」
少しだけ苦笑する。
だが、すぐ真面目な表情へ戻った。
ラインハルト「イズモ君」
イズモ「うん?」
ラインハルト「君とユリウスと私で、一度話をしないか?」
イズモ「……」
ラインハルト「互いに誤解もある」
イズモ「今は無理」
ラインハルト「理由を聞いても?」
イズモ「まだ腹立ってるから」
ラインハルト「……正直だな」
イズモ「今会ったら、また喧嘩する可能性がある」
少しだけ笑う。
イズモ「それでここ壊したら主人がわめく」
フェリス「クルシュ様の屋敷で暴れたらイズモきゅんの治療、強制的に三倍ですにゃ」
イズモ「ほら」
ラインハルト「……分かった」
イズモ「ラインハルトとは普通に話せる」
イズモ「でもユリウスとは、俺がもう少し落ち着いてからにしたい」
ラインハルト「それも一つの判断だろう」
立ち上がる。
ラインハルト「今日は帰るよ」
イズモ「ありがとう」
ラインハルト「また来る」
イズモ「次は普通に遊びに来て」
ラインハルト「善処しよう」
扉が閉じる。
フェリス「意外と自分の状態分かってるんですねぇ」
イズモ「意外とは何だ」
フェリス「そのままの意味ですにゃ」
◆
治療が終わるまで、クルシュ邸で過ごすことになった。
廊下。
レムと並んで歩く。
レム「よかったのですか?」
イズモ「何が?」
レム「ユリウス様と話さなくて」
イズモ「ああ」
窓の外を見る。
イズモ「分かり合えない状態で無理に話しても、悪化するだけだよ」
レム「……」
イズモ「話せる状態になってからでいい」
イズモ「殴り合いになるくらいなら、今は距離取る」
レム「なるほど」
数歩。
イズモ「そういえば」
立ち止まる。
イズモ「レム」
レム「はい」
イズモ「創造能力って、やっぱりゲート使ってる?」
レム「はい」
即答だった。
イズモ「やっぱりか……」
レム「イズモ君が物を作る際、大量のマナがゲートを通過しているようです」
イズモ「負荷って、作る物の大きさ?」
レム「それもあります」
イズモ「時間?」
レム「それもです」
イズモ「両方か」
レム「はい」
イズモ「衛星とか兵器連打したの、完全にやらかしてたな」
レム「フェリス様が怒る理由がお分かりになりました?」
イズモ「はい」
少し沈黙。
レム「イズモ君」
イズモ「ん?」
レム「明日、少し出かけませんか?」
イズモ「いいね」
即答。
イズモ「創造禁止だし、ちょうど暇だった」
レム「気分転換です」
イズモ「それも」
◆
翌日。
王都。
市場を歩く。
武器も作れない。
飛べない。
衛星の追加投入もできない。
イズモ「……こういうのも悪くないな」
レム「普通に歩くだけですよ?」
イズモ「普段普通に歩かないから」
レム「そこから改善してください」
掲示板の前に人だかりができていた。
イズモ「なんだ?」
覗き込む。
王選候補。
似顔絵。
名前。
エミリア。
クルシュ。
アナスタシア。
プリシラ。
そして。
フェルト。
イズモ「本当に載ってる」
レム「王選が正式に始まった証です」
イズモ「……」
探す。
イズモ「俺が乱入した件、載ってないな」
レム「載せる必要がありますか?」
イズモ「ないね」
少し安心した。
◆
夜。
治療を終え、自室へ戻ろうとしていた時。
クルシュ「最上イズモ」
イズモ「はい?」
クルシュ「少し付き合わないか?」
イズモ「ええ」
案内された先は、バルコニーだった。
王都の灯り。
静かな夜風。
テーブルには、小さな杯。
イズモ「先に言っときますけど」
クルシュ「何だ?」
イズモ「魂的には成人なんですけど、この身体は未成年です」
クルシュ「何の話だ?」
イズモ「酒」
クルシュ「ああ」
小さく笑う。
クルシュ「水を舐めるだけでいい」
イズモ「水なんだ」
クルシュ「私も泥酔するほど飲むつもりはない」
イズモ「なら」
座る。
クルシュ「ゲートの治療はどうだ?」
イズモ「順調らしいです」
少し嫌そうな顔。
イズモ「ただ……」
クルシュ「ただ?」
イズモ「他の治療法ないんですかね」
クルシュ「フェリスの治療に不満か?」
イズモ「不満っていうか」
言葉を選ぶ。
イズモ「距離が近い」
クルシュ「?」
イズモ「治療方法が、ちょっと恥ずかしい」
クルシュ「そういうものか」
イズモ「そういうものです」
夜風。
少し離れた庭。
兵士。
物資。
馬車。
イズモ「……」
視線を細める。
イズモ「クルシュさん」
クルシュ「何だ?」
イズモ「戦争でもするんですか?」
クルシュの目がわずかに変わった。
イズモ「兵士の数と物資が多い」
クルシュ「よく見ている」
イズモ「軍人なんで」
クルシュは杯を置く。
クルシュ「戦争ではない」
イズモ「じゃあ?」
クルシュ「ある出来事に備えている」
イズモ「出来事」
クルシュ「ああ」
それ以上は言わない。
イズモも深追いしなかった。
今はまだ。
その時。
バン。
扉が勢いよく開く。
フェリス「あーーーーっ!」
イズモ「うわ」
フェリス「なんでイズモきゅんがここにいるのーーーー!」
イズモ「呼ばれたから」
フェリス「それにクルシュ様!」
クルシュ「何だ?」
フェリス「なんでそんな無防備な格好してるんですかぁ!」
クルシュ「いつもお前と晩酌する時と変わらない」
フェリス「そこが問題なんです!」
イズモ「?」
フェリス「男の子は狼さんなんですから!」
イズモ「いや」
クルシュ「戯れはよせ」
フェリス「でもぉ」
クルシュ「最上イズモの想い人が誰かなど、王宮にいた者なら大体知っている」
イズモ「……」
フェリス「まあ、喧嘩しちゃったみたいですけどねぇ」
イズモ「まあな」
フェリス「イズモきゅん、分かりやすすぎですにゃ」
イズモ「そんなに?」
クルシュ「かなり」
イズモ「マジか」
その瞬間。
視界の端。
警告。
既存の監視衛星から緊急通知。
イズモ「……?」
笑っていた表情が消える。
意識を接続。
上空映像。
夜。
ロズワール領。
森。
洞窟。
そして。
熱源。
大量。
イズモ「カエデ」
通信。
カエデ『こちらカエデ』
イズモ「座標確認」
カエデ『照合します』
数秒。
カエデ『ロズワール邸より約一キロ』
イズモ「数は?」
カエデ『推定三千』
イズモ「……三千?」
クルシュ「どうした?」
イズモは立ち上がる。
イズモ「ロズワール邸近くの洞窟に、不審な集団」
クルシュ「規模は?」
イズモ「三千」
空中へ投影しようとして。
手を止めた。
創造能力は禁止中。
代わりに端末をテーブルへ置き、衛星映像を表示する。
イズモ「装備不明」
拡大。
イズモ「魔法戦力も不明」
フェリスの表情も変わる。
イズモ「今あっちに残してる戦力は……」
頭の中で計算する。
既存無人兵器。
警備システム。
衛星兵器。
武器投下衛星。
イズモ「二千規模までなら処理できる」
クルシュ「残り千は?」
イズモ「分からない」
拳を握る。
イズモ「無人兵器、衛星砲、投下兵器まで使っても、確実とは言えない」
クルシュ「目的は?」
イズモ「不明」
一秒。
イズモ「クルシュさん」
振り向く。
イズモ「出撃許可を」
フェリス「ダメです」
イズモ「即答?」
フェリス「当然です」
イズモ「屋敷が襲われるかもしれない」
フェリス「治療はあと二日」
イズモ「でも――」
フェリス「それに」
声が低くなる。
フェリス「今、イズモきゅんがここから勝手に出撃するなら」
イズモ「……」
フェリス「フェリちゃんは、イズモきゅんを患者じゃなく敵として止めます」
空気が張り詰める。
イズモ「治療契約か」
フェリス「そうです」
イズモ「……」
エミリアとの約束。
端末の警告。
自分で決めた創造能力の封印。
そして。
ここで治療を投げ出せば、また同じことを繰り返す。
イズモ「……分かった」
フェリス「え?」
イズモ「出ない」
フェリスが少し驚いた。
イズモ「既存戦力だけ動かす」
端末を操作する。
イズモ「カエデ」
カエデ『はい』
イズモ「屋敷警戒レベル最大」
カエデ『了解』
イズモ「無人兵器を洞窟方向へ配置」
カエデ『了解』
イズモ「衛星砲、武器投下衛星も待機」
カエデ『攻撃許可条件は?』
イズモ「屋敷、村、エミリア陣営への明確な敵対行動を確認した場合のみ」
クルシュ「先制はしないのか?」
イズモ「相手が誰かまだ分からない」
映像を見る。
イズモ「軍隊に見えるってだけで撃ったら、それこそ戦争になる」
一拍。
イズモ「ラムとカエデに任せる」
通信を切る。
だが。
視線だけは映像から離れない。
三千。
夜の洞窟。
ロズワール邸まで、一キロ。
イズモ「……頼むぞ」
その夜。
遠く離れたロズワール領で。
まだ誰も知らない戦いが、静かに始まろうとしていた。