二日後。
治療を終えたイズモは、王都の一室で通信端末を起動していた。
治療自体は問題なく終わった。
ゲートの負荷も、フェリスから「しばらく無茶しなければ大丈夫」と言われている。
だから。
本来なら今日、ロズワール邸へ戻る予定だった。
イズモ「エミリア、聞こえる?」
ノイズ。
返事はない。
イズモ「こちらイズモ。応答して」
無音。
チャンネルを変える。
イズモ「カエデ?」
反応なし。
ラム。
ロズワール。
屋敷の警備網。
どこへ繋いでも、返ってくるのは雑音だけだった。
レム「……故障でしょうか」
隣にいたレムが、かすかな期待を込めて言う。
イズモ「だったらいいけど」
端末を操作する。
通信ではない。
軌道上。
二日前に残してきた監視衛星へ接続する。
映像が開いた。
イズモ「……」
息が止まった。
レム「イズモ君?」
ロズワール領。
そこにあるはずの村。
街道。
畑。
ほとんど何もない。
黒い地面。
折れた木々。
焼けた跡。
そして。
中央に。
ロズワール邸だけが、焼け残った墓標のように立っていた。
イズモ「……やはりか」
レムが画面へ近づく。
レム「これは……」
イズモは次々と情報を開く。
無人兵器。
反応なし。
残弾――ゼロ。
固定砲台。
沈黙。
衛星兵器。
使用履歴、上限到達。
武器投下衛星。
空。
イズモ「全部使い切ってる」
レム「……」
イズモ「無人兵器、衛星砲、投下兵器」
指が止まる。
イズモ「全部弾切れ」
拡大。
屋敷。
庭。
村。
動く熱源がない。
イズモ「衛星で見ても……」
声が少し掠れた。
イズモ「ロズワール邸以外、何も動いてない」
レムの手が震えた。
それでも。
レム「……早く行きましょう」
顔を上げる。
目には恐怖がある。
だが、立っている。
イズモ「レム」
レム「お願いします」
イズモ「……分かった」
創造能力。
治療直後。
本来なら、まだ慎重に扱うべきものだ。
イズモ「ゲート使う」
レム「はい」
イズモ「大丈夫?」
レム「連続使用しなければ」
少し考える。
レム「今の状態なら、一日十回程度までです」
イズモ「十分」
掌を開く。
空間が歪む。
一回。
光が輪郭を作る。
機体。
主翼。
エンジン。
垂直離着陸機。
イズモ「これで行く」
VTOLのハッチが開いた。
レムは迷わず乗り込む。
レム「分かりました」
イズモも操縦席へ入る。
エンジン始動。
機体が王都の屋敷から垂直に浮かび上がった。
◆
速度を上げる。
眼下を森と街道が流れていく。
レムはほとんど喋らなかった。
イズモも同じだった。
互いに。
悪い想像を口にしたくなかった。
警報。
霧。
イズモ「……?」
前方。
巨大な白い影が、霧の中を泳いでいた。
空を飛ぶ。
いや。
泳ぐ、という表現の方が近い。
鯨。
あまりにも巨大な白い鯨。
レムの顔色が変わる。
レム「白鯨……」
イズモ「知ってるの?」
レム「三大魔獣の一体です」
イズモ「……」
通常なら。
間違いなく調べる。
衛星で追跡し、データを収集する。
場合によっては交戦する。
だが。
今は。
操縦桿を握る手は動かなかった。
イズモ「無視する」
レム「はい」
白鯨が遠ざかる。
今、優先すべきものは一つしかない。
◆
ロズワール領へ接近。
距離。
十キロ。
五キロ。
二キロ。
イズモ「カエデ、応答――」
警報。
複数の発光。
イズモ「!」
森の中。
魔法陣。
次の瞬間。
魔法弾が一斉に飛び上がった。
イズモ「敵!」
機体を傾ける。
一発。
二発。
回避。
レム「魔女教です!」
イズモ「やっぱりか!」
三発目。
機体下部へ命中。
警報音。
イズモ「まだ飛べる!」
さらに。
右側。
至近距離。
イズモ「まず――」
直撃。
爆発。
右タービンが吹き飛んだ。
イズモ「くっ……!」
機体が急激に傾く。
高度低下。
レム「イズモ君!」
イズモ「脱出!」
ハッチを開く。
レムを先に押し出す。
イズモ「飛べ!」
レム「イズモ君も!」
イズモ「すぐ行く!」
レムが森へ落下する。
イズモも機体から飛び出した。
ATフィールド。
展開――
イズモ「……?」
遅い。
身体が重い。
何かが。
首元に刺さっている。
針。
イズモ「麻酔……?」
だが普通の麻酔ではない。
ATフィールドを抜けた。
視界が急激に狭くなる。
イズモ「カエ……」
地面へ落ちるより先に。
世界が暗転した。
◆
冷たい。
硬い。
イズモ「……」
意識が戻る。
最初に確認したのは、身体だった。
手。
動かない。
足。
固定されている。
金属製の拘束具。
イズモ「……ちっ」
頭を上げる。
イズモ「捕まったか」
洞窟。
湿った空気。
松明。
複数の人影。
そして。
正面。
異様な男がいた。
緑色の髪。
痩せた身体。
自分の指を噛みながら、嬉しそうにこちらを見ている。
イズモ「で」
息を整える。
イズモ「あんたは?」
男の身体が大きく反った。
ペテルギウス「私、ですかぁ?」
首が不自然な角度へ曲がる。
ペテルギウス「私はぁ――」
両腕を広げた。
ペテルギウス「魔女教、大罪司教!」
声が洞窟へ響く。
ペテルギウス「怠惰担当!」
笑う。
ペテルギウス「ペテルギウス・ロマネコンティ……でぇす!」
イズモ「長い名前だな」
ペテルギウス「……」
イズモ「それより」
拘束具を確認する。
イズモ「驚いた」
ペテルギウス「何が、でしょう?」
イズモ「俺のATフィールド抜いて麻酔入れたやつ」
ペテルギウス「ほぉう?」
イズモ「この世界に、そんな技術あると思わなかった」
男の笑みが深くなる。
ペテルギウス「技術?」
イズモ「俺の防御を貫通する弾」
ペテルギウス「ああ!」
手を叩く。
ペテルギウス「あれですかぁ!」
イズモ「作ったの、あんたら?」
ペテルギウス「いいえいいえいいえ!」
頭を振る。
ペテルギウス「私たちはただ!」
指を噛む。
血が滲む。
ペテルギウス「嫉妬の魔女様のお導きに従い!」
イズモ「……サテラ?」
ペテルギウスの動きが止まる。
イズモ「?」
ペテルギウス「その御名を……」
震える。
ペテルギウス「軽々しく口にするなどぉぉぉぉ!」
イズモ「面倒くさ」
ペテルギウス「怠惰!」
イズモ「そっちがな」
一瞬。
男の顔が止まった。
ペテルギウス「……は?」
イズモ「人に怠惰怠惰言ってる暇あったら、質問答えて」
沈黙。
イズモ「青髪の女の子」
ペテルギウス「ああ!」
再び笑顔。
ペテルギウス「同乗者ですねぇ!」
イズモ「レムはどこだ」
ペテルギウス「生きているか」
首を傾ける。
ペテルギウス「死んでいるか」
反対へ。
ペテルギウス「分かりませぇん」
イズモ「……」
ペテルギウス「不安要素を残す!」
指を一本立てる。
ペテルギウス「怠惰!」
もう一本。
ペテルギウス「仲間を守れない!」
さらに。
ペテルギウス「怠惰怠惰怠惰怠惰!」
イズモ「……」
拳を握ろうとする。
拘束されている。
ペテルギウス「少女を連れてくるのです!」
教徒たちが動き出す。
イズモ「待て」
ペテルギウス「?」
イズモ「別にいいよ」
ペテルギウス「……」
イズモ「というか」
小さく笑う。
イズモ「時間稼ぎ、センキュー」
ペテルギウス「――?」
拘束具。
内部から音。
カチ。
手首が外れた。
イズモは一気に腕を引き抜く。
ペテルギウス「な――」
光。
二回目。
装甲服が身体を覆う。
教徒「っ!」
イズモ「拘束されてる間」
首を鳴らす。
イズモ「ずっと解析してた」
ペテルギウス「怠惰ァ!」
イズモ「付き合ってくれてありがとう」
掌に光。
三回目。
高周波ブレード。
刃が起動する。
高い駆動音が洞窟へ響いた。
イズモ「Shall we dance?」
◆
一人目。
武器を弾く。
二人目。
腕。
三人目。
足。
致命部位を避ける余裕は、途中でなくなった。
魔法。
刃。
見えない何か。
イズモ「っ!」
壁が突然砕ける。
何も見えない。
だが。
空気は動いた。
イズモ「……いるな」
ゴーグルを下ろす。
赤外線。
空気密度。
粉塵。
微粒子。
複数の解析を重ねる。
何もない空間に。
歪み。
腕のような形。
イズモ「見えた」
ペテルギウス「――!」
振り返る。
ペテルギウス「なぜ……」
見えない腕が殺到する。
イズモは避ける。
イズモ「空気押してる」
一本を斬る。
手応え。
ペテルギウス「なぜあなたに!」
イズモ「赤外線だけじゃない」
回避。
イズモ「空気の流れ、粉塵、物理的干渉」
踏み込む。
イズモ「存在するなら、観測できる」
ペテルギウス「脳が――」
顔を掻きむしる。
ペテルギウス「震えるぅぅぅぅ!」
洞窟奥。
爆発音。
別方向から教徒が吹き飛ぶ。
イズモ「?」
青い影。
鬼の角。
レム。
イズモ「レム!」
レム「イズモ君!」
安堵。
その直後。
イズモ「来るな!」
レムの足が止まる。
レム「どうしてですか!」
イズモ「見えない攻撃がある!」
ペテルギウス「遅い!」
腕。
レムへ。
イズモが割り込む。
衝撃。
装甲が軋む。
イズモ「ぐっ!」
レム「イズモ君!」
イズモ「俺には見える!」
四回目。
光。
ゴーグル。
レムへ投げる。
イズモ「これ着けて!」
レム「これは?」
イズモ「空気の動きを強調表示する!」
レムが装着。
目を見開く。
レム「……見えます」
イズモ「よし」
ペテルギウスの笑顔が崩れる。
イズモ「俺が前」
ブレードを構える。
イズモ「レムは援護」
レム「でも――」
イズモ「まだ創造四回」
一瞬考える。
イズモ「いや、五回目か」
レム「治療直後ですよ!」
イズモ「まだ半分」
レム「そういう意味では――」
見えない手。
イズモ「来る!」
二人が左右へ飛ぶ。
イズモ「話は後!」
レム「……分かりました!」
ペテルギウス「怠惰ァァァァ!」
イズモ「うるさい!」
ステルス。
五回目。
身体の輪郭が消える。
ペテルギウス「消え――」
イズモ「The show time」
背後。
一閃。
ペテルギウスの身体が止まった。
数秒。
ゆっくりと崩れ落ちる。
洞窟へ。
静寂が戻った。
イズモ「……」
ブレードを下げる。
イズモ「終わった」
レム「イズモ君」
イズモ「行こう」
迷わず出口へ向かう。
エミリア。
ラム。
村。
まだ。
間に合う可能性はある。
そう思っていた。
◆
洞窟を抜けた。
冷たい風。
そして。
イズモ「……」
足が止まった。
イズモ「嘘だろ……」
最初に見えたのは。
ロボットの残骸だった。
自分が置いた警備兵器。
全機。
砕け。
焼け。
弾を使い果たしている。
その先。
村。
建物。
血。
人。
レム「……」
走る。
イズモ「レム!」
レムは聞いていない。
青い髪が揺れる。
そして。
一つの身体の前で止まった。
ラム。
レム「……姉様?」
返事はない。
レム「姉様」
膝をつく。
レム「起きてください」
肩を揺らす。
レム「姉様……?」
声が震える。
レム「レムです」
動かない。
イズモは、その場から目を逸らした。
だが。
視線の先。
さらに。
ロズワール。
村人たち。
そして。
銀色の髪。
イズモ「……」
足が動かなかった。
エミリア。
イズモ「エミリア?」
一歩。
イズモ「……おい」
もう一歩。
血。
冷たい。
イズモ「エミリア」
触れる。
生命反応。
ない。
イズモ「……」
音が遠ざかる。
レムの泣き声も。
風も。
何も聞こえない。
イズモ「俺が……」
出撃しなかった。
治療を優先した。
約束を守った。
それ自体が間違いだったとは思えない。
それでも。
現実だけが残っている。
イズモ「……間に合わなかった」
空気が冷えた。
イズモ「?」
吐く息が白い。
地面に霜。
木々が凍る。
レムが顔を上げる。
空。
巨大な影。
白い猫。
いや。
もう猫と呼べる大きさではない。
パック。
世界を覆うほど巨大化した精霊が、空にいた。
パック「……もう遅すぎたんだよ」
声だけで空気が震える。
イズモ「パック」
パック「リアは死んだ」
凍結が広がる。
パック「契約は終わった」
イズモ「……」
パック「だから僕は」
巨大な瞳が世界を見る。
パック「今から世界を滅ぼす」
レム「……」
イズモはゆっくり立ち上がった。
イズモ「やめろ」
パック「イズモ」
イズモ「君がやらなくていい」
パック「これは契約だ」
イズモ「違う」
空間。
指を上げる。
イズモ「この罪は」
喉が痛い。
イズモ「俺が背負う」
パック「何を――」
イズモ「俺が戻す」
レム「イズモ君?」
六回目。
空間が裂けた。
黒と白。
現実ではない場所へ繋がる扉。
ガフの扉。
イズモ「パック」
巨大な精霊を見る。
イズモ「何もしなくていい」
レム「イズモ君、何をするつもりですか?」
イズモ「時間を戻す」
レム「……時間?」
光。
七回目。
一本の槍。
赤。
巨大。
人間が扱うために作られたものではない。
ロンギヌスの槍。
レム「それは……」
イズモは握る。
重い。
身体ではなく。
存在そのものが。
イズモ「今度は」
エミリアを見る。
ラム。
ロズワール。
村人たち。
イズモ「間に合わせる」
槍を持ち上げる。
そして。
自分自身へ。
世界へ。
境界へ。
突き立てた。
衝撃。
音が消える。
光と闇が反転する。
空。
地面。
死体。
炎。
すべてが細い線へ引き伸ばされる。
レム「イズモ君――!」
最後に聞こえた声。
世界が砕けた。
◆
鳥の声。
市場の喧騒。
足音。
イズモ「……」
立っている。
身体を見る。
傷はない。
横。
青髪。
レム。
レム「イズモ君?」
イズモ「……」
周囲を見る。
王都。
掲示板。
人。
見覚えがある。
レム「どうしました?」
イズモはゆっくり息を吐いた。
ここは。
二人で気分転換に出かけた。
あの日。
イズモ「……戻った」
レム「何がですか?」
拳を握る。
記憶は残っている。
死んだエミリア。
泣いていたレム。
凍りつく世界。
全部。
イズモ「今度は」
空を見上げる。
まだ白鯨は現れていない。
まだ魔女教は動いていない。
まだ。
全員生きている。
イズモ「間に合わせる」