翌朝。
白鯨討伐後の野営地には、まだ霧と血の匂いが残っていた。
簡易天幕の間を冷たい風が抜けていく。
兵たちは傷の手当てを受け、別の者は剣や防具を点検していた。
歓喜に沸いた夜から数時間。
それでも、ここにいる者の多くは分かっている。
戦いは、まだ終わっていない。
イズモはVTOLの機体横で残弾数を確認していた。
イズモ「ミサイル残り四。ガトリングは三割……」
白鯨戦で、かなり使った。
追加で創造する余裕も少ない。
その時。
少し離れた場所に、見覚えのある青年を見つけた。
イズモ「ユリウス」
青年が振り返る。
だが、なぜか微妙に得意げな顔をした。
ユウリ「イズモ。私はユリウスではない」
イズモ「?」
ユウリ「ユウリと名乗っておこう」
数秒。
イズモ「……アナグラムにもなってないだろ、それ」
ユウリ「偽名というのは、分かれば十分だ」
イズモ「隠す気ある?」
ユウリ「多少は」
イズモ「ないじゃん」
昨夜まで張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
イズモ「まあいいや。ユウリで」
ユウリ「怪我の具合は?」
イズモ「俺よりユウリの方が大丈夫?」
ユウリ「私は白鯨戦でほとんど負傷していない」
イズモ「あ、そっちじゃなくて名前の方」
ユウリ「……」
イズモ「冗談」
ユウリが小さく笑う。
以前なら、こんな会話すら成立しなかった。
決闘で全てが解決したわけではない。
腹立たしい部分も、まだ残っている。
それでも。
少なくとも今は、同じ敵を見ることができる。
イズモ「怪我なら問題ない」
ユウリ「昨日、倒れかけていただろう」
イズモ「ゲートは痛かったけど、寝たらだいぶ戻った」
レム「戻っていません」
背後から即座に訂正された。
イズモ「……本人の感覚では」
レム「駄目です」
イズモ「はい」
ユウリ「厳しいな」
イズモ「必要なんだよ」
イズモは戦術投影を開いた。
地図。
白鯨を討伐した地点。
そこから続く街道。
そして。
ロズワール領近くにある洞窟。
イズモ「次は魔女教」
周囲にいたクルシュたちも集まってくる。
イズモ「白鯨戦で残ったVTOL、地上兵力、それと残弾をそのまま使う」
クルシュ「休息は?」
イズモ「最低限取った」
レム「イズモ君だけ不足しています」
イズモ「俺は移動中寝る」
レム「……」
イズモ「ちゃんと寝る」
レム「なら」
話を戻す。
イズモ「作戦自体は単純」
洞窟周辺を拡大。
イズモ「外にいる魔女教徒を先に潰す」
次。
洞窟内部。
イズモ「その後、俺、ユウリ、ビル爺で大罪司教」
ビル爺「承知しました」
ユウリ「問題ない」
イズモ「他は出口封鎖と残党処理」
クルシュ「エミリア陣営は?」
イズモ「戦わせない」
即答。
イズモ「エミリアと村人は先に避難」
前回。
間に合わなかった光景が、一瞬だけ脳裏を過ぎる。
エミリア。
ラム。
村人たち。
イズモ「今回は」
声が少し低くなる。
イズモ「誰も残さない」
レムだけが、その言葉の重さに気づいたようだった。
◆
避難は先に行われた。
村人。
子供。
エミリア。
必要最低限の護衛。
全員を魔女教の活動範囲から外へ。
その確認が取れてから。
攻撃が始まった。
騎士団。
傭兵団。
魔法使い。
上空からVTOL。
前回、三千規模いた魔女教徒は、白鯨討伐部隊をそのままぶつけられたことで一気に崩れた。
洞窟周辺。
最後の敵影が消える。
カエデ『外部反応、残りゼロ』
イズモ「了解」
VTOLを低空へ。
洞窟の入口。
イズモ「ここからボス戦」
ビル爺「行きましょう」
ユウリ「了解した」
イズモ「……行くか」
◆
湿った空気。
洞窟の壁には、不気味な紋様が刻まれている。
腐臭。
血。
人が生活している場所とは思えない。
イズモはゴーグルを下ろした。
前回の経験は残っている。
見えざる手。
麻酔。
ペテルギウスの能力。
今回は。
最初から知っている。
イズモ「……いた」
洞窟の奥。
数人の教徒。
その中央。
緑髪の男。
イズモ「ハロー」
声が反響する。
イズモ「ペテルギウス」
男の動きが止まった。
ペテルギウス「……あなたは?」
イズモ「最上イズモ」
ペテルギウス「存じ上げませんねぇ」
イズモ「そりゃそうだ」
今回は初対面。
イズモにとってだけ、二度目。
ペテルギウス「それで?」
首を傾ける。
ペテルギウス「何の御用でしょう?」
イズモ「魔女教に入りたい」
背後でユウリの眉が動く。
ビル爺も何も言わない。
事前に聞いていなければ確実に止められていただろう。
ペテルギウス「……ほぉう?」
イズモ「入信希望」
ペテルギウスの口元が歪む。
ペテルギウス「脳が……震える」
イズモ「もうそれ言うんだ」
ペテルギウス「今まさに!」
両腕を広げる。
ペテルギウス「優秀なる魔女教徒を選別していたところにィ!」
イズモ「タイミングよかったな」
ペテルギウス「あなたに、資格がありますかぁ?」
イズモ「あると思うよ」
掌を開く。
光。
そこに現れたのは、黒く歪んだ小さな物体だった。
生き物。
とも。
機械。
とも言い切れない。
脈打つように形を変えている。
ペテルギウスの表情が止まった。
イズモ「これ」
自分でも正体は分かっていない。
異世界転移。
使徒化。
転生。
そのどこかで、自分の中へ残されたもの。
イズモ「多分、上が転生した時に付けたマーカー」
ペテルギウス「それは……」
男が近づく。
目がそれだけに集中する。
イズモ「どう?」
イズモは一歩。
わざと前へ。
ペテルギウス「素晴らしい……!」
イズモ「そっか」
小さく笑う。
イズモ「ユウリ」
ペテルギウス「?」
イズモ「今」
背後。
銀色の一閃。
ユウリの剣が、ペテルギウスを貫いた。
ペテルギウス「――ぁ?」
理解する暇すらなかった。
ビル爺が続く。
首。
一撃。
男の身体が崩れる。
イズモ「……よし」
ユウリ「随分と卑怯な作戦だな」
イズモ「正々堂々やって前回死にかけたから」
ユウリ「前回?」
イズモ「後で話す」
その瞬間。
景色が揺れた。
イズモ「……来る」
色が溶ける。
洞窟が消える。
◆
花畑。
イズモ「……」
鮮やかすぎる。
青空。
無数の花。
甘い香り。
現実よりも、現実らしい。
イズモ「幻覚」
ユウリ「そのようだ」
地面が動いた。
触手。
イズモ「!」
カウンターソード。
一閃。
触手を切る。
だが。
別方向。
十。
二十。
ビル爺「これは――」
イズモ「全部本物だと思って対処!」
花畑を走る。
触手。
切る。
避ける。
そして。
一瞬。
世界が崩れた。
花。
空。
光。
全て消える。
再び洞窟。
イズモ「戻った……」
周囲を見る。
倒れている騎士。
傭兵。
魔女教徒。
イズモ「おい!」
反応。
ある。
死んではいない。
イズモ「ユウリ!」
ユウリ「分かっている」
精霊術。
複数の光が集まる。
イズモ「全員起こせる?」
ユウリ「可能だ」
一拍。
ユウリ「だが、少し君の力を借りる」
イズモ「俺?」
精霊たちが。
何故かイズモの周囲にも集まってくる。
イズモ「……うわ」
光が増える。
さらに。
増える。
イズモ「うっわ、これアルミサエル並みにきっつい!」
身体の中へ何かが流れ込む。
ユウリ「力を抜け!」
イズモ「無茶言うな!」
ユウリ「精霊が君へ集中している!」
イズモ「なんで!?」
ユウリ「君、精霊との親和性が高すぎるぞ!」
イズモ「知らないよ!」
光。
一気に広がった。
倒れていた者たちが次々と息を吹き返す。
イズモ「……」
膝をつく。
イズモ「これは……二度とやりたくない」
ユウリ「私も同感だ」
◆
足音。
イズモ「?」
洞窟の外。
誰かが走ってくる。
ラム「イズモ!」
イズモ「ラム?」
無事。
その事実だけで、一瞬胸が軽くなった。
イズモ「よかった」
ラム「喜んでいる場合ではないわ」
イズモ「何?」
ラム「こっちでも大変なことになっているの」
カエデ『警告』
イズモ「!」
外。
森。
巨大な魔力反応。
木々の向こう。
花。
ただし。
先ほどの幻覚とは違う。
巨大な花弁。
中央には口。
無数の触手。
イズモ「……魔獣か」
ラム「さっきから何人も幻覚を見せられてるわ」
イズモ「さっきのと同じ系統か」
上空。
衛星接続。
残っている武器投下衛星。
イズモ「全員」
武器を構える。
イズモ「幻覚注意!」
カエデ「了解」
ユリウス「はい」
イズモ「カエデ」
カエデ「うん」
イズモ「衛星レーザー照準」
上空。
光。
レーザーが地面を走る。
魔獣が身をよじる。
イズモ「今!」
ガトリング。
魔法。
剣。
同時攻撃。
触手が飛ぶ。
ユリウスが斬る。
ビル爺が本体へ踏み込む。
カエデの射撃。
イズモのガトリング。
最後。
衛星レーザー。
花型魔獣が断末魔を上げる。
巨体が崩れた。
イズモ「……終わり?」
カエデ「周辺スキャン」
衛星映像。
複数。
イズモ「待って」
目を細める。
移動中の竜車。
エミリア。
そして。
荷台。
火魔法石。
爆発物。
大量。
イズモ「まずい」
ラム「何?」
イズモ「エミリアの竜車」
拡大。
イズモ「危険物積みすぎ!」
ラム「それが?」
イズモ「今残党に襲われたら爆発する!」
すぐに立つ。
イズモ「六人乗りVTOL作る」
レム「イズモ君!」
イズモ「一基だけ!」
創造。
光。
六人乗り。
イズモ「レム、カエデ、ユウリ!」
ユウリ「今度はユリウスで構わない」
イズモ「やっと戻った」
ユリウス「さすがに面倒になった」
イズモ「乗って!」
◆
VTOLが上昇。
エミリアの竜車へ。
途中。
敵影。
カエデ「魔女教反応」
イズモ「残党か」
さらに。
別の反応。
ペテルギウスと似た魔力。
イズモ「……まだいる」
ユリウス「憑依か?」
イズモ「多分」
イズモ「面倒だな」
武器投下衛星。
照準。
イズモ「燃やす」
レーザー。
森の一角。
敵影が消える。
別方向。
残党。
第二射。
イズモ「カエデ、残りは?」
カエデ「ほぼ消失」
イズモ「よし」
竜車。
見えた。
イズモ「エミリア――!」
銀色の髪。
こちらを見る。
エミリア「イズモ!」
イズモ「止まって!」
VTOLを接近させる。
荷台。
魔法石。
一部が破損している。
イズモ「やっぱり」
ハッチを開く。
イズモ「爆発する!」
エミリア「え?」
イズモ「こっち乗って!」
乗員をVTOLへ移す。
エミリア。
護衛。
最後。
イズモ「カエデ、オート!」
カエデ「了解」
イズモは竜車へ飛び移った。
エミリア「イズモ!?」
イズモ「危険物だけ捨てる!」
荷台。
破損した火魔法石。
一つ。
二つ。
掴む。
投げる。
イズモ「これで――」
最後。
ひび割れている。
熱。
イズモ「……あ」
爆発。
◆
音がない。
身体が浮く。
視界が白い。
そして。
暗転。
◆
草。
柔らかい。
風。
イズモ「……」
目を開ける。
最初に見えたのは、銀色だった。
イズモ「……って」
少し顔を動かす。
エミリア。
イズモ「ここは?」
エミリア「あなたが倒れた近くの平原」
イズモ「……そっか」
身体を起こす。
痛い。
だが生きている。
イズモ「また助けられたな」
エミリア「それ、私の台詞なんだけど」
イズモ「そう?」
エミリア「そうよ」
少し沈黙。
空は青い。
魔女教。
白鯨。
全部終わった。
少なくとも。
前回のようにはならなかった。
イズモ「……」
エミリア「どうしたの?」
イズモ「ユリウスと戦った時さ」
エミリア「うん」
イズモ「あいつに言われた」
草を握る。
イズモ「なんで、そこまでエミリアのために戦うんだって」
エミリアが黙る。
イズモ「前は上手く答えられなかった」
少しだけ視線を逸らす。
こういう話は。
戦闘より苦手だ。
イズモ「仲間だからっていうのもある」
イズモ「王選を手伝いたいのも本当」
一度。
息を吸う。
イズモ「でも」
エミリアを見る。
イズモ「それだけじゃない」
エミリア「……」
イズモ「好きだから」
言った。
イズモ「エミリアのこと」
今更引っ込められない。
イズモ「だから傷ついても助けたいって思う」
少し考え。
イズモ「いや」
訂正する。
イズモ「傷つく必要がないなら、その方がいいけど」
エミリア「……ふふ」
イズモ「笑う?」
エミリア「イズモらしいと思って」
イズモ「そう?」
エミリア「うん」
イズモはもう一つだけ。
ずっと考えていたことを口にする。
イズモ「君と」
少し間。
イズモ「国を作りたい」
エミリアの目がわずかに大きくなる。
イズモ「君が王になる国」
イズモ「俺も隣で支える」
イズモ「そういう未来にしたい」
風。
草。
銀色の髪が揺れる。
エミリアはしばらく何も言わなかった。
やがて。
柔らかく笑った。
エミリア「私も」
イズモ「……」
エミリア「イズモと一緒に」
小さく。
だが、はっきり。
エミリア「そんな国を作れたらいいなって思う」
イズモ「そっか」
それ以上。
今は必要なかった。
エミリアが立ち上がる。
手を差し出す。
エミリア「みんな待ってる」
イズモ「全員無事?」
エミリア「うん」
その一言。
それだけで。
前回とは違うと、ようやく実感できた。
イズモはエミリアの手を取った。
イズモ「じゃあ」
立ち上がる。
イズモ「帰ろう」
エミリア「うん」
二人は並んで歩き出した。
今度こそ。
誰も失わなかった戦場を、後ろに残して。