意識が浮上した。
最初に見えたのは、白い天井だった。
均一な照明。
規則正しく並ぶパネル。
空調の低い駆動音。
イズモ「……あれ」
身体を起こす。
見覚えがありすぎる。
研究設備。
端末。
自動扉。
イズモ「なんでクデュック?」
つい数秒前まで。
自分は聖域にいた。
倒れたエミリアへ駆け寄り。
触れた瞬間に。
意識を失った。
イズモ「もしかして……」
窓の外。
見慣れた都市。
見慣れた技術。
見慣れた世界。
イズモ「戻れた?」
胸の奥に張りついていた緊張が、一気にほどけた。
ハルヒ「何よ」
イズモ「!」
すぐ横。
ハルヒが呆れたような顔で立っている。
ハルヒ「いきなり起きたと思ったら、そんな呆けた顔して」
イズモ「ハルヒ……」
ハルヒ「なによ?」
イズモ「今、何年?」
ハルヒ「は?」
イズモ「いいから」
ハルヒ「二〇四五年五月二十一日」
イズモ「五月二十一……」
記憶を辿る。
イズモ「ゼーレ壊滅作戦の後か」
ハルヒ「何よ、今さら」
間違いない。
自分の時間。
自分の世界。
帰ってきた。
そう確信した瞬間だった。
エミリア「イズモ……」
イズモ「……」
声。
ここにいるはずがない。
振り向く。
銀色の髪。
紫紺の瞳。
エミリア。
イズモ「エミ……リア?」
エミリア「大変だったね」
柔らかく微笑む。
エミリア「ずっと、助けてくれてありがとう」
イズモ「……」
ハルヒ「エミリア?」
視界が揺れた。
イズモ「……あれ」
頬を伝う。
涙。
止まらない。
ハルヒ「ちょ、ちょっと」
イズモ「……ごめん」
喉が詰まる。
イズモ「ちょっと……抑えきれなくてさ」
ハルヒ「何があったのよ」
答えようとして。
できなかった。
死んだエミリア。
ラム。
ロズワール。
泣き崩れたレム。
凍りつく世界。
時間を巻き戻して。
白鯨を倒して。
魔女教を潰して。
それでもレムは倒れた。
全部。
ずっと。
止まる暇がなかった。
ハルヒ「……ミクル、呼ぶ?」
イズモ「……うん」
それだけ答えるので精一杯だった。
◆
ミクル「イズモくん……?」
イズモ「……」
胸元へ顔を埋めた瞬間。
最後に残っていたものまで切れた。
涙が溢れる。
イズモ「ずっと……」
声が震える。
イズモ「ずっと負の感情、押し殺してきた」
ミクル「……はい」
イズモ「仲間が死んでも」
息を吸う。
イズモ「泣く暇もなく次やって」
イズモ「また誰か死にそうなら助けて」
イズモ「それの繰り返しで」
腕へ力が入る。
イズモ「正直……きつかった」
ミクルは何も急かさなかった。
ただ。
背中へ手を置く。
イズモ「でも」
少しずつ。
呼吸を整える。
イズモ「それも今日で終わりにする」
ミクル「……」
イズモ「もう俺一人で」
言葉を探す。
イズモ「世界全部背負うみたいなこと、やめる」
誰かを守ることはやめない。
助けることも。
戦うことも。
だが。
全部を一人で抱える必要はない。
イズモ「頼れる時は頼る」
イズモ「無理なら無理って言う」
イズモ「誰かがいるなら、一緒にやる」
ミクル「……はい」
イズモ「ただ」
身体を離す。
イズモ「俺、また向こうに戻る」
ミクル「……分かっています」
イズモ「エミリアたち残してきた」
イズモ「レムもまだ目覚めてない」
イズモ「終わってない」
ミクルは少し寂しそうに。
それでも笑った。
ミクル「分かりました」
イズモ「ごめん」
ミクル「謝らなくていいです」
イズモ「みんなには――」
ミクル「私から伝えておきます」
イズモ「……ありがとう」
◆
研究室の輪郭が揺らいだ。
イズモ「……?」
壁。
床。
ハルヒ。
ミクル。
すべてが白い光へ溶けていく。
イズモ「やっぱり」
現実ではなかった。
次に立っていたのは。
白と黒しかない空間。
テーブル。
椅子。
そして。
強欲の魔女。
エキドナ「おかえり」
イズモ「……試練か」
エキドナ「気づいた?」
イズモ「途中から」
椅子へ腰を下ろす。
イズモ「じゃあ、さっきのクデュックも」
エキドナ「君の記憶を使って再現したものだよ」
イズモ「なるほど」
一拍。
イズモ「うち、来る?」
エキドナ「……何が?」
イズモ「暇なんだろ」
エキドナ「いきなり勧誘されるとは思わなかったな」
イズモ「研究者多いし、話し相手には困らない」
エキドナは少し笑う。
エキドナ「魅力的ではあるけれど」
首を振った。
エキドナ「僕はこの世界に残るよ」
イズモ「そっか」
無理に誘う理由もない。
イズモ「で」
テーブルに肘をつく。
イズモ「試練って、これだったの?」
エキドナ「そうとも言えるし」
微笑む。
エキドナ「そうでないとも言える」
イズモ「曖昧だな」
エキドナ「君にとって、過去そのものはそこまで強い障害ではなかった」
イズモ「まあ」
エキドナ「でも」
エキドナの目が細くなる。
エキドナ「抱え込むことをやめるきっかけにはなった」
イズモ「……」
エキドナ「意識は確実に変わったよ」
イズモ「そっか」
少しだけ考える。
イズモ「じゃあ」
周囲を見る。
イズモ「あんたの虚数空間に、俺の記憶を投影した感じ?」
エキドナ「概ね正解」
イズモ「了解」
エキドナ「理解が早くて助かるよ」
イズモ「で、終わり?」
エキドナ「残念ながら」
笑う。
エキドナ「あと二つ」
イズモ「マジか」
エキドナ「次の設問も頑張ってね」
イズモ「学校のテストみたいに言うなよ」
世界が切り替わった。
◆
イズモ「――っ」
青白い遺跡。
聖域。
現実へ戻った。
イズモ「エミリア!」
すぐに走る。
少し離れた場所。
エミリアが座り込んでいた。
肩が震えている。
イズモ「大丈夫か?」
エミリア「違うの……」
イズモ「?」
エミリア「私……」
呼吸が乱れている。
目の焦点も安定しない。
イズモ「エミリア」
肩へ触れる。
イズモ「見たものは、今ここにある現実じゃない」
エミリア「でも――」
イズモ「偽物だ」
強く。
だが、声は荒げない。
イズモ「少なくとも今、君の前にあるものじゃない」
エミリア「……」
イズモ「大丈夫」
イズモ「俺はここにいる」
しばらく。
エミリアは動かなかった。
身体の消耗も大きい。
イズモ「今日はもう休もう」
エミリア「でも試練が……」
イズモ「明日でいい」
光。
医療用ポットを生成する。
エミリア「これ……」
イズモ「寝るだけ」
エミリア「イズモ」
イズモ「無理して続けても意味ない」
エミリアを内部へ横たえる。
生命反応。
問題なし。
鎮静。
最低限。
イズモ「ラム」
ラム「何?」
イズモ「この世界の薬草、詳しい?」
ラム「あなたよりは」
イズモ「眠りやすくするやつ欲しい」
ラム「なら」
いくつか選ぶ。
イズモが成分を解析。
量を調整する。
ラム「香料に混ぜれば、穏やかな催眠作用になるわ」
イズモ「助かる」
少量をポットへ。
ラム「悪夢は見ずに済むはず」
イズモ「ここの植物事情疎いからありがたい」
装置が閉じる。
エミリアの呼吸が、ゆっくり安定した。
◆
イズモ「……?」
いつの間にか。
入口に小柄な少女が立っていた。
見た目。
また子供。
イズモ「君は?」
少女「リューズ・ビルマ」
杖をつく。
リューズ「一応、この集落の代表ということになっておる」
イズモ「代表」
少し見る。
イズモ「……この世界」
リューズ「何じゃ?」
イズモ「年齢と見た目が一致しない人多すぎない?」
リューズ「失礼な奴じゃの」
イズモ「ごめん」
その時。
医療ポット。
駆動音。
イズモ「お」
蓋が開く。
イズモ「治療終わったみたい」
すぐ近づく。
エミリアの目が開く。
イズモ「おはよう」
エミリア「……」
ゆっくり起きる。
エミリア「待って」
周囲を見る。
エミリア「なに、これ?」
イズモ「治療ポット」
エミリア「また変なの作ったの?」
イズモ「変なのではない」
エミリア「十分変よ」
イズモ「この世界の薬草から薬作って、休んでもらってた」
エミリア「……」
イズモ「体調は?」
エミリア「少し楽」
イズモ「ならよし」
◆
翌朝。
ラム「イズモ」
イズモ「ん?」
ラム「一つ忠告」
いつもより声が低い。
ラム「ここでは誰が味方で、誰が敵か分からない」
イズモ「……」
ラム「エミリア様を守って」
イズモ「もちろん」
ラム「あなた自身も含めてよ」
イズモ「俺?」
ラム「昨日みたいに勝手に消えるなという意味」
イズモ「……はい」
◆
その夜。
遺跡。
試練。
イズモは外で待った。
中へは入らない。
エミリア本人がやると言ったから。
信じる。
それだけ。
しばらくして。
足音。
イズモ「……」
エミリアが出てくる。
気絶はしていない。
だが。
泣いていた。
イズモ「エミリア」
エミリア「ごめんね……」
声が震える。
エミリア「また、失敗しちゃった」
イズモ「謝る必要ない」
エミリア「でも」
イズモ「試練って」
少し考える。
イズモ「敵を倒すものじゃないだろ」
エミリア「……」
イズモ「過去の記憶と向き合う」
エミリアの目が揺れる。
イズモ「そういうやつじゃない?」
エミリア「……なんで分かるの?」
イズモ「俺も受けた」
エミリア「え?」
イズモ「昨日」
隣へ座る。
イズモ「それに、昨日の君」
イズモ「明らかに何か後悔してる顔だった」
エミリア「……」
イズモ「精神的には」
空を見る。
イズモ「一番きついやつだな」
エミリア「イズモは……できたの?」
イズモ「突破はした」
エミリア「なら」
イズモ「でも」
すぐ遮る。
イズモ「俺が代わりにやっても意味ない」
エミリア「……」
イズモ「多分、俺なら君の試練でも無理矢理突破できる」
イズモ「ATフィールドで弾くとか、別の方法探すとか」
イズモ「でも」
エミリアを見る。
イズモ「それじゃ駄目なんだろ」
イズモ「エミリア自身が向き合わないと」
しばらく沈黙。
イズモ「怖いなら」
少し笑う。
イズモ「精神攻撃も俺のATフィールドみたいに弾き返してやる、くらいでいい」
エミリア「そんな簡単じゃないわよ」
イズモ「知ってる」
エミリア「……イズモのばか」
イズモ「なんで?」
エミリア「そんな優しく言われたら」
目元を拭う。
エミリア「できないなんて言えないじゃない」
イズモ「できない日はできないでいいよ」
エミリア「もう」
イズモ「大丈夫」
イズモ「何があっても、俺はいる」
エミリア「……」
イズモ「明日でも」
イズモ「その次でも」
エミリア「甘やかさないで」
イズモ「じゃあ何て言えばいい?」
エミリア「……」
立ち上がる。
エミリア「信じて」
イズモ「うん」
エミリア「待ってて」
イズモ「分かった」
それ以上は言わなかった。
◆
数日。
聖域の住民たちとも話した。
結界。
試練。
外へ戻ることへの不安。
一人ずつ。
無理に急かさず。
最終的には、外へ戻りたい者から順に移動することで話がまとまった。
イズモ「これで一つ終わり」
だが。
まだ残っている。
レム。
王都の襲撃者。
そして。
エミリアの試練。
イズモ「一度屋敷戻るか」
レムの状態も確認したい。
衛星通信を開く。
その瞬間。
警告。
カエデ『イズモ』
イズモ「どうした?」
カエデ『ロズワール邸、侵入反応』
イズモ「誰?」
映像。
黒い服。
湾曲した刃。
イズモ「……」
覚えている。
忘れるはずもない。
イズモ「またあんたか」
即座に転送準備。
◆
ロズワール邸。
夜。
廊下。
暗がり。
殺気。
イズモは足を止める。
イズモ「隠れなくていいよ」
返事はない。
イズモ「奇襲のつもりなら」
少しだけ横を見る。
イズモ「遅い」
闇。
女が姿を現す。
エルザ「久しぶりね」
イズモ「屋敷に入った瞬間」
端末を見せる。
イズモ「もう全部情報回ってる」
エルザ「なら、なぜ迎撃しなかったの?」
イズモ「レムがいる」
視線が鋭くなる。
イズモ「屋敷ごと攻撃するわけにはいかない」
エルザ「優しいのね」
イズモ「違う」
一歩。
イズモ「優先順位の問題」
光。
高周波ブレード。
イズモ「前は」
刃が起動する。
イズモ「初見だった」
エルザが笑う。
イズモ「今回は違う」
ATフィールド。
屋敷内部の警備網。
カエデ。
すべて接続。
逃走経路。
封鎖。
イズモ「レムに危害が及ぶ可能性があるから、今まで動かさなかっただけだ」
エルザ「ふふ」
湾曲した刃を構える。
エルザ「素敵」
イズモ「……覚悟はいいな」
一歩。
イズモ「腸狩り」
二人の間で。
空気が張り詰めた。