彼をとても愛しいと思う。愛している。愛している。愛している。愛している。愛している────。あふれる想いはいつも燃えていた。純度を増していく愛はすべて熱を持ち、エネルギーとなり、清姫の魔力でできたカラダをぐるぐると渦巻いては、ときどきこぼれていく。火の粉がぽろぽろと彼に降りかかるたび、彼はいとおしげに瞳をとろりと溶かして清姫を抱きしめてくれる。小さな火傷がいくつできたって、それは今の今まで変わらなかった。
けれど、けれども。初めてあったときよりもたくましくなった胸に頭をこすりつけ、清姫は目を伏せる。盾の守護があっても彼は所詮人間。清姫の焦げ付くような激情は遅かれ早かれ彼を焼くだろうと、彼女もどこかで思っていた。そうしたらまたひとりぼっちだ。こんなに愛しているのに。
──愛しているからこそ。愛すれば愛するほど、炎はとぐろを巻いて彼をキリキリと締めつける。彼が灰になる未来を幻視してしまう。嫌だ嫌だと首を振っても、その不安はほんのときどき清姫の胸にやって来るのだ。
想いが深くなるたびに、彼が小さな傷を負うのはとても悲しい。人の身に清姫の炎は熱いだろう、痛いだろう、苦しいだろう。彼の痛みを思っただけで清姫の胸は張り裂けそうになる。いくら謝っても足りないし、手ずから手当もして、炎の制御も繊細なものへと変えた。傷つけたいのではない。寄り添っていたい、寄り添わせてほしい、大事にしたい、大事にしてほしい。
それなのに、時折漏れる愛はちりりと彼の肌を焼く。きっと清姫は恐れているのだ。安珍のように、彼が清姫の前から逃げ出して、交わしたはずの愛がすべて嘘となって崩れていくことを。そうなる前に食べてしまえたら──ああ、でも食べたらなくなってしまう──食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、食べたい、でも、嗚呼────。測定不可能の狂気はぐるぐると彼女の中を巡り続ける。
愛している。愛しているのだ。愛しているから、ひとつになりたい。
「ああ、旦那様……」
ほう、と熱っぽい吐息がこぼれる。ついでにちょっと火の粉が落ちた。あらわたくしったらはしたない。両手で口許を隠し、落ちた火の粉がなにかに燃え移る前にぱたぱたと消した。
もう起きておられるだろうか。清姫があまりに積極的に夜這いをするから(本人は添い寝くらいしか考えていないものの)、マスターの貞操の危機を感じた大人たちや彼の後輩によって、マスターが寝ている間、清姫は彼の部屋へ出入りを禁止されている。まあ、たった今ドアの前で待ち伏せているわけだが。中に入らなければいいのだ、中に入らなければ。禁止されているのはあくまで室内に入ることなのだし。
はあ、と憂うように清姫は扇の下でため息をこぼした。我慢はできる、我慢は。ちろりと腹の中が熱くなって、そのまま火を噴いてしまいそうになることが多々あっても、我慢している。他ならぬマスターのためならば、清姫はいくらでも耐える。いくら清姫がマスター以外の人間、生物、森羅万象のすべてに興味がなくとも、彼はそうではない。マスターは多くのサーヴァントを従えなければならない。世界を、人類を救うために。
それは仕方のないことだ。だからバーサーカーでありながら、清姫は必死に我慢している。けれども出入り禁止を突きつけられたときのショックはひどかった。そのまま竜に変わってしまいそうなくらい、目の前が真っ暗になった。あとから恥ずかしくなるくらい取り乱して、偶然清姫のことを呼びに現れた彼に抱き着いたほどである。彼に嫌われてしまったのだろうか、あの優しさは嘘だったのかと彼の元へ飛び込んでしまったのだ。平素ならありえないことである。貞淑であれと育てられた姫君だ、殿方に抱き着くなどあり得ない。
彼は胸に縋りついた清姫に、目を大きく見開いていた。しかし泣きじゃくりながら切々と「わたくしのこと、お嫌いですか」と訴えてきた清姫を優しく抱きしめてくれる。あまつさえ、「君のことを嫌うなんてありえない。大好きだよ、俺の清姫」と穏やかに囁いて、ぽろぽろと落ちる涙をぬぐってくれたのだ。天にも昇る気持ちだった。今度は嬉しくて、嬉しくて嬉しくて……涙が止まらなくなってしまったけれど。
彼は清姫が泣き止むまでずっと寄り添ってくれていた。優しく背中を撫で、たった一つしかない心臓の音を聞かせてくれた。それがなおいっそう嬉しくて、清姫は、ああ、この人こそ安珍の生まれ変わりだと安堵したのだ。こんなに愛しているのだから安珍でないはずがない。
かつりかつりと几帳面な靴の音がする。扉越しでも聞こえる。あの人の足音だ。ぱちっと彼女は目を開ける。清姫が間違えるわけがない。ぱっと念入りに梳かした髪をさらに手櫛で整えた。衣服に乱れがないか確認し、最高の笑顔を浮かべる。この扉からすぐにあの人が出てくるだろう。どきどきと胸が高鳴る。その緊張に酔っていたい。恋とはこんなに幸せなのか。思考がふわふわと飛び立ってしまいそうだ。プシュッと音を立てて、自動扉が開く。目の前には愛しのだんなさまが立っている。
「おはよう、清姫」
ほら。清姫は頬を染め、とろけるように微笑んだ。彼女の笑みは女神と比べても遜色がないくらい、美しかった。
「おはようございます、旦那様」
声は花の蜜のように甘く、唇から落ちる吐息は炎のように、あるいは花弁のように。とてとてと腕を広げて彼女は近寄る。西洋のサーヴァントたちがやっているあいさつ、「ハグ」を真似てみたのだ。少しはしたないかしらと頬を染めつつ、清姫はマスターの顔を見上げた。
数回瞬いたあと、彼はくすりと、かわいいものを見つけたように笑う。そのまま、少年は海のような目を優しく細めて、清姫の抱擁を受け入れた。発達途中の細い腕が清姫の背中に回る。どくり、どくりと仮初めの心臓が脈打つ。全身の血液が炎になったのかと錯覚するほど身体が熱い。
幸せでどうにかなりそうだった。愛する人と抱き合っている。それがほんの短い間だろうと、清姫の心はたっぷり満たされていくのだ。夢が叶ったと、あふれる愛で胸が打ち震える。また泣いてしまいそうなくらい、幸せだ。
するりと彼女の手を取って、マスターは長い廊下を歩きはじめる。さりげない気遣いにきゅんとした。
一緒に寝ることができなくても、朝起こしに行くことができなくても、彼は清姫を愛してくれている。清姫の器からあふれてしまいそうなくらい、清姫が望んだ愛を、彼は注いでくれる。彼が自分を愛してくれていることを知っているから。それだけで清姫の心は満ち足りる。幸せとは彼のことを言うのだ。
「今日はわたくしが朝ごはんを用意したんですよ。早く召し上がってくださいまし」
「ああ、今日は水曜日だったね。ありがとう。エミヤの料理ももちろん好きだけど、清姫の作る料理も大好きだから、いつも待ち遠しくなってしまうんだ」
「まあ! まあまあ! この清姫、もっともっと精進いたします! 旦那様の血肉になるものですもの、とびっきりおいしくて、栄養バランスの整ったものを、いっそう腕によりをかけてお出ししますわ!」
「本当? 嬉しいな。でも、無理はしなくていいんだからね」
「旦那様に関することなら、たとえ溶岩の中、深い海の底、なんだって無茶ではありませんのよ。わたくし、あなたさまのためならば、なんだってできます」
えへんと胸を張った。「さすが俺の清姫、ありがとう」そう微笑む彼がいるに違いないと──絶対、喜んでくれるに違いない。清姫はそう思っていた。だって今、自分はサーヴァントとしてこれ以上なく正しいことを言っている。主の命令を忠実にこなすのがしもべの役割だと、主従関係に疎い清姫は信じていたのだ。清姫は一介の姫君に過ぎず、彼を導くことはできないだろう。ならば、自分がマスターのためにできるのは、身を捧げ、命令に従うことくらいだ、と。
けれど、彼は少しだけ悲しそうに、憂うように目を伏せた。
「……気軽に、なんでもできるなんて言っちゃダメだ。もし、本当にもしもだけれど、なにかの間違いで、俺が君に『死ね』と命令したって、それを叶えてはいけないよ」
きょとんと清姫はマスターの顔を見る。なにを言われているのかわからない。
「なぜですか? わたくし、それが嘘でなければ喜んで死にます。旦那様のためならば、わたくしの命、存分に使ってくださって構わないのに」
「君が死んでしまうのが、悲しいから」
少しだけためらって、困ったように彼は笑った。眉を下げて、細められる目の奥にあるのは、清姫を案じるこころだ。かあっと頬が熱くなる。この人は本気で言っている。嘘をついたら清姫は彼から令呪を一画奪うというのに、本気で、清姫を大切に思い、心配しているのだ!
清姫は今にも膝をついてむせび泣きたい心地だった。
なんて慈悲深い! 一時しか存在しない、すでに死んでいる──英霊の末端に過ぎぬサーヴァント、清姫を尊重してくれる! 使い潰されるような、彼女のあってない命というものを惜しんでくれる! 清姫は内心で快哉を叫ぶ。ああ、サーヴァントとして現界するわたくしは今までもこれからも増え続けるだろうが、こんなにも愛される「わたくし」は絶対現れないだろう!
感極まって、清姫はそのままマスターの手を強く握った。このまま撫でてもらえたら融けてしまいそうなくらい幸せだろう……。夢想をしながら、あくまで貞淑に、彼女は囁く。
「わたくし、あなた様に愛されて、これ以上ないくらい幸せです」
「それはよかった」
彼の愛は彼の瞳のようだった。青い目はきらきらと穏やかに輝き、凪いだ海面のように清姫の心をどこまでもどこまでも優しく包んでくれる。受け入れてくれる。生前、身を沈め天へと昇る清姫を受け入れた、母なる海のように。受け入れられたことで、清姫の燃える恋心も少しずつ形を変えていく。本人も知らないところで、彼女を狂わせた激情の恋は、やわらかな愛へと、ゆっくり、時間をかけて変わっていくのだ。それはバーサーカーの彼女には不要だろう。けれども。愛し愛されることは、「彼女」の全部が求めていたことだった。
ふと、視線をさまよわせた彼が、きゅうと清姫の滑らかな手を握り返す。
「誰か、君以外のたったひとりを愛したら、君は俺を殺すだろうね」
忘れたなにかを思い出すような口ぶりだった。しかし、東から昇った日が西に沈むように、それは真理を表している。ふわっと清姫は笑った。彼はとても清姫を理解している。
「はい。わたくし、嘘つきは嫌いですから。あなた様と契約が繋がっている間に、万が一にもそんなことがあったら────また鐘に閉じ込めて焼いて差し上げますわ。たくさんの下僕に囲まれて、愛を振りまいていても構いませんけれど、それは、駄目です」
「うん。だってそれは、あまりに不誠実だ。死んでも仕方ないね。君を愛すると言ったのだし」
誠意を以て君を愛そう。君が俺のサーヴァントでいてくれる限りは。それが、少年の返せるたった一つの報酬だから。少年はそう信じている。いっそ頑ななまでに。確かにそれは正しいことだ。まだ、この場にその危うさを指摘するほど、彼に近しいサーヴァントがいないのは、少なからず不幸なことであったが。
「君たちが望むなら、俺にあげられるものはなんでもあげたいって思うよ。心臓だってね」
ウィンクをひとつ。少年は茶目っ気すらにじませている。清姫は、情熱的な言葉にぽっと頬を染めた。