愛は鏡の中   作:鈴近

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掘りだしたらモノがあったので初投稿です。時系列は一部二章前くらい?


エクストラ小話
呼称による存在の固定化:ロビンフッド


「おかえりショーヴくん! やった、今日は噛まずに言えたぞぅ!」

「ただいま帰りました。ねえドクター、そんなに発音しづらいならショーンでいいって言いませんでした?」

「あはは、意地みたいなものだよ。今日こそは言うぞーって、ね? 日本語の名前はときどきびっくりするくらい発音しづらいから、次もうまく言えるとは限らないけど……」

「だからショーンでいいって言ってるのに。日本出身のサーヴァントくらいしかうまく言えませんよ、俺の名前なんて」

「ええーでもなあーせっかく言えたのになー」

 

 別に自分にはこだわりがあるわけでもないのに。菖蒲は小さく嘆息した。名前なんて、誰のことを指しているのかわかればそれで充分である。少なくとも菖蒲はそう思っている。ただの記号に過ぎない。

 まだ知り合って日の浅いサーヴァントたちはきっと、菖蒲の個人名などどうでもいいと思っているだろう。彼らにとっては菖蒲が「契約者の人間」だとわかっていればなにも問題ないからだ。マシュはすっかり先輩呼びが板に着いてきた。現在、このカルデアで菖蒲のことを名前で呼ぶのはロマニか、ダ・ヴィンチちゃん、あるいはスタッフたちくらいである。

 しかしこの人には変える気がないんだろうなと、唸るロマニをやや呆れた目で見た。そのまま肩を竦める。彼のちょっとした心遣いで、肩に入った力が抜けるのも事実だった。

 

「でも舌を噛んでも困るから、わざわざそんなチャレンジしなくていいです。俺のせいだと思うといたたまれない。呪文(スペル)だって馴染みのある言語を使うでしょう? それと同じです。最適化ですよ」

「でもさあ」

「ドクター?」

「……わかったよ、ショーンくん」

 

 彼は眉を下げ、頬をぽりぽり掻きながら頷いた。納得しているとはとても言えない表情だった。

 バイタルチェックを受け、なんの異常もないと診断されてから、マイルームへ足を向ける。途中すれ違うサーヴァントたちは、みんな、自分のことをマスターと呼びながらお疲れと手を振ったり、今日の夕飯はなにかとか、他愛のない会話を交わしていった。

 カルデアではサーヴァントにも食事や睡眠を勧めている。魔力不足は起こり得ないし、スタッフの大半も魔術師でサーヴァントにそれらが必要ないこともわかっている。わかっているのだが、人間の形をしている彼らが三大欲求を満たしていないのはどうにも居心地が悪い。食べることも寝ることも娯楽にはなる、いいから食って寝ろと言い始めたのは菖蒲だった。

 魔術師の端くれの端くれ、回路があって初歩魔術を習ったことがあるだけで、他は至って普通に育ってきた菖蒲には、自分がほとんど一般人であるという自覚がある。一人で食べる食事は味気ないし、マスターの自分は休息をとらなければ効率が落ちる……というのは、うまく働けない申し訳なさに繋がりやすい。あと同じ釜の飯を食うといくらか距離が近づく。会話だって同じ体験をしながらした方が盛り上がるってものである。戦闘を切り抜けることで心の距離が縮まるのもそういう理由なのではないか? つまりは心の問題なのだ。外部との連絡はできない、協力も取り付けられないが、カルデア内では自給自足が滞りなく行われている。天才さまさまであった。ダ・ヴィンチちゃんを拝むしかない。

 てくてく真っ暗な外を見ながら歩き──なにせここは地下だ──部屋のドアの前に立つと、横からぽんと肩を叩かれる。ああ、と菖蒲は彼を見上げた。

 

「ようショーン、おかえり。今日は種火の周回でしたっけ?」

「ただいま、ロビンフッド。うん、今日は弓の日だったからあとで思いきり吸収して/食べてもらうよ」

「うへえ~ほどほどにしてくださいよ~」

「はいはい」

 

 緑のフードを取っ払った彼は、本気で嫌そうに顔をしかめた。あまり霊基の強化が好きではないらしい。前にどうしてと尋ねたら、魂を改竄されているようでくすぐったいのだと彼は言った。

 くすくす菖蒲は笑う。サーヴァントの中で、一番友達のように菖蒲を呼ぶのが、このアーチャーだった。第一特異点で彼をさんざん引っ張り回したからか、それともあまりに余裕のないカルデアや、人類最後のマスターという大きな肩書きを背負わされた菖蒲に同情してか。最初はツンケンしていたくせに、彼は早い段階から、キャスターたちと同じように菖蒲と信頼関係を築いていた。

 ひねくれた物言いをするものの、根っこは善人で、回りくどくマスターの心配だってする。癖のある英霊たちの中で、彼は特に親しみやすい存在だった。元の精神構造が生まれながらの英雄とは違っていたのかもしれない。彼は自分が英雄とされることにも少しだけ、戸惑いを見せるだとか、オレはそんなんじゃないと顔を背けるようなところがある。まあなんというか、普通の青年のようだった。だからか菖蒲がガードを緩めるのだって比較的早かったわけだ。今では近所の兄ちゃんくらいの距離感である。

 

「ショーン?」

「いや、なんでも」

「ならいいですけど」

 

 わしわしと頭を撫でられ、菖蒲は目を細めた。夕食までの間、少し話そうと誘われて断る理由はない。こっくりうなずき、菖蒲はロビンフッドを部屋に招き入れた。

 

 カルデアに帰ってきて、開口一番に自分の名前を呼ばれる。それだけのプロセスで自分が人類最後のマスターから、ただのエセ魔術師・首塚菖蒲に戻れるような、そんな気がするのだ。いいことではない、と思う。求められているのは救世主であって一個人ではないのだから。そうやってまた、求められている在り方を夢想しては目を閉じる。今日もサーヴァントたちの過去を夢に見るだろうか。痛くないのがいい、と思いながら、菖蒲はレム睡眠に身を委ねた。

 

 

 夢の中で意識を得ると同時にワイバーンの群れが襲ってきた。思わず頭を抱える。自分の前には頼れるアサシンサーヴァントと緑衣のアーチャー、側には後輩。無惨にあの爪で身体を引き裂かれることはないらしい。少しだけ、肉体に入った余分な力が抜ける。

 

「先輩、指示を!」

「……ああ」

 

 まさかこんなにはっきりとした明晰夢で、サーヴァント一人一人に関係ない情景を見るとは思わなかった。これは菖蒲の過去だ。菖蒲の記憶だ。他の誰のものでもない。それだけあのワイバーン地獄や、相性の重要さが身に染みていたのだろうか。夢だし倒しても素材は手に入らないだろうなあと少しがっかりしつつ、菖蒲は指揮を振るい始める。

 冬木でもわかっていたことだが、この聖杯戦争──聖杯戦争と言うのが正しいかはこの際考えないことにする──で必要なのは、大量のサーヴァントと契約すること、エネミーの戦力を分析すること、彼らの力が発揮できる編成を組むことである。本来の形式では三騎士四騎の三竦みはないらしいが、今はある。つまりエネミーのクラスが限定されている状況ならば有利になるサーヴァントたちをまとめて編成することが最適なのだ。嫌でもそれがわかったのが、オルレアンでの旅路である。

 なにせ冬木の土壇場で引き当てたのがメフィストフェレス、次に契約したのはキャスターのクー・フーリン。悪魔と導くものに挟まれて行ったオルレアンは地獄だった。召喚サークルを設置するまでの間に襲ってくるワイバーンの群れはマシュに頼りきり。あれを思い出すといまだに頭痛がする。フランスにいる間に召喚した佐々木小次郎とサンソンに血路を開いてもらったようなものだ。

 燕を斬るためにキシュア・ゼルレッチ現象を起こす佐々木には本気で馬鹿じゃねーのと思った。武術で魔法に到達しないでほしい。学者やって魔法を目指してる魔術師が泣きそう。菖蒲が架空の時計塔にいる魔術師のために心を痛めるほどだった。現実逃避だった。

 一方で、サンソンはバーサーク・アサシンと遭遇した直後、あまり使い物にならなかったが。「あれは僕の側面ですがあなたと契約している僕ではないのですわかりますかマスター!!」とがくがく首を揺すられて吐きそうになった。一太刀で首を落としてきた処刑人がサーヴァントとなれば、人間だったときに増して筋力があって当然である。何回か意識が飛んだのは記憶に新しい。

 あまりのテンパり具合に、旅先で出会うこととなったアマデウスがゲラゲラ爆笑していた。助けてくれたのはマシュだった。お前本当に覚えておけよとねめつけたところで彼は面白そうに口を三日月にするばかり。

 

「創作者というものは基本的にクズなんだよ」

「へえ、奇遇だな。魔術師もそうだよ」

「だろうね。ブフフ」

「聞いていますかマスター!!」

「聞いてる聞いてる、自分の一面を受け入れるか決別したいなら倒すのが一番だと思うぞ」

「……オタク適当言ってません?」

 

 こういうやり取りをやや遠巻きに見ていたのが、召喚したばかりのロビンフッドだった。緑のマントで顔を隠していても呆れているのは声でわかる。それを菖蒲は一笑に付した。この頃は今みたいにマスターと呼ばれることもあまりなかったし、ましてや名前で呼ばれるようになるなんて考えたこともなかった。おいとか、アンタとか、そういう距離のある呼称だったように思う。

 

「どうして? 言ってないよ。サンソンがやる気になるなら充分だろ」

 

 実際彼は得物を握る手に力を加えたし、目もぎらりと輝いていた。王妃や音楽家と道行きを同じくしているだけで卒倒ものの衝撃だっただろうに、王妃を上手に殺そうとする自分が向こう/敵にいるのだ。狂気に染まった自分など見ていても楽しくない。むしろ自分の嫌悪している部分が前面に表れているようなものだ。多少パニックを起こしても仕方がないだろう。

 絞まった襟元を整え、菖蒲は頭を切り替える。コツコツとかかとを鳴らせば、軽口を叩いていた自分はどこかに行ってしまう。代わりに、どうやっても、なにをしても生き残ってやるという、獰猛な感情が表層に出てくるのだ。

 菖蒲があの旅を思い出すたびにシーンが切り替わる。今度はドラゴン娘たちが出てくるところだ。あれは遠くから見ている分には面白いかもしれないが、近くでやられると逃げ場がない。カルデアに来た清姫のアタックを思うと少しだけ背筋が冷たくなる。決して彼女のことが嫌いなわけではないのだが……うまく付き合わなければデッドオアダイというのが……。嘘をつかず、自分に正直に生きて、彼女を頼っている間は大丈夫だと思いたい。

 つい自分を守るように身体を抱きしめていたが、ふと菖蒲は顔を上げた。

 そういえば、ロビンフッドはエリザベートと清姫のキャット/ドラゴンファイトを目にしたとたん、するりと《顔のない王》を発動して引っ込んでいったが、なにか因縁でもあるのだろうか。起きたら聞いてみよう。ここではないところ、自分ではないマスターに召喚されたときの話はいくらでも聞いてみたい。彼らがどんなマスターを好み、どんなマスターを嫌うのかが一番わかるからだ。頭の端に書き留めて、ファブニールを遠目に見ていた。

 

「ショーン」

「ショーン」

 

 彼の声がする。いろんな人の声が混ざる。目を開けたところで、部屋には誰もいなかった。空調の音がする。朝特有の肌寒さがここにはない。それがなんだか、かりかりと、郷愁やさみしさを刺激するようだ。

 癖っ毛を軽くかき混ぜて、あとでロビンフッドを部屋に呼ぼうと思った。

 

「オレとあの竜娘の関係ぃ? そんなの聞いてどーするんです」

「気になったから」

「……昔のことはあんまり思い出したくありませんねえ。過去にすがるのは女だけで充分ですって」

「あ、やっぱりどこかの聖杯戦争で会ったことあるんだ。ふーん」

「ゲッ」

「まあ話したくないなら聞かないし。エリザベートが来たら聞けばいいし」

「勘弁してくれ! あのリサイタルはもう御免だ! ……はあ、いつからショーンくんはこんなに性格が悪くなったんですかね。お兄さん悲しい」

「それだ」

「は?」

「いや、昨日オルレアンの夢を見たんだけど、距離が縮まってからロビンフッドに名前で呼ばれること増えたなーと思って。なんで?」

「なんでって、ショーンって呼べって言ったのアンタでしょ」

「それはそうだけど、一回しか言ってないし、言葉通りに俺のことそう呼ぶのはロビンフッドだけだよ。古株のキャスター、クー・フーリンだって俺を坊主って言うしね。なんで?」

「うっ……あー……勘弁してくれませんか……」

「嫌だ。恥ずかしいの? そんなに照れるようなことしてるの? でも逃げるのはなしだからね」

 

 ちらちら右手の令呪を振ってみせると、ぐうと蛙が潰れたような声が出る。左手はがっつり彼のマントをつかんでいる。逃げ場はない。両手で顔を覆い、ううーっと唇をこれでもかと噛んで、目を固く閉じていたロビンフッドが根負けする方が早かった。

 

「……オレがロビンフッドの一人ってことは知ってますよね」

「もちろん。君が話してくれたんだ、忘れるわけがないよ」

 

 ロビンフッドは個人ではない。何人かの伝承が合わさってできたおとぎ話。リチャード一世の物語にもロビンフッドは出てくるが、菖蒲と契約したロビンフッドとは別人である。彼らはシャーウッドの森を拠点とするアウトロー集団、あるいは義賊とされている。それは彼の宝具、《顔のない王》からも察せられることだ。つまり彼は、概念や偶像に覆い尽くされた個人なのだ。山の翁たちの在り方が近いかもしれない。もっとも、ロビンフッドは自ら名乗るものではなくて、現地の人々が誰かの行いをロビンフッドのものであるとすることで生まれてくるものなのだが。

 

「顔隠して、名前も隠して、罠張りまくって奇襲かけて。英雄なんて柄じゃないっていうのは、オレが伝承のふりをして誰かを殺してたからなんですよ。オレは領主に反抗してただけ、英雄様のように偉大なことをやったわけじゃねーって」

 

 菖蒲はじっと彼の言葉を待った。ここで「それでも救われた人はいる」と言ってしまうのは、あまりにも薄っぺらで綺麗事が過ぎると思った。自分がそういうものを嫌うだけで、綺麗事を正しいとも間違っているとも思わない。けれど、そも、彼は慰めを求めているだろうか? 求めていたとして──それは菖蒲から与えられなければならないものか? ペラペラと、菖蒲から視線を逸らして壁を見つめたままロビンフッドはしゃべり続ける。本心じゃないと、本当のことではないと、必死で言い訳をしているようだった。

 彼はロビンフッドとして座に登録されたそのときから、親に名付けられた個人としての名を失っている。数多あるロビンフッドの一人として、彼はこのカルデアにいるわけだ。英雄としての行動・功績に、彼個人の情報はひとつも必要ない、と判断されたとも言える。

 

「で、このままアンタが世界救ったら、アンタもそういう顔のない英雄になっちゃうのかなーってあるとき思ったんですよ。アンタの顔も名前も削ぎ落とされて、功績だけが残って……って思うと、あんまりにもさみしいじゃないですか。ショーヴっていう年端もいかないガキがそんな概念になっちまうのなんざ、オレは御免だね。だって、アンタはその辺でぽやぽや笑ってそうなただの人間なのにさ」

「ははは」

「まあおまじないですよ、おまじない! あー女々しくて嫌になるぜ。オレはねぇ、マスター。アンタに人間でいてほしーんですよ。おわかり?」

「エゴだなあ」

「身も蓋もねえ!」

「うん、まあ、いいよ。俺のことを呼んでくれる誰かがいる限り、俺はたったひとり、人間以外のなにものでもないんだから。ありがたく受け取っておきます。それだけ想ってくれてるってことだろ。救われてしまうね」

 

 見ている人がいるほど首塚菖蒲はその存在を確かにするだろうから。そういう言葉は胸のうちにとどめる。菖蒲はロビンフッドを見上げて目を細めた。ロビンフッドは黙って彼の頭を撫でた。




だが手遅れである

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