じわじわ執着?感情?がでかいですが、BLになる予定はミリもないです。
夢を見た。幻を見た。夢であれと願った。
ふわりと、かすかに大気が揺れる。金の砂が散らばるようだ。召喚サークルの上には鎧を纏った男が一人。彼は恭しく頭を垂れる。
「セイバー、ベディヴィエール。此よりは貴方のサーヴァントとなりましょう。……あの?」
反射的に俺は目を覆い、深く呼吸をした。目の前のサーヴァントから目を逸らした。カルデアの召喚術式に合わせてグレードダウンしているであろう銀の腕は、鈍く黒ずんでしまっている。あんなに輝いていた銀の流星が。胸になにかが込み上げるようだった。慟哭のようにそれは暴れまわる。早く磨いてやらなければ。あれはあんな色をしていていいものではない。なによりも輝き、星の息吹をまとうもの。
貯蔵している種火の数、彼の再臨に必要だろう素材を脳内で計算する理性だけは冷静だ。それがなんだか馬鹿馬鹿しいくらいだった。
ちらりと、顔を覆う手はそのままに彼へ視線を戻す。彼の顔はやや緊張で固かった。そして、黙り込んでしまったマスターを前に困惑している。初めて会ったときのようだ。砂漠の匂いが鮮明に浮かび上がる。
わかる、わかるとも。それこそ手に取るように。短くとも、あの旅は濃密だった。言葉を交わすことの多かったマシュなら、俺よりももっと彼の感情の移ろいを敏感に察知したかもしれない。
「……いや、少しめまいがしただけだ。気にしなくていい。よろしく、ベディヴィエール」
「彼」が来てくれたのならベディと呼ぼうと思っていた。あのときのように。気恥ずかしそうにはにかんだ彼は、そう呼ばれることを許してくれていたから。
しかし、そんな都合のいい奇跡はこの身には降りかからなかったのだ。落胆することも、悲嘆することもできなかった。記録、記憶が残らなくても彼との縁は繋がっていて、彼が俺の助けを呼ぶ声に応えてくれたのは確かなのだから。嘆くのは裏切りになると思った。不誠実だと思った。
利き手を差し出す。彼も俺の意図を正確に理解したようだった。ほっとしたように、銀の腕を伸ばしてくれる。回路が通っているからか、人肌のように熱を持つ右腕と握手を交わしながら、俺はにっこりと笑った。
英霊として座に登録されること。召し上げられること。それは彼が死んでしまったことを突きつけてくる。それを悼むことくらいは、許されたい。聖剣を返すために長いときをさ迷い、かつての同胞たちと戦うこととなった彼。短いひととき、夢のようにあやふやな特異点で──余分な、ドレスの染みの上で出会った、肉をまとった彼が死んだことを、俺はどうしても────
◆◇◆
一瞬の激情が冷却されるのは早かった。特異点での戦いはなかったことになる、記録は残らない、サーヴァントに残るのは記録であって記憶ではない。残ったとしてもそれは本の一ページ。重要性の欠片もないわけだ。
知らず口元は笑っていた。己の小ささを知るようだ。……理屈はすぐに頭を満たす。自分の冷静さに感謝し、同時に人間らしさの欠落を感じた。もともと少なかったものが少しずつ削れていっているのかもしれない。これだけストレスが溜まる状況に追い込まれては当然か。毎日が死に物狂いなのだから。ベッドの上でぐうっと伸びをした。制服を素早く身に纏う。五分もしないうちに彼は部屋を出て、食堂に向かった。
敵対したことで縁が繋がるサーヴァントたちはたくさんいる。彼らはその記録を持ってなお少年をマスターと呼ぶし、負い目を感じているような素振りを見せることはなかった。知識として、サーヴァントとはそういうものだと知っている自分自身も、弁えた行動をとる。過去剣を交えたことがあろうが、その霊基が座に登録され、フェイトを通して菖蒲の呼び声に応えてくれるのなら、それは敵ではないのだ。おかしなことはひとつもない。
ではどうして彼のときだけああも落ち込んだかというと、それはやはり──とまで考えて、菖蒲は思考に蓋をする。
頬杖をつきながら燃え尽きる世界を思った。目を閉じるだけで赤と黒で埋め尽くされる街は容易く思い出せる。あれを元に戻すのに、この気持ちが必要とは思えなかった。
考えたってどうしようもないことだ。言ったところで困らせるだけだ。ならば、この気持ちが消えるまで放っておくしかあるまい。箱に蓋をして暗がりへやってしまうように心を分割した。
きょろりと周囲を見回し、目当ての人物を発見。そのまま菖蒲は彼のもとへ近づいた。彼はマスターを視認してぱっと微笑む。合理主義の塊が犬のように笑うのは、菖蒲自身もかすかに笑むほどだった。特異点で出会った彼とはまったくの別物、菖蒲のランスロットはこういう男であった。「おはよう」と言えば彼は優しげに目を細める。そのまま、ごく自然に立ち上がり椅子を引いてくれた。すとんと腰を下ろす。
「朝食はもう取った?」
「はい。今日はマダム・ブーディカのガレットを頂戴しました」
「それはよかった。ブーディカならブリテン所縁の英霊みんな可愛がってくれるしな。……あとでダ・ヴィンチちゃんのところで強化してもらうから覚えておいて」
「わかりました。今日はどちらを?」
「レベルとスキル。最終再臨までは終わったから、あとはギリギリまでやる。円卓最強は頼り甲斐があって助かるよ」
「はは、光栄の至り。マスターに頼っていただけるならサーヴァント冥利に尽きましょう」
また調子のいいことを言う。菖蒲は複雑そうに、いくらか眉を下げながら肩を竦めた。
このカルデアには、セプテムに行く少し前からバーサーカー・ランスロットが召喚されていた。もちろん彼とも菖蒲は親しくしている。バーサーカーゆえ、相互の言語による意思疎通は難しいが、彼は狂っていても非常にクレバーだ。エネミーの武器を奪っては宝具とすることもできるし、回避行動も俊敏。いささかコントロールしづらいところがあろうとも、戦闘に出なければ大人しいものだ。そしてひとたび戦場に立てば彼はこれ以上ないダメージディーラーとなった。霊格を取り戻すために種火をくべ続けたのも今となっては懐かしい。半年もたっていないはずだが、濃密な時間は記憶を遠く感じさせた。
彼がいたからなのか、それとも、第六特異点で出会う未来が確定していたのか──セイバーのクラスで、ランスロットが召喚に応じたのは、特異点エルサレム……いや、キャメロットを発見したときのことだ。名乗りを聞いてぎょっとしたものである。確かに、円卓の騎士というビッグネームを考えれば、セイバーのクラスで現れること自体はなんらおかしくないのだが……。思わず戸惑うくらいに、バーサーカーのランスロットがこのカルデアに慣れ親しんでいたわけだ。
彼は狂気に身を浸した自分を見てこれでもかというくらい顔をひそめた。その反応はもっともである。罪を罪として背負うことなく狂気に逃げた、という見方もできるからだ。とはいえ、バーサーカー・ランスロットは闘争本能に火をつけなければ大人しい類であり、常に憂鬱な空気を纏っている。気に入らないにしても消そうとはしてくれるなと念押しし、二人が極力顔を合わせずに済むよう気を回し続けた。その上でマシュに会わせたり(花の魔術師だの、盾を見たアーサー王の反応を見ればあらかた真名に見当はつく)、ガンガン連れまわし続けた結果がこれだ。すっかり第二の父のような存在である。口に出せばマシュが怒りやら羞恥やらで赤くなったり青くなったり一大事なので言ったことはないけれども。
この調子でキャメロットまで行った。できれば当時のことは、主に太陽の騎士絡みで恐ろしいことがありすぎて思い出したくない。忘れることは決してない。忘却などあり得ない。ただ思い出したくないのだ。獣となった騎士たちは恐ろしく、まぶしく、獅子王の綺羅星たちは菖蒲を焼き尽くさんと迫ってきた。それを羨ましいとも、恐ろしいとも思う。お前は覚悟を決めているかと問われたようだった。彼らを倒したからいまだ菖蒲は生きている。
きっと、踏みにじらざるを得なかったものたちを思い出して、自ら傷口をえぐってでも己を奮い立たせねばならないとき。菖蒲はあの記憶の封を解くだろう。ルシュドとその母のこと、アーラシュのこと、まばゆいファラオたちのこと、菖蒲たちがあの砂漠へ降り立ったときすでに欠けていた円卓のことを思いながら。
鉛色の息を吐きながら、菖蒲は持ってきたストレートの紅茶を口に含んだ。次の瞬間、ぱちり、と瞬きをする。続いて変な顔になった。妙に甘い。今日は砂糖もガムシロップも入れていないはずなのだが。首をひねった菖蒲の様子が面白かったのだろう、ランスロットはくすくすと小さな笑みをほころばせている。視線で問うと、彼は柔らかな雰囲気をまとったまま囁いた。
「難しい顔をなさっておいででしたので」
「……それはどうも」
「なにか、お悩みですか?」
「そのうち解決するよ」
柔らかな拒絶。ランスロットは憂うように眉を下げる。わかっていて菖蒲は無視した。
ぐいっとカップの中身を煽る。甘さの溶けたそれは身体の隅々まで染み込むようで、頭が少し軽くなった。助かったという言葉と共にランスロットの肩を叩き、席を立つ。素材の在庫を確認しにいかなければ。
そう思いつつ食堂を出る。ちょうどベディヴィエールが入ってくるのと入れ替わりだった。「や」とだけ短く発音し、片手を挙げる。彼は微笑みながら会釈した。そのまますれ違った。なにもおかしなところはない。ない、はずだ。わずかに向けられた視線の残滓に、なにも意味がなければだが。
とはいえベディヴィエールはよき従者である。態度、考えを改めるべきは菖蒲だ。早いところなにもかもを預けてしまえたらいいのに、なかなか踏み切ることのできない自分が嫌になる。今ここにいるベディヴィエールにはなんの非もないのだ。彼は違う。菖蒲は自嘲の笑みを隠さない。
違うのに、浅ましく別の彼を求める自分が、滑稽で仕方がなかった。
「マスター」
自分の呼びかけに、彼はなんてことのないような顔をして返事をする。それに少しの違和感を覚えるのは、まだ心の距離が遠いからなのだろうか。
「ん、なに、ベディヴィエール。なにかあったの」
「いえ、そういうわけでは……。お隣よろしいですか」
「どうぞ」
タブレットに触れながらミルクティーを飲んでいた彼はふわりと笑った。
ブルーライトで光る板の上ではサーヴァントたちのステータスや逸話なんかが展開されている。宝具の特性やスキルについても複数書かれており、編成のことを考えているのだということはすぐにわかった。集中の邪魔をしないようにと静かに椅子を引き、腰かける。
座ると身長差が際立った。こんなに幼い子供が戦いに出なければならないのだと思うと胸が痛む。不思議なのはその憂いに反論する自分もいることだ。それがまだよくわからない。正直、ベディヴィエールは矛盾する思いを持て余していた。
ベディヴィエールを喚んだマスターは小さく、細く、頼りないともとれるのに、どうしてか、しゃんと伸びた背中が折れることはないのだろうと……不思議とそう思わされる。契約に応じて間もない相手に思うことではない。マスターを見定めるには期間が短すぎる。それなのにこの人を信じたいと思うのはなぜ? 戦いを切り抜けた人類最後のマスターだから? 自身が使えた王とは異なる、騎士王の可能性たちや、ランスロット卿が剣を捧げているから? どれも違う気がする。いよいよ困って、ベディヴィエールは小さく首をかしげた。
ちらりと彼はベディヴィエールを見た。また難しそうな顔をしているなあと思っていることがよくわかった。そっと彼の前にあった皿が移動してきて、ベディヴィエールの正面にやって来る。食べる? と差し出された赤い弓兵特製のスコーン。気遣いのかわいらしさにふっと笑みがこぼれ落ちた。ありがたくいただき、さくりとそれを頬張る。バターの香りが鼻を抜ける。ほろほろと崩れていく生地と、チョコレートチップは甘く口の中を溶かした。
一秒にも満たない時間だ。彼はじっと、ベディヴィエールの表情の変化を見ていた。そのまま青い目はベディヴィエールから逸らされる。ベディヴィエールがなにも言わない間に。
ぼうっとしているようにも見えた。すいすいとタブレットの上を滑っていく指は間違いなく思考をしているのに、ベディヴィエールには彼の心がここにないような気がした。誰か他の人を思い出しているのだろうか。だとしてもそれは誰だろう。ベディヴィエールを見ていて想起する人物は存在するのか? 考えても考えてもわからない。彼を知らないから、で片づけるには短慮な気がした。飽きもせずにベディヴィエールは少年を見つめ続ける。
ふと、緩慢な動作で彼が顔を上げた。すんすんと小さな鼻が動いている。
「……花のにおいがする」
「花、ですか」
すんとベディヴィエールも主に倣ってにおいをかいでみたが、間違っても花の香りなどしなかった。無味乾燥な調整された空気、蛍光灯のにおい、身近なところでスコーンから漂うバターと砂糖のにおい。そして隣のマスターから漂う魔力の香り。それくらいしかこの部屋には香りの発生源はない。少年の声からは、力がとろりと抜けていくようだった。夢うつつというのが正しい。寝ぼけているのかもしれない、とベディヴィエールは感じた。
「なんだか甘ったるいな……頭が重くなる」
「今日は早めにお休みになられますか?」
目頭を揉んで額を抑える彼の背に、そっと手を添えた。ぴくり。一瞬彼の動きが鈍くなる。ベディヴィエールが触れたからなのか、それとも彼の言う花の香りのせいなのか。ベディヴィエールの心がかすかに波打った。しかし肝心のマスターはテーブルに体重を預け、片手で頭を抑えながら唸っている。
「マスター?」
呼び掛けても返事がない。唸り声が途切れ、かくりとその首から力が抜けた。気絶か? だとしてもどうして? なにか善くないものの予兆を感じた。ぐっと彼の柳眉が寄せられる。勢いよく立ち上がり、彼の後ろに回る。失礼、と前置いてから、もう一度「マスター」と呼びながら体を揺すった。
「……あれ? 俺、今寝てた?」
これもまた、唐突であった。力なくうつぶせていたのが嘘のようだ。電気が流れたかのように彼は跳ね起きる。きょろきょろと周囲を見回す様子はいつも通り。ほっと吐息を漏らしつつ、ベディヴィエールは苦笑した。
「やはりお疲れのようです。マイルームまでお連れしましょう」
「……ああ、うん、頼む。さっきみたいなことがまたあったら廊下で行き倒れかねない」
「そのときは私がお部屋まで運びますよ」
「ふふ、ありがとう」
照れたように、彼は眉を下げながら笑った。ベディヴィエールも微笑みを返す。花の香りは気づけば消えていた。
──そういうわけでキミに目覚めてもらった。事情はもう分かっているね?
勝手に首が頷く。為すべきことはこの手の中に。世界がどうなっていようと関係ない。これは自分がやらなければいけないことだ。
──肉体、魂、精神……三位一体の要素。そのいずれもが苔生した放浪のキミよ。罪人の約束を叶えよう。これが本当、正真正銘、最後の機会だ。
声は歌うように、笑うように、遠くから呼びかけるように──耳元で囁くように──。一応確認するなんて心配しているような口ぶりをしているくせに、なぜだか声の発生源がにんまりと楽しそうな笑みを浮かべているのが想像できた。無感情かつ、期待……面白そう、愉快な未来が見えるなどの、そういった相反する感情が透ける。本当はそこになにもこもっていなくて、自分が勘違いをしているだけなのかもしれないが。
──それでもまだ、旅の終わりを目指すのかい?
もちろん。即答できる。肉体は動かない、魂も残り少ない。それでもこの精神は生きている。このこころは王のためにある。それだけは確かなのだ。どれだけこの身が罪深くとも。なにと戦い、なにを見捨てることになっても。今度こそ、この手で、私が。
「そうか、これが……私に与えられた、最後の旅か」
(………………)
(…………?)
(……!)
(あれ)
(待ってくれ)
──王を殺すのだ。
(違う)
(これは)
(俺じゃない)
──おや、もう起きるのかい? それじゃあ続きはまた今夜。
その日は夢も見ずに眠った。……いや、起きる寸前に誰かの声を聞いたかもしれない。目を開けた瞬間、一秒にも満たない間だけ、また甘ったるい花のにおいがした。袖口を嗅いだところで洗剤の匂いしかしない。ついでにカルデアで使っている洗剤はフローラルな香りではない。じゃああれはどこから香ったのだろう。ここには花の一つもないのに。うん? と首をかしげる。足元にはどうしてかフォウくんがくっついていた。とりあえずおはようと言った。
「おはようございます、マスター! ……ん? あれ?」
「寝坊か? いい身分だな。……む?」
「おはよう二人とも。なに? 寝癖?」
これが約三日続いた。夢を見ているらしいということについては日に日に自覚的になっているが、内容を覚えるほどのレム睡眠ではない。つまり起きたときにはなにもないわけだ。わかるのは寝起きの一瞬に香る甘い香りと、起きたときにはいつの間にかベッドにもぐりこんでいるフォウくんくらいである。眠っているときに害意(もしくはそれに準ずるもの)はまったくと言っていいほど感じていないので、のんきにほったらかしにしているわけだが、そろそろ誰かに相談した方がいいのだろうか……?
「マーリンですね!」
「マーリンだな」
「マーリンですか……ええ……」
くんくんとアルトリア・リリィが鼻を近づけてきたかと思ったらこれだった。オルタの方はやや眉間にしわを寄せてぶっきらぼうに同じ言葉を口に出す。マーリンといえば、アーサー王などの多くの王を導いた魔術師、キングメーカーである。別名花の魔術師。ちらほら名前を聞くことはあっても接点などないはずだ。なんで? と疑問を口にすると、オルタはふんと鼻を鳴らした。
「会ったことはあるだろう。しかしあの引きこもりは塔に幽閉されているはずだが」
「妖精郷にいるんだっけ? 夢魔だから夢に出てくるのはまだわかるけど、なんだってわざわざ」
「うーん、マスターの悩みに関係がある……みたいです」
「悩み?」
「くだらん」
「ええと、なんて言えばいいのでしょう。シュッチョーオヤナミ、ソウダンシツ? そうです、お悩み相談室です! マスターは男性ですから滅多なことはないと思います!」
「そういえば彼、女好きだったね」
「悪い人ではないですよ? 嫌な予感はしませんし、せっかくですから聞いてもらってはいかがですか?」
「経験は豊富だからな。早く迷いなど断ち切るがいい。時間の無駄だ」
「もう、黒い私はまたそんなこと言って」
「いや、心配してくれてありがとう。ああ、じゃああの花の香りはマーリンだからか……」
「うわ、本当に花の魔術師だ」
「うわっ!? なんでキミ起きてるんだい! 今夜も続きを見せるつもりだったのに!」
「明晰夢の見方くらい知ってます~。レム睡眠でもないとつかまらないだろ、君」
「生殺与奪を握られるのはちょっと」
「わかる」
「やめてよ……」
「いや俺もお節介で英霊ベディヴィエールの英霊に至るロードを見せられると思ってなかったんですがね」
「え、見たかったんじゃないのかい?」
大げさに菖蒲は肩を竦めた。ええ~~という声がマーリンから漏れる。一面のピンクの花、きらきら輝く空気、そびえ立つ細い塔。白いローブをまとった彼はさくさくと花を掻き分け、ぽすんと座った。
「塔の中から出ていいの」
「夢の中では私は自由だよ」
「へえ」
「興味なさそうだねえ。それで? 私に会いに来たのはどうして?」
「お悩み相談してくれるんだろ」
「おや」
ふてぶてしく口の端を持ち上げる。ぱちぱちと瞬きをしたあと、彼は柔らかく笑った。
「キミの悩みは知っているよ。英霊ベディヴィエールのことだろう」
「うん」
「その顔だともう気持ちの言語化はできているのかな? 聞かせておくれよ、キミのこころ」
「言い方がなんかぞわってくる」
「ええ~~せっかく魔術師っぽいこと言ってみたのに~~」
「……彼の最後の聖剣返還の旅に俺がいないのがさみしいんだ」
「おっといきなりぶっこんできたね」
「彼は人間で、俺はマスターではなくて、出会わなくてもどうにでもなっただろう。現に彼は俺たちの干渉なしに聖剣を返したのだから。君が俺に見せた夢のように」
「うん。特異点がなくても、英霊になった彼は王に聖剣を返した。最果ての槍によって不死身となった王を、今度こそ殺した。だから彼は座に登録されるわけだけれど、キミはそれが悲しいんだね」
「彼が英霊になったからまた会えたってわかっている。人間のまま死んでいたらこの奇跡は起きなかった。でも、一緒に旅をして……たくさん戦って……。それが記録されなかったことがかなしい。サーヴァントだったら仕方ないと思える、実際今までそう思ってきた。また会えたことに喜ぶことだけだ。でも彼は人間だった。生きていた……。君が見せたとおり、人の形をした岩のようになって、身体と魂がほつれ崩れる寸前でも」
ぼすりと花畑に横たわる。むせかえるような甘い香りが鼻腔を満たした。少しだけ頭が痛い。匂いがきついのだ。
ロンドンで出会ったヘンリー・ジキルも人間であった。それなのに今のようなことを今まで思わなかったのは、彼が特異点で英霊である彼と混ざりつつあったこと、ロンドンでの記録が彼の霊基に刻まれていたことがあったからだろう。カルデアで再会した彼はあの戦いを知っていたから。人間でありながら彼は英霊であった。ローマで出会った薔薇の皇帝のように。彼らはすでに座に登録されたものだ。記録は本のように溜まり続ける。憶えていなくても識っているのだ。──英霊ならば。
ベディヴィエールが、王が槍を取る前に聖剣を返せていたなら──彼はただの人間として、神秘の去ったブリテン島で死んでいただろう。隻腕のまま、輝けるアガートラムを手に入れることなく。……襤褸のように1500年の時をさ迷うこともなく。
「彼の最後の旅、その一瞬を近くで見ていたのに、それは正しいものではない。修正された。だから識らない。存在を許されない。それは仕方のないことだ。たださみしいんだ」
光を避けるように、額に手の甲を当てる。あれは太陽だろうか? 世界の果てにも光は差すらしい。妙なところに感心した。
「そういう旅なのはわかっているけれど、まだ納得できない。俺は俺の通ってきた旅路を大事にしていたい、でも、きっとこの世のすべては俺の宝物を無価値と判断すると思う。最初からこれはマイナスをゼロにする行いだから」
「そうだね。やめたくなった?」
「その気もないのに無責任なこと言わないでくれよ」
「残念。夢魔らしく誘惑してみようかと思ったのに」
「する気もないくせに……やめない。まだ死にたくない。俺は俺が生きるために人理焼却を終わらせなければならない。世界を救う? 結果が残ればいいんだ。もっと言えば俺じゃなくてもよかった。俺には力がない。素質がない。地位がない。輝く星たちと紡いだ縁がいくらあっても、魔術師社会においてそれは無価値だ。寝てるやつらが起きればお払い箱。場合によっては死ぬ。知ってるだろう?」
「まあね。でもそういうifは好きじゃないなあ。キミ以外のマスターが、キミと同じように紋様を描いたとは思えないよ。僕が好きなのは君という作者/書き手なんだからさ、ちょっとくらいファンの僕のこと、慮ってくれてもいいんじゃないかい?」
「個人のことはどうでもいいって言ってなかった?」
「さあ、君の前で言ったかな。……少し贔屓したって罰は当たらないさ」
「っていうかファンってなに……こんなファンやだ……」
「ひどい!! ねえ、キミなんだか私に対して当たりきつくない!? いつもはわりとしおらしいの知ってるんだぞぅ!」
「そういえば現在すべてを見通す眼をお持ちでしたね」
「やめてよ敬語とか……距離を感じる……」
「どっちかにしてよ」
「馴れ馴れしい方がいい! 友達みたいだろ?」
「友達ぃ? 友達ねえ……ふーん……。君相手に取り繕ったって無駄だろ。あと今は命の危機を感じないので。君以外に何者も存在しないので……気を張るのも一苦労……」
「思った以上に疲れていた」
「凡人がこの環境で疲れない理由があるなら教えて」
「うーん、先天的に狂っている」
「バーサーカーじゃないです」
「だよねー」
けらけらと彼は笑った。つられて菖蒲も小さく笑った。
「ほら起きないと。そろそろ夢が終わる時間だ。──世界が終わるまで君の旅路を覚えているよ」
「俺がいつ死んでも覚えていてくれるの」
「もちろん」
「ありがとう」
それはいい。目覚めるままに俺はそう謳った。
花の香りがする。洗剤の残り香よりもよほど甘やかなそれが、どういう意図でつけられたかは考えるだけ無駄だと思う。彼の思考回路は人間とは異なる、理解できると傲ることはできない。目印か縁か、そんなところだろう。想像できる限界だった。
ベディヴィエールは、その甘ったるい香りを知覚した瞬間、思わず眉をひそめていた。
実は続きがあるんだ!!また明日