作者は友情でBLではないと認識していますが、読む方によってはBLだと感じる可能性があります。それらが苦手な方は避けておいた方が無難です。
強がり続ける傍らで、誰か、この弱くて愚かな顔を見つけてはくれまいかと願っている。みんなには見せられない。失望されてしまう。でも、俺のために、俺を見つけてほしい。進むたびにすり減っていく人間性を、確かにそこにあったのだと、第三者に確認してほしいのだ。
そういった面ではマーリンは最高の相手だった。俺のものにも、敵にもならない、次元を隔てた先にいる観測者。ときどき夢に現れて野次を飛ばしてくるところは、時に煩わしく思うこともあるけれど、それよりも会うのが楽しいくらいだから。
彼と話すのは、気を遣わなくて済む。夢の中には俺と彼しかいないし、彼は自らを俺のファンなどと称するが決して俺の味方だと宣言しているわけでもない。その距離感がちょうどいいのだ。ぐずぐずに甘やかされたいわけでも、ぐちゃぐちゃに痛めつけられたいわけでもない。ぼんやりと毒にも薬にもならない話をして、心にもない「それは大変だ」を受けて。それが本当になんでもない、そう、まるで通りすがりの人に人生相談をしてしまうような気軽さ。旅の恥は掻き捨て。そういう言葉がしっくりくるかもしれない。
彼には俺を肯定する必要も、否定する必要もない。だから、息をするのが楽だ。それは好きとか好ましいとかいうより、便利だ、というのがふさわしいのだろう。そう、とにかく楽なのだ。だからこの関係に生産性はない。それでいい。マーリンはどうだか知らないが、俺はそう思っている。そもそも、マーリンが表す好意というものも、俺の尺度で測れるものなのかはなはだ疑問だ。わかりあえなくていい。わかろうともしていない。十分だ。少し休ませてくれれば、それで。
カルデアで俺のそういう顔に気づいている面々は、面倒くさそうに、熱心に俺の傷を治療してくれるけれども、それにもやはり痛みは伴う。がたがたになった精神を正すことにまで疲弊するわけだ。それに短期間でじわじわ衰弱していった精神が必要な部位を取り戻していくのには、攻撃を受けた場合とは反してとにかく時間がかかる。ただでさえ心というものは扱いづらい。
そのため、マーリンが作る夢の空間はひとときの休憩所のような扱いになっていた。「寝ているときくらい弱音を吐いたって私は怒らないよ。ほんとほんと。嘘つかない」などとのたまって膝を叩いてくる彼はうさんくさくてしょうがないが、たいした問題ではない。それよりも太ももが固いことや枕の背が高くて首が痛くなることの方が重要だ。週に一回はそういうやりとりをしているけれど(彼の時間での頻度は知らない)、花の魔術師というものは暇なのか? ……暇なんだろうな……狭い塔に幽閉されてネットしか遊び道具がないとかなんとか言っていたような気がする。
人類のためだというのは決して嘘ではない。だが、本当でもない。
俺はそんな大きくて重いものを背負ったつもりで戦っているのではなくて、ただ、立ち止まったら瞬間に死ぬのがわかっているからだ。俺が走っている道は一本しかない。ぼろぼろで、踏むだけで折れてしまいそうな、古ぼけた橋のようにもろい。
事実、現在に至る過去はぐずぐずに溶けて、混沌のマーブルを生み出している。浮かび上がった紋様は、今の俺たちを全部否定しにかかってくるわけだ。気付いたら、引き返すための過ぎたカコは残っていなかった。それどころかここにあるはずにイマでさえ俺の喉笛を噛み千切ろうと牙を剥いてくる。逃げるためには、前に残っている道をとにかく走るしかない。前に進めば進むほど、後ろにあった帰り道は跡形もなく塵になっていく。引き返すことはおろか、立ち止まることさえ許されないのだから、俺はがむしゃらに走るしかなかった。
その道中で、ぐちゃぐちゃマーブルの皮をかぶった過去を直していく。基点さえ直せばなんとかなるというのは、歴史というものがターニングポイントという関節を複数持っているからだろう。重要な基点ほど壊せば効果的というわけだ。今さらだが魔術王は大変に賢い人物だと思う。さすがは魔術の祖。人間全体をなかったことにするために過去をかき混ぜるというのはとても効率的で無駄がない。無駄があるとすれば、レフのようになんらかの感情を得てしまう生物だったということだろうか。
ローマでまみえた彼は、人外にしては感情豊かだった。人間のようだと思うくらいには。滅ぶはず、滅んだはずのローマを継続させる、それだけで人理定礎は乱れる。だというのに彼は、こちらを破壊するために「ローマを破壊する」サーヴァントを呼んでしまったのだから、味方にいる天才よりも非常に人間的だ。彼は間違いなく焦っていた。焦ったから明らかなミスを犯した。こちらを蟲だと侮っておきながら、だ。
まあ、今となってはそれも些事である。魔神である彼らと人間の死が同じ形をしているとは思えないが、再び現れようとしたところで、第二特異点で失敗と醜態をさらしたのは事実だ。魔術王もそうそうレフ・ライノールを出してはこないだろう。まず彼らと戦う資格すら今のカルデアは得ていない。第七特異点を越えてようやく参戦権が手に入るのだから、気が遠くなる話である。肝心の特異点座標すらまだ見つかっていないのだ、第六特異点修正を終えた俺たちにできるのは、戦力の増強や精神を病まないための健全な活動くらい……──
「マスター」
菖蒲はふと顔を上げた。動かした肩、首の付け根がみしりと軋む。眼前には麗しの騎士。美しい緑の瞳に映る自分の顔は、どうにもぱっとしない印象だった。さらりと銀の髪が揺れている。ベディヴィエールだ。銀の腕を持つ騎士が、心配そうに菖蒲の顔を、わざわざひざまずいて下から覗き込んでいた。
ぱちり、とあおいひとみが瞬く。どこかに飛んでいた意識が確かに彼に宿ったことを確認して、内心、ベディヴィエールはほっと安堵の吐息を漏らした。「なあに」と眼差しを和らげる彼に合わせて、ベディヴィエールも微笑む。
(まただ)
少しの不安が彼の胸に巣食う。それは壁を削る頼りない爪のように、ベディヴィエールの心をどこか落ち着かなくさせた。
ときどき。本当にときどき、この人はこういう目をする。たとえば設定された休息日の夕方。たとえば誰かと語らっただろうあとの一瞬。たとえば、ベディヴィエールが呼びかけようとしたほんの数秒。手放された風船のように、ふわふわと、どこかへ飛んでいってしまうのだ。ベディヴィエールがここに来た直後にもしばしばその様子は見受けられたけれども、最近はあまり惚けることもなくなった、と思っていたが、やはりそうではないらしい。ベディヴィエールは笑みとは裏腹の憂いと共に彼を見る。
古株のアンデルセンに尋ねてみても「あいつは居眠りの達人だ」と、馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らすばかりで、ならばとサンソンに矛先を向けると「こればかりは自力でどうにかするしか」と煮え切らない。その態度で察せられるというものだ。彼らはなにが原因なのかわかっている。わかっていてベディヴィエール相手にはぐらかす。彼の不可思議な様子に気づいて、長くカルデアにとどまっているかつ彼と親しいサーヴァントたちに尋ね、にべもない言葉を返された当初は自分が新参者だからかと誤解していたが、今でははっきり、その懸念が間違っているとわかるのだ。古くからいるとか、新しく来たとか、そういうことはきっと関係ない。長くここにいても彼のそれを知らないものはいるだろう。
首塚菖蒲という名の人類最後のマスター、少年は、とかくそれを覆い隠すのが上手い。本心すら平気で隠している。ベディヴィエールが当たりをつけられたのは、きっと、このベディヴィエールが彼にとって「にばんめ」だからだ。つい先日までレイシフトしていた先で、彼らは英霊になる前のベディヴィエールに出会ったのだと言う。マシュがぽろりと漏らしたそれを聞いたときには仰天したものだ。だって、ベディヴィエールの生前の記憶には彼らの影すらない。腕を手に入れた世界でも、隻腕のまま聖剣を返した世界でも、それは同じだった。
少しずつ推理していけば見当もつく。いつも穏やかなマスターがひた隠しにしているそれ。新しく名をつけなくてもいい。それは誰でも持つ、弱さなのだから。
思い返すほど、彼は最後の最後までとんと俺たちに興味がない。見えるのは走り続けた果てにある背中だけで、銀腕の光は目を焼く。……だからこそ、俺はその姿を美しいだなんて形容してしまうのだが。
彼は最後まで彼の王のためだけにあった。それは今でも変わらないだろう。自分たちと出会わなかった彼もまた、同じようにあの腕をぶら下げて旅をし、王へと返したことで英霊となったのだから。そうでなければ英霊ベディヴィエールがアガートラムを持っているはずがないのだ。特異点で起こったことがすべて、つつがなく帳尻合わせをされていくと彼が証明している。
それに寂しさを覚えたこともあった。召喚した当初などがまさにそれだ。自分のしたことがなににもならないのだと落ち込んで、第五特異点でうっすらすれ違っただけのマーリンにまで面倒を見られる羽目になって。でも、時間を置くほどこれはさみしさとは少し違う気がしてくる。彼を彼と知っている。事実。言葉を交わした。事実。彼が俺を見ていないことが、悔しかった。これも事実。でも、それなのに、安心している。
考えてみればわかりきったことだった。首塚菖蒲は手に入らないものほど欲しがるたちである。幼い頃、月を欲しがって祖父母を困らせたことは懐かしい笑い話である。それだけで済むなら、子供の頃のかわいい話なのだが、あいにくと今でも続いているわけだ。中学のときにはいいな、と思った相手と親しくなるうちに、かつてほどの興味関心を抱かなくなった。仲良くなりたいと思っているときが一番相手のことを考えているくらいだ。それは思っていたのと違ったから、ではなくて、自分と関わって相手が変質していくことをつまらなく感じるのだ……と思う。おそらく、首塚菖蒲は自分の影響を受けないものほど好ましく思うのだ。たとえば幼少期に少し触れ合っただけですぐに届かぬ人となった姉のように。自分とはかけ離れた遠いものが好き、という点ではマーリンと似通う部分があるかもしれない。
問題は、欲しがったものほど手に入れると落胆することである。きらきら輝いて見えた星がただの土くれだったと知ったときのように。憧れが目を曇らせているのかもしれない。でも、それならば、近づくほどに信仰は増すはずだった。
つまり、自分を振り向かない人が好きなのだ。勝手に好きだと思っていたいのだ。振り返られたくない、というのがより正確だろう。自身とは触れ合わない遠いものだと設定して、それを勝手に消費していたいというわけだ。創作物相手ならともかく、実在する人間相手には傲慢で傲岸な振る舞いである。歴戦の英雄たちも、本来はそうやって消費し、通り過ぎていくものだった。こんなことになるまでは。
近づきたくないのは自分の矮小さを知られたくないからだ。英霊たちはまぶしすぎる。並ぶとどうにも見劣りする。当然だ。己は並ぶものではなく、彼らを遠くから賞賛する民衆の一人にすぎなかったのだから。間違っても、自身は英雄の器ではない。それは自分が一番わかっていることだ。それでも旅路は刻々と菖蒲を最新の救うモノへと作り替えていくので、菖蒲もそれに合わせた振る舞いをしなければと思い詰めるのである。今時世界を救ったくらいではどうにもならないとわかってはいる。いるが、それは人類の数が飽和しているからだ。今の菖蒲の行いはバタフライエフェクトで済むものだろうか? すべてが終わったあと、自分はどうなってしまうだろう? 考えるだけで足はすくむ。
だから、首塚菖蒲は虚勢と虚飾で自分を覆わないと彼らに近づけない。精一杯強がらないと、自分よりはるかに優秀なスタッフたちを相手に「任せてくれ」だなんてうそぶけない。そうやって自分の顔をメッキでがちがちに固めて、息苦しさに喘いでいる。誰かを助けようとする姿勢の中、誰か助けてくれと泣いているのだ。
その八方ふさがりに気づいたアンデルセンやサンソン、カルナは、間違いなく菖蒲にとってとくべつだった。付き合いと性質を考えれば当然である。言葉、物事に誠実でなければ物語は紡げないと鼻を鳴らす作家。菖蒲が追い詰められていることを出会い頭で理解した善悪の秤。貧しい人々と多く接することで、寄り添う視点を獲得し、その上で虚実を見極める目を持つ半神半人。隠そうとすることが無駄なのだとわかるだけで、酸素は菖蒲の気道を通り抜けていく。
彼らを尊いと思わないのではない。けれど、ショーケース越しに見つめる美術品でもない。菖蒲を過信しているわけでもなく、見定めようという姿勢を貫いているのでもなく、こうあれと望むのでもなく──寄り添おうという姿勢、だろうか。どうしようもなく甘えてしまいそうだ。まあ、彼らもなんのために菖蒲が彼らを呼んだかはよくわかっているので、過度な甘えは尻を蹴飛ばされるに違いないのだが。でも、そういうサーヴァントたちは一握りだ。みんな見たいものを見る。重ねたい人を重ねる。なにもおかしなことではない。対象が菖蒲ひとりだから、パンクしてしまいそうになるだけだ。
星は星のままだから美しい。鳥は自由に羽ばたき、さえずるから美しい。手の届く範囲まで近づくと、自分が特別なのかもしれないと期待してしまう。それは違うから、期待したくない。勝手に期待して、失望するのは失礼だし、疲れる。だから何度でも思い知らされたい。覚えてしまいたい。首塚菖蒲はなにも特別ではなく、取るに足らないものであると。その上で大切に扱ってもらえるなら、甘んじて享受するだけだ。きっとそれが一番うれしい。
菖蒲が得た宝石は石ころに過ぎず、菖蒲の功績は誰にでもできたはずのもので、菖蒲の旅路は無価値であると。外部にそう断じられ、なにもかも菖蒲だけのたからものだとわかるようになれば、きっと、ようやく安心できる。周囲の人々と自分を比較して惨めな気持ちになるなどという、おこがましいことをしなくてよくなる。ナイチンゲールがこれを知っていたら、間違いなく即座に治療を始められるだろう。わかっている。これは病だ。病だからこそサンソンが気付いた。ほころびがあったからアンデルセンとカルナが気付いた。それで十分だった。
いつかこの病は治るだろう。今ではないいつかに、きっと。今は時折甘い香りに身をゆだねながら、逃げるように走り続ければいい。全自動願望成就機のなりそこないとしては上々だ。世界さえ救われれば、すべての帳尻は合うだろう。
「あなたから甘い花の香りがするたびに胸が苦しくなる」
だから菖蒲は絶句するほかない。この騎士は、わざわざ二人きりのマイルームで、ベッドに腰かけた菖蒲とは正反対に、床にひざまずきながら、なにを言っているのだろう。困惑ばかりが菖蒲の海色の瞳にさざ波を作る。
「あなたがなにを見て、なにを感じているのかを知りたいと思い、私を知ってほしいと願うのは、愚かなことでしょうか」
真摯に菖蒲の目を窺い見る彼の視線は、菖蒲という人間を解き明かそうと必死だった。瞳の奥を覗こうと躍起になっている。菖蒲は一瞬、それから逃れたくて目を閉じた。自分の手を包み込む、大きな彼の手のひらが熱い。
(ああ、全然違う)
俺が好ましく思ったベディヴィエールはこんな顔で俺を見ない。見ないから好きだった。