雄英学校の襲撃から数時間後。
ソファに座ってゲームをしていた結月紫は急に腹部を抑え苦悶の表情を浮かべた。
「あ、来た」
持っていたゲーム機を震える手で近くのテーブルに置き、生まれたての小鹿のように震える足で立ち上がる。
その様子にすぐ隣にいる頭部に刃物の髪飾りを着けた、和服の少女が驚いて紫の方を向く。 その手に持っている携帯ゲームを忙しなく操作しながら、紫の行動に慌てて詰め寄った。
「え、ちょ、
「無理、続けられない。 落ち着いたらまた一緒にやるから、今はごめん……」
「あー!? いや、今すぐ避難させれば……ぎゃー!? 範囲攻撃がー!?」
「きりたん……本当、ごめん」
てんやわんやなきりたんと呼ばれた少女の様子に構う余裕無く、紫は青ざめた顔でよろよろとベッドの方へ向かった。 震える手で服を脱いで上半身裸になると、仰向けにベッドの上に倒れこむ。 浅い呼吸を繰り返しながら、顔に浮いた汗を拭うこともせず祈るように目を閉じた。
「んぐっ!?」
紫が苦悶の声を上げると、体が跳ね上がり痙攣し始める。 それを見てきりたんがゲーム機を放り出し、部屋の中を右往左往に走り出した。
「あっあっあっ! えーと確か前は葵さんの時で……。 お湯! それと汗を拭うタオル! ずん姉さまー! イタコ姉さまー!!」
どたばたと部屋を出ていくきりたん。 扉が乱暴に閉められると、静かになった部屋には紫のうめき声とゲーム機から物悲しい音楽だけが流れている。
しばらくして、苦しんでいる紫の体に異変が起きた。 腹が不自然に、少しずつ盛り上がっていく。 やがて三十センチ程まで盛り上がると今度は徐々に二つの球体へと変形し、風船のようになったそれは重力に従って傾くと元々くっついていなかったのように呆気なく体から離れて床に落ちた。
「あ゛ー、終わった。 うぇっぷ、気持ち悪い」
汗で濡れた体は本人にとって不快でしかない。 しかし、痺れた感覚の残る手で拭うことすら億劫な紫は浅い息を繰り返すだけで動けない。 二日酔いのような頭痛と腹痛に似た下腹部の鈍痛を感じながら紫はぼーっと天井を見つめていた。
廊下の方からバタバタと走ってくる音が聞こえる。 きりたんが出ていった扉が開き、戻ってきた彼女と深緑色をした長髪の女性が駆け込んできた。 タオルを持ったきりたんが駆け寄り人肌のタオルで紫の汗を拭う。
もう一人……弓道の胸当てに裾の短い弓道着、枝豆のような髪飾りを着けた女性はお湯の入ったタライをベッドの近くに置くと、紫から生まれ落ちた肉塊をソファへ雑に放り投げ、きりたんと一緒に紫の汗を拭っていく。
「げほ……有難うきりたん、ずん子ちゃん。 でも、お店の方は大丈夫?」
「大丈夫ですよー。 夕方のピークも過ぎましたし、葵ちゃんが手伝ってくれているので問題ないですよー」
紫の言葉にずん子と呼ばれた女性が答えながら世話を続ける。 愛嬌のある少女と目麗しい女性に世話されるという男には羨ましい状況ではあるが、当の紫は重度の風邪に腹痛を合わせたような地獄でそれどころではない。
そんな状況の後ろでは、ソファに投げられた肉塊がいつの間にか人の形をとっていた。 赤と白の服を着た金髪の女性と赤い紐飾りを頭につけた少女もまた紫のように、動くのも億劫らしく脱力してソファにもたれかかっている。
「ずんちゃーん、こっちもー」
「いつもよりだるいんやけどー」
助けを求める二人をしり目に、手を動かしたままきりたんが鼻を鳴らす。
「一人でも消耗するのに、二人まとめて実体を再
「きりたん冷たーい」
「こら、きりたん。 マキさん、茜ちゃん、今行きますよー」
ずん子がタオルを絞りなおして二人の方へ移動する。 きりたんの手が止まり、ずん子の気配が二人の方へ行ったのを確認すると、口角を釣り上げた。
「うぇっへっへっへっへっ。 ずん姉さまが向こうに行ってしまったので、私が仕方なく……しっかたなーく兄様を隅の隅の隅まで、くまなく綺麗にしないといけないのでぇ、ズボンの下もしっかり拭かないといけませんよねぇ!」
「……ちょっと、きりたん!? 待って待って待って!?」
「ふふふお兄様、恥ずかしがらなくてもいいんですよ。 仕方ないんですお世話するにはヤらなければいけないのでぐへへへぃ痛だだだだだだだ!?」
下品な表情で服の下に手を入れようとしたきりたん。 その頭をずん子が鷲掴みして持ち上げた。 ずん子の表情は笑顔だが、隠し切れない怒りを放ちながら徐々に手の震えが大きくなっていく。 きりたんを掴む手の力が強まっていくのを見て紫の頬が引きつった。
「きりたん? マスターが嫌がってますよ?」
「あっあっあっ! 頭割れる、頭蓋骨割れちゃう!?」
「あと兄様呼びしているけれど、ちょっと自重しようか? ただでさえマスターと一緒にいる時間が皆より多いんだから、マキちゃん達みたいに活動しよ?」
「ふあ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝っ!? いえそれは兄様いえマスターの記憶ではこういう呼び方もあるのでその方が良いかと愚考した次第で決して特別感を出していい感じに好感度を上げようとふあ˝あ˝っあ˝あ˝あ˝あ˝っ!? 」
「ず ん だ 餅 に し て や ろ う か ?」
「……あー、ずん子ちゃん。 ほどほどにね?」
自業自得ではあるが、見ていて気の毒になったので紫がやんわりと宥めた。 ずん子はぱっと手を放し、きりたんは床に転がって激痛が収まらない頭を抱え悶絶している。
そこへ足取りの覚束ないマキと茜が寄ってきた。 二人とも生まれたての小鹿のように足を震わせながらも、部屋を横切ってベッドに腰かける。
「たはー! 今日はもうおやすみ!」
「せやな。 こんな短い距離も移動するのが億劫やで」
一つのベッドに二人が寝転がり一気に窮屈になった。 ずん子は三人の様子を見てため息をつき、名案を思い付いたと手を叩いて笑顔で言った。
「今日はマスターのお部屋でお食事をしますので、用意が終わるまでにみんなでテーブルの上を片づけておいてください。 ご飯が用意できるまでに片付いていなかったらマスター以外ご飯抜きです」
「うぇ!?」
唐突な宣言にマキが部屋を見渡す。 整理整頓されている部屋の中、ソファ近くに八人で囲める大きさのスクエアテーブルが一つ。 雑誌や漫画本などが乱雑に置かれており、普段であれば戻すのは造作もないほどの量だが、まともに動けない現状のマキと茜はそれを見て目元をひくつかせる。
「三人いればできるよね。 それじゃ、私はお店に戻るから」
「ちょっと待ってーな!?」
茜の制止を気にも止めず小走りに出ていくずん子。 部屋には動くのが困難な二人と未だ唸っているきりたん、そして動けない紫が残された。
「が、がんばってね」
「ああ、
「……ぁーい」
「ふあ˝あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝」
魂が抜けたような返事の二人と未だ苦悶の声を上げる一人、身動きのできない紫は応援することしかできなかった。
ストック切れましたので遅くなります
週一か週二を目標に書き上げますのでお待ちください