白鳥へと贈る歌 作:たんたたんたん
007
バーテックス。
あの夏の日、大量に空から湧き出るように降ってきたその化け物たちは、"生命の頂点"という意味を込められて、その名をつけられた。
そう、頂点。
生命としての限界、進化し続けたものの成れの果て。
進化し尽くした先。
未だ進化途中であると言える、僕ら人類では決してかなわない生命体。
そんな彼らは──所謂、神の遣いだ。
僕ら人類を見限ったという、天の神によって遣わされた無敵のモンスター、それが、バーテックスなのである。
「本当に、僕でも倒せると思うか?」
「ふふ、ノープロブレムよ。安心して、真幌は強いから」
そう言って、白鳥は不敵に微笑んだ。
その顔に、欠片ほども不安は見当たらない。
あれから一週間が経過して、十月十日。
昼を回ってざっと一時間三十分。
ついにバーテックスは、この諏訪への襲撃を再開した。
その数は、目算で百を超えないくらい、と言ったところだろうか。
ふよふよ空に浮く、巨大な袋に、触手と人の顎だけがつけられた不気味な容貌の化け物──識別名称:星屑──が、結界の外から悠然とこちらへ飛んでくる。
それを僕らは、外界と諏訪を区切る結界のギリギリのラインから見据えていた。
当然ながら、初戦闘である。
ここ一週間、白鳥に連れられ朝から晩まで、それこそ付きっきりで鍛え上げられはしたがしかし、それでも戦えるようになった、とは言い難いだろう。
何せたかだか一週間だし、そもそも白鳥だって別に戦闘のエキスパートという訳ではない。
彼女が戦わなければ諏訪は一夜にして滅んでいた、それを許せなかったから彼女は戦った、そういう成り行きだ。
それでも白鳥がこんなにも余裕そうに振る舞えるのは、持ち前の明るさと、その天才性故だろう。
そして──別に比較するわけではないのだが──僕には特段そんな才能は無かった。
だからと言って、それを理由に逃げ出すような真似はしないのだが。
それでもまぁ、不安くらいは感じてしまう。
だからこその言葉だったが、しかし白鳥はその点については何一つ心配していないようだった。
信頼されているのか、はたまたダメでも自分が守ればいいと思っているのか。
いやまぁ、間違いなく前者であるだろうが。
「そろそろよ。準備はオーケー?」
白鳥は、結界越しに見えるバーテックスを見ながらそう言った。
基本的に僕らはバーテックスの襲来を予測することはできないが、その代わり巫女である藤森が、神託という形で土地神様から襲来を教えてもらい、それを白鳥に──今回からは僕もだが──に伝えることで、何とか襲撃へ対応できていた。
「あぁ、問題ない。いつでも征ける」
緊張ごと吐き捨てるようにそう返し、拳を握る。
白鳥の扱う鞭のような武器を、僕は持っていなかった。
「武器は持たない方がグッド──というか、そもそも真幌に武器は必要無いわ」
と、白鳥にそう言われたのである。
「何故って言えば、それは勿論バーテックス相手にノーマル武器じゃ意味ないから。それに、真幌に武器を使えるような器用さはどこからどう見てもノーじゃない?」
「くっ……」
反論の余地も無いほどのお言葉だった。
だが最後の一言だけは否定させてもらおうか!
僕だって多少の器用さはある! 家庭科でやった裁縫でも先生に『夢見くんは頑張ってるわね』とお褒めの言葉をいただいたほどだ!
「で、通知表、家庭科のスコアは?」
「……2だ」
イキった割には全然ダメダメだった。
メチャクチャ平均未満である。
い、いや、だけれども!
座学は頑張っているからセーフだ!
「て、テストの方は……?」
「…………点数だけで、人の価値を推し量ろうなんて、浅はかにも程がある、そうは思わないか?」
「浅はかなのは何とか言い逃れしようと頭をターンさせてる今の真幌ね」
「うーん、思いの外言葉のキレが凄い」
というか頭を回してるを頭をターンとか言っちゃうやつの方が頭悪そうじゃないか?
まぁ、僕はこいつに勝ってるものが何一つ無い訳なのだが……。
「まぁ、そんなことよりも」
閑話休題。
「一応聞いておくんだけど、やっぱ僕はこの拳で戦うしかないってことで良いのか?」
「んー、そうね。その五体でしか戦えないっていう解釈で間違いないと思うわ」
足を使うなら靴下まで脱ぐ必要があると思うし、とのことである。
いやまぁ、そこまで武器とかに固執していた訳ではないが、ここまで断言されると少々残念ではあった。
「でもその代わりに、上がった身体能力は私以上なんだし、そんなにバッドな話でもないわよ」
「……まぁ、そうかもな」
「だからまずはその身体の動きに、意識を慣れさせないとね! さ、もう一ファイトー!」
という感じで、僕らの一週間は速くも過ぎ去りこの日は来てしまった。
気合も勇気も前準備も、特に万端じゃあないがやる気だけはある。
鍛えてくれた白鳥と、その協力をしてくれた藤森の期待に応えたい気持ちだってある。
それだけあれば、充分だ。
そう意気込み拳を握り込み、結界の先に見える、バーテックスを鋭く見据え──
「さぁ、私達のショーの始まりよ!」
──そう叫んだ白鳥と、威勢よく飛び出した。
008
白鳥が振るった鞭が、幾十もの軌跡を残して星屑を打ち据える。
高速で振るわれるそれが、音を鳴らすたびに星屑がまとめて腐食し死んでいく。
それを横目に僕は、ただ、只管に強く地を蹴った。
普通の人が走るのと全く同じように、一週間前の僕がそうしていたように。
ただ純粋に、地を駆けるために一歩踏み出した。
瞬間、加速。
踏み出した片足が、地面をへこませて僕の速さを一気に引き上げる。
つまり僕は──そのワンアクションだけで未だ数十メートルはあった長距離を食い潰した。
無数に見える星屑の中の、その一つの直上へと跳躍して静かに見下ろした。
星屑に表情はない、一見目にも見えなくもない装飾はあるがそれだけの怪物から、しかし焦りのようなものを感じ取り──そして。
「うぉぉぉおおおおおお!」
拳を振り抜いた。
普通の人間の拳であれば──否、どれだけ鍛えた成人男性の拳だとしても、バーテックスの肌には傷一つつけられないだろう。
むしろ、打ち放った威力が高ければ高いほど、その拳が砕ける確率が高い。
僕みたいな、鍛錬とか筋トレとか、そんな言葉とは縁遠い人間であれば、それは尚更だ。
──だが。
だがしかし、そんな常識は、今の僕には関係が無い。
神の手によって造られたそれらが、人の手では砕けなかったとしても、もう僕に関係はない。
何故なら僕は──既に普通の人では、無いからだ。
まぁ、それを後悔とかは、全然してないんだけと、な。
そう思い、放たれた一撃は弾力のある星屑の身体へ突き刺さり──止まること無くめり込んで、砕き壊す。
固くもあり、しかし柔らかい不思議なものを殴ったかのような衝撃と、それを粉々にする感触とともに、天の神の使者を、地へと叩き落とした。
拳に痛みは──無い。
「ふむ……なるほど。確かに結構、いけそうだな」
なんとか上手いこと着地してそう、ひとりごちる。
──瞬間。
視界は真っ黒に染められた。
は、ぁ──?
一体、何が──?
思考が一瞬だけ止まる、身体は反射的に逃げようとして、しかし動けなかった。
右足に何かが絡まって……!
──違う、何か、じゃない! これ、星屑の、触手──!
や、ヤバ────
そう思うよりも早く視界を埋めた闇──否、僕の全身すらも軽々と呑み込める程大きく開いたその大顎が、急激に閉じ──そして。
光と衝撃が、同時に撓る。
音さえ超えて届いたそれは、何よりも速く星屑を打ち据えて、その身を腐り溶かした。
「慢心しない!」
「わ、悪い!」
そう言って、ようやく一歩後ろへと跳ねて下がる。
心臓の音が、いやにバクバクと鼓膜を打っていた。
吐き出す呼気が微かに震えている。
それを必死に宥めながら、落ち着けと己に言い聞かせる。
大丈夫、まだ大丈夫。
僕はまだ、戦える。
思い出せ、たかだか一週間とは言え、白鳥は懸命に僕を教えてくれた。
焦らず、怯まず、思考を止めず、前を見ろ。
あの日、戦う力を得た僕に白鳥が教えてくれたことは主に二つ。
一つ目は──星屑について。
常に宙に浮いている、移動速度はその気になればかなり速い、一撃でも貰えば戦闘不能になると考えて良い、等と彼女は星屑の特徴を並べ立てたが、その上で彼女は
「星屑の一番怖いところは、学習するところね」
と言った。
ただでさえ数が多いにも関わらず、長引けば長引くほどこちらの動きを学習し、裏を読み始める。
もっと言えば死んだフリすらする星屑さえ出てきたこともあるわ。
だからこそ、その辺が最も厄介なのよね、と。
そしてもう二つ目は──
「真幌の戦闘スタイルは徒手格闘になるから、怖がってはダメよ」
ということ。
それは慎重さを捨てろ、ということではない。
ビビるな、臆するな、ということである。
ただでさえこちらには武器のリーチというものが無いに等しいのだ。
下手に距離を取ること無く、常に接近して一撃で仕留め続けるのが、一番効率的かつ、安全とも言える。
星屑の攻撃は、全て紙一重で躱してやるくらいの心意気で、至近距離での戦闘をすべきだと、彼女は言った。
デンジャーな時は私が守るから、一先ず頑張って、と付け加えて。
であれば、恐れることはないだろう。
迫ってくるそれを、冷静に見据えて的確に身体を──
「ってやっぱ無理!」
無理だった。
というか、無理に決まっているだろう!
あんな巨大なもんが高速で迫ってきてるのにそれを紙一重で……なんて考えていられるか!?
僕はどちらかと言えばアウトドア的行動はしなくもない、程度のインドア人間だぞ!
そんな思いとともに余裕を持って身を捻る、が、それでもすれ違う瞬間に、腕を伸ばした。
目にも似た装飾に指が引っかかり、直後に強烈な重みが腕にかかる。
伸ばしきられた腕が、軋むように悲鳴を上げて──
「う、お、らあぁ!」
それでも構わず、振り抜いた。
弧を描くように山なりに、力づくで引っ張り上げて──迫ってきていたもう一匹の星屑へと強引に、力任せに振り落とす。
瞬間、回転、跳躍。
足元近くに響く衝撃音を聞きながら、トン、と軽く地を蹴るだけで宙へと浮き上がる。
直後、掠めるように星屑が飛来して──それをそのまま、蹴り落とした。
己の踵が鋭くめり込んで、止まること無く振り切ってぶっ飛ばす。
乱回転しながら飛んでいくそれを横目に、着地しながら地を蹴った。
休んでいる時間はない。
白鳥はさながら踊るように、優雅に余裕そうに星屑を打ち据えて消し飛ばしていくが、僕はそうもいかないのである。
余裕が無い、と言えば嘘になるがしかし、それは身体スペックに全力で寄りかかったことにより発生してる余裕だ。
つまり、身体的な余裕はあるが、精神的な余裕はゼロに近い。
目で見てから動いても間に合うが、その間感じるスリルは馬鹿にならないレベル、ということである。
まるで疲労は無いはずなのに、いやに息が切れるのがその証拠とも言えた。
「後、何匹いるんだ……よ!」
言いながら、拳を振るう。
両の手を重ね、斧のように振り下ろせば、星屑は爆散するように潰れて落ちた。
星屑の真っ白な肉が弾けて視界を埋める、それを邪魔だなと払えば、その先で光が舞った。
幾つにも重なる光の跡が、空を埋めると同時に残った星屑を打ち叩く。
それを思わず呆けたように見れば、振るった白鳥と目が合った。
すると彼女はそっと指さして
「ラスト──任せるわ!」
と叫んだ。
それに応じるように、走り出す。
一歩、ニ歩、と踏み抜いて。
三歩目で星屑へと迫る。
「任せろ!」
そう、叫ぶと同時。
僕の拳は、星屑をぶち抜いた。
009
バーテックスとの戦いが終わった後、僕らは誰かに感謝をされたり、賞賛されることは特に無い。
いや、無いと言い切ってしまうのは少々大袈裟か。
訂正しよう、少しはある。
見知らぬ人々、身近な人々、そして自らの為に戦った僕や、白鳥は、その苦労に反してしかし、貰える感謝は雀の涙ほどだ。
とはいえ、それも仕方のないことだと言えるであろう。
幾ら結界で守られていて、白鳥という勇者がいても、それだけで「じゃあ大丈夫だ! 何も問題はないな!」と思えるほど、人間は単純ではない。
事実、結界は多数のバーテックスを前にしては心もとないものではあったし、どれだけ白鳥が凄いやつだったとしても、しかし彼女はまだ、十一歳なのである。
そう、十一歳。
未だ義務教育すら終えていない、小学生なのである。
それが示す意味とはつまり、同情は買えても信頼はされない、ということに他ならない。
この狭い世界で、いずれ全員死んでしまう、と。
あの日、この結界内に避難できなかった人たちのように、自分たちも無残に殺されてしまうだ、と。
そういう未来が待っているのだろう、と。
この諏訪にいる人間のほとんどが、そう思っていた。
白鳥や藤森、そして僕のように、生き残ろうと必死になっている人間の方が圧倒的に少数派であるということだ。
いやまぁ、だからと言って、初参戦の僕はともかく……この数ヶ月戦い続け、そして皆へと声を掛け続けている白鳥には労いの言葉の十や二十は、あってしかるべきだとは思うのだが。
「賞賛の言葉なんて必要ないわ、だって私は、私がそうするべきだと思うから、私がそうしたいと思うから、こうしているんだもの」
と、白鳥はそれでもそう言った。
まったく、惚れ惚れするどころか、若干引きそうになるくらいの善人である。
まぁ、だからこそ勇者なんて役に選ばれた……もしくは選ばれてしまったのだろうが。
「そんなことより、畑を耕しに行きましょう! さぁ、アリーアリー!」
「いや、少しくらいは休ませろよ……」
「ノンノン、そんなんじゃダメよ真幌。作物は人間に合わせて待ってくれはしないのよ?」
みーちゃんも待っていることだし、と。
そう言って彼女は歩み出したが、しかし直ぐに止まり、ゆっくりとこちらへ振り返る。
「……どうかしたか? 」
と、そう声をかけるがしかし、白鳥は構わずこちらへと寄ってきた。
な、何だよ、おい、真顔でこっちに近寄ってくるのはよせ、ちょっと怖いだろ!?
思わずそう思うのと、白鳥が僕の右腕を持ち上げるのはほとんど同時のことだった。
軽く、しかし鈍い痛みが肘を駆け抜ける。
「────っ」
「……痛みは?」
思わず声を漏らしてしまった僕に、白鳥は真っ直ぐと見据えて静かに言った。
言い逃れは……ちょっと難しそうだ。
まったく、目敏いやつめ。結構上手く隠せていたと思ってたんだけどな。
「ちょっと痛むくらいだよ、放っておけばすぐに良くなるさ」
「本当に? 診てもらわなくても──」
「問題ない、治癒能力まで上がったの、知ってるはずだろ?」
そう言って、ゆっくりと白鳥の手から腕を離す。
流石にもう隠している必要もないし、僕は無事な方の手──つまり左手で、右肘を静かに支えた。
支えてから、まぁこのくらいならもうすぐ治るな、と確信を得る。
今も言った通り、あの日僕が得たものは、高度な身体能力だけではない。
それこそ、勇者になった白鳥と同じように、普通では考えられないほどの身体の……所謂治癒力というやつが高まったのだ。
といっても、あくまで治りが早くなる、と言った程度で、致命傷等だと焼け石に水くらいなのだが。
それでもこの程度なら怪我の内にも入らない。
だからこそ黙っていたのだが、白鳥の目は誤魔化せなかったらしい。
さすが、と言うべきだろうか。
観察能力が高すぎると舌を巻くべきか。
まぁ、どちらにしろすげぇと、そう思う。
「うーん、ま、それならオーケー! でも良くならなかったら直ぐにお医者様に診てもらうのよ!」
と言って、彼女は僕の腕を取る。
勿論、痛みの残る右腕ではなく、無事な左腕の方だ──じゃなくて!
「なんで腕を取る!?」
そう言って彼女を見るがしかし、白鳥は薄く笑みを浮かべたまま問答無用で腕を引きながら言った。
「だって、貴方エスケープしちゃいそうな顔してるんだもの」
……いや、何で分かるんだよ。
勝手に僕の思考を読み取るのはやめろ!
「ふふ、本当に嫌なら顔に全部書くのをやめることね」
「えぇ……僕、そんなに顔に出ていたか?」
「自覚なかったの?」
「あったらとっくに直す努力をしているんだよな……」
「でも、そこが真幌のグッドなところだから、直さなくても良いのよ」
そう言って、白鳥は笑った。
僕としては未だに反論してやりたいことはあったがしかし、その笑みを見ればそれも下らないように思え、「はいはい」と適当な返事をしながら歩みを進めたのであった。
010
午後三時。
戦闘が終わった後に僕が向かった先は結局、畑ではなかった。
いや、確かに畑作業は滅茶苦茶遠慮したかったが、別に逃げてきたとかそういう訳ではない。
嘘でも何でも無く、きちんとした予定を僕は入れていたのである。
白鳥は「少しでもオーケーだから……!」と粘ったがこればっかりは譲れなかった。
まぁ何だ。
見舞いというやつだ。
今日も今日とてベッドに横たわり、本でも読んで時間を潰しているであろう、妹の元へと僕はやってきた、という訳である。
もう数えるのも馬鹿らしいほどくぐった自動式の扉を抜けて、受付の人へ頭を下げてから階段をゆっくりと登る。
極稀に、テンションが高い時は衝動に任せ、駆け上ることもあるのだが今は特段、そういう気分ではなかった。
いやまぁ、病院は静かに、が基本だから普通にやってはいけないことなのではあるのだが……。
僕だってまだ十余年程度しか生きていない小童なのである。
どうか許してやってほしい。
「いや君大体走ってるでしょ、何を偶にしかやらないみたいな風を装っているんだ……」
分かってるんならやめてよね、という声が続いて響く。
聞き覚えのある声だ。
そう思って振り向けば、入ってきたのは黒が強い茶髪に、キラリと光ったメガネの男性。
真っ白な白衣を羽織っており、その風貌は正しく"病院の先生"と呼んで良いだろうその人は──
「いやだな、精々週に五回くらいしか走ってな──って、先生じゃん」
当然、この病院の先生であった。
名を、御門という。
昔から柑菜共々お世話になっている人である。
……バーテックス襲来後からは、特に。
まぁ、僕らは親もいなくなってしまったし、その関係だ。
こんな世界では、大人も子供も路頭に迷ってるようなものであるがしかし、流石に子供だけで過ごしていけるような環境ではない。
少なからず、大人の助力は必要不可欠という訳である。
「やぁ、無事で何よりだ。パッと見怪我はなさそうだけど、身体に異常は無さそうかい?」
そう言って先生は僕の身体を問答無用で触れ始めた。
普段なら「いやいきなり何!? 全然大丈夫だよ!」とでも言うところだが、今回に限って僕はそうしなかった。
と、言うのも先生は白鳥と藤森以外で唯一、僕が戦うことになったことを知っている人だからである。
別に隠している訳でもないから、その内諏訪で知らない人はいなくなるだろうが。
だからまぁ、その関係で、先生は僕の身を案じていくれているのだった。
訓練以外──つまり、戦闘で力を使うのは初めてだったし、そもそも戦うということ自体が初のことである。
僕もそうだったが、先生も先生で相当緊張していたのだろう。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、先生。何だかんだ、白鳥の教えは良かったらしい」
先程まで痛めていた方の腕をブンブンと回してそう言い放つ。
此処に来るまでの数十分の間に、すっかり痛みは完治していた。
土地神様様である。
そんな僕を見ながら、先生は少しだけ唸ったが、それでも僕の言葉を信じてくれたのかゆっくりと手を離す。
……いや、これ普通に触診終えただけだな、割と満足そうな顔してやがる……。
「うーん、確かに。一応問題は無さそうだけど……痛みとか、痛みまでいかずとも微妙な違和感とかはあったりしないかい?」
「今のところは、特に。戦闘直後にちょっと腕を痛めたけど、今見た通り、既に完治したしね」
そう言って、一応右腕を見せる。
それを先生は興味深そうに見た後に、「確かになんとも無さそうだ……」と呟いた。
「だからまぁ、初戦闘は完勝だったってとこかな。だから次も大丈夫だろうさ」
「油断大敵だ、本当に、気をつけてくれよ」
「分かってるよ、僕だって死にたくはないからね」
そう言えば、先生は少しだけ目を伏せて、それから何か言おうとして、やはりやめた。
その一連の行動は少しだけおかしくて、けれども酷く僕の心に深く落ちてきた。
──幾ら僕だって、そこまで鈍くはない。
先生が、僕に戦ってほしくない、と言おうとしたことくらい、僕にだって分かる。
だが、そういう訳にはいかないことくらい、承知しているからこそ先生は言うのをやめたのだ。
だからこそ。
それが分かるからこそ、僕は口を開いた。
「大丈夫だよ先生。僕は、僕の意思で戦うことを決めた。先生からしたら、不安かもしれないけど、少しくらいは信じてもらって構わないくらいに僕は、強いっぽいからさ」
だから、大丈夫、と。
繰り返して言えば先生は一瞬だけ泣きそうな顔を浮かべてから小さく
「すまない……私は、君を止めることは、できない」
と、そう言ってから少しだけ頭を下げた。
代わりに、少しでも怪我をすれば、私が最優先で見よう、と。
できれば、そんなことが無いことを祈っているが、とも。
重ねて言って、先生は項垂れた。
ただ、僕にとっては言葉そのものよりも、僕を思ってくれていることが嬉しくて、少し笑った。
笑って、言った。
「ありがとう、先生」
そんな僕を、やはり先生は申し訳無さそうに見たが、関係は無かった。
僕は僕の信じる道を進むだけなのだから。
「それじゃまたね、先生」
そう言って僕は、リノリウムの床をキュッと鳴らして階段を駆け上がる。
後ろからかけられる、階段を走るんじゃない、という声を期待してみたが、しかし、やはり聞こえはしなかった。
が、今はそれでいいだろう。
このことは徐々に慣れてもらえば良いだけだ。
そう思い更にスピードを上げれば──
「こらっ! 病院を走るなーー!」
普通に看護婦さんに怒られた。
当然である。
しかしそんなことも気にせず駆ければ目的地まではあっという間であった。
五階建て病院の、その三階。
部屋番号三○三。
僕の妹が、いる部屋である。
そこを大した緊張感もなくスライドして開ければ、当然ながら妹はそこにいた。
僕を見て「やっほー」と手を挙げる。
それに合わせて「よう」と言いながら椅子を持ち、ベッドの横へとつけた。
「今日は中々遅かったねぇ、何かあったの?」
「ん、まぁ、結構激しめな戦闘をしてきてな。まぁ見事に快勝だったんだけど」
「ふぅん、そっかそっか。で、どうだった? やっぱり強かった? 山田くん」
……?
「いや、誰だ……!?」
「あれ、覚えてない? 隣の家の山田くん」
「うちの隣は佐々木さんだ!」
そう言えば柑菜は「あれぇ? そうだったっけ」と快活に笑った。
今日は随分体の調子が良いらしい、出会い頭に意味不明なことを言ってからかってきたのがその証拠である。
そのことを一人の兄らしく嬉しく思い、同時に気まずく思う。
何せ、僕はこれからその笑顔に陰りを差すようなことを話さなくてはならないからだ。
そう、一週間前から、この日までのことを。
そしてこれからのことを。
僕は話さなくてはならない。
この世界にたった一人だけ残った家族に、僕は、最も死が近い場所に身を置くということを、伝えなければならないのだ。
「で、誰に勝ってきたって? 山田くんじゃないなら……そうね、石上くんとか?」
「いやだからそいつらは誰なんだよ……ったく、あまり茶化すな。バーテックスだよ、バーテックス」
「へぇ、バーテックスかぁ……。ね、お兄ちゃん、幾ら白鳥さんに守られっぱなしなのが嫌だからって、妄想を語りだすのはやめようよ」
「僕を現実と妄想を混合しちゃうちょっとヤバめの人にするのはやめろ!?」
興味なさげというより、完全に憐れみのこもった眼差しだった。
普通に余計なお世話である。
いや、まぁ、妄想等混じっちゃいないから、お世話ですらないのだが。
「だって……勇者でも無く──そうでなくても、ちょっと走っただけで息を切らすお兄ちゃんが戦うなんて、設定にしても無理があるよ」
「まぁ、それはマジでその通りではあるんだけどさ……」
もうちょっとお兄ちゃんの言葉を信じてみない?
一ミリたりとも信用されなくて、お兄ちゃんちょっと泣きそうなんだけど……
「ちょっと、泣くとかやめてよね。私が泣かせたみたいになるじゃん」
「いや、みたいじゃなくてその通りなんだよ!」
責任から逃げようとするんじゃない。
そう言ってから、コホンと咳払いを一つ。
ふわふわとし始めた雰囲気を断ち切るように。
これ、結構真面目な話なのである。
「なぁ、柑菜、ふざけずに聞いてくれ」
「私はいつも本気なんだけど……まぁ良いや、何?」
「今の話は、マジだ」
「……マジで?」
「超マジ」
と、そこまで言えばようやく柑菜の表情が引き締まる。
先程までほにゃほにゃと変動させていた表情を真顔に固定して、鋭くなった目線で僕を見据えた。
「最初から、省略しないで全部話して」
「当然だ」
今日はそのために来たんだからな、と言ってから僕は、全てを話し始めた。
一週間前から今に至るまでの何もかもを語った。
実際に戦って、全然平気ではあったということを強調しながら、そのままの事実を。
僕としては、どう反応されるものかと少々ビクつきながら話していた訳だが、それに反して柑菜は至極静かであった。
僕の紡ぐ言葉の、その一片すら取り零さないと言わんばかりにそっと目を瞑り、一度たりとも口を挟まずに聞いていく。
その姿はとても新鮮で、そして、少し怖くもあった。
何故そう思ったのかは、自分でもよくわからないが、それでもそう思わせるだけの何かが、今の柑菜にはあった。
そんな不思議な何かを感じ取りながら、話しきれば柑菜はやはり目を瞑ったままだった。
ちょっとだけ眉間に皺を寄せ、何かを考えるように額に手を当てる。
その間、僕らは互いに無言であった。
僕にこの静寂を破る勇気はなかった、とも言う。
そんな状態が、どれだけ続いたのだろうか。
時計を見ることすらも何故だか遠慮してしまって、正確な時間が分からない。
ただ日が沈みかけていることから、少なくとも僕がこの部屋に来てから一時間は優に過ぎていることだけが分かった。
まぁ、時間が分かったところで何かある訳でもないのだが。
ちょっと空気が気まずすぎて気が散ってしまうのだ、仕方ない。
「……そっか。うん、分かったよ、お兄ちゃん」
そんな中、不意に柑菜がポツリと、呟くように言った。
その言葉の真意を理解できなくて、ただ疑問符を浮かべれば、彼女は続けて口を開いた。
「私は──私はね、率直に言っちゃえば、お兄ちゃんにそういうことはしてほしくない。ママもパパもいなくなっちゃって、この先お兄ちゃんまでいなくなるかもって思うと正直、不安で指先が震えてくる」
「それは──」
と、口を挟もうとして、けれどもそれは失敗した。
柑菜がそっと指を一本立てて、己の口に当てる。
今はただ聞いてと、そう言って。
「だけど……だけどね。お兄ちゃんが決めたことなら、私は止めないよ。だってお兄ちゃんは、自分で決めたことは中々曲げない面倒な人だし、それに──私を残して死ぬなんて、絶対にしないでしょう?」
それは、清々しいまでの信頼に満ちた言葉であった。
自分の細く、白い指をギュッと握って、「ね?」と首を傾けて、柑菜は僕にそう問いかけた。
その眼差しは、少しだけ揺れていて、けれども決意が目に見える。
今の言葉が本当に心の奥底から生まれたものであると、証明するように輝いていた。
だからこそ。
だからこそ僕は、少しだけ深呼吸してから、同じくらいの気持ちを込めて目を合わせた。
どこまでも真剣に、ゆっくりと。
僕は言う。
「──当然だ。僕がお前を残して逝くなんて、ありえない。何せ僕は、お前の兄だからな」
そう、気丈なように返したつもりだったがしかし、言葉の端が少しだけ……本当に少しだけ震えたように思う。
そのことを取り繕うように言葉を重ねようとしたが、しかし諦めた。
これ以上の言葉は蛇足だと、理性がそう言っていた。
「へへへ、流石お兄ちゃん。信じてるからね」
「あぁ、良く見とけ、お兄ちゃんは絶対に負けないし、死なないからさ」
011
翌日。
午前十一時(くらい)。
昼間。
本来──平和に時が過ぎていた場合──であれば、普通に学校へと通い、眠い目を擦りながら授業を受けているであろう時間、僕は上社本宮にある、参集殿と呼ばれる場所にお邪魔していた。
当然、僕一人という訳ではない。
参集殿には僕の他にももう二人、同い年の人間がいた──というか、白鳥と藤森である。
勇者と、巫女。
そして転生者。
この三人がわざわざ仰々しく集まるのだから当然、只事ではない。
とはいえ、緊急性があるとか、そういう話ではない。
が、しかし僕らのような──その、なんだろうな。
神様からの声を聞き、神様の力を授けてもらい、戦っている、いわば常人ではない僕らがしなければならないことが、ここにはあったということだ。
僕ら、というか、正確には勇者である白鳥が、であるのだが。
まぁなんだ。
何だか結構勿体ぶってしまったが、本当に、言うほど大したことはない。
所謂──定期連絡、というやつである。
諏訪の勇者である白鳥は、ここ、参集殿にある通信設備を用い、定期的に四国と連絡を交わしていた。
まぁ、定期的とは言え、連絡自体はつい最近から始めたばかりなので、まだ三回目とか、そのくらいなものなのだが。
また、何故四国なのか? と問われればその理由は至極簡単なことで、今、僕らに分かっている国内で無事な地域が、四国しかないからである。
四国にはここ、諏訪と同じように土地神様がいて、また同様に勇者がいるのだ。
といっても、諏訪よりもずっと安全ではあるのだが。
なにせ諏訪を守る神は一柱であるのに比べ、四国は何百もの神が集まった集合体が守っているからである。
更には勇者の数も、こちらの五倍。つまり五人いる。
そういうことから、四国は此方よりずっと安全が確立されていた。
で、今。
僕はその連絡に初めて参加させられようとしていた。
次回からは自由参加でオーケーだけど、一緒に戦う以上そこの情報共有はしときたいし、挨拶くらいはしとかないとね? とのことである。
これは流石の僕も、余計なお世話だと一蹴することはできなかった。
その必要性は僕にだって理解できるものであったからだ。
まぁそれと普通に面倒だと思う気持ちはまた別なんだが……。
僕はあまり、コミュニケーションというやつが得意分野ではないのである。
どちらかと言えば授業を抜け出し屋上で昼寝しちゃうタイプに近い。
もしくは教室の隅でいっつも寝ているやつ。
「さて、そろそろね、準備は良い? 真幌」
「あー、いや、えぇ……やっぱり、僕もいなくちゃダメか?」
「オフコース! むしろ今日は貴方を紹介する日なんだから絶対に必要よ! ほら、もっとシャンとして!」
「が、頑張って、夢見君」
「いや、頑張るようなことも、無いとは思うんだけどさ……」
やっぱり緊張しちゃうんだよな、と呟くように言う。
ただでさえ、連絡相手は見知らぬ、それも勇者なのだ。
つまり、女子である。
異性、なのである。
……普通に、逃げ出したくなるのも、許されるというものだろう。
そもそも僕は、そこそこ関わりが長くなってきたにも関わらず、未だに白鳥とも藤森とも上手い距離感を測りかねているようなやつなのだ。
言い訳をするわけじゃあないんだが、白鳥は物凄いグイグイくるし、逆に藤森は引っ込み思案過ぎて、イマイチどうすれば良いのかわからないんだよな……。
因みに、この二人以外で、関わる異性と言えば僕にはもう、妹しかいない。
クラスの女子? はは、いないものを強請っても、しょうがないだろう。
「まぁ良いや、なるようなるだろ。うん、そう思うことにする」
「それで、大丈夫なのかなぁ……」
「不安になるようなことを言うのはやめてくれ、藤森……」
折角奮い立たせた勇気が萎びれちゃうだろ。
そう言えば藤森は少し笑ってごめんと言った。
こいつ、僕をちょっとからかいやがった……!
「さ、通信繋ぐわよ。真幌、もっとこっちに寄って」
「えぇ、そんなに近寄る必要あるのか?」
「そうしないと真幌のスモールボイス、入らないのよ」
「スモールって言うな!」
そんな僕の声を聞き流し、強引に引き寄せた白鳥はそのまま通信設備にある、一際目立ったボタンをポチリと押した。
抗議しようとする、僕へ「しーっ」と人差し指を立てながら。
……くっ、不覚にもときめいた……!
藤森もそうだが、この勇者巫女コンビ、基本的にその、なんだ。
可愛いから、尚反応に困る。
参ったものだ。
そんなことを思っていれば、不意に設備から『ジ、ジジ……』と電子音が鳴り始め、やがてそのノイズも消え、誰かの息遣いが聞こえてきた。
それに少しだけビクつけば白鳥は、受話器のようなマイクを近づけ口を開いた。
「諏訪より、白鳥です。勇者通信を始めます」
『香川より、乃木だ。よろしくお願いする』
聞こえてきたのは、凛として落ち着きのある、およそ僕の記憶にはないタイプの女性の声だった。
のぎわかば、と聞いたばかりの名前を、持ってきたメモ帳に書く。
こうしておけば忘れた時に見ることで思い出せるという訳だ。
また、同様に今日の連絡内容もメモしておけば、後で何かの役に立つかもしれないし……それに、柑菜に話すネタになる。
そう考えていれば、白鳥がちょいちょいと僕の脇を突っついた。
お前も挨拶しろ、ということなのだろう。
それに僕は反射的に、すこぶる嫌そうな顔を浮かべた後、マイクを手にとった。
「あー……諏訪の、夢見だ……です。今回から勇者である白鳥と共に戦うことになりました、よろしくお願いします」
と、慣れない敬語を使ってそう言う。
正直、敬語にすべきかどうかは迷ったのだが、結局白鳥に倣うことにした訳だ。
『戦うことに……? 新しい勇者、ということで良いのか?』
「いや、違います。ちょっと説明が面倒だから……なので、後でも良いか? じゃない、良いですか?」
が、最早慣れない、というレベルではなかった。
ただでさえ一番敬語を使う相手だった先生にですらもう大分抜けてきているのである。
今更取り繕うとしても、普通に無駄であった。
通信の先から、少しの笑い声が聞こえてくる。
「ふ、はは。君は──夢見さんは、どうやら敬語が達者ではないらしい。何、問題ない。私には敬語抜きでも構わないさ」
そも、私もちゃんと使えていないのだからな、と。
「あ、マジか? それは助かる──って、お、おい、白鳥。そう睨むな」
小声で白鳥にそう言えば、彼女は「一応、勇者の公式な仕事なのよ?」と言ったがしかし、「真幌だし、仕方ないか……」と軽く嘆息した。
おい、それはどういうことだ。
ていうか藤森、ちょっと笑いを堪えてるのバレてるからな!
まったく……と、そう反論したかったが今は置いておくべきだろう。
グッと言葉をおさえ、マイクに声を当てる。
「それじゃ改めて、夢見真幌だ。夢を見ると書いて夢見、真実の真に幌馬車とかの幌で、真幌と書く。よろしくな」
「そうか、ではこちらも改めて。乃木坂の乃木に、若い葉と書いて、乃木若葉だ、よろしく頼む」
スーッと、メモに書いた"のぎわかば"の字に線を引き、その上に"乃木若葉"と記す。
それから横に、思いの外話しやすそう、と付け加えてからもう一度口を開いた。
「おーけーだ、それじゃあ、さっきの話なんだけど、結構説明が面倒だから、一先ず……えぇっといつもやってるやつ──」
「定期連絡ね、互いの被害状況とか、侵攻頻度とかの連絡」
「そうそれ、定期連絡の後でも、良いと思う。ていうか正直、白鳥から聞いてもらった方が早いと思う。このことについちゃ、何だかんだ白鳥の方が早いし詳しいまであるからさ」
「ふむ……そうか、いや、そちらがそう言うのであれば、こちらとしても問題は無い。では先に、状況確認から行こうか」
乃木がそう言うのを聞いてから白鳥とマイクを代わる。
そうすれば白鳥は随分と丁寧な口調で喋り始めた。
こ、こいつ、敬語をマスターしてやがる……!
そう思い藤森を見れば彼女は「ちょっと似合わないよね」と笑った。
……まぁ、確かに。
同い年である僕と比べ、随分と達者なその語り口調は、見ようによっては酷く違和感を覚えるものだった。
が、しかしそれはそれとして、認めるのも癪なのだが、これがまた中々板についていた。
白鳥の器用さが伺えるというものだ。
が、まぁじっと見ていて楽しいものでもない。
まぁつまり、ちょっと暇、ということだ。
「なぁ藤森、これっていっつもどのくらいやってるんだ?」
故に僕は、同じように手持ち無沙汰そうにしている藤森へと声をかけた。
白鳥から離れ、グッと近づいて座る。
そうすれば藤森もこちらを見て口を開いた。
「一時間くらいかなぁ、それ以上ダラダラと喋ったりとかは今のところ無いよ」
「へぇ、それはちょっと驚いたな。一時間もこの報告続くのか?」
と、チラリと後ろを見れば、未だに言葉を交わし続けている白鳥の姿。
一時間も、これをしているのか……
そう思えば藤森は「あ、違う違う」と否定した。
「状況確認自体はね、直ぐ終わるんだけど……四国の乃木さんとうたのん、結構馬が合うみたいで……」
「えぇ、乃木さんは結構まともそうな印象うけたんだけど……」
あの白鳥と同じで、変人カテゴリに入る人間なのか……? と、小さく呟いた僕にこれまた、藤森は否定した。
「えぇっとね、正確に言えば、どちらも好きのゴリ押しが強いと言うか……」
そう、口火を切った藤森曰く、あの二人、初めての通信で世間話をし始めた挙げ句、うどんと蕎麦、どちらが優れているかの論争を始めたらしいのだ。
勿論、うどんは乃木で、蕎麦は白鳥である。
前回も前々回も、それにほとんど時間を費やしたのだとか。
……いや、くそほどどうでもいいな……。
思わずそう言った僕に、僕らの話が聞こえていたのか、後ろから声が突き刺さる。
「その考えはとってもノーよ真幌! 蕎麦の方が断然優れているに決まっているんだから!」
白鳥の鋭い声が参集殿に響き渡った。
当然、それほどの声で言ったということは──
『何を愚かな。うどんと蕎麦、比べるまでもなくうどんの方が優れているに決まっているだろう』
通信先の、乃木にも聞こえているということだ。
確かにこの二人、相当気が合うらしい。
主に面倒くさい方向で。
「まぁ僕はどちらかと言えばうどんが好きだな。うどんの方が歯ごたえがあって──」
だがまぁ、ここは話に乗るもの一興かと思い、そう言いかけたがしかし、それは遮られた。
否、遮られたというか、塗りつぶされた。
それは誰にか、と言えば──
「真幌の裏切り者~~!?」
当然、白鳥であった。
いやすまんな白鳥。
僕、別に蕎麦が好きって訳じゃないんだ。
そう言えば通信の先から『よしっ!』という、至極嬉しそうな声が聞こえてきたし、白鳥が酷く顔を顰めた。
……あぁ、これはまた、面倒なことをしてしまったな。
と、僕は静かにそう思った。
この後うたのんは「みーちゃんはどっち!?」って聞くし、代わりにマイクを取った真幌は若葉に延々とうどんの良さを語られる。