鮮花よりも先に、コクトーよりも先に、普通ではないふじのんの異性のお友達になる話。
浅上藤乃とお友達
転生――。転じて生まれるという意味のまま、それは生まれ変わりという意味を持つ。
魂の輪廻という概念がある。
魂は生と死を繰り返しているという概念だ。一度死んだ魂は新しく生まれ変わる。その生と死が延々と繰り返されるというもの。
しかし魂は生と死を繰り返していても、記憶というものはその一度の人生に限った物でしかない。
一度の人生を終え、新しく生まれ変わったところで、それを認識出来なければ転生とは言えず、それは新しく生まれる新生と呼ぶべきだ。
故に、転生というものは死ぬ前の記憶を保持したまま、新しい人生に生まれ変わる意味を持つ。
ならばこそ、前世の記憶を持ったまま生まれてしまった自分は、周囲が新生している中で転生という異質な生まれをしているところからズレている異物だ。
そんな異物が普通の人生を歩めるのかと訊かれたら、歪ながらも肯定する。
「おはようございます。
「ああ…。おはよう」
隣の席の女子に声を掛けられた。儚くて、穏やかで、嫋やかで、消えてしまいそうに気薄い彼女。
中学生になってから出逢った彼女は、望んでもいなかった二度目の人生に色を添えてくれた人物だった。
前世を持っているというものは日々を退屈にさせる。なにしろ何をしても新鮮味を味わえないのだ。世の中に転生という物はなく、新生のみがある理由は、そうした前世の記憶によって物事に対する新鮮味を味わえなくなった魂の腐蝕を予防する為なのかもしれない。
少なくとも、子供の時分では試せる選択肢というものは少なかった。親が望むのならばそれでも良かったが、特に習い事等もしたいとは言い出さなかった。何故なら勉強くらいは自分の学習能力でどうとでもなる程度だし、態々お金を払って貰って新しい選択肢を試そうとする我が儘に両親を付き合わせるのは別問題だろう。
言ってしまえば、お金の掛かる習い事をはじめたいという我が儘を遠慮した。これが普通の小学生の子供ならばそんなお金の事など気にせずにあれこれやってみたい、習ってみたいと言い出すのだろうが、少なくとも自分はそんな金銭感覚がわからない子供ではないのだから極力お金の掛からない過ごし方を選択していた。
オモチャもテレビゲームもねだることなく、唯一買って貰っていたのは本だったか。
そんな選択肢の幅の狭い日常を過ごす中で苦痛だったのは、日常の大部分を締める学校だった。
価値観が文字通り合わない。同世代の子供たちの自分勝手な言動や行動に苛立ちを募らせる事もあった。
そうしたものに関わらない様に、静かに本を読んでいようとするのに人を指差して「ガリ勉野郎」などと揶揄させるならまだ良いが、本を取り上げて返さずに投げ合い、こちらが困ることを楽しむ所謂イジメと出会した。本も安くはないし、文庫本はそんな投げものに使うほど頑丈ではないので止めて欲しかった。
あれは困った反応で右往左往するのが楽しいと思うからエスカレートするから、飽きるまで好きにさせておくしかない。
しかし人を指差してからかうなと親に教わらなかったのだろうか。2000年代に生まれた若い世代ならともかく、80年代の今ならば親の躾も確りしているイメージだった。
今さら子供のイジメに参る様なメンタルはしてなかったから相手にしないことでスルーを決め込み、気づけば小学6年間友達は居なかった。この頃の自分は他人を無視するのが普通になっていた。
それでも自分がイジメられていたのは親には筒抜けだったらしく、本来とは別の学区の中学校に通うことになった。如何に中学生になって一気に同級生が増えても、元々イジメられていたという事実が知れれば新たなイジメの標的にされるだろうという両親の気づかいだった。
他人を無視する事が普通になっていたから特に新しい出会いなんて期待せずにいたところに、中学生くらいからはクラス替えとかで起こる第一のイベントである隣の席の相手との自己紹介というもので、彼女の存在を知った。
その名を聞いて、理解し、そして彼女の幼くも、記憶にある特徴、藤の名の如く藤色にも見える黒い髪に琥珀色の瞳。儚く清楚な印象を抱く少女の姿に、自分の錆び付いていた世界の歯車が動き出した様な感覚を抱いた。
何故彼女が自分の退屈な世界に色を添えてくれた人物なのかと言えば、下衆な話になるが、自分は彼女がとある創作物のキャラクターであることを知っていたからだ。
そして同時に自身が創作物の世界に転生を果たした事を知るが、知ったところでどうなるか。自分にはなにも出来ない。魔術師である訳でもない自分には精々彼女の持病が早期発見される様にそれとなく様子を伺う程度だ。
相手が創作物の登場人物だからと、今までとは打って変わって他人に興味を示す自分のなんと現金な事か。それでも中学生になれば少しは価値観の共有もし易かった。
だが今さら自分から積極的に他人と会話をするには、6年間続けた他人への無関心は思った以上に難敵だった。故に話し掛けられれば2、3言葉を交わすくらいしかしないし出来なかった。他人に興味を懐くというのが難しかった。
だから失礼だろうが、普通でない特別な、物語の登場人物の一人である彼女には興味を抱けたのかもしれない。
彼女は普通とは少し異なる人生を歩んでいる人間で、後天的に痛覚を封じている人間だった。
だから痛みを感じないから、彼女の持病の発症にも気づき難い。そうでなくとも彼女は自分が普通とは違うことを知っているから他人とは一定の距離を取る人物なのだが、どういうわけか彼女は自分に対して世話を焼いてくる。
それは互いに他人に一定の距離を置くからこそ、似た者同士の馴れ合いなのだろうか。
それとも普通とは違う者同士だから引き合う何かがあるのか。
いずれにせよ、そんな彼女と過ごす日々は悪くはないと思っている。
取り繕わない言い方をするなら、「ふじのんマジサイコー」である。
「今日も、ご機嫌斜めですか?」
「別に。いつも通り」
そんな淡泊に聞こえてしまうようなぶっきらぼうなやり取り。しかしこれが少なくとも自分と彼女のいつも通りの会話だった。
彼女がそう言うのは、自分がそんな表情をしているからだろう。それには理由があるが、今は別に関係ないだろう。
「浅上も、相変わらずか?」
「はい。藤乃もいつも通りです」
長続きしない会話もいつも通りだ。彼女も自分も、自分から積極的に会話をする気質でないからだろう。
「ほんとか? ソレ」
「はい。熱も脈拍もいつも通りです」
「ふーん。ならいつも通りか」
彼女の事情からして定期的な診断はしているだろうが、それが健康診断かどうかはわからない。顔が赤いクセに本人はケロっとした様子で居たから保健室まで引っ張って行って熱を計らせたら普通に風邪を引いてるくらいの熱を出していたのがそもそもの始まりだったか。
無痛である上に他の感覚も少し鈍いらしい彼女の事を放って置けなくなってしまったのはこの頃からだったか。
転生してからはじめて友人と呼べる相手が浅上藤乃だった。
彼女が自分をどう思っているかはわからないが、少なくとも嫌われてはいないだろうとは思う。
「ちっ……」
クラスでは浮いている自分が、見掛けからして少なくともクラスで一番。おそらく学校一番。たぶん地域一番の美少女の彼女と話しているのが気に食わない男子と、下衆の勘繰りをする女子の嫉妬と好奇の視線を向けられるのに舌打ちをする。別に友達と話すくらい不思議なことでもないだろう。
そんなある意味鬱陶しい視線を向けられているのが自分だけだからか、あるいはその辺も鈍いのか。藤乃は特に気にした様子もなく、視線を向けていた自分に気づくと軟らかく微笑んだ。花が咲いた様な笑みとはこんな物だろうという言葉が思い浮かぶくらいに優しくて心地の良い笑みだった。
「どうかしましたか?」
「…なんでもない」
そんな彼女の笑みを見ると、毒気を抜かれて、感じていた不快感も気にならなくなり少しはマシになる。
ただ、こんな彼女に待ち受ける未来を思うと、どうにか出来ないものかと考えが廻ってしまう。彼女と関われば関わるほどにその思考は廻り回って自分を悩ませる。
高校生となれば彼女との縁は続くのだろうかという懸念もあるし。自分のような人間にも接してくれる彼女が不良に無体な目に合わされるのも、出来ることならどうにか避けたい。彼女を待ち受ける運命にただの人間である自分が介在できる余地があるとは思えないものの、友人に不幸が待ち受けると知っている手前、それを見てみぬフリなど出来ないし、したくもなかった。
◇◇◇◇◇
藤乃にはただ一人、不思議なお友達が居ます。
普通とは違う、いつも何処か遠いところを見ているような瞳を持つ男の子。名前は
名前に姫の文字が入っている、読み方が異なれば
とはいえ、可愛らしいというのは織姫さんには褒め言葉になるようで、その言葉をいうと顔を赤らめるところがまた可愛らしいんです。
わたしと織姫さんがお友達になった切っ掛けは、わたしが熱を出していて、そんなわたしを織姫さんが保健室まで連れて行ってくれたことが始まりでした。
何処か普通ではないらしいわたしは、その時はとても怖かった。熱を計った体温計を見た保健室の先生も慌てた様子でわたしをベッドに横になるように告げて、織姫さんにわたしを任せると保健室を出ていってしまいました。
40度の熱はいつもより身体が動かし難い、重いとしか感じない私からすると大事の様で、その大事になりそうな予感に、お門違いにも織姫さんを少し恨みました。
なのにどうしてわたしは織姫さんとお友達になったのか。
織姫さんを恨んだわたしは、新しく変わった生活環境と、普通に在ろうとする重圧感、普通である浅上藤乃を築いて行こうとする自分を邪魔されたみたいで、つい織姫さんに言ってしまったのです。
自分は普通にしていなければならないのに、余計なことをしてくれたと。
怒りに任せて言ったのでもう少し酷い言葉を浴びせていたかもしれないですし、もっと訳のわからない事を言っていたかもしれない。要約するとそんな内容の言葉。
それを聞いた織姫さんはこう言ってくれたんです。
「無理に『普通』になる必要なんて、ないと思う」
それこそこれからの、今までの、わたしの努力を踏みにじる様な言葉に声を荒げようとして、織姫さんの瞳がいつもとは違うのを見て、その気がなくなってしまった。
眼鏡を外した織姫さんは、いつも何処か遠いところを見ていてまるで空虚だった瞳には光が灯っていて。何処か悲し気にそれでいて穏やかな瞳をしていた。
「僕も普通じゃないんだ」
そう言った織姫さんは自分の普通じゃないところ。二重人格の様なものである事を打ち明けてくれた。
普通とは違うのに、それでも普通に過ごせている織姫さんを、わたしは羨ましく思い、そして妬みもした。
「あなたに、わたしの何がわかるんですか」
「わからないよ。誰にも。悩みなんて、抱えている本人にしかわからない。でも、自分だけで悩むより、誰かと悩めば、少なくとも独りじゃないって事だけはわかる、かな」
独りじゃない。普通でないから、普通になろうとしている私に、織姫さんはそんな残酷な言葉を投げてきた。
どうしてそんな言葉をわたしに言ったのか。熱が下がるまでの数日間、考えても答えは出るわけもなく。数日ぶりの学校の放課後に、わたしは織姫さんを呼び出した。
「なんだよ。話って」
「…この間の事です」
「…ああ。なんだそれか。それはオレには関係ないな」
そういつもの何処か空虚な瞳を浮かべる織姫さんが眼鏡を取ると、文字通り人が変わった織姫さんが顔を出す。
「こんにちは。浅上さん…」
穏やかな瞳の織姫さん。それが本来の織姫さん。普段の織姫さんは『代わり身』として本来の織姫さんを守る人格なのだそうだ。
「この間の、境さんの言葉を、わたしなりに考えてみました」
普通である必要なんてない。
その言葉をどうしてわたしに言ったのか。
この時のわたしは、ハッキリ言って織姫さんの事が少し嫌いでした。
わたしの何を知っていてそんな無責任な事を言ったのか。そんな憤りに近い感情が胸で渦巻いていて。
「でもわかりません。普通でないと嫌われてしまうかもしれない。なのにどうして、あんな事を言うんですか」
「普通になろうとして、そんな作り物の浅上さんを見て仲良くしようなんて、それは浅上さんであって、浅上さんを見ている事にはならないから」
「自分を偽っている様なあなたが言うんですか?」
わたしの言葉を受けた織姫さんは、それはとても苦しそうな顔を一瞬だけ浮かべたあと、一息吐いて言葉を紡いだ。
「……そうかも、しれない。だから僕は浅上さんの事を言える立場でもなんでもない。だから、僕は、普通じゃない浅上さんと、友達になりたいんだ」
その時のわたしは、織姫さんのその言葉の理解が追いつかなくて暫く呆けてしまった。
こんな険悪な空気に近い雰囲気の相手に、普通でないわたしと友達になりたいと宣った織姫さんに、藤乃はおかしくて、そして嬉しくて、普通であろうとするわたしではなく、普通ではない藤乃を望んでくれる人が居ることに、とてつもない安心感と心地好さを抱いてしまった。
普通なら、普通ではないと言われた自分とお友達になりたいと言われれば不快感を抱いたりするようなものですが、普通ではない藤乃には、そんな普通ではない織姫さんの言葉がどうしようもなく突き刺さってしまったようで。
それが藤乃が織姫さんとお友達になったとある春の出来事でした。
to be continued…