ちなみにいうと織姫の姿は「両儀式」の第三段階の姿(ちょっぴり髪の長さが足りていない)だから常にフルドライブ状態でヤバいのだ。でも生まれたばかりだから賢く見えてちょっとアーパーだったりする。アーパーじゃなかったら? それこそ姫アルクみたいにもっとヤバいんじゃないかなぁ。
織姫を引き取り、早速私は織姫に義肢を取りつけた。
魔術回路を仕込もうかと思ったが、余計な添え物は却って織姫を壊してしまうだろう。故に織姫の身体と遜色ない義肢を造った。
人形作りというよりホムンクルスの領分だったが、それも仕方がないのだろう。
今の織姫では人形の腕を取り付ける事すら受け付けないだろう。そういった意味では融通が利かないから面白味に欠けてしまうのが惜しい。
「どうだ。動かせるか?」
「ええ。少し痛いけれど」
「今は違和感を感じるかもしれんが、意識はなくとも二年間お前は片腕だった。その現実と認識の差が埋れば違和感も消える。痛みは繋いだ神経が馴染むまで我慢しろ」
腕の稼働域を確かめる様に、少しでも違和感を埋め合わせる様に織姫は腕を動かしていた。
「良い感じね。礼を言うわ、橙子」
自分が完成した事が嬉しいのか、織姫の表情は生き生きとしていた。
そういう子供っぽい所は以前の面影がある。いくら変わろうとも織姫は境織姫なのだから、ふとした瞬間に以前の面影が見える。それは両親にとっては辛いことだろう。
それを受け入れられるかはその人間の器量次第だ。
或いは藤乃の様にバカ正直に真っ直ぐな人間くらいか。そもそも私は藤乃の方が今の織姫を拒絶すると思っていたが、盲目というよりも、そんな些細なことはどうでも良いと言わんばかりに織姫に構い倒していた。
織姫を引き取ったと言うことは、当然として避けられないものがある。
「おはようございます、橙子さん」
「おはよう、黒桐」
この伽藍の堂の職員、黒桐幹也との鉢合わせだ。
「おはよう、コクトー」
「うん。おはよう、織姫」
ただ思ったよりもあっさりと二人は馴染んでしまった。
馴染まないのは黒桐に付いて顔を出した式の方だろう。
織姫は式を気にかけているが、式は織姫を疎んでいる。いや、黒桐と話していると今にも殺さんという勢いで睨んでいる。
ちなみに黒桐が織姫を呼び捨てなのは本人の希望だ。そうでないとしっくり来ないのだとか。
読みが同じだからややこしいが、不思議と織姫と式はそれを聞き間違える事をしない。自分が呼ばれているのかどうかという意識で判断していると織姫は言っていた。
式からすれば織姫は完璧な「両儀式」であるから視界に収めたくもないだろう。だが、黒桐が取られまいかと心配で黒桐に付いてきてしまう。
織姫は確かに両儀式の投影だが、根底の価値観は境織姫のものだし、本人は藤乃にぞっこんであるから、黒桐に向ける情は親愛の域を出ない。もしくは友情かそれくらいだ。黒桐にしても織姫は織姫と認識しているから心配は要らない。
黒桐に言わせれば昔はそっくりだったらしいが、今なら見分けがつくから見間違いはしないと言っていた。
それが見掛けか、或いは本質かまでは私の知るところではないが。
「でも凄いですね。これが義肢だなんて思えない。ちゃんと温かいし、手触りも人間のそれだし。橙子さん、医者としてもやって行けるんじゃないですか?」
織姫の左手を取って触りながら言う黒桐。
式が物凄い顔になっている。
織姫は相変わらずニコニコしている。
人間関係の複雑骨折でも見ている気分だ。
「橙子はその道では最も優れた技術を持つ人形師だもの。読んで字の如く、人の形を追い求めた果ての技術だから、こうも人そのものを造れるのよ」
「お前に言われてもあまり嬉しくはないがね」
その気になれば腕の一本や二本自分で生やせるのだろうが、やはりどうにも織姫はそうした人間の範疇からの逸脱を拒んでいる節がある。かといって、物の死を視ることが人間の範疇に収まるかと言われたら疑問を持たざるを得ないが。
「幹也、喉乾いた」
「あ、うん。コーヒーで良いかい? 織姫も飲む?」
「ええ、いただくわ」
コーヒーを準備するのに事務所の奥の部屋に黒桐が入ると、空気が剣呑とした物になる。
一触即発。織姫が式に向けて少しでも敵意でも向けていればこの場で殺しあいでも始まっていただろう。
「なんなんだ、お前は」
「別になんでもないわ。私は私よ?」
「どうだか…」
これに関しては織姫が完全に上手だった。というより、欠けてしまっている式が織姫に敵うはずがない。式のひとり相撲なのだから、織姫からすれば微笑ましいで済んでしまうのだろう。
式は物事の奥を見つめられるはずだが、或いは今の織姫が雑じり気無しの「両儀式」だからこそここまで嫌っているのか。
それとも、自分が手に入れられないものを持っているからか。
いずれにせよ、今の式では逆立ちしても織姫には敵わない。取っ組み合いでもすれば式が勝つだろう。式の身体能力は織姫には無いものだ。
だがそうした意味での優劣に意味はない。それを理解しているから式は織姫を見るとこうも攻撃的になるのだ。
ただ黒桐に付いてきた式と違って、伽藍の堂で仕事のある黒桐と、昏睡するまでの約半年間とはいえ伽藍の堂を実質管理していた織姫は、同じ管理職として話す機会が多い。
本人たちは仕事の話をしているだけなのに、和気藹々としているから式の不機嫌が加速する一方だ。
中々愉しい光景を見れるから、コーヒーが旨い。
「私を見るな、式」
「ふん。トウコがあんなのを引き取るからだ。なんなんだ、あれ」
「引き取らざるを得ないさ。でなければ織姫には行き場がない。そもそも織姫は元々此処に住んでいたのだから、此処が織姫の居場所なのは当たり前だろう」
そう。今の織姫にとっての居場所。家と呼べるのはこの伽藍の堂だ。血筋など関係なく、実感として魂の拠る辺となる原風景は此処なのだ。
「心配する事ないわ。あの子はもう拠り所としてる娘がちゃんと居るもの。あれはただ単に友達付き合いしてるだけよ」
フォローを入れるという柄にもない事をするのに眼鏡を掛ける。なんだかんだ言って見ているのは面白いが、気が張り続けるのも落ち着けない。
「ならどうしてあいつは女なんだ。あいつ男だろ?」
今の織姫が女であるとはいえ、式にまで女として認識されているというのなら、それはやはり両儀式の投影としては完璧だと言うことだ。
「それが今のあの子だもの。変えようがないわ」
もしそれが変わるのだとしたら、それは織姫が役目を終えたという事だろう。
◇◇◇◇◇
境織姫――。
二年前に1度だけ会った式にそっくりな後輩は、二年前とは別人になっていた。
二年間の昏睡で織が居なくなってしまった式。
藤乃ちゃんから聞いたけれど、織姫も二重人格だったらしい。そんなところまで似通っていた二人。
式から織が居なくなってしまったように、織姫もなにかをなくしてしまったのだろうか。
以前は普通の男の子だったのに、今はまるで女の子だ。
どう接したら良いのか悩んで、結局女の子扱いに落ち着いた。でも距離感はどっちかというと男友達のそれに近い。まるで織を相手にしているかの様だった。
女の子なのに男友達の距離感というのは中々難易度が高い。それでもそれは、織姫はそうした距離感なのだとわかれば難しい事じゃなかった。
ただ織姫をいつも恐い顔で睨んでいる式が気掛かりだ。織姫は悪い子じゃないのに。
「最近はご機嫌斜めだね、式」
「うるさい」
退院してから式は急に独り暮らしを始めた。だから、僕は仕事終わりに式を送り届ける。そんな道すがらの会話が出来ることが嬉しかった。式がちゃんと此処に居るのだと実感できるから。
「織姫の事、なんだか嫌ってるみたいだし。良い子だよ、あの子。きっと式とも仲良くなれると思うんだけど」
「鏡を相手にどう仲良くしろってんだ」
「鏡? 確かに二人とも見た目はそっくりだと思うけど、式と織姫はまるっきり別人じゃないか」
確かに二年前の時、僕は織姫の事を式と間違えてしまったけれど、話してみてわかる。
式は式で、織姫は織姫だ。そっくりでも、同じじゃない。
「お前にはわからないよ。アイツはオレだ。いや、オレよりもオレらしいんだ。だからオレは、アイツと仲良くなんてなれないし、したくない」
それは二年振りに見た、他人嫌いの式の他人に対する拒絶だった。
でも二年間眠り続けた式には、他人嫌いの事はつい昨日の事。つまり式にとってはいつも通りの事なんだ。
どうしたもんかと悩んでしまう。
僕の職場は織姫の家でもあるのだし、家の中で仕事中は部屋に籠っていてなんて言えるわけがない。仕事の邪魔をしている訳でもない。それでは織姫が可哀想だし、なによりそう言う権利は僕たちにはないわけだ。
じゃあ式に家に居てと言うのかというと、それもやっぱり違う。
何か切っ掛けがあれば。そう思っても良い案が思いつかなくて、一先ず二人の関係改善は保留にするしかなかった。
◇◇◇◇◇
境織姫――。
はじめて目にした時の印象は衝撃。次いで嫌悪だった。
自分の前に鏡でも置かれたかのようだった。いや、まさしく鏡だった。
あれは
でも、私には無いものを持っている。手に入れられないものを持っている。
完璧な、欠けていない両儀式なのだ。
でもおかしい。向こうは空っぽなのにどうして欠けていないのかがわからない。
空なのに満ちているという矛盾。
それがわからない。
わからないし、わかりたくもない。わかってしまった時、きっと私はあれを殺したくなる。
だから無視すれば良い。けれど、あれがアイツの隣に居るのが気に食わない。
殺してやろうかとも思った。けれどダメだ。その時は私が殺される。欠けている私では敵わないのだと解ってしまう。
だから遠目に睨みを利かせる事しか出来ないのが余計に腹立たしい。そんな負の循環をしているこちらと違って、まるでそれが子供の癇癪の様に感じている余裕のある笑みがまた苛立ちを助長させる。
関わらなければ良いのに、そうすると負けたような気がして癪だから、また今日も幹也に付いていく。そして振り出しに戻る。
馬鹿馬鹿しい。
だからあれは嫌いだし、幹也に言ったように仲良くするつもりなんてない。頼まれてもお断りだ。
◇◇◇◇◇
完全なる
「驚きました。まさか織姫さんが訪ねてくるなんて」
後先考えずに取り敢えず藤乃の学校に突撃する程度には喜んだ。
「ごめんなさい。でもあなたにいち早く伝えたかったの。とても次の土曜日なんて待てないわ」
そのまま手を引っ張って学校から連れ出してしまう程度には喜んだ。
「ふーん。聞いた限りじゃ別の意味で想像出来なかったけど、本当に見た目は両儀式にそっくりなのね」
そのままアーネンエルベに連れ込んでお茶する程度には喜んだ。何故かコクトーの妹の鮮花まで一緒に。
「でも藤乃の友達の織姫って男の人だったんじゃないの?」
「えーっと、それは、なんと言えば良いのか…」
鮮花の疑問に藤乃はどう説明したものかと言葉を探している。藤乃はそんなことを気にする事もしないで私を受け入れてしまったから、やっぱりバカな娘だ。
「身体は男だけど、今は女というだけよ。前はちゃんと男だったけれど」
「つまり、オカマ…?」
「ふふっ。鮮花のそういう所はコクトーにそっくりね。そう真っ直ぐなところ、私は好きよ」
「いや、好きって言われても……」
あの普通を体現しているコクトーの妹だからか、普通の一般論で返してくる。そういう普通な所は好ましかった。
「魔術を学んでまだ日が浅いから大丈夫でしょうけど、その常識を忘れないで。魔術はその常識から外れるものだから。どんなにそれが魅力的でも、自分の為に魔術を使ってしまってはダメ。兄弟子からの忠告よ」
「はぁ…。ん? どうして私が橙子さんの弟子だって知ってるの」
「私も橙子の弟子だから。言ったでしょ、兄弟子って。まぁ、コクトーを振り向かせたいからって理由で魔術に手を出すちょっとおバカさんなところが藤乃に似てるから、私も鮮花が好きなのかもね」
「橙子師ーーーっ!!」
鮮花にとっては自分が魔術を学ぶ理由を師に暴露されていることが余程恥ずかしかったらしい。橙子の名前を叫んで頭を抱えて、テーブルに突っ伏した。
好きな人の為に魔術を学ぶ。
藤乃と鮮花が友達なのも納得が行く。似た者同士だから何処か波長が合うのかもしれない。
私も人の事は言えないけれど。
愉しいお茶の時間を過ごして、適当にショッピングを楽しんで、藤乃と鮮花を送り届けた帰り道。
真っ直ぐ伽藍の堂に帰れば良いのに、私は夜の街を歩いていた。
7月になってもう世間的には梅雨明けして夏が始まる夜。
湿気を纏う空気はじめっとして重い。単衣の着物でも、少し暑い。
礼園から歩いて帰ってきたからそれなりに良い時間になってしまっている。或いはそんな良い時間になるように歩きを選択したのか。
どうしてこんなことをしているのか、私にはわからない。ただ、
道路と道路が交わる十字路。
その入り口には人影が立っている。
私の後ろにも。四つ路だから、私は四人の人影に囲まれていた。
街灯の陰になっているから顔はわからないけれど、目付きに理性はない。
理性がない私だから、そうした理性のない輩を惹き込んでしまったのだろうか。
人影たちは覚束無い足取り……ではなく、まるで獲物を狩る獣の群体の様に向かってくる。
「良いわ。今日の私は気分が良いの……」
投影魔術で投影するものは剣だ。
「両儀式」という剣を投影し、当然の様に手の中には一振りの刀が顕れた。
「剣式――」
刀を構え、最初に躍り出た人影に向かって、私は煌めく刃を振り抜いた。
刃が駆け抜けた軌跡を追うように鮮血が舞う。
そこに感傷はない。あるのは、身体を動かすことの出来る躍動感だけだ。
私は笑った。悦んだ。こんなにも生きているのだと実感できるのだから。
to be continued…