小川マンションの調査を橙子さんが幹也先輩に頼んだ翌日。珍しく先輩は遅刻してやって来た。
「すいません、遅れました」
持ってきた剣道の竹刀袋みたいな包みを壁に立て掛けて大きく一息吐いていた。
「幹也。それ、誰の仕業だ」
式が指差す先には幹也先輩が持ってきた荷物がある。
どうやら聞く限り式の世話係の秋隆という人からの預かりものだという。
銘がないとか兼定らしいが真偽がハッキリしない云々と、幹也先輩の説明を聞いてもちんぷんかんぷんだが、式はそうではないようで子供が新しいオモチャを前にしたようなレアすぎる顔を輝かせた式は早速と言わんばかりに荷物を手に取って括ってある紐を解いた。
ぞわりと、空気が変わったのが判った。
「し、式。それヤバいやつじゃないかな?」
「お前にもコイツの良さが解るか?」
「式、それなに?」
「見るか? ちょっとお目にかかれない業物だぜ、こいつは」
式が竹刀袋の中のものを出そうとすると、橙子さんの待ったが掛かった。
「式、それは古刀だな? 五百年も前の刀なんてここで取り出すな。結界がまるごと切れたらどうしてくれる。おまけに九字まで入っている。兵闘ニ臨ム者ハ皆陣列前ニ在リ、か。あいにくと私程度の結界では五百年クラスの名刀には太刀打ち出来ない。それをここでさらして見ろ、下の階のモノが溢れ出すぞ」
いつになく危機感を出す橙子さんの言葉に式も慌てて竹刀袋を戻し始めた。
「そうだな、剥き出しの日本刀を幹也に見せてもつまらない。柄を用意してないなんて秋隆もボケたかな」
式は名残惜しそうに竹刀袋をソファーに寝かせた。まるでお楽しみを先延ばしにされた子供のようだ。
橙子さんは続けて式に歴史を積み重ねたものはそれだけで魔術に対する神秘になると説明した。つまりは概念武装の説明のソレだ。
「それで黒桐。今朝の遅刻の理由はなんだ?」
話題を変えて橙子さんが幹也先輩の遅刻の理由を問う。
予想はしていたから驚かなかったが、やはり小川マンションの事を調べて徹夜したのが遅刻の理由だった。
住人のリストからマンションの設計図、建設に関わった作業員と作業スケジュール、住人の家族構成とその勤め先、前の住所までありとあらゆる個人情報が網羅された紙束をどさどさと橙子さんの机に積み上げていった。
たったの一晩でこれである。しかもこれで半分程度の住人しか追えていないのだとか。半分でも充分凄すぎる。
そしてこれで幹也先輩は神秘の欠片もない一般人である。一般人ってなんだろう。いやもう充分逸般人だと思う。
「トウコ、今のリストちょっと」
橙子さんの手元の住人名簿を覗き込む式。
「……だよな。こんな珍しい名前、二つとない」
気になって自分も覗いてみれば、リストの最後に臙条という名字を見つけた。
「先に帰る。トウコ、足になるような物あるか?」
「ガレージの端に200のバイクが余っているが」
「おまえな、着物でバイクに跨がれっていうのか」
式の言う通り着物でバイクには跨がれないだろう。
「僕が送るよ。橙子さん、ハーレー借りますよ」
「は? いや待て、何のつもりだ織姫」
式を送るだなんて普段ならしないことをしようとしていることにその意図を橙子さんに問われた。
「確かめたいことがあるんですよ。もちろん、式が良いのならだけど」
「別に構わないぜ。ほら行くぞ」
「着替えてから行くから先行ってて」
自分も式に倣って着物だから普通の格好に着替える必要があった。
「式!」
革ジャンを羽織って竹刀袋を肩に下げた式を幹也先輩が呼び止めた。その声色には不安が滲んでいた。
「なんだよ幹也。オレ、なにか悪いモノでも憑いてる?」
「いや……なんでもない。夜に行くから、話はまたその時にしよう」
「なんだ、ヘンな奴だな。でもまぁ、いいか。夜だろ、その時間なら部屋にいるぜ」
式に続いて事務所を出て自分の部屋に向かうと手早くジーパンと長袖にコートまで羽織って地下ガレージに向かった。
「お前、運転できるのか?」
「昔取った杵柄ってやつでね」
それは前世での経験ではあるがバイクは転がした事があるので問題はないだろう。
「しっかしどういうつもりなんだお前」
「別に。ただ小川マンションに行く気の式に便乗しただけだよ。やるなら早い方が良いかなってね」
「なるほど。なら好きにしろよ」
「そうさせて貰うよ」
ハーレーに跨がってエンジンをかける。サイドカー付きは初めてだがすぐ慣れるだろう。
思えば式の部屋に行くのは初めての事だった。それも当たり前か。行く必要性が今まで無かったのだから。
臙条巴に会うのは式の準備のあくまでもついでだと思う。自分が臙条巴と出会ってもそれで何かが変わるわけでもないだろう。
鍵を出して部屋を開ける式に続いて部屋に上がれば赤髪で華奢な身体。細い顔つきの男──臙条巴が居た。
「なにやってんだ臙条。電気をつけないで待ち伏せするの、好きなのか?」
「なっ、え? 両儀が…ふたり? おまえ双子だったのか!?」
此方を見て驚いている臙条巴。いくら式を投影しているからとはいえそんなに似ているだろうか。
「違う。こいつとは、まぁ、どうでもいい。それにしてもタイミングがよすぎるな。出来すぎてる」
式はそう言って説明を放棄してベッドに竹刀袋を置いた。
「ちょっと待ってろ、組み上げちまうからさ」
そう言って式は隣の部屋から竹刀袋と同じくらいの細長い木箱を持って戻ってきた。
「式、出来たら1回刀見てもいい?」
「ん? まぁ、いいぜ。でもオレのだからな」
「別に盗ったりなんかしないよ」
「お前ら本当に双子とか姉妹とかじゃないのか?」
「「ちがう」」
臙条巴の追求に揃って否定を口にする。
「式とは同僚みたいなものだよ。僕は境織姫、よろしく」
「え、臙条巴…だ」
式がはばきが小さすぎたとか刀と格闘している合間に適当に自己紹介を済ませた。
「いいぜ。話があるんだろ?」
刀が組み上がった式が臙条巴に言葉を投げ掛ける。言葉とは裏腹に式の顔にはあまり関心というものはなかった。
すると臙条巴の視線が此方を向く。
「ああ、こいつはこっち側の奴だから気にしなくていいぜ」
そうは言われてもあって間もない人間には聞かれたくなさそうな雰囲気を滲ませていたが、わざわざ退出する意味もなさそうなので部屋に留まる。邪魔なら邪魔と式なら言うだろう。
最初は話し難そうに、ただ段々まくし立てる様に彼が口にした言葉はこうだ。
曰く殺した筈の母親が街を歩いていたとのこと。
最初は他人の空似を疑ったものの、両親を間違えるわけがないと。
そしてあとをつけたら小川マンションへと帰って行ったというのだ。
「ようするに両親が生きていたんだろ? ニュースにもなっていないんだから、そう考えるのが普通なんだ」
「そんなワケあるか! 俺は確かにお袋を殺した。親父だって死んでた。それは絶対なんだ。間違ってるのは生きているほうだっ」
「へぇ、間違ってるんだ。じゃあ確かめにいこう」
「な、に?」
「だからさ、そのマンションに行って確かめればいいじゃないか。本当に臙条の両親が生きているのか死んでいるのか。その方がはっきりするだろ。──もういいか」
「うん。ありがとう」
式が臙条巴と話している間、刀の構造の把握に努めていた。これで刀も贋作ながら質を上げられたと思いたい。
式の部屋には20分も居なかっただろう。まぁ、簡素で何も物も置いていない殺風景な部屋に思うところはなにもない。
式はサイドカー、ハーレーに2ケツして運転は自分で後ろには臙条巴が乗る。一応小川マンションの住所は調べてあるが、万が一の道案内役に後ろについて貰った。
ハーレーを転がして小川マンションに着いたのはそれでももう夜の7時過ぎだった。
遂に小川マンションへと立ち入るのかと思うと動悸が早鐘を打つ。緊張しているのは今さらだった。手に厭な汗が滲む。
小川マンションを一目見て、「なんだ、これ」と呟く式の声さえ半分聞き逃していた。そう思えるくらいの空気の重みを感じるのだ。
臙条巴はそんなマンションの敷地内を勝手知ったると言わんばかりにずんずんと進んでいく。
いよいよマンションの中に入って気分が悪くなる。
ロビーに入ってマンションの中心にある大きな柱に到着する。どうもエレベーターらしい。少し煩くエレベーターの音が響く。
エレベーターが到着して、臙条巴、式、自分の順番でエレベーターに乗る。
「………………捻れてる」
式が呟く。確かに注意して感じてみれば上に昇りながらエレベーターは捻れていた。
四階に着いて臙条巴のあとについていく。もうどこもかしこも気が抜けなくて、気負いすぎて変になりそうだった。
エレベーターを降りて正面に続く通路を歩いていく。
そのままマンションの外側に出ると、道は直角に左に曲がる。外周をまわる廊下になっているらしい。左側にはマンションの部屋が並び、右側は外に面している。下に落ちないよう転落防止用の柵が胸元辺りで設けられている。
「この突き当たりが俺の家だ」
そうしてたどり着いた突き当たりの部屋。405号室の前で臙条巴は立ち止まった。
彼の指がチャイムに向かうのを式が止めた。
「チャイムはいい。中に入ろう、臙条」
「なに言ってるんだ。勝手に入るつもりかよ」
「勝手もなにも、もとからここはおまえの
式が臙条巴から家の鍵を受け取ると、鍵を開けて扉を開いた。
中には臙条巴の両親が居たが、リビングに入っても此方に気付いた様子はなく壊れた女性の相づちと騒ぎ立てる男性の怒鳴り声が響いていた。
「臙条が帰ってくるのはいつも何時なんだ?」
「九時頃だ…」
「あと1時間か。それまで待っていよう」
「なんだよコレ。いったいどうなってるんだ、両儀ッ!」
「チャイムもノックもしなかったから、お客さんに対応しないだけだろ。決められたパターン以外の行動に対応する為のスイッチをオレ達は押さなかった。だから客は来ていないってコトで、臙条の両親はいつも通りの生活をしているだけ」
面倒くさそうに解説して式は構わず居間を横断して隣の部屋に移動した。あと1時間壊れた夫婦の会話を聞かされるなんて気が滅入りそうだ。いや、だから却って少しだけ落ち着きを払う余裕が少しだけ持てた。
式は壁に凭れ掛かってぼんやりと、臙条巴はただ立ち尽くして、自分は式に倣ってこれまた壁に背を預けて待ち続けた。
そして待ち続けて、誰かが帰ってきた。
その誰かは両親と話すこともなく部屋に入ってきて、深い溜め息を吐いた。
そこにはもう一人、臙条巴が居たのだった。
その臙条巴は他に部屋には3人の人間が居るというのにまったく気付く様子もなく布団を敷いて横になった。
暫くして居間から口論の声が聞こえた。ヒステリックに叫ぶ臙条巴の母の声が。
そして、ごん、という鈍い音が静まりかえる臙条巴の部屋まで響く。
「……やめろ」
襖が開いた。横になっている臙条巴が目を覚ます。立ち尽くす母の手には包丁が握られていた。
「巴……。死んで」
悲しそうに泣きながら母は子を滅多刺しにして最後は自ら首元を斬って自殺する。
「──ひどい、ユメだ」
まぁ、見ていて気分の良いモノじゃないのは確かだ。
吐き気を堪える為だろう。口許を抑える臙条巴の顔色は蒼白と言って良かった。
式が立ち上がるのに倣って自分も立ち上がる。
「気が済んだなら、出よう。ここにもう用はない」
「……用がないって、どうして! 人が──俺が、死んでるのに」
「なに言ってるんだおまえ。よく見ろ、血が一滴もこぼれてないだろ。朝になれば目を覚ますよ。朝に生まれて夜に死ぬ『輪』なんだ。そこで倒れているのは臙条じゃないぜ。だって、いま生きているのはおまえじゃないか」
式の言葉で周りを見れる余裕が出来たのか、惨劇の現場の筈の状況を振り返る臙条巴。確かに血は一滴もこぼれてない。
「な、んで──」
「知らないよ。こんなコトをする意味がまるで分からない。とにかくここはもういいんだ。さ、早く次に行こうぜ」
「次って、他にどこへ行くっていうんだ、両儀!」
「決まってるだろ。おまえの本当の住処だよ、臙条」
405号室から出て中央のロビーに戻ると式はエレベーターには乗らずにその裏側に回った。
エレベーターの後ろには渡り廊下が続いていた。今まで居たのが西棟で、これから向かうのは東棟だった。
東棟は西棟とまったく同じ造りだった。
無人の廊下を式が先導で歩いていく。
そして行き止まりの部屋の前で足を止めた。
「オレがおかしいと思ったのはさ、些細なコトなんだ」
式は扉を睨みながら喋り始めた。
「おまえは405号室だと言ったじゃないか。なのに幹也の調べた資料には臙条、おまえの名前が一番後ろにあった。となると臙条って家族は四階の最後の部屋、ようするに410号室にいないとヘンなんだよ」
「なんだって?」
「あのエレベーター、暫く動かなかったんだろ? 入居者が揃ってみんなこのマンションに住み慣れた頃にやっと動き出した。それが始まりの合図だったんだ。全部、北と南を逆に入れ替える為のカラクリなんだよ。エレベーターが円形だったり音がでかかったり、凄いはったりだ。二階が使われていないのもその為だけ。乗っている人間に気づかせない様に半回転させるには、最低限一階分の距離は必要だったんだろう」
「じゃあ──こっちが俺の家だって言うのか」
「うん。正確には入居して1ヶ月間だけ居た家。エレベーターが稼働するようになってからはさっきの家だ。ナンバープレートを入れ替えて、きっと階段もエレベーターの稼働に合わせてずらしたんだろうな。階段の出口も逆にしないと話にならない。ここの階段って螺旋状になってないか?」
「だけどウソだぜ。普通気付くだろ、こんなの!」
「ここは普通じゃない。異界だ。周囲にはおんなじような四角いマンションばかりで、風景に大差はない。マンションの中は壁でしきられている。所々には怪しげな模様が混ざっていて、無意識のうちに網膜に負担を掛ける。トウコじゃないけど。ほんと、手の込んだ結界だ。細かい異常が何一つないから、大きな異常に気付かない」
式がドアノブに手を伸ばす。
「開けるぞ。半年ぶりの我が家だぜ、臙条」
式は何が面白いのか嬉々として言いながらドアを開いた。
十号室はねっとりとした暗闇が纏わりつくような厭な闇が広がっていた。
「電気は──これか」
ぱちりと音が鳴る。式が明かりを点けたのだ。
「──────」
臙条巴の息を呑む音が厭に響く。
「死後半年ってところだな」
落ち着いた式の声が通る。
居間には人間の死体が2つあった。肉は腐敗して白骨化が進むその死体は臙条巴の両親に違いないだろう。
茫然とする臙条巴に掛けてやる言葉は残念ながら持ち合わせていない。
「式──!」
「へぇ、やる気なんだ」
玄関を誰かが開けた。ゆっくりと何者かが居間に入って来る。
声も上げず、足音も立てずに現れた人影はどこにでも居そうな中年の男。顔に表情はなく、虚ろな視線が逆にはっきりとしていて危険なものを感じさせる。
「
男が襲い掛かるのと同時に投影を開始する。
投影したナイフを振るって男を殺す。
「ここじゃ狭い、廊下に出る!」
「ああ」
一人、二人、三人、四人、玄関から殺到するマンションの住人達を撫で斬りにする。
廊下に出てもマンションの住人が途切れる事はない。
廊下に出れたことで些か道幅に余裕が出来た。式も参戦してナイフを振るう。
「どいつもこいつも死にたがっていて、吐き気がする」
憎々しいと言わんばかりに吐き捨てて式は駆けていく。それに合わせるように此方もナイフを振るう。それを可能とするのは式の呼吸を理解したからだった。
互いに即興でナイフを振るいながらもどこか演舞のように舞う。
住人達が向かってくる先。廊下の突き当たりにその姿を見つけた。闇よりも暗く影のような男の姿を。
「──知ってるぞ、おまえ」
「荒耶宗蓮!」
「よもやお前まで足を踏み入れるとはな。これも抑止力と見なすか。或いは太極に引き寄せられたか。いずれにせよ両儀を覚醒させる為の手駒に過ぎなかったお前は最早用済みだ」
「そちらは用済みでも、此方にはまだ用向きがある」
「言葉は不要か。ならば語るべくもなし。お前と両儀式の器をもって根源へと至らん」
荒耶の狙いが式の身体なら言葉を並べ立てたとて意味はない。殺るか殺られるか。今この瞬間はそれだけが絶対の法則となった。
「──粛!」
「止まらないで、動いてっ」
「チッ」
荒耶の圧縮魔術が此方を襲う。思うよりも早く身体が動いていた。
「
迷わず対荒耶戦に於ける切り札を切る。
刀を投影し、それを握ると服装も白無垢に変わる。
今の自分は『両儀式』を投影した存在だ。
荒耶宗蓮の死因の因果をすべて叩きつけて殺すのみ。
魔力放出による瞬動術で一気に荒耶との間合いを詰める。
「
荒耶を中心に三層の結界が展開する。
「ハッ」
だがそれは1度見ている。外側の結界を難なくと切り裂く。しかし荒耶に近づくということは必然的にその間合いに入ることと同じことだ。
銃弾すら避ける並外れた身体能力と格闘術の間合いにわざわざ入らなければならないのは死の線に触れなければならない直死の魔眼の弱点だろう。
「
「ぐっ」
空間ごと動きを止められた。空間作用型の結界か!
「捕らえたぞ、境織姫!」
「それはこっちのセリフだ…!」
自分の背後から式が躍り出る。
「たわけっ」
式の振るうナイフを仏舎利を埋め込んだ左腕でガードする荒耶。だがその一閃が荒耶の手首を捉えて切断した。
「、
確実にナイフの刃が通り過ぎた荒耶の手首は、腕から落ちなかった。荒耶の手は傷一つない。
「、
荒耶の右手が動く。死なない左手から逃れた式の動きを予測して放たれた右手は、確実に彼女を捕らえていた。
式が荒耶と戦っている合間に、意識を集中して自身を捕らえている結界を、その空間ごと断ち切る。
「がっッ」
「マンションそのものと1つになっていることが仇となったわね」
小川マンションは荒耶宗蓮の体内だ。電灯の配線は神経であり、水道の配管は血脈に等しい。
そのマンションの空間を斬ったのだから本体に傷が行くのも当然の事だった。
その内臓を斬られたにも等しい痛みに僅かばかり力が弱まった荒耶の右腕を断ち切って式は大きく飛び退き、自分と並び立った。
「──粛!」
「なるほど、そういう攻撃だな」
式がナイフを振るうと、荒耶の圧縮魔術を殺してみせた。織姫が出来るのだから式に出来ぬ道理はなかった。
「我が術をこうも悉く」
「言ったでしょう。貴方を殺す者だと」
そう、荒耶宗蓮を殺すためなら「境織姫」は何事も躊躇なくその術を振るえるのだ。
それこそ死の点すら突く事が可能だ。そして直死の魔眼の効果を最大に発揮すれば人形の合間を移動する魂さえも殺すことが可能だ。
「そう。私は貴方を殺すために境織姫によって生み出された抑止力なのだから」
「境織姫ぃッ!」
斬ッ、斬撃を放つ。
それは結界の二層目を断ち切り荒耶の身体を掠めるに留まったが、確実に結界以外のなにかを斬った感覚があった。
それは荒耶の起源である『静止』の概念を、斬ったのだった。
つまりそれは止まっていた荒耶に流れが生じるという事であり、生じるのならば直死の魔眼で殺せない道理はなかった。
「
「王顕ッ」
空間結界も式は殺してみせた。
その間隙を突いて、荒耶の左腕を斬り飛ばす。
「両儀ぃッ」
まるで呪いの様な怨嗟を募らせた声で叫ぶ荒耶。
それに怯むことなく返す刃で荒耶の胸──死の点を突いた。
「……そうか──お前が、我が寿命か。境織姫」
人間には定められた死というものがある。
火事で死ぬ者は火事で死に、家族に殺される者はどう足掻こうと家族に殺される。
その定められた死に方をとある者達は寿命と呼んだ。
巫条ビルで相対し、1度敗れて死んだ荒耶はどう足掻こうとも境織姫によって死ぬ定めだったのだ。
『静止』という概念を断ち切られ、死の点をも突かれた荒耶は自らの生が急速に死に向かっているのを感じていた。
「なにが貴様をそうさせた。境織姫」
「ただ救いたい人が居た。その運命を変えるために貴方が最後の障害だった。だから境織姫は荒耶宗蓮を殺すための器を造り上げた。その存在を許せない1人の人間の執念に負けたのよ」
「なんと、手前勝手な話だ」
「どのみち貴方が根源に至れば人理は破滅する。それを識っていた境織姫に目をつけられたところから抑止力は働いていたのよ。だから私は生まれることが出来た」
「お前は──何だ。境織姫」
「観測者であり、ただこの世界が好きな人間の1人だ」
「人間か…。度し難い。誰も世界の危機など知らぬくせに、無意識下で生き残りたいと願うそれが貴様を造り上げたか」
荒耶は目の前の存在が憐れだと思った。
「後悔するぞ、境織姫。お前の果ては人理の操り人形だ」
「たとえそうだとしても、願いを叶えた対価なら支払おうとも」
「問うべくもなくか。では先に冥土でお前を待っているぞ、境織姫──」
黒い塵となって消えていく荒耶宗蓮。
刀を鞘に納めて投影が解かれる。
「殺ったのか」
「うん」
式の言葉に答えて肩から力が抜ける。まだやることはいくつか残っているが、一先ず一段落は付いたはずだ。
「お、終わった……のか」
式と互いに息を抜いていると臙条巴が声を掛けてきた。そうだ、彼の処遇も考えなければならない。
それに小川マンションには赤ザコことコルネリウス・アルバも関わっているが、荒耶との戦闘中まったく姿を見せてこなかった。あくまでも狙いは橙子さんだけということなのか。ならあとは橙子さんに丸投げしても良いだろう。
それでも警戒は解かずに小川マンションをあとにした。
to be continued…