普通ではないふじのんと普通ではないお友達   作:星乃 望夢

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頑張れば終われそうな?

とにかく殺人考察(後)篇突入します。


殺人考察(後)

 

 二月になった。

 

 吐息が白くなるほどの寒さ。

 

 街はすでに立春の気配を纏っているというのに、観布子市はまだ冬の冷たさを引きずっていた。

 

 朝の食卓にはホットミルクの湯気が立ちのぼり、テレビでは繰り返し同じニュースが流されている。

 

 ──深夜、観布子市繁華街の裏路地でまたしても惨殺死体が発見された。

 

「怖いわね……殺人鬼だなんて。普通に帰しちゃってるけど、巴くん、大丈夫かしら」

 

 霧絵の心配そうな声が耳に入る。

 

 優しい彼女は、弟のように可愛がっている後輩の身を案じているのだろう。

 

「うん、大丈夫。真っ直ぐ帰るようにって言ってあるし、夜は出歩かないようにもね。殺人鬼が出るのは、深夜の繁華街の裏通りだから」

 

 僕は、カップを持ち直しながら答えた。

 

 画面の中で、リポーターがまた騒いでいる。

 

「──また通り魔か。もう毎日同じ話題じゃないか。つまらん」

 

 そう言って、横で煙草をくゆらせているのは橙子さん。

 

 彼女はそう言いながらも、どこか目を細めて画面を見ていた。

 

「お前の方はどうなんだ? 織姫」

 

 視線が向けられる。

 

「……今のところは、動く理由がありません」

 

 僕はそう答えた。

 

 たしかにこの事件は気になるが、それは式と幹也先輩の問題であり、僕が介入するのは筋違いだ。

 

 式は、これを経て成長する。だからこそ、その物語を壊すわけにはいかない。

 

 だが──。

 

 そんなこと、“私”には関係のない事だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 夜、冷たい雨が降り始めた頃。

 

 私は目を覚ました。

 

 表の“私”──魂の人格が眠りについたとき、代わって肉体の“私”が現れる。

 

 私は、夜だけこの身を借りる存在。

 

 根源と繋がったこの身体の、本来の人格。

 

 傘も差さず、繁華街の裏路地を歩く。

 

 着物に雨が染み、肌に貼りつく。

 

 冷たさは感じない、むしろ、心地良い。

 

 濡れた舗装の上に、濃い血の跡が広がっていた。

 

 壁際には、半ば原型を失った死体。

 

 食いちぎられ、骨が覗き、舌がない。

 

 何かが這い回ったような跡すらある。

 

「……やっぱり、遅かったわね」

 

 視線を伏せ、瞼を閉じて呼吸を整える。

 

 その瞬間、視界に奔る“死の線”。

 

 この世界が壊れるべき道筋、全ての存在に刻まれた“終わりの傷痕”。

 

 直死の魔眼──。

 

 私はそれを制限なく使用できる。

 

 根源に接続されたこの肉体は、あらゆる負荷を拒絶する。

 

 だからこそ、死の“点”すらも視ることができる。

 

 その能力を“彼”に使うために、私は今日もここにいる。

 

「……出てきなさい。隠れているのは、趣味が悪いわよ」

 

 ざり、と。靴音。

 

 気配が揺れた。

 

「よう。久しぶりだな、境」

 

 見覚えのある顔が、路地の暗がりから現れる。

 

 金髪に、血のような赤い瞳。

 

 式に似せた装い──それが、余計に気に食わない。

 

「元気そうでなによりだ。俺を追ってたのか?」

 

「ええ。貴方を、殺しにね」

 

 私は静かに刀を投影した。

 

 橙子から教わった魔術と、記録と記憶の中の“式”の再現。

 

 それを、この手に宿す。

 

「まだそんな格好してんのか。自分が異常者のくせに、人間ぶってさ……」

 

 白純の顔が歪む。

 

 その目にあるのは、軽蔑か、それとも……欲望か。

 

「異常者の癖にさ、“こっち側”に来ようとしない奴って……一番ムカつくんだよなァ」

 

 濡れた舗装を、狂気が走る。

 

 白純里緒が動いた。

 

 獣のように、否、それ以上に無軌道でいて最短の殺意を叩きつける本能が、四肢を持った肉体を凶器に変えて襲いかかってくる。

 

 宙を裂いた雨が反響し、路地裏の空気を切り裂く。

 

 織姫は、その殺意に対して寸分の躊躇もなく刀を抜いた。

 

 刃が抜かれるとき、衣の裾が雨に翻る。

 

 白い着物の裾が、無音で弧を描いた。

 

 振るった一太刀。

 

 それは殺意への返答。

 

 理屈ではなく、意志でもない。

 

 “殺される”という未来が予見された瞬間、それを拒絶するように、身体が“死を拒む動き”を選んだ。

 

 けれど。

 

「……甘ェよ、境」

 

 笑っていた。

 

 白純は、間近で刀の切っ先を感じながらも、嗤っていた。

 

 喉の奥から、獣の唸り声のような嘲笑が漏れる。

 

「そうやってよ、刀を振るうって時点で──お前の“殺意”の向きが見えるんだよ」

 

 身体で覚えた殺し合い。

 

 理性を捨てた獣の本能。

 

 それは、理性の皮を被って生きている織姫の“機械的な予測可能性”を見破るには、十分すぎる。

 

 白純は、織姫の一撃を半身で躱すと、そのまま腕を振り上げて肉薄した。

 

 鋭く伸びた爪が、肉を裂くために揺れる。

 

 水飛沫が散る中、織姫の髪がはらりと宙を舞った。

 

 ──速い。

 

 身体が、思考を追い越していた。

 

 刀を返すよりも早く、白純の手が迫る。

 

 織姫の直死の魔眼には、“死”の線が奔っていた。

 

 それは白純の体にも、己の体にも、雨の中に佇む建造物のすべてにも刻まれていたが──。

 

 今は“点”を見る暇などなかった。

 

 そのとき、カシャン、と音がした。

 

 白純の肩口を、短い刃が裂いた。

 

 それは織姫の帯の裏に差してあった、護身用のナイフ。

 

 ……いや、違う。

 

 それは、式の象徴のひとつ。

 

 彼女が帯に忍ばせている刃。

 

 普段の私が両儀式を投影する為に持ち歩いている物だった。

 

 白純は跳ねるように後退し、舌打ちする。

 

「……チッ。どこまで“式”の真似事してやがる」

 

 織姫は、無言で構えを取り直していた。

 

 雨に濡れた髪が頬に張りつき、切先からは血と雨が同時に滴り落ちる。

 

 白い着物、ブーツの音、そして刀。

 

 けれどそこにあるのは模倣ではなく──ただ、“殺し合い”の中で選ばれた最適な形。

 

「……私は、あの娘じゃない。だけど、あの子の残した“生き方”は知ってる」

 

 静かに、低く。

 

 織姫は言葉を吐く。

 

 声の質が変わっていた。

 

 いつもの“僕”ではなく、“私”。

 

 式の姿に近づいたその瞬間から、言葉の端々に女の匂いが滲み始めていた。

 

「ふん……」

 

 白純は、笑みを引っ込めなかった。

 

 だが、先程までの余裕には微かな綻びがあった。

 

「なァ、境。お前、自分で気付いてねぇだろ」

 

「何を?」

 

「その声、その言葉。その“格好”──全部が、今のお前の“本性”じゃねぇのかって、そう言ってんだよ」

 

 織姫は答えなかった。

 

 ただ、再び刃を構えた。

 

 その目に映るのは、世界の終わり。

 

 この夜を終わらせるために、自らの“死の未来”すら殺した女が──再び、獣に向かって踏み込んだ。

 

 地を裂くような咆哮が、裏路地の空気を震わせた。

 

 獣のような勢いで織姫に飛びかかってきた白純は、言葉すら発さず、ただ己の直感と本能に従って彼女を捉えようと迫っていた。

 

 織姫は、刀を抜いたまま寸分の躊躇なく身を捩る。

 

 夜風が袂をなびかせ、地を蹴って宙を裂くように飛び上がる。

 

 間合いを詰めながら、一太刀を浴びせる──その直前だった。

 

 ぐ、と、白純の片腕が空間を裂いた。

 

 人間離れした膂力が、織姫の刀の軌道を外す。

 

 刀が白純の肩をかすめた一瞬後、織姫の細い身体はそのまま押し倒された。

 

 重く、冷たいアスファルトが背中を打つ。

 

 夜気が、息を詰まらせるほど冷たく胸に染みた。

 

「……ッ!」

 

 身体を捩る、腕を使って逃れようとする。

 

 だが、白純の体重が圧し掛かり、右腕は無理に捻じられて動かない。

 

 左腕も腰元で封じられていた。

 

 視界に、白純の顔が近づく。

 

 その紅い瞳が、狂気と愉悦で濡れていた。

 

「やっぱり、似てるな……式に」

 

 低く、湿った声。

 

 織姫は目を逸らすことができなかった。

 

 恐怖ではない。

 

 ただ、生理的な嫌悪。

 

 肌を這うような忌避感。

 

 それが白純の視線から溢れていた。

 

「式じゃなくても、匂いは似てる。味も、たぶん……似てるよな。お前の腕、たまげるくらい旨かったんだぜ?」

 

 不意に、白純の喉が鳴る。

 

 唾液を溜めるような音が、やけに生々しく耳に残った。

 

 そして、白純は顔を近づけ──織姫の顔から首元へと、唾を一筋垂らした。

 

「──っ……!」

 

 肌に落ちる生ぬるい感触。

 

 粘性を持った液体が肌を滑っていく。

 

 織姫は咄嗟に目を閉じた。

 

 身を強ばらせ、唇をきつく噛みしめる。

 

 身体が拒絶する、心が叫ぶ。

 

 だが、声にならない。

 

 白純がその姿に嗤った。

 

 歯を見せて、獣のように。

 

「その顔、結構唆るな。式も同じ顔をするのかな?」

 

 獣の牙が首筋に触れる。

 

 そして──。

 

 歯が近づく。

 

 赤黒い眼が、織姫のそれと重なった。

 

 ガリ──ッ。

 

 食らいつこうとした白純の牙が、首筋に深く──到達する寸前。

 

「──そこまでだ」

 

 風が裂けた。

 

 白純の頭に、閃いたナイフがかすめる。

 

 光の軌跡、鋭い殺意。

 

 視界の端に、蒼い着物の裾がなびいた。

 

「……式ッ!」

 

 織姫の唇から、掠れた声が零れる。

 

 白純は咄嗟に身体を逸らす。

 

 織姫の身体の上から跳ね起き、二歩下がって乱入者を睨んだ。

 

 そこに立っていたのは、両儀式。

 

 夜の帳の中、蒼の振袖にブーツと赤い革ジャン姿。

 

 その腕には先程の一閃を放ったナイフが握られていた。

 

「やっぱり、虫唾が走るな。お前」

 

 その目に宿るのは、かつての式よりも遥かに深く、鋭く、冷え切った怒気だった。

 

 織姫は起き上がろうとするも、肩が震えて思うように動けない。

 

 目元には未だ唾液の冷たさと嫌悪が残る。

 

 身体の奥底に焼きついたそれは、時間では消えないと直感でわかった。

 

 式は一歩、二歩と白純へ近づく。

 

 ──許せなかった。

 

 心の奥で、式は確かに感じていた。

 

 織姫は、自分に似ている存在。

 

 最初は嫌悪しかなかった。

 

 自分の写し鏡のようで、目障りだった。

 

 だが──違った。

 

 彼は、誰かの“代わり”じゃない。

 

 “自分”として戦っている。

 

 それを、式はこの目で見てきた。

 

 それを、白純が汚した。

 

 式の手の中で、ナイフの切っ先が静かに震える。

 

 これは怒り、感情の刃。

 

「覚悟しろ、白純。……今度こそ、終わらせてやる」

 

 次の瞬間、二人の獣がぶつかり合う。

 

 白純が狂ったように笑った。

 

 その笑いは、寒夜の闇を引き裂くように鋭く、何もかもを貫く。

 

 喉の奥から絞り出される歓喜の音は、笑いでありながら、叫びにも似ていた。

 

「ハハッ……! 来たな、式! やっぱり来たか、なァ!」

 

 目尻に薄く涙を滲ませ、息を荒げる。歓喜のあまり、血が巡り過ぎたのだろう。

 

 金色の髪が揺れ、赤い瞳が濡れた光を放つ。

 

 その視線の先にいるのは、誰でもない。

 

 境織姫ではない。

 

 ただ一人、両儀式。

 

「殺しても来ないからさ。だから変えたんだ、やり方を。少しだけ、進歩したんだよ、俺は」

 

 開いた腕は舞台に立つ役者のように誇張されている。

 

 まるで自らの生の主張が芸術であるとでも思っているかのように。

 

「人を殺したんだ。何人も、何度も、夜ごとに。喰って、切って、潰してさ……それで、やっと世間が俺に名前をくれたんだ。“連続通り魔殺人鬼”。なァ、笑えるだろ?」

 

 くぐもった声が血の匂いとともに吐き出される。

 

「ようやく、俺の役割ができた。俺という“異物”が、この世界の中で生きていくための形をくれたんだよ。なら、その期待には応えなきゃな。──殺人鬼は、殺人鬼らしく振る舞わなくっちゃな!」

 

 自嘲でもなく、本気の悦び。

 

 悦楽の底で歪む心が、空気すら狂わせていた。

 

 だが──式は、無言だった。

 

 無反応というより、無価値。

 

 彼の発言が式にとって「意味を持たない」というだけの、拒絶に近い空白。

 

 数秒後、ようやく吐き出されたのは、乾いた言葉だった。

 

「……またくだらないことしてる」

 

 淡々と、乾いた声。

 

 それが逆に、白純の鼓膜を裂くように響いた。

 

 式は一歩、地面を踏みしめた。

 

「人を殺してまで注目されたいなんて、ずいぶんと安っぽい理由だな。生きてる意味が欲しいのか?」

 

 白純の目の奥で、炎が灯る。

 

「チッ……そうやって、またそうやって……!」

 

 苛立ちが、怒りが、ぶり返す。

 

 崇拝が憎悪に転じるのは、紙一重だ。

 

 白純の感情は今まさにその端を渡ろうとしていた。

 

「お前もそうだ。お前も──境も! “自分が人間じゃない”って知ってるくせに、“こっち側”に来ない!」

 

 境織姫へと、血走った眼差しが注がれる。

 

「そっち側のフリして、普通の人間の顔して、踏みとどまって……クソが! だったら、その“常識”に縛ってる元凶を殺してやらなきゃいけないよなァ!」

 

 そして、叫ぶ。

 

「──“式”を! お前を、殺さなきゃならないッ!」

 

 刹那、白純の左腕が、織姫へ向かって振り上げられる。

 

 今にも断罪を下すかのように。

 

 だが。

 

「──誰が、誰を殺すって?」

 

 声が落ちた瞬間には、もう、斬撃は走っていた。

 

 白純の肩口から、左腕が一閃によって宙を舞った。

 

 赤黒い血が噴き出す。

 

 夜気の中、月光に濡れて、真紅の花が咲いたように見えた。

 

「……あ?」

 

 痛みが脳へ達するよりも先に、腕を失った感覚が白純の思考を鈍らせる。

 

 倒れた左腕が、血溜まりに沈む。

 

 式は一歩も動いていなかった。

 

 ただ、右手のナイフを構え直しながら、白純の目を真っ直ぐ見据えていた。

 

「目の前で、こいつに手を出そうとするなら、先に腕を落とすだけだ」

 

 それは、怒りではなかった。

 

 氷のように冷たい声だった。

 

 だが、白純はそれを──喜んだ。

 

 口元を震わせ、破顔した。

 

「ハ…ハハハッ…やっぱりィ!! お前は最高だ。冷たい癖に、ちゃんと怒ってんじゃねぇか!」

 

 痛みを感じながらも、白純の頬には涙ともつかぬ何かが伝い落ちた。

 

 そこには、真性の殺人者だけが到達できる歓喜があった。

 

 肉が裂け、血が地を汚しても、白純の表情は崩れなかった。

 

 否──崩れていたのは、常識の側に立つ人間のそれであり、彼にとっては今が最も整った“本来の顔”だったのかもしれない。

 

「……なるほど。そういうことか」

 

 白純は息を吐いた。肩が上下し、落ちた左腕の感覚が消えていく。

 

 痛みはある、鮮烈なまでに。

 

 しかし、それすらも彼にとっては快楽に似た実感だった。

 

「式、お前……ほんと、キレイだな」

 

 腕の切断面を押さえながら、よろめき、数歩後退する。

 

 地面に残された血の跡が、彼の通った道を刻んでいく。

 

「この痛みも、この血も、この身体すら……お前と繋がるためなら惜しくはない。なあ、式。いっそ、俺のことも“殺して”くれよ」

 

 懇願のような笑み。

 

 けれど、式の目は冷めたまま。

 

 その黒い瞳は、何一つ動じず、ただ、沈黙を返すのみだった。

 

 白純は唇を歪め、溜息交じりに笑う。

 

「そっか……やっぱり、“こっち側”には来てくれないか。いいさ……それでいい。それでこそ、俺の憎しみも、渇望も、全部……報われるってもんだ」

 

 ふらりと踵を返し、血を滴らせながら路地の奥へと歩き出す。

 

 片腕を失いながらも、その足取りはどこか誇らしげで、自らの存在に酔っているようだった。

 

 遠ざかる背中が闇に飲まれる寸前、振り返らずに吐き捨てる。

 

「また来るよ、式。境も。次はもっとちゃんと“試す”から。俺が、どこまでお前らの側に行けるかを──」

 

 そして、夜の闇に溶けるように、姿を消した。

 

 血の臭いと、倒れた腕だけが、彼の存在を証明するものとして残されていた。

 

 静寂。

 

 湿った路地に、雨のしずくが落ちている。

 

 式はナイフを下ろし、軽く肩をすくめる。

 

「……しぶといヤツ」

 

 織姫は、わずかに表情を緩めた。

 

 安堵と、疲労と、未だ消えぬ緊張が、その顔に入り混じっていた。

 

「ありがとう、式。……助かった」

 

「……気にするな。ああいうのは……ムカつくだけだ」

 

 短く返すと、式はその場に背を向け、夜の出口へ歩き出した。

 

 その背中に、織姫は静かに目を細めた。

 

 ──白純は、また現れるだろう。

 

 自分たちが“常識”の側に居続ける限り。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 血の臭いが、まだ鼻腔に残っている。

 

 地面に広がった血溜まりも、壁に飛び散った飛沫も、全部、あの男が残していった“しるし”だ。

 

 人間に見せる顔じゃない。

 

 けれど、それを見ても私は、もう何も思わない。

 

 いや、違うか。

 

 今回は、少し──いや、かなり、腹が立った。

 

 理由なんて、わかってる。

 

 境織姫──あの子が、あんな目に遭わされたからだ。

 

 どうして私が、それに怒ったのか。

 

 それを自分で考えると、なんだか気持ち悪くなってくる。

 

 そんな感情を持ったことが、これまでの私にはなかったからだ。

 

 織姫は、どこか私に似ている。

 

 いや、周囲がそう言ってるだけかもしれない。

 

 刀を持ってて、直死の魔眼で、名前も和風で、目つきも似てるとか言われてる。

 

 そういうのは全部、上っ面だ。

 

 私は他人に似てるなんて思ったことはない。

 

 でも、それでも。

 

 あの子を見ていると、胸の奥が、少しだけざわつく。

 

 なんでだろう。

 

 私と似ている部分があるから?

 

 違う。

 

 本当に似てるなら、あんな風に笑ったり、あんな風に人と関われるはずがない。

 

 そうだ。私は、織姫の“そこ”に嫉妬してるんだ。

 

 同じ“外れ者”のはずなのに、あの子はちゃんと“普通”であろうとしている。

 

 人と話して、笑って、学んで、他人と価値観を共有して、朝に起きて、夜に眠る。

 

 人としての生活を、生きようとしてる。

 

 それが、なんだか、とても羨ましかった。

 

 私は、それを──できるんだろうか?

 

 幹也と、あの子みたいに、普通に過ごすことが。

 

 笑って、手をつないで、馬鹿みたいな話をして、誰かのために料理して……そういう風に、生きていけるんだろうか。

 

 ……いや、無理だろうな。

 

 私は壊れてる。

 

 この眼も、この身体も、この心も。あの事件以来、ずっと歪んだままだ。

 

 けど。

 

 織姫を見てると、少しだけ──ほんの少しだけ、希望が見える。

 

 もしかしたら、私も。

 

 “外れた者”でも、誰かと一緒に、生きていけるんじゃないかって。

 

 それが、希望だ。

 

 まるで、割れ物みたいに壊れやすい、儚い幻想。

 

 それでも、私はそれを捨てられない。

 

 境がそれを抱いているから。

 

 だから、あの男に壊された時──織姫があんな風に汚されたとき、私は本気で怒った。

 

 あの子を壊すということは、私の“希望”を壊すということだ。

 

 私はあの子を庇ったわけじゃない。

 

 私自身の、どうしようもなく手の届かない未来を守るために、怒ったんだ。

 

 ──最低だよな。

 

 でも、それでも。

 

 怒ってよかったと思う。

 

 らしくはないけど、悪くはなかった。

 

 今もまだ、私の手の中には、あのとき白純に斬りつけたナイフの感触が残ってる。

 

 たぶん、私はまたあいつに会ったら、同じことをするだろう。

 

 それが、たとえ誰のためじゃなくても。

 

 それが、たとえ自分のためでしかなかったとしても。

 

 私はあの子の未来に、少しでも手が届くように、そっと──その背中を見守っていようと思う。

 

 壊れた私の、“希望”のかけらとして。

 

 

 

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