昨日の夜は、とても心の満たされる夜だった。
自分の部屋のいつもの匂いの中に混じる別の香り。
同じ布団の中には、眠っている織姫さんがいる。鎖骨の辺りには虫刺されの様な痕がいくつもある。真っ白な雪原の様な素肌に咲く赤い花は、純潔を散らした様にも映る所有物の証。
それを見てしまうと、胸の奥が疼く。
汗で額に張り付いている乱れた黒髪が蠱惑的に映る。
声を我慢する織姫さんを悶えさせるのも、包み込んでくれる笑みを浮かべる顔を艶かしく蕩けさせるのも、辱しめて、犯して、普段の織姫さんを徹底的に壊して蹂躙することが愉しくて。
そう。楽しいではなく、愉しい。
愉悦という感情を知ってしまった。
それはとてもいけないことだとわかっているのに、自らに生じたこの感情を殺すことなど出来ない。生まれるということは、生きているという事なのだから。
「んっ……。…ふじ、の……?」
「おはようございます。織姫さん」
やっぱり藤乃は、織姫さんと一緒でなくてはダメだ。
この人が。この人だけが、藤乃に生きている実感をくれる。
布団の中から藤乃を見上げる織姫さん。途端に目を逸らしてしまう。
「どうかしました?」
「…服……着ようよ……」
そういえば服は脱いだまま寝てしまった。織姫さんも、藤乃が脱がせてしまったから、布団の中に隠れている身体は布一枚身に付けてはいない。
「そうですね。でも、もう少し…」
「…ふじっ!? ダメ、もう朝だから…っ」
布団の中に潜り直して、織姫さんを胸に抱きながら、織姫さんの身体に指を這わせる。細くて、力を込めたら折れてしまいそうな華奢な身体の味わいは、昨夜隅々まで堪能し尽くしたので、何処が弱点なのかも把握している。
布団の中でだけは、織姫さんも藤乃を否定する事がある。でも、それは藤乃をムキにさせてより強く、激しく、織姫さんを壊す為の燃料にしかならないことを、織姫さんはわかっているのだろうか。
「だから、もう、ダメ…っ」
「ダメ、じゃあないですよね?」
昨日散々イジメてしまったからだろうか。今日の織姫さんはとても弱々しい。身体にも力が入っていない様子。
本当はもっと織姫さんをイジメていたい。けれどさすがにこれ以上は両親にも言い訳が立たなくなりそうなので、ぐっと我慢する。
あぁ、でも、やっぱり最後に一回くらい。
「藤乃…っ。んん……!」
「ふふっ。声を我慢しないと、誰かに聞かれてしまいますよ?」
「っ、藤乃が、やめれゃっっ、んんっっ…!」
口答えする悪い口は、藤乃の口で塞いでしまいましょう。
キスとか、口づけとか、接吻とか。そんな生やさしいものではない。貪り尽くす様に、犯して、辱しめて、蹂躙する様に。
ぐっと閉じた瞳から零れ落ちる滴。震える身体を抱き締める。痕を残すように強く臀部を握り潰して、逃げられないように後頭部を押さえつける。
そうすればもう、織姫さんは抵抗出来なくなる。
顔を離せば、恍惚に蕩けて期待に揺れて蜜のある瞳を浮かべる織姫さんの顔が映る。
本当に、織姫さんはイジメ甲斐のある人。
どうして織姫さんはこうも、藤乃の心に突き刺さる人なのだろうか。
お友達になりたいと言った時も、普段の優しさも、時折見せる子供っぽさも、昨夜見せてくれた扇情的な蕩けるような艶かしさも。
織姫さんの存在が、藤乃にはもう必要不可欠になってしまった。
「さぁ。シャワーだけでも浴びましょうか。お互いに汗っぽいですし」
「藤乃の所為でしょ…」
「違います。織姫さんが隙だらけなのがいけないんです」
他人を寄せ付けない普段の眼鏡を掛けている織姫さんのお陰で、織姫さんの魅力を知っているのは藤乃だけ。
でもそのストイックなところに夢を見てしまう女の子も少なくはない。それに織姫さんの本質は優しい方なので、眼鏡を掛けている方の織姫さんも織姫さんですから面倒見は良くて。
そんな優しいところを知ってしまった女の子はコロッと行き易い事を織姫さんにはもう少し自覚して欲しい。
それでも、織姫さんが甘えん坊なところは藤乃しか知らないことでしょうね。
「一緒にシャワー浴びちゃいましょうか」
「それ、見つかったら言い逃れ出来なくなるやつだからね?」
「でも別々に入る時間もないですよ?」
時計を見れば、両親も起きてくる時間。そんな時間に別々にシャワーを浴びている時間はない。織姫さんに関してはシャワーを浴びないという選択肢はないでしょうし。
「だからダメって言ったのに…」
恨みがましく藤乃を睨む織姫さん。あんな蕩けかかった顔で言っても説得力はないです。
「でも、本当にダメなら藤乃を突き放せば良いのでは?」
「……そんなこと、出来るわけない」
知っています。だから、やっぱり藤乃は織姫さんに甘えてしまっている。どうしようもなく優しい織姫さんだから、藤乃も安心して甘えてしまう。
本質的に、どうあっても、藤乃は織姫さんに甘えてしまう。織姫さんを壊したいという思いですら、織姫さんが受け入れてくれなければ成立しない。一方的になってしまってはいけない。それはただ、織姫さんに苦痛を与えてしまうだけ。藤乃は別に、織姫さんに苦痛を与えたいわけではないのだから。
◇◇◇◇◇
「朝帰りの気分はどうだ?」
「どうって……、言われても」
藤乃の家に泊まって、翌日の午後。学校から伽藍の堂に帰ってきた僕を迎えた橙子さんの第一声がそれだった。
その意味がわからない僕じゃないし。思い当たる節はありすぎた。
鎖骨にある赤い痕が、何があったのかを言葉にせずとも語ってくれる。
ただこれを悪くないと思っている自分が居る。藤乃に必要とされていると思うと、心が満たされる。自分のやろうとしている事が独り善がりではないのだと、そう思えてくる。
だって、藤乃には幸せでいて欲しいのだから。
「儘ならないなって…」
「ほう…」
幸せでいて欲しいのに、僕自身の行動が少なからず彼女に影を落としてしまっている。
魔術に関して秘密にしているのは、魔術を知ったことでどんな経緯であろうとも、藤乃の存在が万が一にも魔術協会に知れてしまう可能性を避けるためだ。
そうした可能性を極力排除する為には、関わらせないのが一番だと思ってしまっているから。少なくとも、そうした外部からの干渉が無いのは、二年間の保証がある。自分が藤乃と関わっていても、魔術に関わらせなければ良いのだと思っている。
最低限でも不良から藤乃を守ること。最善ならば両儀式との対決は避ける。理想的なのはそのまま藤乃の病気を治して、身体の異常を治して、魔眼と向き合う事だろう。
最低限の目的は、このまま藤乃との付き合いが続けば成し遂げられるだろう。最善は最低限をクリア出来れば、発端が無いのだから藤乃と両儀式が戦うこともない筈だ。理想は、このまま自分が橙子さんの弟子として関係を続けられれば、魔眼と向き合うことも出来る。自分が魔眼殺しを作れるようになれば良い。病気は手術して貰うか、それが難しいのなら、橙子さんに相談も出来る。身体の事も右に同じ。或いはそちらも自分が出来る様になれば良い。
「彼女の事を思うなら秘密にしないとならないですし。でもそれで彼女を不安にさせてしまってますし」
「わかっているとは思うが。魔術の秘匿は守って貰うぞ」
「ええ。わかっています」
魔術はその秘匿性――如何に他人に知られないかが重要になる。その秘匿は神秘を守るために必要とされている。神秘が薄れることは即ち魔術の効力が落ちる。或いは対策されてしまうということだからだ。
藤乃に魔術を教えるときは、自分が魔術師として独り立ち出来る様になった時か、早くても魔眼が開眼してしまった時だろう。彼女の目の事を知れば、橙子さんも少しは魔術に関して話すことを許してくれるだろう。
話せないもどかしさはある。ただ魔術に始まった事ではない。自分には藤乃に話せない事柄がいくつもある。話してしまうことで嫌われてしまうことを、軽蔑されてしまうなどと恐れている。
藤乃に恐れを抱く。それは自分が浅上藤乃を他人として認識している事に他ならない。
前提として、確かに興味を持つ要素として、物語の登場人物である浅上藤乃が居た。
けれど、そんな藤乃と友達になったことで、生きている一個人の浅上藤乃を知ることで、自分にとって浅上藤乃は物語の登場人物から他人になったのだ。
だから、藤乃に降りかかる不幸をどうにかしたい。どうかこのまま平穏に過ごして欲しい。彼女が幸せになれるのなら自分は何でもする。
好きな女の子の為ならなんでも頑張るなんて。そんな当たり前で、自分には分不相応な願いを抱いてしまった。
その願いを叶える為に、僕の選んだ道は、オレという存在を生み出した時と同じだ。
自分には出来ないのだから、出来る様になった自己を投影した様に。
この身に投影する。お誂え向きな魔術はあり、その手本となる物も同時に自分は識っていた。
「
投影魔術というものは魔力によってオリジナルの鏡像を物質化する魔術だ。
投影した物はオリジナルと比べると劣化が激しく、世界の修正によって数分間しか保てない。非常に効率の悪い魔術とされている。
ただ自分の扱う投影魔術は、オリジナルの鏡像というものに視点を当てている。
鏡像を自らに投影する事で、自らをオリジナルに近づける。鏡像のイメージが強いほど、その投影はより強固になる。
自分には出来ないのだから、出来る自分になってしまえば良い。
そんな発想からたどり着いた概念の結晶化。発想は憑依経験を基にしている。
投影した鏡像を自己に憑依させる。言ってしまえばなりきりを魔術を使ってやっている様なものだ。
ただ効果はある。刃物なんて包丁程度しか握った事のない自分が、飛び上がって逆さまになりながら身体を回転させた遠心力でナイフを振るえる様になるくらいには。
「二人目……か…」
まだ残暑を感じながら、夜は秋の到来を感じさせる肌寒さが忍び寄る9月の半ば。
頭から縦に真っ二つになった死体を見下ろしていた。余程鋭利な刃物なのか、頭蓋骨から綺麗に寸断されている。
赤い水溜まりが足元に広がっている。血の匂いが鼻腔を突く。ただその光景を立ち尽くして眺めている。
投影魔術の影響か、夜な夜な外を歩き回る様になった。その理由はわからない。ただ、投影基の鏡像が、夜の徘徊癖があるからだろうか。
この投影魔術の欠点は、投影基の鏡像に自己の共感と同調を必要とすることだ。
その為か、投影基の技術を再現出来る代わりに嗜好等の影響を受けてしまう。
今の自分の場合。その技術をイメージし易かった両儀式を自己投影している。映画にゲーム。両儀式の戦う姿は思い浮かべるのに苦労はしない。
だからなんとなく、夜の外を出歩いてしまう。
そして今の観布子市の夜を出歩く事がどういう意味を持つのか。わからない自分でもない。
頭ではわかっていても、今の自分は境織姫ではなく両儀式なのだ。だから物事の優先順位、思考も嗜好も、両儀式を投影したものになる。
だからこの光景を見て、背筋にぞくりと何かが迸る。
この惨状に恍惚を感じてしまっている。死に触れる事で生を実感してしまう両儀式の性質が己に投影されてしまっているから。
「……っ、……ふぅ…っ」
意図的に思考を反らして両儀式を己から切り離すことで、投影魔術を解除する。
噎せ返る様な血の匂いに顔をしかめる。
大丈夫。自分はもう境織姫だ。
そうして自己を再定義する事で混濁しそうになる思考を整理する。
魔術まで使った強力すぎる自己暗示の類。
この魔術を見た橙子さんの感想がそれだ。
加減を間違えれば投影した自己に己を塗り潰される危険性があると。しかしそうでもしないと、今の調子のままで研鑽を続けても間に合うかどうか。
自分が想定する最悪の事態は、荒耶との戦闘だ。
そうなった場合に備えて、身の丈に合わない下駄履きさえ必要になるだろう。
弱い自身では到底立ち向かえない化け物と戦うのなら、それを殺せる存在にならなければならない。
「はぁ……」
一息吐いて、この場を去る。警察に連絡しても、こんな夜更けに中学生が出歩いているとなると補導ものだ。そうなると色々と面倒になる。
せめてもの情けに、仏様に手を合わせて行く。
「どうかしてるよな。ホント…」
小さく呟いた言葉は、死臭が漂う異界の中に解けていく。
そう、異界だ。
人間の常識から外れてしまっている世界。身体を縦に真っ二つなんて、普通の人間の死に方ではないのだから。
to be continued…