水平線をひたすら西へ。
俺がもし妖精さんと出会わなかったら、どこにも行けずに死んでいただろうな。この変化のない景色を見てそう確信した。
この子たちのおかげで迷わず走れる。そこに一切の疑念が浮かばない自分自身に驚いていた。会ったばかりの相手を信じられるなんて、大人になってからは一度もなかったように思う。
これはやっぱり夢なんだろうか?
今は少しだけ、覚めてほしくない気持ちが芽生えていた。
疲れ知らずな体のおかげで、二日とかからず目的地に到着。これには妖精さんもビックリしたらしく、バナナを二本もくれた。
こいつら、いよいよもってチンパン扱いも板についてきたようだ。
俺はワクワクしながら鎮守府の偵察へと向かい、絶句した。
玄関口となる港は体を成しておらず、面積の半数は瓦礫の山。
修復が間に合わないほどの襲撃に晒されたのか、もしくは直す余裕がないほど追い詰められているのか……いずれにせよ、実情は想像した以上に酷いようだ。
「ここが本当に君らのいた鎮守府なのか?」
「はい。我々がいたときよりもひどい状態ですが、間違いなくヨコスカとやらなのです」
「もうようせいのけはいもきはくになってやがる。かんちすらできねぇぞ」
「あのていどのほしゅうすらままならぬじょうきょう……ごしゅじん、これはけいかくのへんこうもやむなしでわ?」
「そう、だな……まさかここまで――っ!?」
俺はこの目で見たものを信じたくなかった。
神通に肩を借りて、フラフラと歩いていく川内の姿。
二人とも中破、もしくは大破しており、あの破損した主砲は使い物にならないだろう。
その二人を提督と思わしき若い女性が出迎え、隣の響と時雨たんも疲弊しているのが遠くからでもわかる。
そして、あまりにも静かだった……港にあるはずの喧騒はなく、ウミネコの鳴き声だけが寂しげに響いていた。
「リーダー、こいつをみてくれ。ていさつきがとらえたじょうほうがおくられてきた。ちとめんどうなことになりそうだ」
「これは……あいかわらず間の悪い連中なのです。ご主人さま、少しお耳に入れたいことが」
「あ、あぁ。どうした?」
「ここに深海棲艦の群れが接近しています。駆逐二十隻。軽巡八隻。雷巡二隻。重巡四隻。到着は約一時間後なのです」
「……その中で、エリートが何隻かわかるか?」
「エリート、せいえいのことですかな。われらはぞんじませんが、しんかいせいかんにもゆうれつがそんざいすると?」
エリートの概念がない? いや、そう判断するには早計か。いつだって最悪を想定するのを忘れちゃいけない。
「この鎮守府にいる艦娘の情報が知りたい」
「申しわけありません……ここにも仲間がいたのですが、呼びかけに反応できないほど弱っているようなのです」
「おれたちがじかにしらべるしかねぇか。まかせな」
「いや、俺も行く」
「!?」
艦娘の人数と状態を把握すれば、防衛できるかどうかもわかる。最悪、俺が背後から奇襲を仕掛ければ勝率も上がるだろう。
……わかってる、言い訳だよ。俺はあの子たちを見捨てるのがイヤなだけだ。あれじゃあどうみたって戦えないもんなぁ。
「すまないが、どうにか艦娘が勝てる方法を考えてほしい。もちろん無理なら諦める」
「くく。さてはごしゅじん、やるきだなぁ?」
「かてるほうほうといわれましても、ごしゅじんがさんせんなさるのであれば、かんがえるいみもありませんでな」
「め、名案を思いつきました! ここの司令官と艦娘を縛り上げて庇護下に入れましょう。そしてどこかの島でバナナを与え、歯向かうことがないようにキチンと餌付けをするのです!」
「それは名案だな。だがバナナで釣れるようなアホなどいらんわ! バカなこと言ってないで潜入するぞ」
この時はまだ、焦りを隠せないリーダーの様子に気がつかなかった。
敷地内への潜入は呆気なく成功する。
まず人気のない建物から雨合羽を拝借してかぶってみたが、隠しきれない尻尾はどうしようもなかった。開き直って正面から侵入すると、誰も気にかける者がいないという現実に頭を抱える。
始めは資材の備蓄を調べようと工廠へ侵入、だが備蓄の姿はどこにもない。整備班が資材の確保に奔走し、明石が応急処置を施す程度が関の山であった。
鎮守府内の誰もが疲れ果てている。
これでは他者を思いやる余裕など持てるはずはなく、俺のような侵入者がいても気にならないわけだ。そしてなにより、ここに在籍している艦娘の数があまりにも少なすぎた。
工作艦の明石。駆逐艦の響、時雨。軽巡洋艦の川内、神通。軽空母の龍驤。戦艦の比叡。以上の七隻のみ。
資材は底を尽き、ボロボロで戦える艦娘はおらず、提督自らが港の補修作業をしている。これが現在の横須賀鎮守府の全てだった。
「……俺はてっきり、艦娘なら妖精さんを認識できると思っていた」
「ここには“ていとく″がおりませんでな。つながりがきれれば、にんしきにもえいきょうがでようものです」
「提督ねぇ……俺にはあの子が立派な提督に見えるがな」
「おれたちもそうおもってるぜ? なんたってさいごの“ていとく″のいもうとだからな」
ピクリとリーダーの肩が震えた。
さっきから妙だと思ったが、リーダーはあの女性提督になんらかの思い入れがあるようだな。
だからというわけじゃないが、俺も興味が引かれた。
近づけばそばにいる響と時雨が気づくかもしれない。けど、どうしても話を聞いてみたかった。
「提督殿、腕から血が出ているぞ。無理しすぎじゃないか?」
「え? あぁこれはいいの。気にしないで」
「でもこのままじゃ、次の襲撃がきたら耐えきれないだろ。援軍は何をもたついているんだ」
「ぷ、あはは! 援軍なんてくるわけないでしょ? ほとんど佐世保に持ってかれたんだから」
「……し、支援物資くらいはよこすよな? さすがにこの要所を捨てたら、いよいよもって終わりだぞ」
「はぁ……もしかしてわざと言ってる? あいつら、こっちに回す気なんてないわよ。お偉いさんはとっくに逃げたあとだもの」
「…………なぜ、提督殿は逃げないんだ? もう後がないだろうに」
「私にもわからない。でも、この子たちを置いていくのは無理かなぁ」
響と時雨が、そして俺の中の妖精たちが微笑んでいる。
なるほどね……ニヤニヤしている外務大臣を見てようやくわかった。こいつら、俺をここに誘導してくれやがったな? この健気な提督ちゃんや艦娘に会わせれば、俺が絆されると踏んだのだろう。
「なーんか様子が変だと思ったが、やってくれたなぁリーダー?」
「はぅ!? ななななんのことですか!?」
「リーダーはあいかわらずはらげいがにがてですなぁ」
「まぁいいんじゃねぇの? おれらのごしゅじんはこんなことでおこったりしねぇよ。なぁ?」
ハハ、こやつめ。持ち上げつつ逃げ道を塞ぐとはやりおるわ。
いいだろう、乗ってやる。
そして大きなため息をついた瞬間、俺の後頭部に固いモノが押し付けられた。
「動かんほうがええで? いくらアンタが姫級でも、比叡のゼロ距離はアカンやろ」
「一歩でも動いたら、撃ちます!」
無理だぜ? だって弾がねぇからな!
そう言ってケラケラと笑う外務大臣を見たとき、俺の中でサイコ疑惑が急浮上していた。