「動いたらダメですよ? 動いたら気合入れてドンしますから!!」
「うるさいねん! 耳元で大声出すなや!」
「す、すみません」
「龍驤か。さすが歴戦の猛者、肝が据わっているな」
「なんや、ウチえらい評価されとるやん。ちょっとうれしいわ」
龍驤が俺の前に立ちふさがり、雨合羽を取り払った。
これが息を飲む瞬間というものなのだろうか? 俺の姿があらわになると、艦娘たちの間に怯えが走ったのを感じる。
「……深海棲姫」
「また新種かいな? もうえぇてホンマにもう~」
「待った、姫じゃない。俺はただの深海棲艦で男の人格だ。間違えないように」
「ただの深海棲艦が言葉を理解する? ありえない」
「こうして目の前にいてもか響?」
「!?」
「リサーチ済みかいな。熱心やなぁ自分」
「命がかかっているからな。資材が足りなくて、比叡の弾薬がないことも知ってるぞ」
「ひぇ!? あ、あります!! 弾薬はありまぁす!!」
「っ……うるっさいゆうとるやろ! 黙っとき!」
「す、すみません」
比叡かわいい!
必死に誤魔化そうとして、さらに墓穴を掘ってるのがかわいい。
でも龍驤がフォローしきれないのを外務大臣が爆笑してる……人間としてこうなってはいけない、そう深く心に刻んでおこう。
だがそろそろ時間がない。
この提督が愛されているのは十分に伝わってきた。だからこそこんなところで死なせるわけにはいかないんだ。
「安心しろチビッ子。別に戦いにきたわけじゃない」
「誰がチビッ子じゃコラ! 冷やかしやったら帰れボケ」
「折り入って提督殿に提案がある。ここから逃げる気はないか?」
「え?」
「このまま鎮守府にいても全員死ぬ。提督殿はこれを否定できるか?」
「…………」
もし俺が彼女の立場だったら逃げだしてると思う。無力感に悩んで、飯もろくに食えない毎日ならきっと逃げ出す。
「この世にはとんでもなく強い深海棲艦が山ほどいる。ここにいても味方の支援はおろか、資材さえ苦しい毎日が続くだろう」
「……もうやめてや。それ以上は」
「今は黙って聞こう」
「…………っ」
時雨が龍驤を抑えた。彼女もまた提督を大切に思い、逃げ道を塞ぎたくないのかもしれない。
「もう十分だ、これ以上苦しむ必要はない。だから鎮守府の艦娘たちと一緒に逃げるというのはどうだ? 俺も可能な限り協力しよう」
「……この子たちの姉妹艦が遠くで戦ってる。私たちの後ろにはたくさんの子供たちがいる。それに、誰にも家族を失った私と同じ目に合わせたくない。だから、ごめんなさい」
即答か……。
肩に乗っている妖精三人と無言で見つめあう。頑張ったけど逃げてもらうことはできないようだ。そして艦娘たちも戦えるようなコンディションではない。
やっぱり俺が頑張るしかないか。
「あ~ゴホンゴホン! これは独り言だ」
「な、なんやねんいきなり……」
「長旅で体が疲れたなぁ。ん? 妙に重いと思ったら、荷物がいっぱいだったようだ。よし、ここに捨てていこう」
「あ、あの~いったい何を――!?」
――さ、猿芝居にもほどがあるのです……。
――やかましい! さっさと資材を置いてけ。
――ごしゅじん、どれくらいすてていきますかな?
――全部だ全部、もういくとこまでいっちまえ。ついでに妖精仲間を助けてここをなんとかしろ。今すぐにだ!
――くくく、さすがごしゅじんだ。むちゃいってくれるよなぁ。
黙れ腹黒妖精。俺をここまで利用しやがったんだ、しっかりと艦娘たちを守ってもらうからな!
全部の資材を港に並べたら結構な量になっていた。俺には燃料、鉄、アルミニウムといったわかりやすいのしか判別できないが、これだけあれば艦娘全員の補修と補給は問題なく行えるはずだ。
「スッキリした。さーて行くか」
「…………なんでや」
龍驤が引き留めるように俺の手を握る。振り返ると、彼女はこぼれそうなほど目尻に涙を浮かべていた。
「……どうして……助けて、くれるん?」
その震えた声で、絞り出した言葉の重みが違った。
彼女たちは味方のいない四面楚歌の中で戦い続けたのだろう。それが痛いほど伝わり、ろくに知りもしない俺でさえ憤りを感じたぐらいだ。
このままでは龍驤を抱きしめ、もらい泣きをしてしまう。
俺は深海棲艦だ。彼女たちに味方だと勘違いさせてはならない。
これから彼女たちの生活が軌道に乗ったとして、また上の連中が戻ってこないとも限らない。その時に俺の存在が足枷になったらどうする? それこそ死ぬほど後悔することになるんだ。
「歴戦の猛者がそんな顔したらみんなが不安になる。それになんのことか俺にはさっぱりわからないな。誰かがあのいらない荷物を処分してくれることを願うよ」
「…………ひぐ…………うん」
もう振り返らない。
提督ちゃんと艦娘たち、そして時雨たんのため、オジサンも頑張るか。
翌朝、横須賀鎮守府は大変な騒ぎになっていた。
大量の資材だけではなく、食料品までもが届いていたからだ。中身は全部バナナであったが、食料の供給も不足していたこの地では神の恵みに等しい。
問題は日持ちがしないことである。それでも、たっぷりと味わえる果実に誰もが舌鼓を打っていた。
「深海棲姫が助けてくれたぁ!? ウソでしょ?」
「嘘じゃない。本当」
「で、でもどうしてでしょうか?」
執務室では修理を終えた川内と神通が不可解な出来事に納得がいかない様子であった。
泣きながら修理をさせろと駆け寄ってきた明石から資材の到着を知り、こうして提督の元へとやってきたのだ。
「それは……わからないよ。でも私たちにここから逃げろと言ってくれたの」
「僕らは気づかなかったけど、あのとき深海棲艦がすぐそこまできていたんだ。でも……」
「壊滅。港に流れ着いた残骸を調べたら戦闘の跡が残っていた」
「……資材を分け与えてくれて、深海棲艦まで撃退してくれた?」
「神様でしょうか?」
誰も否定しない。だが理由どころか何者かもわからない。
素直に喜べばいいのか、自分たちの無力を悔めばいいのか、彼女らにとっては複雑な気持ちであった。
「……あのさ。もう一つ気になるんだけど、比叡はなんで落ち込んでるの?」
「あぁ、こいつその大恩人の後頭部に主砲押し付けて脅したんよ。アホやでホンマ」
「やれって言ったの龍驤さんじゃないですか!? ひどいですぅ!」
「冗談や冗談、堪忍やで。でも、いつかぜったい恩返ししたるわ」
目を赤くした龍驤の決意に笑顔がこぼれる。
この横須賀鎮守府に、昨日まで失われていた何かが戻りつつあった。
そして彼女たちは知らない。
そう遠くない無人島で、全員の名前入り専用装備をシコシコ作っている大恩人(過保護オジサン)がいることを。