・刀語(全十二巻と外伝一巻)
・鬼滅の刃(全二十三巻と公式ファンブック二巻)
第序話 上弦之参と虚刀流
明け方近く、夜空に明るさが混じり始める頃。列車の残骸が散らばる平野の中。
額に紅炎状の痣をもつ少年と猪頭を被った少年ーー
炭治郎たちの十間ほど離れた先で戦うのは、二人の戦士。
一人は、赤く色づいた刀を手に戦う焔髪の青年ーー
もう一人は、徒手空拳で戦い、右眼に上弦そして左眼に参と文字が刻まれた異貌の男ーー
戦いは終始、猗窩座が優勢な形で進んでいた。
遠距離からの攻撃手段をもつ猗窩座に対し、杏寿郎は唯一の活路たる接近戦を挑む。
しかし猗窩座は拳法に秀でており、杏寿郎の猛攻を捌いて反撃。
杏寿郎は腕や胴に斬撃を与えているが致命傷には至らず、猗窩座は一瞬で傷を塞いで意に介さず、杏寿郎に痛打を与え続けた。
猗窩座は鬼と呼ばれる存在である。
鬼とは、桁外れの体力を備え怪力をもち、人を襲っては食らう化け物。
そんな鬼の中でも格別の強さを誇る十二の鬼の三番目ーー十二鬼月の上弦ノ参を拝する鬼が猗窩座だ。
鬼は不老不死に近い存在。日光に晒されるか、太陽の力を取り込んだ特殊な刀で首を刎ねる以外に死ぬことは無い。
ゆえに、たとえ技量が拮抗していようとも、傷つき消耗する人間と不死身に近い鬼とでは、絶対的に人間が不利である。
剣と拳、数十にも及ぶ応酬の末には、対照的な二人の姿があった。
肋骨は砕け内臓は傷つき、満身創痍な杏寿郎。
そして、無傷の猗窩座。
炭治郎も伊之助も、煉獄に死が近づいている事を感じていたが動けずにいた。
それは、自身の力量が桁違いに劣っており、戦いに加われば杏寿郎の邪魔になるだけだと実感しているからだ。
炭治郎も伊之助も、列車が大破し脱線するほどの激戦を経た直後であり、少なくない傷を負っている。
だが、たとえ万全の状態であったとしても、杏寿郎に庇われるだけだろう。
役立たずどころか、足手まといになる事は明白だった。
杏寿郎の助けに入りたくて仕方がないのに出来ない無力感。
二人は杏寿郎の戦いを見て歯噛みする事しか出来なかった。
「どう足掻いても鬼には勝てない。無駄なんだよ、杏寿郎」
猗窩座は、投降を促すように告げる。人間では絶対、鬼には勝てないと。
「俺は俺の責務を全うする!! 誰一人として死なせはしない!!」
しかし杏寿郎は、戦意を失うどころかむしろ滾らせて、猗窩座に構えをとった。
まるで引き絞られた弓のように、全身を捻じった構え。
それは、どんな体勢でも技を繰り出せる杏寿郎が初めてみせる、明確な攻撃の予兆だった。
杏寿郎の闘気が最大限に高まっているのを感じ取り、猗窩座は
それは、百年以上も磨き上げてきた己の武に相対する杏寿郎への称賛でもあり。
同時に、ここで決着がつくことを確信する、悲しみを帯びた笑みだった。
猗窩座は非常に残念に思っていた。
人間は
それは、鬼を倒して人々を守る組織である鬼殺隊の最上位剣士ーー柱と呼ばれる者たち。
煉獄杏寿郎という男は、炎の呼吸と呼ばれる戦闘技術を極めた炎柱だ。
心技体が極限まで鍛えられており、その実力は、猗窩座が百年以上鬼として戦い葬ってきた柱たちの中でも上位に居るだろう。
実力の違う相手、ましてや
杏寿郎の気迫に応えるように、猗窩座も真正面から迎え撃つように構える。
炭治郎と伊之助は、その時初めて、二人の姿を鮮明に捉える事が出来た。
それは両者が決着必至の攻撃を放つ前の、僅かな間。
目を離せば一瞬で勝負が決まるであろう刹那。血腥い決戦が終わる直前。
緊張の一瞬に水を差すように、
猗窩座の背後上空より現れたものは、猗窩座の首に向かって一撃を振り下ろす。
どんな攻撃であるかは、あまりに速すぎて炭治郎たちには見えない。
炭治郎の優れた嗅覚や伊之助の人間離れした触覚でも接近を探知できなかったそれは、刃特有の鈍い煌めきが無い事から、辛うじて無刀の攻撃である事は知れた。
咄嗟に猗窩座が避けた為に、その振り下ろしは大地を割り、盛大な土煙を上げる。
「一旦退け、杏寿郎」
煙の中から、杏寿郎でも猗窩座でもない男の声が聞こえた。
その言葉を受けて、すぐさま杏寿郎は炭治郎と伊之助を守れるような位置に後退する。
即座に猗窩座が反撃したのだろう、辺りの土煙が払われる。
強い風圧に、炭治郎や伊之助も思わず目線を下げ、砂塵をやり過ごす。
「心配するな竈門少年、猪頭少年。俺もすぐに戦いに戻る」
自身の傷が深い事を自覚している杏寿郎は、回復を意識した呼吸を行いながらも視線を戦場から背ける事なく、二人を安心させる為に声をかける。
突然現れたにも関わらず杏寿郎が信頼を寄せる闖入者。
杏寿郎を心配するように見ていた二人は、彼の言葉につられて視線を戻す。
そして、そこで繰り広げられる奇妙な戦いを目にした。
味方と思われる闖入者の男は、鬼殺隊士に有るまじき恰好の青年だ。
上半身は伊之助と同じく裸で、引き締まった身体を晒している。鬼殺隊士に支給される袴こそ履いているが裾を絞っておらず、攻防に合わせ激しく靡く。
そこから覗く両足には鎧とも脛あてとも言い難い防具を履き、両腕には同様の手甲を着けている。
鬼殺隊の隊服は、雑魚鬼の爪や牙から身を守るなど、機能性に優れた防具だ。それをきちんと纏わず得物も持たずに、猗窩座に戦いを挑んでいた。
猗窩座の拳に対して、肘や掌で払う。
猗窩座の蹴りに対しては、技の始まりで流すか、威力を予期して受けずに避ける。
背中まで伸びた総髪が、猗窩座の攻撃の鋭さを表すように激しく波打っている。
男の方が猗窩座よりも頭一つほど高い長身であり、その分手足も長い。
間合いが違うにも関わらず、二人の戦いは演武のように淀みがなかった。
相手が交代しても、戦いは変わらず猗窩座の優位。
新手の男は攻撃する間もなく防戦一方だが、しかし傷一つなく攻撃をしのぎ続けていた。
「虫酸が走るな、貴様」
杏寿郎という強者に対して嬉しそうに戦っていた猗窩座が、苛立ちを浮かべて悪態をついている。猗窩座にとって闖入者は、戦いずらい相手なのだろうか。
「ーー
そして、男ーー鑢と呼ばれた青年の名を呼び、動きに支障が無い程度に回復した杏寿郎が戦いに加わる。
そこから先は、二対一の戦いとなった。
攻撃を杏寿郎が担い、防御を男が補う。
烈火のごとく攻める杏寿郎。それを助けるように鑢が動き、致命打を捌き続けた。
猗窩座は、連携を魅せる二人に最初は惑い手傷が増えたが、直ぐに戦いの流れに順応し、今まで以上に激しい攻撃を二人へと見舞う。しかし二人は危うい場面がありながらも対抗できていた。
一対二となった為か、戦いは猗窩座の圧倒的優位から微かに人間側へと天秤が傾く。それで十分だった。
死線が遠のいた事を炭治郎たちは確信する。
そこからの戦いは、朝日が差し込む瞬間まで激しく続いた。
陽光の存在に気づいた猗窩座が退く形で戦いが終わる。
口惜しそうな様子で日の差し込まない森へと消えていく猗窩座。
対峙した二人は、したくとも追撃が出来ずに見送った。
杏寿郎は満身創痍であるのに変わりなく、鑢は攻め手が無いうえに手足を覆う防具に罅が入っていた。
戦いが長引けば二人が負けるのは必至であるのが分かっているのだろう。
しかし二人は気を抜かず、平野を太陽が完全に照らすまで猗窩座が消えた方と睨んでいた。
太陽が昇り、戦いは引き分けの形で収束した。
杏寿郎は刀を収め、鑢は構えを解く。
「助かった、鑢」
「礼なら
「そうか。相変わらず、御新造様には頭が下がる。それはそれとして、礼は受け取ってくれ」
言葉を交わしながら、二人は炭治郎と伊之助に近づいていく。
杏寿郎が炭治郎たちの前に立ち、鑢はその後ろで興味なさげに佇む。
「竈門少年、猪頭少年。…もう大丈夫だ!」
杏寿郎は二人を案じて声をかける。それが呼び水になったか、二人は涙がぼろぼろと零れた。
それは悔しさがあふれ出た証だ。
二人は目の前の戦いより一月前の下弦之伍の戦いを機に、全集中の呼吸と呼ばれる戦闘技術、その奥義を修めた。
全集中の呼吸とは、鍛えぬいた心肺から大量の酸素を取り込み、身体が熱くなるほどに肉体を強化させる技術と、その状態から繰り出される剣術の型を指す。
その奥義である全集中・常中は、四六時中、寝てる時さえ全集中の呼吸を保つ事。
それにより身体能力を爆発的に上昇させ、十二鬼月の一鬼、列車に巣食う下弦之壱を討つ事に貢献できた。
しかし、直後に現れた上弦之参には一矢も報いることも出来なかった。
鑢と呼ばれる男が増援として駆けつけなければ、杏寿郎を見殺しにしていた。
杏寿郎に申し訳なく、自分の弱さが恥ずかしくて情けなくて、色々な苦しさが胸に渦巻いていた。
「助けられた俺が言うのは心底恥ずかしいが、柱ならば後輩の盾になって当然だ。気にするな」
そんな二人の気持ちが分かるのだろう。杏寿郎は励ますように言葉を続ける。
「己の弱さ、不甲斐なさに打ちのめされてようと前を向け。歯を食いしばり心を燃やせ。竈門少年、猪頭少年。黄色い少年に竈門少年の妹。俺は君たちを信じている」
それは厳しくも温かい、炭治郎たちを励ます為の言葉。
鬼殺隊を支える柱になるであろう炭治郎たち、鬼である炭治郎の禰豆子を認めた証。期待を込めた応援である。
「これだけ派手に戦ったのだから、隠たちが駆けつけてくれる頃だろう。黄色い少年や君の妹含めて、今日は休みなさい。継子の話はその後だ」
「俺はこの後どうすりゃいい?」
「あとは任せてくれ。鑢は戻ってくれてかまわない」
「承知した」
杏寿郎と鑢の会話から程なく、隠ーー鬼殺隊の事後処理部隊が十数人、姿を見せた。
杏寿郎の指揮に従い、隠の四人が炭治郎たちをそれぞれ背負い出発した。
鬼殺隊に恩を感じ奉仕してくれる家、藤の花の家紋を掲げた最寄りの屋敷へと、治療の為に炭治郎達を運んでいく。
鬼殺隊の最高幹部の一人である杏寿郎、その満身創痍な姿に隠の誰もが動揺していた。
それを感じた杏寿郎は、隠の中で位の高い者に引き継ぎを行い、彼らを安心させるよう自身の屋敷へ(自力で)帰る事にした。
全身傷だらけでも問題なく帰っていく姿に畏怖する隠一同。それを見届けた鑢は、自分もさっさと屋敷へ帰る事に決めた。
「ああ、後はよろしくな」
「承知しました、鑢さま。後は我々にお任せください」
挨拶もそこそこに、鑢は駆けだした。一瞬で豆粒に見えるほどの距離を駆ける様は、地面に大きな亀裂を入れ、十二鬼月と死闘を演じ男とは思えないだろう。消耗しているように見えない。
「あの方は相変わらずだな。任務が終わるとすっ飛んで帰ってさ」
「家で御新造様が待っているんだ。仕方ない」
「確かに」
要領よく作業を進めながら、隠の幾人かが囁くように軽口を言い合う。
「鑢さまって有名なんですか?」
「お前、あの方を知らないのか」
年若い声の隠が尋ねると、噂話をしていた者たちが小声で驚く。
隠はみな、忍のように目元だけを露出した覆面だが、それでも訳知り顔なのが分かった。
隠の一人が、もったいぶったように言う。
「お館様の妹君が、鑢さまの奥方なんだよ」
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野山を突っ切り風のように駆け抜け、炭治郎たちが
そこで目隠しをされ、隠に運ばれて自分の屋敷へと帰る。
鑢の妻は鬼殺隊を束ねる九十八代目当主、産屋敷耀哉の妹。
嫁いだとしても重要人物に変わりない。鬼に狙われる事を避ける為に、住まいは産屋敷本家と同様、厳重に秘匿されていた。
「なあ鑢、どんな鬼と戦ったんだ?」
背負われた鑢に気安く声をかけるのは、後藤という男。鑢と一緒に鬼殺隊の最終選別を受けた同期だ。
「今度は上弦之参だ」
「上弦之参!? 大丈夫かお前!?」
「おれは大丈夫だ。杏寿郎が戦っている中に不意打ちしたしな。だが一撃も入れれず防戦一方だった」
「・・・それでもすげえって。え、
「傷だらけだけど五体満足だよ。自分の足で帰ってった」
「・・・そうか。少しだけ安心した」
二人だけしか聞こえない声量で喋りながら、後藤は一目につかないよう猫のように進んでいく。その先で新たな隠と落ち合い、鑢を受け渡した。
「じゃあまたな、鑢」
「ああ、また」
去り際に軽い挨拶を交わし、すぐ二人は別の道へと進んでいく。
幾度かの交代を経て、鑢はついに自分の屋敷へと辿りついた。
そこは迷い家めいた屋敷だった。
鬼に襲われぬよう、一年中狂い咲く藤の花が敷地を覆っている。
天然の生垣に囲まれたそこは、鑢と彼の妻、家政婦一人の三人だけが住む。
「帰ったぞ、
玄関の戸を開け、開口一番に帰宅を告げる。
「ご苦労だったぞ、七花」
奥から女の声が通った。
声の主より後、急いで駆けつけた家政婦に最低限の旅の汚れを落としてもらう。そして鑢は先の女の声の元へと速足で向かった。
茶の間をさっと抜け、奥座敷の襖をあけて中に入る。
するとそこには、美しい女がいた。
上質の布を用いた藤色の着物をまとう彼女は、銀糸のような艶めいた長い白髪を畳に垂らし、文机に背を向けて座り、目鼻立ちの良い顔ごと、鑢の方へ身体を向けていた。
この女性こそ、鬼殺隊当主産屋敷耀哉の妹にして、鑢七花の妻。
旧姓、産屋敷ゆかり。そして今は名を、鑢ゆかりと言った。
男ーー鑢七花は、別の女と思しき名前を口にしながら、ゆかりの方へと近づく。
そして膝を突き合わせる距離で正座をして、ゆかりに向き合った。
「して、どうだった? 先に鎹鴉から報告は聞いてるが、そなたの口から聞いてみたい」
「俺が着いた時には下弦之壱はやられてて、杏寿郎が上弦之参と戦ってた。そん中に割り込んで戦った」
「よく上弦之参相手に生き延びたものだ。相手の力量や血鬼術は分かったか?」
「鬼の膂力と拳法を併せて使ってくる相手で、杏寿郎一人では討伐は難しいかもしれない。構える時に変な文様が足元から地面に広がる程度で、血鬼術らしい血鬼術は見てないな」
「血鬼術は不明か。しかし、あの炎柱を圧倒するとは...。地面に広がる文様が糸口になりそうだが、他に何か気づいたところはあるか?」
「・・・強いて言えば、妙に勘の鋭い奴だったよ。俺の落花狼藉を紙一重で避けやがった」
「それは恐ろしい相手だな。それに、そなたとの相性は良くなさそうだ」
「ああ、あくまで俺の虚刀流は
夫婦であるはずなのに家庭的な雰囲気は無く、参謀と兵士が交わすような会話が暫く続いた。
ある程度満足する報告が聞けたのか、ゆかりが七花に疲れを癒すよう促す。
正座を崩した七花は、入ってきた方向とは逆の襖、風呂へと繋がる方へと素直に向かっていく。
話の間に家政婦が湯船を準備したのだろう、奥座敷から風呂へと続く廊下には、うっすらと湯気が漏れている。
「そういえば、言うの遅れたんだが」
奥座敷から出る直前、思い出したように七花は立ち止まる。
そして、机に向かって書き物をしているゆかりへ、照れる事なく言う。
「愛してるぜ、とがめ」
それに対しゆかりは、ちらりと七花の方へ僅かに顔を向けた。
「ああ、私もそなたを愛しているぞ」
私の仕事がひと段落着いたら一緒に湯に浸かろうか、と何もかんじていないように言葉を続け、とがめはすぐに文机に向き直る。
七花から表情は伺えなかったが、微かに赤くなったゆかりの耳が、白い髪からわずかに見えた。
それを見た七花は、嬉しそうな様子で先ほどより僅かに足を遅めて風呂へと向かった。
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鬼の真祖ーー鬼舞辻無惨を滅する大きな物語の、ある一幕。
本来の歴史から外れた、外典と言えなくもない話。
血風格闘剣花絵巻の始まりは、鑢七花と猗窩座の戦いから。
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この度の話は、ここまで
七花が、ゆかりをとがめと呼ぶ理由は何か。
拳法使いである七花が、自分の技を虚刀流なる剣術と称するのか。
それは別のお話として、ひとまず、虚刀流と猗窩座の話はおわりである。