もうひとつのソラ   作:ライヒ

21 / 33
第二十話 「猫と犬なら猫派です。」

 

 

 

 ○月Σ日

 

 つなを中心にした、様々な出来事がありました。いや、流石にその全部がというわけではありませんが、とりあえずどれもつなが巻き込まれたりしてたことは確かです。

 えーと、七夕大会でそれぞれ出し物をすることになりまして、私ははると一緒に司会をやったのですが、それぞれがとっても個性的な出し物をしてくれました。

 あとらんぼが迷子になったので皆で探したりとか。

 この間は海に行きました。今回はちゃんと水着を買って行ったので恥ずかしいことは何もないのです。海に行ったらこう、なんというかでかでかと「不良」の看板を下げて歩いているような人たちに会いましたが、これは本筋とは関係ないので省略しましょう。

 今日は、夏祭りです。

 

 

 

 

 

第二十話 「猫と犬なら猫派です。」

 

 

 

 

 

「これも可愛いけどこれもいいわねっ! どうしようかしら~」

「ママン、この髪飾り使ってもいいわよ」

「あら、ありがとう!」

「……、」

 

 ただいまわたくし沢田桃凪姫は、母とビアンキの手によって着せ替え人形にされています。

 というモノローグを考えて現実逃避をしてしまいたくなるほど、今の桃凪は疲れていた。

 なんで、何でこんなことになったんだ。夏祭りに浴衣で行くのはまぁいい、京子達が浴衣で行くというから自分も……と考えたのは他ならぬ桃凪だし、一応雰囲気とか言うものを大事にしたい桃凪は浴衣もそれなりに好きだったし。

 そしてそれを奈々に話したら、「じゃあ私の若いころの浴衣があったから、それにする?」と言われたのもいい。母の浴衣のサイズは合わないのではないかと不安になったが、なんでもすでにサイズ調整はしていたらしい。

 しかし、この扱いはいかがなものか。

 こんな感じかしらあらちょっと色合いがいまいちねえーと確かここに違う色のがあったんだけどあらないわねうーんどうしましょうじゃあこの浴衣やめて別のにしましょうかそうすればこの帯にあうわねあっそうだどうせだったら下駄履いてけばいいんじゃないかしら可愛いしね!

 という感じである。

 ツナはもう先に行ってしまったし、京子達はもうすぐ来るし、早くしてほしいもうこのさい浴衣なんぞどうでもいいから。

 

「んー……もうちょっと可愛くしたいんだけど……」

「でも桃凪の目がちょっと死んできてるし、あとは髪を変えればいいと思うわ」

 

 そういって最終的に奈々とビアンキが選んだベストコスチュームは。あちらこちらに桜がちりばめられた桃色の生地に、思わず目を引くような青い帯。アップにまとめ上げられた琥珀色の髪の毛と、ビアンキから貸してもらったどことなくヨーロピアンなガラス細工の髪留め。

 ものすごい気合の入りようだ、ママン恐るべし。

 

「きゃああああやっぱり桃凪可愛い!! ピンク色って似合うと思ったのよー!!」

「そう、ですか……」

「髪飾りも似合ってるわよ、桃凪」

「ありがとうございます……」

 

 なんかもうどうでもいい今すぐ逃げたいこの場から。

 無我の境地に至りそうだった桃凪を現実から引き戻したのは、一回のチャイム音だった。

 ぴんぽーん

 

「あ、たぶんはるときょーこちゃんだ……」

「タイミングばっちしね! 桃凪、行ってらっしゃい!」

「いってきまーす……」

 

 どことなくふらふらとした足取りで持ち物を引っ掴んで玄関に歩いていく桃凪。奈々のテンションは先ほどから下降知らずのうなぎ上りなのだが、それに反比例して自分のテンションが急下降している気がする。

 

「お待たせー」

「わー、桃凪ちゃん気合入ってるね!」

「可愛らしいですー!!」

「うん、頑張ったよ……お母さんが」

 

 しかし、そういうハルと京子も十分、というかかなり可愛らしいと思うのだが。

 青色生地に金魚柄、黄色い帯が全体の可愛らしさを強調している京子と、オレンジの生地に波と葉柄、赤い帯でシンプルな分大人らしさが出ているハル。とても絵になる組み合わせだ。

 自分を顧みる、幼児体型、以上。

 

「……よっしゃー、じゃ、いこっか」

 

 

 

 

 

 暇だな。と雲雀恭弥は思っていた。

 そもそも、自分はこんな風に群れるやつらがいっぱいいる所に来るのは嫌だった。しかし、風紀委員会へのショバ代の回収に、風紀委員長である自分が来ないわけにはいかないだろう。それに、どうやら自分がさくりと屋台の店員にショバ代の請求をした方が集まりがいいらしい。めんどくさい、あとで咬み殺す。

 暇つぶしにもならないがショバ代を払わない、もしくは払えないせいで物理的に潰されている屋台を横目で眺めながら、そういえば花火の時間はいつ頃だっただろうかとつらつら考え服の裾を掴んでくる手を振り払おうと、

 

 ……、

 

 …………手?

 

 密度の濃い人混みの中、ちらりちらりと桃色の袖と細くて白い腕が見えている。そしてそれは雲雀を招くように行ったり来たり。

 

「……、」

 

 なんとなく、なんとなくだが予感がしたので、その腕を掴んで思いっきり引っ張り上げてみた。

 なんか釣れた。

 琥珀色の髪をまとめ上げ、桜色の浴衣は今はくたびれ見る果ても無い。炎天下の日に外においた観葉植物のようにくったりとしていたのは、あの無表情で無礼講な小動物。

 

「…………きょーや、かんしゃします……」

 

 でろりと脱力した少女は、そのままがくりと突っ伏した。

 

 

 

 

 

 死ぬかと思った。

 祭りに行った直後、いきなり京子とハルとはぐれた。今頃自分を探しているのではないだろうか、早く言って心配するなと言わなくては。

 そう思って色々あちこち回っていたのだが、人混みの中に入った瞬間流されるわ流されるわ、まるで離岸流の如く。最終的には自分の意志ではどこにも進めなくなっていた。

 そこに現れた神の使いもとい雲雀恭弥君。彼の周りはそれなりに人混みが空くので頑張って逃げようとしたが、彼の周りの人が一斉に後ずさった衝撃で流されたため無理だった。しかし必死の思いでどうにかこうにか服の裾を掴み、存在に気づかれることに成功。華麗にキャッチ&フィッシュしてもらえたのだった。

 

「もうやだ、お祭り怖い」

「うるさいよ」

 

 ぶつぶつと愚図りながら今度こそはぐれないように雲雀の服の裾を掴み祭りを歩く光景は、どう見ても迷子になった小学生と保護者のお兄さんだった。肝心のお兄さん怖すぎるけど、本当のお兄さんは別の所にいるけど。

 

「きょーやは花火見るの?」

「暇だし、集金が終わると丁度良いし、見るよ」

「ふーん」

 

 じゃあ一緒に見たいなーでもきょーやは一緒嫌だろうなーとか考える桃凪。そしてそれは大体あっている。

 

「あ、きょーやきょーや、林檎飴買っていい?」

「好きにすれば」

「わーい」

 

 本当に、まんま小学生と保護者のお兄さんだ。お兄さんが少し不愛想な上に最凶だが、それでも林檎飴を買うのを待っててくれるあたり面倒見がいいと思う。

 

「おっけーおっけー、あー、そういえばはるときょーこちゃん探さないと。あとつな」

「……、」

「とうとう返事してくれなくなったね」

 

 先ほどから桃凪の言葉に面倒くさげにも返事してくれていた雲雀が、とうとう無言になった。どうやらいないものとして扱われているらしい。それならそれでいっかと無言で林檎飴を食べ始める桃凪。

 この人混みの中でどうやってツナ達を探すか、色々考えてみたが、多分桃凪ひとりの力では不可能だ。だって絶対さっきみたいに流される。それくらい予測できない桃凪ではない。

 というわけで、雲雀についていくことにした。雲雀の周りは一メートルほどの絶対空間があるし、これならば桃凪も道に迷うこともはぐれる事も人混みに迷うことも無い。しかも今雲雀はショバ代の回収が目的らしい、つまりはこの祭り会場をくまなく歩き回るということでもあるので、必然的にツナに会う確率も高くなっていくのだ。

 我ながら完璧である。

 

「……あ、きょーや、ベビーカステラ買っていい?」

「…………」

 

 

 

 

 

 祭りに遊びに行ったツナは、何故か屋台でチョコバナナを売っていた。

 というのも、この前公民館で出し物をやったときに山本が公民館の壁をうっかり破壊してしまったからだ。……原因というかその要因に獄寺もいたが。

 そしてその修理費を払うために特別に夏祭りで屋台を出す権利を貰ったらしい。

 目標はバナナ500本。早急に全部売り払って、ゆっくりと祭りを過ごしたいものだ。

 そういえば浴衣を着るからと言ってツナを先に行かせた片割れ、今は何をしているのだろうか。奈々の気合の入り方を考えるとちょっと、いやかなり時間がかかっていそうだが、流石に今は到着しているだろう。

 その時、

 

「チョコバナナくださいな、つなー」

「お、はーい。って、桃凪じゃん、か……」

 

 聞こえてきた声は間違いなく先ほど考えていた桃凪のものだった。しかし、

 

「ひぇもなんひぇひゅなやひゃいやっひぇるひょ?」

「何言ってるか分かんねーよ!?」

 

 この、もぐもぐとほっぺたをハムスターのように膨らませながら立っている謎の生き物はなんだ? というかそれだけ食べてまだ食べる気か。

 だって確認出来るだけでも林檎飴と焼きそばとタコ焼きとお好み焼きとわた飴とべっこう飴とかき氷とベビーカステラを消費したらしきゴミが両手に大量だ。その上顔の斜めにはプラスチックのお面があるしすくったらしい金魚が一匹と水風船もひっかけている。何だコイツ、何でこんなにお祭りエンジョイしてるんだ。

 せっかくの桜色の浴衣も、冬眠前のリスのような頬袋を前にして色々とかすんでしまっている。色々と。

 

「だってさー、お祭りって全部見ちゃうと食べるしかやること無いじゃないですかー」

「だからってその量は無いよ……」

 

 そして先ほど手渡したチョコバナナを食べ始める桃凪。まだ食う気か。

 

「そうそうつな」

「? なんだよ?」

 

 その時、周りの空気が少しだけ変わったような気がした。夏の夕方の少しだけ湿っぽい空気から、絶対零度の永久凍土のような空気に。

 それに気づかないのか、それとも気にしてないのか、桃凪はいつものようにほんわかとした口調で言った。

 

「えーとね、風紀委員会からねー」

「5万」

「払ってだってさー」

「ヒバリさんー!?」

 

 そういえば桃凪に気をとられていて気付かなかったが、周囲の喧騒がやけに遠いと思ったら。並盛町全町民にとっての恐怖の象徴と呼んでも過言ではない雲雀がいたからなのか。

 …………ん?

 桃凪が現れてから雲雀がすぐ現れたのではなく、たぶん桃凪の後ろで雲雀はずっとスタンバってたということだろうか、これ。つまり、桃凪はさっきまでこの最凶風紀委員長と一緒にいたということでファイナルアンサー?

 

「正解ー、きょーや、ありがとー」

「5万、確かに回収したよ」

 

 そう言って桃凪には目もくれずさっさと去っていった雲雀、いつもは恐ろしく見えるその背中だが、さっきまで桃凪と一緒にいたと考えるとその背中もどことなくやさしそうに……は流石に見えない。無理がある。

 

「そういえばね、きょーこちゃんとはるとはぐれちゃったんだけどさ、つな知らない? 来てない?」

「え、はぐれたのか? うーん……、京子ちゃん達はまだ来てないけど」

「そっかー、じゃあここで待ってよう」

 

 そう言ってちょこんと座り込んだ桃凪に、ツッコミを入れることが出来ない、というよりもはや何を突っ込んだらいいのかわからないツナ。とりあえず、あのゴミどうするのとか聞けばいいのだろうか。

 と、そこで先ほどからチョコバナナを売るのに忙しくてちっとも会話に参加していなかった山本が桃凪に気付いた。

 

「おっす、桃凪」

「たけしー、そういえばさっきあっちに的当てあったよ」

「知ってるぜー。毎年やってるかんな」

 

 うむ、やはりたけしはいつも通りだ。とひそかに心の中で思う桃凪。そしてついでに毎年山本が行ってる的当ての主人に心の中で黙祷をささげたり。公民館の壁を壊した腕力だ、普通の屋台などどんなことになっても驚けない。

 というか、去年のお祭りでぶっ壊れてた的当ての屋台はもしかして?

 ……深く考えるのはやめよう。

 

「やっぱ祭りって楽しいよな。なんつーか、浮足立つっつー感じか?」

「皆全体的にテンション高いよね」

 

 桃凪はこのテンションの高さになんとなくついてけないので、祭りに限らず人混みとかは結構苦手だったりするのだが、でも毎回なんだかんだで来ている。

 人混みは嫌いだが祭りの雰囲気はそんなに嫌いではないし、屋台も見るだけで楽しいからでもあるし、何よりも他の人が楽しそうな顔をしているのを観察するのが好きだからでもある。

 

「オイテメーさぼってんじゃねぇよ山本!」

 

 しゃがみこんでいる桃凪に気づかなかったのか、反対側にいた獄寺が少々憤慨気味に山本の方に寄って来た。

 

「だいじょーぶだって。今人いないだろ?」

「ごめんねはやと」

「え、い、いえ大丈夫ですよ桃凪さん! 山本なんざいなくてもオレ一人でどうにでもなりますし!!」

 

 何でかはよく分からないが、獄寺はやけに桃凪に甘い所がある気がする。こういう場面で自分が口を出したりすると、獄寺は自分の発言を撤回してまでも桃凪のフォローに廻ったりするのだ。

 しかし、恐らくそれが桃凪でも無くてツナの場合でも、きっと獄寺は同じことをするんだろうな。と桃凪は思っている。そう考えると、なんか妙に保護者な目線で見てしまうのだった。

 

「あんまり無理したり、つなに心配かけたらダメだよ」

「10代目に心配なんてかけませんよ、むしろ、オレが10代目を守ります!!」

 

 やっぱり色々と心配である。

 

「桃凪さん発見です!」

「桃凪ちゃんっ」

 

 と、そこで聞こえてきた鈴の鳴るような声。

 

「ハル! 京子ちゃん!!」

「あ、良かったー。はるー、きょーこちゃん」

 

 ツナの言う通り、待っていたらハルと京子が来た。所々あたりをキョロキョロと見まわしていた二人が、桃凪を見たときに綻んだ。どうやらかなり探してくれていたらしい。申し訳ないことをした。

 

「桃凪ちゃんゴメンね、はぐれちゃって」

「いや別に、私も悪いしいいよ」

 

 本来謝るべきなのは誰でも無く、ただ単に状況が悪かっただけとも言うのだが、相手が謝っていると自分も謝ってしまう不思議。

 でももう少しで花火もあって歩き回る人も減るだろうし、その時にゆっくりと見て回りたいなぁと思う。

 

「ツナ君すごーい、お店してるの?」

「う、うん、まぁ……」

 

 京子の言葉にも生返事なツナだが、さっきから視線は京子にロックオンされている。憧れの相手のいつもと一味違う恰好に思わず浮足立っているということだろう。

 

「でもちょっと残念です。皆で花火見ようって言ってたんで……」

「そーだね……」

「なぁ!? 花火……」

 

 獄寺が二人にチョコバナナを売っているそのすぐ近くで、ツナの妄……想像タイムがスタートした。

 夏祭りの夜。あの子は浴衣で、空を彩るはきらきらしい大輪の花。言葉も無くそれに見入り、自然とかわされる少ない会話。肩の距離はゼロとなり、また来年も来ようねと笑いあう……。…………いい。すごくいい。

 

「じゃあ頑張ってくださいっ」

「またね~」

「あ、バイバイ……」

 

 と言っても、それは全てただの想像であるので、現実のツナはこうして友人と屋台でチョコバナナを売っている。しかし、一緒に見たかったなぁ……、と思わずにはいられないのだった。

 そんなツナの思いを知ってか知らずか、山本が唐突に、

 

「でも全部売っちまえばオレ達も花火見に行けんじゃん?」

「んー、まーな」

「はっ!」

 

 ぺかーとツナの脳内に天啓が走った。確かに、花火までまだまだ時間がある。別にお金を稼ぐために屋台をやっているわけではないし、ノルマを売りきれば解放されてもいいはずだ。つまり、先ほど想像したような京子ちゃんとのランデブーの可能性も無きにしも非ず、かもしれない。

 

「が、がんばって……。早く終わらせちゃわない?」

「10代目のお望みとあらば!!」

「あーそーだな」

 

 そんな感じで気合が入っていく面々。

 そして、桃凪はいつの間にか忘れ去られていたのだった。

 

 

 

 

 

 そろそろ辺りが薄暗くなってきていた。

 夕闇、というのはとても不安定な時間帯でもある。逢魔時とも言って、昼と夜が移り変わる時間帯、世界の主導権が交代する瞬間。

 

「……ふぁー」

 

 実を言うと、ツナと京子が話している時にすでに屋台を後にしていた桃凪なのだった。京子たちとも会えたし、特にやることも無いなぁ、と思ったし。屋台を手伝うというのも考えたが、あの屋台に四人がぎゅうぎゅう詰めになるのはちょっときつそうだったので、やめた。

 ゆっくりと空の色が茜色から青紫色に変わり始めて、もう少し時間がたてば深い紺色に変わるだろう。

 場所取りを始めた人もいるのか、最初の頃に比べていくらかは落ち着きを取り戻した人波に流されないよう、慎重に桃凪は歩を進めていた。

 キラキラと光を放つ夜店に、笑顔。その全てを余すところなく眺めるような気持ちで歩く。

 だからだろうか、

 人混みの中で、ぽつんと目立つ存在を思わず目で追ってしまったのは。

 

「……あれ?」

 

 人の多い所から少しだけ離れた場所、そこに向かって歩いていく人影がいた。

 でも、そこは。

 

「…………、」

 

 少しだけ考えた後に、桃凪はその人影を追いかけた。

 

 

 

 

 

 人の少ない木々の中、少女は辺りを気にしながら歩いていた。

 どちらかと言えば足元を気にしながら、屋台で買ったものではないビニール袋を揺らしていた。

 

「……あ」

 

 かさり、と草陰から出てきた両の光目。緑色の光を放つそれは、この暗闇では見つけるのも困難な夜の闇を纏ったような漆黒の猫だった。

 

「……おいで」

 

 そっと、囁くような声音でその黒猫に語りかける。目線を近づけるようにしゃがみ、ビニール袋の中の缶詰のキャットフードをとりだした。

 ぱかりと蓋を開けると、匂いにつられたのか黒猫がぴくりと動く。警戒したままゆっくりと地面に置かれたキャットフードに近寄り、鼻を近づけ、了承をとるかのように少女に向かって鳴き声を上げた。

 

「……いいよ」

 

 そう少女が告げると、得心したように黒猫の注意がキャットフードだけに向けられる。小さな舌がぺろりとキャットフードをひと舐めし、食べようとした所で。

 真っ白くて小さな手が、黒猫の体を持ち上げた。

 

「……、」

 

 小さな手が黒猫を持ち上げた後、まず見えたのは浴衣のすそ。桜が描かれた浴衣は可愛らしく美しく、どこか年期が入っているようにも見えた。

 少女の頭上で不満そうな黒猫の鳴き声がした。それにつられて少女が顔を上げていくと、透明な琥珀の瞳が、少女をまっすぐ見詰めていた。

 少女は最初、それがヒトだと思えなかった。だって、人間にしてはあまりにも透明で、あまりにも澄んだ眼をしていたから。

 今はまとめられているが、元々はかなりの長髪なのであろう明るい茶色の髪。幼い顔立ちは表情こそなかったものの、丸くて大きな瞳は愛嬌があって、綻ぶ前の花のつぼみのようだった。

 眩しいな、と思った。

 

「……あ、あの」

 

 次に少女が思ったことは、もしかしたらこの子はこの黒猫の飼い主なのかもしれない、ということだった。首輪はついてなかったが、野良猫にしては人に対する警戒が薄かったし、元々は誰かに飼われていたのかもとは思っていたのだ。

 目の前にいる女の子は黒猫の元、あるいは今の飼い主で、黒猫を見つけたのでここに来たのかも、と。そう考えて、余計な事をしたのかもしれないと思った少女は、少々委縮したように女の子を見上げる。

 それに対して女の子は何も答えずに、ただ少しだけ周りを見回した後、こう告げた。

 

「ここ、よくないよ」

「え?」

 

 幼い顔立ちに想像通りの高い声音で話された言葉に、少女は首をかしげた。危ない、ではなく、よくない、とはどういうことなのだろうか。

 

「あっち」

 

 そう言って女の子が指さした場所は、人混みと喧騒と明かりから離れたこの場所の、さらに奥。生い茂る木々が星明かりを通すことの無い、正真正銘の暗闇。

 飲み込まれるようなそこを眺めていると、何故か寒気がした。

 

「場所変えた方がいいと思うの」

「……うん」

 

 黒猫を抱え直した女の子が、残った片手を少女に伸ばす。

 

「……?」

「どーしたの?」

 

 一瞬女の子が何をやっているのか分からなくて、不思議そうに差し出された片手を見つめていた少女。さらにそれを見つめながらいっとう不思議な声音で訪ねてくる女の子。

 そこまで時間がたって、ようやく気付く。これはいわゆる、手を繋ごうということなのではないのだろうかと。

 それを自覚した途端に、戸惑いと羞恥の心が去来して、元から赤くなりやすい頬に熱が上っていった。

 

「……んーと、こう?」

「……!」

 

 なかなか手をとろうとしない少女を少しだけ見ていた女の子だったが、何やら思案するような表情を浮かべた後、差し出していた手を伸ばして、少女の服の裾をちょこんとつかむ。

 

「行こう?」

 

 女の子は首をかしげた。少女はそれに頷いた。

 

 女の子はこう言っていた、あそこは色々とよくないものが溜まる場所なんだと。自分はそう言ったものがちょっとだけ人より分かるから、ああいう場所にいることは良くない事なんだと分かるのだと。だから、女の子は少女をあそことは少し違う場所に案内したのだった。

 にわかには信じがたい話だがそれでもついてきてしまったのは、先ほど見た底の見えない暗闇と、この女の子が持っている独特の雰囲気だった。なんとなく、この子の前では全ての嘘が通じないような、心の奥の奥まで余すところなく理解されているような、一種奇妙といってもいい安心感があった。落ち着くのだ、この子といると。

 たとえこの女の子が人間ではなく別の存在だったとしても、迷わずついていってしまいそうなくらいには。

 それに、女の子は少女を見ていた。外見だけではない、少女の中身を見てくれた。それが少女にとっては嬉しくもあり、また戸惑いの原因でもあったのだった。

 女の子と一緒に歩く祭りの夜店を、初めて少女は綺麗だと思った。

 

「あの……、聞きたいこと、あるの」

「んー?」

 

 女の子の腕の中でリラックスした様子の黒猫が声を上げた。

 

「その仔……知ってるの?」

「? ん~、知らないよ。この仔のおばあちゃんだったら知ってるけど」

「……おばあちゃん?」

「昔ね、この仔のおばあちゃん猫見たことあるんだ。本当に孫の猫なのか分かんないけど、多分孫だと思う。なんとなく」

 

 黒猫の頭を撫でながら、優しげな眼をしている女の子。

 

「でもね、この仔。ちっちゃい頃お母さんと一緒だったから、良かったなと思うの」

「……そうなんだ」

 

「誰かが傍にいるって、幸せだから」

 

 女の子が案内したのは、先ほどの場所とそう変わらなく見えた。違う所と言えば、あの場所に会った飲み込まれそうな威圧感がないという点と、人の喧騒が近くに聞こえるくらいだ。

 

「ここら辺かな」

 

 黒猫をそっと地面に下ろす女の子。降ろされた黒猫は一度伸びをすると、そのまま少女の足元に歩いて黒い毛をすり寄せてくる。

 少女が黒猫の前にキャットフードを置くと、今度こそはと黒猫は缶詰に頭を突っ込んだ。今度は女の子も止めなかった。

 嬉しそうに缶詰を食べる黒猫を見ながら、女の子の桜色の浴衣が舞う。

 目があった。

 

「?」

「その……、えっと……」

 

 聞きたいことがまだあった。あの場所が危ないということは分かったけど、でも、何でそれを自分に教えてくれたのだろうかと。少女と女の子は、何も知らない赤の他人であるはずなのに。

 しかし、それを聞いた女の子はまるで何でもないことのように。

 

「だって、見ちゃったから」

 

 と、だけ答えた。

 打算も何も無く、ただ単に目に入ったから。それだけ、だけれど。

 それが、普通ならば出来ないことだと、この少女は分かっていた。

 

「……ありがとう」

「??」

 

 何でお礼を言われたのかよく分かっていない女の子。でも、それでいい。この言葉の意味は少女だけが分かっていればいいから。

 黒猫の声が近くに聞こえる。缶詰を食べ終わった黒猫が、少女の近くで毛づくろいをしていた。その後少女に向かって鳴き声を上げて、すりすりと頭を擦りつけてくる。どうやら、懐かれたらしい。

 

「んー……」

 

 その光景を見ていた女の子はちょっとだけ考えると、手に持っていた小さなバッグを覗いて、中から小さな鈴をとりだした。一つはピンク色、もうひとつはオレンジ色をしたそれがちりんと鳴る。

 女の子はその鈴の片方のうち、ピンク色の方を少女に差し出した。

 

「あげる」

「え……?」

 

 わけもわからなかったが、なんとなく受け取ってしまって。もうひとつのオレンジの鈴を黒猫の首につけている女の子を茫然と眺めていた。

 

「おそろいだよ」

 

 そう言って黒猫を持ち上げた女の子。にゃあにゃあ鳴く黒猫の首には、確かに少女の持っている鈴と同じデザインのものが掛けられていた。そう言えば思い出したが、この鈴は屋台に売っていたものだった気がする。もしかしたら、誰かとお揃いにするつもりで、女の子は買っていたのかも知れなかった。

 

「これでひとりじゃないね」

 

 女の子は微笑んだ。

 

 

 

 

 

「あ、桃凪、何処行ってたんだよー!!」

「ごめん、ちょっと迷子になってた」

「花火もう始まっちまうぜー」

「きょーこちゃん達と途中で合流したの」

「やっほー」

「ツナさーん!」

「京子ちゃん! ハル! な、なんでこんな所に?」

「オレが呼んだんだぞ」

「り、リボーン……おまえ……」

「かんちがいするなよ。ここは花火の隠れスポットなんだ」

「わー、ほらつなすごいよー」

「10代目、オレが何か買って来ましょうか?」

「え、いや良いよ。…………皆で見よっか!」

 

 

 

 

 

 ――――桃日記、追記

 

『皆で見た今日の花火は、今まで見た中で一番きれいでした。

 お祭りで会った女の子は、あの黒猫を大事にしてくれるでしょうか。』




後一話くらいで第一章完結です。
話を書き終わってから、一体どうしてあの子が登場したんだろうかと考える。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。