もうひとつのソラ   作:ライヒ

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acceso…アッチェーソ:火のように
affrettando…アフレッタンド:加速して

第二十五話 「火のように加速して」


第二十五話 「acceso affrettando」

 

 

 

 

 

 僕が彼女のいる部屋へ足を踏み入れた時、彼女はいまだ眠ったままでした。

 ソファーの上で眠りこける彼女のそばまで歩いていくと、少し前よりは幾分か快適そうな様子で、それでも苦しげな表情を保ったまま目を閉じていました。

 

「…………まだ眠ったままですか」

 

 ソファーは占領されてしまっているので、そのすぐ近くに腰を下ろして、改めて彼女を観察してみます。

 初めて会った時、彼女は僕しか行くことのできなかった精神世界にいました。

 何もあそこに行けるのは僕だけではありません。高位のシャーマンなどならば、修業を積めば行ける芽があるかもしれない。けれど、彼女はそのような修行を一切しないで、あの場所までたどり着きました。

 それで僕は彼女に興味を持ち、彼女に『声』を届けることで、現実の世界で彼女と接触してみました。

 彼女はどうも、あの世界にいた記憶があいまいなようでした。臨死体験などをした人間が偶然意識を飛ばし、深い領域まで踏み込むことがありますが、もしかしたらそれなのだろうか、と最初は思いました。

 それでも一応詳しく調べてみますと、彼女の持っている資質が、彼女をあの世界まで引きずり込んだということがわかりました。彼女はとても興味深く、そして面白い素材です。

 そんなことを、彼女の頬をつつきながら思い返しています。ぷにぷにしていて触り心地はなかなかいいです。

 

「……む、むぅ……」

 

 ちょっと触りすぎてしまったのかもしれません、彼女が嫌そうな顔をして唸っています。それでも起きないあたり、相当深い眠りのようです。

 まぁそれはともかく、そうやって暇をつぶしているうちに、ひとつ面白いことに気づきました。……どうやら彼女は今、あの日のようにどこか別の場所、深い深い精神世界へと潜ろうとしているようです。それも無意識に。恐らく、近くにそこに潜ることのできる僕がいるのも、その助けになっているのでしょう。

 これは面白い、と僕は。

 

 

 

 

 

第二十五話 「acceso affrettando」

 

 

 

 

 

 眠った桃凪は夢を見ていた。

 それはとても悲しい夢だ。

 この世界が大嫌いになってしまいそうな夢だった。

 

 いや、

 

 それはもしかしたら、夢ではなかったのかもしれない。

 

「…………、! ……」

 

 息が詰まりそうなほどの衝撃とともに、桃凪の意識は覚醒した。

 うとうとしているときに見る夢の中に、足を滑らせて落ちる夢というものがある。その夢を見ると、実際に落ちているわけではないのになぜか、体がガクッ! という感覚に襲われて目が覚めてしまう。

 今桃凪が目覚めたのは、そういった感覚によってだった。

 

「……ここは」

 

 上半身を起こして、辺りを見回すと、桃凪は廃墟の中にいた。

 なぜ自分は廃墟などにいるのだろうか。寝起き特有のぼーっとした頭で少しだけ沈黙して、思考をめぐらせてみる。

 

「……あ、そっか。家じゃないのか」

 

 今自分がいる所は、慣れ親しんだ寝室のベッドの上ではなく、黒曜センターの中にある壊れかけのベッドの上だ。

 状況の確認はできた。ここがどこかもわかった。

 けれどもどこか、落ち着かなくてそわそわするのは、ただ単にここに桃凪の居場所がないからだろう。まるで他人の家に上がり込んだ時のように、自分とは明らかに違う空気の中にいるときのように、手持無沙汰で何をしたらいいのかわからない。

 

「……」

 

 周囲には『誰もいない』。骸も、その仲間も。

 眠っていた間に移動させられたのだろうか、最後に桃凪が見た部屋ではなくて、もう少しだけきれいな場所だった。もしかしたら、仮眠を取るように整頓されている場所なのかもしれない。今更ながら気が付いたが、あの頭痛もなくなっている。ずっと寝ていた分ちょっとだけ頭が重いぐらいで、いたって快調だった。動くのが億劫だという感覚も、もうない。

 そっと、今自分が寝ていたベッド……どうも拾い物のようで、ところどころ破れている……から足を下ろして立ち上がってみる。ふらついたりすることもなく、普通に立ち上がることができた。

 しばらく意味もなく部屋の中をうろうろ、うろうろ。……なにもやることがなくて、どうにも暇な桃凪はこう思った。

 誰もいないのなら、どこに行ってもいいのだろうか。

 そう思った桃凪は念のため、部屋の入り口から頭だけを飛び出させ、きょろきょろと視線をめぐらせてみる。やっぱり誰もいない。

 骸の気配はどことなく感じるのに、肝心の骸はどこにもいない。なんだかとても違和感を感じてしまう。骸を、探さなくてはいけないのに。

 頭痛が無くなった分、桃凪の思考は少し明瞭になった。だからこそ思うことがあるのだ。

 

(むくろに会わなきゃいけない、気がする。私のことを私以上にわかってるのは、たぶんむくろだ)

 

 性格とか、そういう内面的なことではなくて。桃凪の不調の原因、言い換えれば桃凪に今働いている何らかの「チカラ」のこと。

 桃凪自身にすらわからないそれだが、骸はそれについてわかっていそうな気がするのだ。

 知らなくてはならない、と桃凪は思う。

 自分の事も、そして骸の事も。

 

「……むくろー?」

 

 部屋の外から足を踏み出してみる。辺りは耳が痛くなるような静寂が支配していて、骸を呼んだ桃凪の声だけがどこまでもどこまでも響いていく。スニーカーでは大きな足音はならなかったが、それでも地面に転がったガラクタやごみを踏みつけるたびに、色々な音が鳴った。普段は物音だらけのところに住んでいるからわからないけど、人間って意外といろんな音を鳴らしているんだなぁと再確認。

 知らず知らずのうちに息をひそめながら、桃凪は足を進める。なんだかすごく悪いことをしているような気分になってきて、心の中でごめんなさいと唱えながらも進んでいると、そこで。

 ドアが壊れて、蝶番ごと外れてしまっている一つの部屋。

 そこに桃凪の意識は集中した。

 

「……?」

 

 なぜだろうか。

 この中にとてつもなく、重要なものが入っている気がする。

 見た目はほかにある部屋と変わらない、けれども、まるで吸い寄せられるかのように桃凪はその部屋から目が離せなくなった。

 照明がついていないようで、中の様子はわからない。わからないのが、逆に不気味で、恐ろしい。

 入るべきだろうか。

 ぎゅうと目を閉じて、服の胸元を掴む。そこにいつもあったペンダントの感触は今はないけれど、少しだけ、ほんの少しだけ心が安らいだ。

 

「……っ……」

 

 覚悟を決めて目を見開き、そっと足をすべり込ませる。

 そこには、

 

 

 

 

 

「あああああああもう! なんでこんな時に限って獄寺君の携帯繋がらないんだよー!!」

 

 叩き付けるような勢いで受話器を公衆電話において、ツナは電話ボックスから飛び出した。

 先ほど、獄寺に危険を告げるために学校まで走って行ったツナだったのだが、当の獄寺は早退したと苛立ち交じりの先生から言われてしまい、一縷の望みをかけて電話ボックスへと飛び込んだわけなのだけれども。結果は空振り、獄寺の行方は今度こそ本当に分からなくなってしまった。

 

「獄寺君がどこにいるのかなんてオレわからないし……、どうすりゃいいんだよー!!」

 

 焦りと緊張のあまり涙目になって叫ぶツナだったが、ふと、道を歩いていた女子高生くらいの少女たちの会話が耳に入ってきた。

 

――あっ、もしかしてあそこにいる人並中生じゃない?――

――え? ……あ、ほんとだー――

 

 もう噂になる程度には有名になっているのか、と少し驚きもしたが、ツナが一番驚いたのはこの後の会話。

 

――関わらないほうがいいって、巻き込まれたくないしねー――

――そういえばさっき商店街で喧嘩してたのも並中の子だったよね。相手誰だっけ? 黒曜生?――

 

「! それって……」

 

 ツナの脳裏に一人の顔がよぎる。

 確証はない。確証はないが。

 

「獄寺君……!」

 

 なぜだかその可能性が頭から抜けなくて、直感に従うようにツナは商店街へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 まず感じたのは、血の匂い。

 それもかなり濃厚な。

 

「なにこれ」

 

 予想以上に感情のこもらない声音になったのは、目の前の光景がよくわからなかったからだ。

 ここは廃墟であるからして、建物や内装はそれなりにぼろぼろだ。錆びてたり、壊れたり、無くなっていたりするものもある。

 けれどこの部屋だけは、そんなレベルじゃなかった。

 まるで、台風が通った後のようだ。大勢の人間がやたらめったらに暴れたらこんな風になるのだろうか。逆に言うとそれくらいのことがなくては説明できないほどの惨状だ。

 そして、その中心。

 濃厚な血の匂いは、そこから漂ってきていた。

 ゆっくりと近づいてみる。

 

「……人?」

 

 部屋の中心に、ぼろぼろになり、あちらこちらがありえない方向に捻じ曲がった人間が、倒れている。暗がりだから細かいところまでは見えないが、これはむしろ見えないほうがいい、そんなありさまだった。原形をとどめないほどに腫れ上がった顔からは誰なのかすら判別できず、よく目を凝らしてみると、どこかの学校の制服を着ているらしきことがわかった。つまりこの人物は学生なのだろう。

 なぜ、骸の根城にこのような人が倒れているのだろう。そう思ったとき、

 

 

「――――彼の名前は『ヒツジさん』ですよ」

 

 

 そんな声が、桃凪の背後から聞こえてきた。

 

「……むくろ」

「ずいぶんと面白いところに引っかかっていましたね、貴女の意識」

「え?」

「ここは現実ではありません。僕の記憶から作り出された仮想現実の舞台です。君の意識は体から離れ、ここに引っかかっていたのですよ」

 

 骸は桃凪の入った部屋の入り口に立っていた。視線は桃凪のほうにむけられていて、倒れている人物、骸曰く『ヒツジさん』のことは完全に無視していた。

 

「意識を受動的に体から離れさせることのできる人間は結構います。けれど、能動的に離れさせられる人間はそうはいない。君の場合は半受動的という感じですかね。制御できれば面白いことになるのでしょうが」

「はあ……?」

「……僕の話、理解していますか?」

「いや……残念ながら」

 

 何とも小難しい骸の説明を理解できない桃凪と、それを聞いてため息をつく骸。彼は少しだけ小首を傾げた後、こう切り出した。

 

「……まず、ここが現実世界ではないということは知っていますか?」

「えーと……」

 

 いやさっぱり。と答えることは簡単なのだが、それを言ったら今度こそ馬鹿を見る目で見られてしまいそうな気がするので少し考えることにした。

 といっても考えるまでもなく。

 

「ここは……確かに、よく見てみるとなんかこう……曖昧だね」

「細かいところは無視されているでしょう。記憶なんてそんなものです」

 

 先ほどまで大まかにしか注意を払っていなかったからわからなかったのだが、よくよく見るとずいぶんと粗が目立つ。骸が言いたいのは多分この事なのだろう。

 

「ここはイメージの世界ですから、君が何かに触れた時の感触などはほぼ君のイメージで作られています。……ほら」

「え、わっ」

 

 ぽい、と軽い挙動で放られたそれは地面に落ちていた鉄パイプだった。……ただし、赤黒いものがこびりついている。どういう用途で使われたのかは……想像したくはない。

 

「君はそれを持ったことがない、だからこそ、それの重さ、感触、質感などを大雑把にしか想像できない。ここが黒曜ランドなのは、君のイメージよりも僕のイメージのほうが強固だからです」

 

 確かに骸の言うとおり、触れていると違和感があった。こう、予想以上に重いとか、軽いとか、まぁこんなもんだろうなとか、そういった「実感」を一切感じ取れないのだ。

 まるでこれは……、

 

「夢の中、みたい」

「現実じゃないという意味では、それで正解」

 

 ぴっ、と骸が人差し指を天に向ける。

 

「『ここ』についての説明は以上でいいですか?」

「…………ちょっといいですかー?」

「なんです?」

「いや、どうしてそんなに詳しく説明してくれるのかなと」

 

 それもさっきのような、説明にならない説明とか、自分だけが納得しているものではなく。

 そう聞くと、骸は余裕のある笑みを浮かべた。

 

「もちろん、僕は「敵」にここまでの事は教えませんよ」

 

 それはつまり。

 

「私は敵にもならないってこと?」

「よくわかっているじゃないですか」

 

 完全に、見下されているということだ。

 その事実に桃凪は疲れたようにため息をついた。

 

「……はぁ」

「? あまり反感を抱いてはいないようですね」

「それはまあ、最初からわかってたから」

 

 自分では骸の敵になることはできない、それは最初からわかっていた。敵というのは自分を脅かすことのできる存在ということ。桃凪ではどうあがいてもそれはできないのだから。

 桃凪自身も、人に敵意を向けて攻撃することは苦手なほうで。それに骸が案外気さくな人物でもあるので、どうにも。

 

「だから、敵にならないって言うのなら、全部知らないことを教えてもらおうと思う」

「欲張りですねぇ」

 

 

 

 

 

 ずしん……! と空気を揺らす振動が、商店街にやってきたツナの耳に聞こえた。

 獄寺がいつも持ち歩いて、頻繁に使うせいで否が応でも覚えてしまった独特の振動音。

 

「今の音……獄寺君のダイナマイトの音……?」

 

 うろうろと歩き回っていた足並みを整え、音の聞こえた方向へと走り出す。先ほど聞こえた爆発音の後は静かなものだったが、音の発生地に進むにつれて人通りが少なくなっているということに、嫌な予感が止まらない。

 

(取り込み中だったらどーしよ……)

 

 自分たちを狙っている存在と獄寺が、今この瞬間に戦っていたらどうしようか。

 そんな不安を抱えながらそろそろと曲がり角を覗き込んだツナの目に飛び込んできたのは、ほっとしたように地面に座り込んで煙草をふかしている獄寺と、爆撃でも受けたような惨状となっている商店街の一角だった。

 

「あー、けっこーヤバかったな……」

「ご、獄寺君……?」

「! 10代目! どうしてここに!?」

「いや、なんか、獄寺君が黒曜中の奴に狙われてるかもしれないって噂を聞いて……」

「そのためにわざわざ……! 恐縮です!! 大丈夫ですよ! 倒したんで!」

「た、倒した……!?」

 

 風紀委員さえも倒すような屈強な襲撃犯を、撃退したといったのだろうか、目の前にいるこの少年は。

 

「な、なんか……さすがだね」

「いえいえ……! 10代目に危険が及ぶ前に何とかするのは、右腕の務めっすからね!!」

 

 苦笑いで言っているツナとしては、ほめているというよりは引いているのだけれども。それは獄寺には伝わっていないらしい。

 

「そこらへんに転がしといたんで、あとで締め上げて……」

「……獄寺君?」

 

 にこにこと笑いながら物騒なことをのたまっていた獄寺が、とある場所を見た途端にぴたりと静止した。

 おそらく、倒した敵がいただろう場所。焦げ跡が残る爆心地から数メートル離れたそこにいたはずの影が、どこにも見当たらなくなっていて、残っているものは数滴の赤い雫だけだった。

 

「……な!? い、いねえ!?」

「え、え!?」

 

 数秒の思考停止の後、驚愕に目を見開く獄寺と、その獄寺の言葉に状況を理解したツナが叫んだその直後。

 

 じゃり、と地面を踏みしめる音がした。

 

 

 

 

 

「むくろ、「ひつじさん」っていったい誰?」

「え?」

「その反応にびっくりだよ」

 

 そこでまさか、「そんな人いたっけ?」って言う反応をされるとは思わなかった。

 

「さっきから、そこに倒れてる……ん?」

 

 くるりと骸のほうから室内へ、振り返った桃凪だったのだが。

 先ほど漂っていた濃厚な血の香りはそのままに、それを発していたはずの彼の姿だけが、忽然と消え去っている。

 わけがわからなくて首をかしげていた桃凪だが、

 

「ああ、彼はもういいので、消しました」

 

 と、骸がこともなげに言うのを聞いて。そういうものなんだろうか、と思う。

 

「…………そっか」

「ええ」

 

 そこから少しだけ訪れた沈黙。桃凪は何を言ったらいいのかわからなくて悩んでしまって、骸はそんな桃凪が何を聞いてくるのかを楽しんでいるような素振りをしている。

 

「……「ひつじさん」は、むくろが、えーと……騙した人?」

 

 そう聞いて、何か言いたいことのニュアンスがまとまらないなぁ、と桃凪は首をひねった。聞きたいことの方向性は決まっているのだけど、こうと言える言葉が思いつかない歯がゆさだ。言い回しが随分と稚拙になってしまってなんだか恥ずかしい。

 

「騙したとは心外だ。僕はただ、彼に道を示しただけですよ」

「道?」

 

 ええ、と薄く笑いを浮かべながら彼は首肯した。どう考えても、楽しんでいるようにしか見えないのだが。

 

「彼は黒曜中の生徒会長でしてね、荒れていた黒曜中を真っ当に戻そうと努力していたのですよ。手荒な方法を使わず、言葉と姿勢と態度だけでね」

「それは……いいことなんじゃないの?」

「とんでもない」

 

 骸は語る。

 

「実際には何も変わりませんでした。どれだけ努力しても、月日を重ねても、僕が来た時と来る前、何一つとしてね」

「…………それも、当たり前なんじゃないかな、と思う」

「へえ?」

 

 桃凪の言葉に骸が少しだけ興味を示す。静観の姿勢になったので、桃凪は頭の中で言葉をまとめながら話すことにした。

 

「言葉とか、姿勢とかって、うわべだけの、形で見えるものが大切なんじゃないでしょ? その奥の、形にできないものが大切なんじゃないかな」

 

 それはきっと、心とか、誠意とか、そういったものだと、桃凪は思う。

 

「でも、見えないものを信じるのって、すごく難しいよ。だから、信じてもらうまでには時間がかかるよ。たぶん一年や二年じゃ足りないくらいに」

 

 誰だって、見て、触れて、感じることができるものが絶対だと思いたいものだ。見えないものを信じるということは、とても難しい。なぜならそれは、自分自身を信じるということだからだ。自分の確信を信じ、絶対として、己が一番正しいと思うことなど、よほど自分に自信のある人でなければ無理だろう。

 

「だから変わらないのも、しょうがないと思うよ。でも、それでも変わるって信じないと、自分を信じない言葉じゃ何も変わらないから。本当に何も変わらなくなるよ」

「君はそう思っていても、彼はそう思えなかった」

 

 また、笑顔。

 

「結局、彼がほしかったのは実績だったのです。自分の手で、自分の力で、何かを変えるということができるという確信だったのです。目に見える形でそれを欲しがったのですよ」

「それは……」

 

 人間ならしょうがない、という前に骸は続けた。

 

「ならばそんな回りくどい方法など使わず、もっと単純にすればいい。平和、協調などの偽善的な言葉を振りまくよりも、原始的な……恐怖、暴力により統治してしまえばいいと思いませんか?」

「…………それを、やったの?」

「いいえ。僕は何も」

 

 骸はまるで、ステージに立ちスポットライトを浴びる司会者のように大仰な手振りでこの部屋を見回した。荒れ果て、壊れつくしたこの部屋はまるで、先ほど倒れていたひつじの末路のようでもあった。

 

「言ったでしょう。僕は道を示しただけ、それを自ら選び、そこにのめりこんでいったのはほかならぬ彼です。実際変わりましたよ、彼が今まで費やしてきた年数がすべて、無駄に思えるほどの速さでね。…………まぁ、壊れるのも一瞬でしたが」

(……ああ)

 

 とてもとても楽しげに、誰かの心を壊したことを話す骸を見て。桃凪はようやく分かった。わかってしまった。

 

「むくろ」

「?」

 

「むくろは、悪魔だね」

 

 それも比喩とかではなく、真正の。

 悩み、苦しみを抱く人のそばにそっと近寄り、その心を誘惑し、破滅へといざなう悪魔。

 そう思い至った桃凪は、なんだかとても悲しそうな、苦しそうな、切なそうな、そんな表情を浮かべていた。

 

「私は今まで、むくろのことがよくわからなかったの。むくろって、悪い人に見えなかったり、危ない人に見えたり、怖い人に見えたりしたから」

 

 だから確かめたかったのかもしれない、彼が本当はどんな人間なのかを。

 理由もなく敵意を向けるのは簡単だ。理由があって憎むよりもずっと容易い。けれどそれはとても不毛なことだと桃凪は思っている。何も知らないまま疑い憎しみ敵対することほど、疲れることはない。

 だから知りたかったのだ。彼がどういう類の人間なのかを。敵なのだとしても、それを行う理由が知りたかった。

 そう思って話してみて、やっぱりどうも敵意を向けられずにいた。それは骸が桃凪にそう言った感情を持っていないからでもあったし、彼にとって桃凪はただの暇つぶしのおもちゃなのだろうということでもあった。

 けれど、

 

「むくろは悪い人だ。私に悪いことをする人、誰かに悪いことをする人、自分で悪いことをしてるとわかってる人。それがむくろ」

 

 たとえ彼自身がどれだけ恨めない人物であろうとも、やっている行いを許しておけるものではない。

 そうやって話して、理解して、気づいた。

 もうここが境界線なのだろうと。

 

「私はそんなむくろの味方にはなれないし、むくろのやることをそのまま見てることもできない」

「ならばどうするのですか?」

 

 骸がそう問うてくる。それに桃凪は、

 

「わからないよ」

 

 そう答えた。

 単純でわかりやすく答えたつもりだったのだが、なぜか骸はそれを聞いて心底驚いたような顔を浮かべたのだ。いやまぁ、その理由もわからないでもない。あれほど啖呵を切ったのだから、ここはもう少しとげとげしい言葉が出るべきであろう。それに対するかっこいい返答も用意しておいたのに、という顔だ。

 けれど桃凪は、わからない、と言ったのだ。それが骸にはわからない。

 でも桃凪からすれば、わからないのは当たり前の事であった。それが少し苛立たしく、情けなくもあるのだが。

 

「わかるわけがないよ。だって、初めてなんだもん」

「初めて?」

「そうだよ。こんな風に、誰かの事を許さないとか、思わなきゃいけないのって初めてだよ」

 

 今まで、何を変えても揺らがない強い感情などとは縁が遠い生活を送っていたと、自分でも思う。今まで大体の事は、桃凪がいつもの調子でいればおさまっていたから。

 目の前の相手を許しては置けない、それはわかっているのだが、そこから先がわからない。

 許さない、放っておけない、ならどうする?

 大体の人は、戦うとか、止めるとか、倒すとか、そういう方法をとるのだろう。実際、今まで読んだ本、見たテレビ、聞いた話も、そういうものが多かった。それも当然だ、戦わないで物事を収めるほど、難しくて盛り上がらない展開などないのだから。

 じゃあ、戦えばいいのか。

 こんなこと間違ってると、そう言って、自分のために、ツナのために、戦えばいいのか。

 なぜか、それを行うことを是としきれない自分がいた。

 

「……わかってる。本当は、怖いだけなんだよ。私、何も力がないから戦えない、自分ではそう思ってたの。でもそれはただの言い訳で、何かを攻撃するのが怖いだけなんだ」

 

 最初は帰れば終わると思っていた。ツナの所へ戻れば、いつもの日常に帰れるのだと。それが自分にとってのハッピーエンドだと信じていた。

 けれど、ことはもうそれくらいじゃ収まらなくなってきている。

 骸と話して思ったことはもう一つある。それは、骸がこうやって桃凪たちを苦しめる背景には、骸なりの考えと、思想と意義と、人生があるということだ。骸がこれまで通ってきた経緯が彼をこんな風に作り上げ、そして行動させている。

 骸を止めるには、骸のこれまでの人生すべてを敵に回さなければならない。人ひとりの人生を覆すことがいかに難しいか、それは桃凪にもわかっている。自分だって、これまでの人生をすべて捨て去り心変わりすることなどできそうにない。

 答えが出ない。

 

「でも、むくろをそのままにはできないの。それは多分私のために。むくろがこのままでいる限り、私は元の場所に帰れないから」

 

 そう、骸をどうにかしないと。

 彼を止める? 言葉で、それとも力で?

 どうにかできるのか、この自分が。

 

「でも、私は何もできない。だから、どうしたらいいのかなんてわからない……」

 

 結局、自信がないのだろう。信じられないのだろう。自分を信じられないから、自分自身を励ます言葉も浮かんでは来ないのだ。

 自分の両肩に乗っているものが自分の命だけならば、ここまで悩まなかったかもしれない。勝っても負けてもどう転んでも自分にしか被害が向かないなら、思い切って踏み出すことができたかもしれない。

 でも今、自分が消えたらきっとツナが悲しむ。ツナだけじゃなく、獄寺、山本、いっぱいの友達もきっと。

 そう思うと、何もできなくなってしまった。

 

「やめて、って言っても、止まってなんてくれないし……」

 

 そんな言葉で止まるのなら1億回だろうと言ってやるけれど、それで止まることなどない、それは骸を見ていればわかる。

 

(わからない……)

 

 唇を噛む。

 どう選べば正しいのか、どうすれば正解なのか。

 それがわからなくて、桃凪は――。

 

 

「――――なら、そこで一生立ち止まっていたらどうですか?」

 

 

「……え?」

 

 すっ、と。

 冷たい刃を刺し込まれたような。

 言葉というものに形があるのなら、きっと薄くて鋭利で焼けるように凍っている。

 そんな、骸からの否定だった。

 

(…………なんで)

 

 桃凪は愕然としていた。

 それは骸に言葉を否定されたことではなく、骸からの否定を聞いて、一気に取り残されたような心境になった、自分の心の中に、だ。

 よく考えれば、いや、よく考えなくても当たり前の事だろう。桃凪が先ほど言っていたことは、どう聞いてもただの泣き言だ。それを骸が慰める義理はないし、答えを示す義務もない。

 なのに、桃凪はそれを聞いてこんなにも絶望している。遊園地で親とはぐれて、もう何も頼るものなどないように…………。

 …………頼る?

 

(私、むくろに頼ってたの? むくろが助けてくれるって、思ってた?)

 

 今までがそうであったから。

 きっと、これからもそうなのだろうと。

 そう、無意識に思ってしまっていたのだろうか。

 だとしたら、それはなんて。

 なんて。

 

「身勝手な考えですね」

「っ……」

 

 骸の口から出た言葉は、自らの心の中で思ったことでもあって。桃凪は息が詰まるような心持ちだった。

 そんな桃凪を見て骸はにこりと笑い…………こちらに手を伸ばしてきた。

 桃凪は何ができるわけでもなく、それをただ眺めている。

 

「まあ、僕も鬼ではないので」

 

 視界が黒く塞がれ、最後に見たものは骸の笑顔。

 

「選ばざるを得ない状況を与えてあげましょう」

 

 その言葉の真意を悟る前に、桃凪は再び、意識あるままさらなる深くへと落ち込んでいった。

 

 

 

 

 

「ステラ、ステラ、笑ってステラ。星の光を固めて落として、それがあなたの涙になるの」

 

 ささやかな旋律。

 ぶらぶらと歩きながら小さく、童謡のような何かを歌うリータ。

 それはゆるりと風に溶け、空の中へ消えていった。

 

「小さな雫は砕けて散って、それはあなたの言葉になるの」

 

 紡ぎながら、思い出していた。

 ステラと初めて会った日のことを、あの笑顔を、言葉を。

 

「言葉を紡いで織り込んで、それはあなたの歌声で」

 

 そして、

 

「歌は響いて舞い上がり、世界はあなたで色が付く」

 

 その隣にいた、あいつのことも。

 ある日突然いきなり消えた、あの真面目で寡黙な男。

 

「私は見つめて憧れて、届かぬ星へと手を伸ばし」

 

 思い出はいつも綺麗なままで、現実はいつも過酷なもので。

 そう思っているからこそ、リータは何よりも思い出を大切にした。過酷な現実を、今を、支えてくれるものこそが思い出だと信じているからだ。

 

「伸ばした手はすり抜けて――、?」

 

 一人だけ、神妙な面持ちで歌っていたリータの耳に、何やら騒がしい喧騒が聞こえてきた。いや、それだけではない。

 これは微かな、――血の香りだ。

 

「っ!!」

 

 それを認識した時、リータはすでに駆け出していた。

 水の上を跳ねるような速度と軽やかさで地面を駆け、踵で華麗にターンし曲がり角を減速なしで曲がる、と。

 

「きゃっ!?」

「うごふぅ!?」

 

 ちょうど、曲がり角にいた誰かにぶつかってしまったらしく、その速度のまま相手を跳ね飛ばしてしまった。

 リータは軽くたたらを踏むくらいで済んだのだが相手はそうもいかなかったらしく、まるで交通事故でも起こしたかのように3回転くらい地面を跳ねながら転がっていった。

 

「あら……ごめんなさい、ツナ君。大丈夫?」

「げふっ…………だ、大丈夫です……」

 

 まぁ転がって行ったのはなんとなくわかったかもしれないがツナであり、そんな彼は心の中で「こ、この人もやっぱりマフィアなんだ……こえー……」とかつぶやいていたのだが、リータはそんなことに気をとられている暇はなかった。

 ツナと、その隣にいた人物を見て、ただ鋭く眼を細める。

 

「……なんか、色々と大変なことになってるみたいね」

「あっ……はい! 獄寺君が大変で……!!」

 

 ツナの隣にいたのは、胸を血に染めて気絶している獄寺と、彼に肩を貸している山本。大量の出血で気が動転しているツナはもちろんだが、いつも陽気な山本も、さすがにこの惨状では表情が硬かった。

 

「それで、えーと、今から病院に行こうと思ったんですけど、病院は危険だってリボーンが言って……」

「わりーけど、急いでんだ! ツナ、行くぞ!!」

「わ、わかった! それじゃリータさん、またあとで!!」

 

 それだけ言って、ツナと山本は駆けだした。リータは、それを追いかける。山本と一緒に獄寺を支え、手助けした。

 

「リータさん?」

「負傷した人員を抱えての撤退中に襲われないとは限らないもの。このくらいのおせっかい、してもいいでしょ?」

 

 そういって笑う。笑いながら、考える。

 リボーンが病院が危険、といったのは安全性の話だろう。病院というのは医療設備が整ってはいる、けれども良くも悪くも人が多い。たとえば、見舞いと称して、たとえば、医者や看護師のふりをして、いつ襲われるとも限らない。

 ましてや今回はマフィアがらみのきな臭い話だ、そういった警戒はするべきだろう。

 けれど、

 

(とうとう起こった……いえ、起こっていたのが、近づいてきただけ)

 

 開戦の火蓋はとうの昔に切って落とされていた。

 大雑把に、縦横無尽に、大体の目星をつけて振り回される手のひらは、確実にこちらを削り取っていた。

 これでもう猶予はない。あとは坂道を転がり落ちるように、物事は終結まで進んでいく。

 そしてその転がる先にあるものが何なのかは誰にもわからない。リータにも、ツナにも、リボーンにも、相手にも、それと。

 

 今はいない、小さな小さな少女にも。

 

 

 

 

「…………っ」

 

 悲鳴を上げないようにするのが精いっぱいだった。

 口元を押さえるのは吐き気をごまかすためだ。

 いっぱいに開かれた瞳には涙が滲んでいた。

 そうしてしまうほどの、理由が目の前にはあった。

 

「む、くろ…………」

 

 今、目の前にいるのがあの六道骸だというのなら。どうしてこんなにも幼いのだろう。

 今、目の前で繰り広げられている凄惨な光景が本当だというのなら、どうして骸がここにいるのだろう。

 今、目の前の状況が、骸の過去だというのなら。

 

 どうして、桃凪はここにいるのだろうか。

 

「なん、で」

 

 辺り一面は血の海だった。

 倒れているのは白衣を着込んだ大人たちだ。

 骸はその中心にいて、白い患者服が真っ赤な血にまみれていた。

 これらはすべて骸が起こしたものだ、桃凪はそれを知っている。骸が、顔色一つ変えることなくこの光景を作り出していく過程を、人を殺していく工程を、全て余さず見ていたからだ。

 立ち尽くす骸の表情は変わらない。存在しないのではなく、変わらない。表情自体は先ほどから一貫して、侮蔑と嘲笑を織り込んだ薄い微笑みで彩られていた。

 

 その顔は、幼い少年が浮かべていいものではなく、

 その眼はもう、純真な子供のものではない。

 ある人が称すれば賢者となるだろうし、別の人が論ずれば悪魔にもなるだろう。

 

 そんな、人としては決定的に間違った笑みだった。

 この充満する死の匂いの中で、そのほほえみだけは輝くような。

 血だまりから生まれた菩薩のような。

 

『選ばざるを得ない状況を与えてあげましょう』

 

 そういった骸の言葉を思い出す。と共に、彼が最後に浮かべた笑みも思い出した。

 あの時の笑みはこれと同じ、同じものだ。

 選ばざるを得ない、とは何をだろうか。これを見て、いったい何を選ぶことになるのだろうか。

 どちらにしろ、それはきっと自分にとっては最悪な結果になってしまいそうだ。

 でも、この言葉だけは飲み込んだ。

 口にしたら限界になってしまいそうだったから、今度こそ自分が、一人じゃ何もできない、誰かに頼って助けてもらうだけの、何もかもわかったような顔をしてその実何もわかっていない、ただの役立たずになってしまいそうだったから。

 だから桃凪は、

 

 助けて、とは絶対に言わなかった。




す い ま せ ん

1年かかる前に上げられて一安心ですけれども、そういう問題じゃねえんだよという声をひしひしと感じます……!
お待たせしてしまって申し訳ありませんでした……!

<こぼれ話>
新しい話を書き上げてあげるたびに一番気になるのは、書いた時間もそうですが、何よりも原作キャラの扱いです。
贔屓しすぎないように、できるだけ原作に近づけて、それなりのスパイス(これが一番難しい)をくわえつつ、一人の登場人物として動かしていく。大変です。ですが二次創作ものの一番楽しくてやりがいのあるところなので、これからも鋭意努力してまいりたいと思います。

次に更新できるのはいつになるかわかりませんが、気長にお待ちいただけると幸いです。さながら休刊になった雑誌の復刊を待つがごとく。
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