第二十七話「最終決戦」
リータは幼いころ、マフィアに誘拐されたことがある。
それは当時キャバッローネファミリーの長であった父を脅迫しようと、他所からやってきた流れのマフィアが行ったことであった。
ただ、小さいころのリータはそんなことは全く知らず、ただなんとなく、父のことを嫌いな人達がそのようなことをしたのだ、と感じていた。
――結果としては。
脅迫は成立せず、間一髪でリータはマフィアから助け出されて。
やっとのことで家に帰ると、弟はリータに抱き着いて泣きに泣いて、父はとても申し訳なさそうな、苦しそうな顔で「すまない」とだけ言ったのだった。
だから、マフィアが嫌いになった。
父を、弟を、家族同然の父の仲間たちを、悲しませるマフィアが。
その後少しして、リータはかねてからなりたいと願っていた歌手を目指すために、遠くの街に留学することになった。その当時のリータは気づいていなかったけれど、今ならわかる。父は、マフィアが嫌いで、憎しみさえ抱いている娘を、自分がそのマフィアの子なのだと知らせないようにそんなことをしたのだと。
でも留学中、リータはあれほど嫌いだったマフィアと、望まなくても関わってしまうことになる。
マフィアに拾われ、マフィアで育った一人の少女と、その兄貴分との出会いによって。
それはリータにとっては一つの転機であり、彼女が最も大切にする「思い出」の一つであり。
彼女にとって、今もなお消えることの無い“傷”が生まれた日でもあった。
第二十七話 「attacca」
「桃凪……?」
誰もいない静寂の部屋の中、この部屋にいるはずの人の名前をツナは呼ぶ。
けれど、いらえは返ってこなかった。
開け放たれた窓から強い風がごうと入ってきて、机の上に置いてある日記帳がパラパラとめくれ上がる。何も書いていない、白紙の日記。
しばらくの間、呆然としていたツナの背後に、いつの間にか立っていたリボーンが淡々と告げた。
「桃凪は、攫われたんだろう」
「さら、われた……? って、そんな、誰に!? なんで!?」
その言葉で長い硬直から解放されたツナが勢いよく振り返り声を荒げる。リボーンもいつもなら「うるせーぞ」などと言うのだろうが、今日だけはそんなことを言わなかった。代わりに、言い含めるように言葉を続ける。
「いいか、奴らはお前を狙ってんだ。相手は脱獄のために全員皆殺しにするような連中だぞ、人質くらいは考えとけ」
「人質……って、桃凪が?」
「それだけじゃねえ、おそらくはフゥ太も人質にされてる。奴らがフゥ太のランキングを持ってたのはそういうことだろ」
「フゥ太を脅してランキングを無理やり奪いとったってことかよ……? で、でも! その、六道骸ってやつは、オレがどこにいるのかわからなかったんだろ!? 桃凪がオレの関係者だってわかってたら、並中生を襲うような、こんなひどい手使わなかったはずだろ……!!」
「ダメツナにしては頭が回るじゃねーか」
「ほっとけ!!」
流れるようにツナを罵倒したリボーンが、紅葉のような手から三本、指を立てた。
「考えられる可能性は三つ」
一つ目、捕まったフゥ太が桃凪がツナの妹であることを教えた。
「この線は薄いな。沈黙の掟を守るのはマフィアにとって基本だ。ランキングはフゥ太の本を無理やり奪えば見れるだろうが、フゥ太がツナの不利になるようなことを漏らすはずがねーからな」
二つ目、桃凪が居なくなったのは、六道骸とは全く関係ない。
「希望的観測すぎる。大体、今日は具合が悪くて学校を休むと言ってた桃凪が、わざわざ外に出るような真似すると思うか?」
三つ目、桃凪と六道骸は、ツナの関係ないところで関わりがあった。
「現状考えられるのはこれだな。どーいうわけか、桃凪は六道骸と何かしらの関わりがあった。それで骸は桃凪を攫った。利用するつもりか、仲間に引き入れるつもりかは知らねーがな」
「仲間にって……桃凪を?」
リボーンの推論はどれもツナにはしっくりこなかった。凶悪な脱獄犯が桃凪に目をかける理由が思いつかないし、なによりもこの世のあらゆる暴力と桃凪を結びつけて考えることがツナにはできない。
(……でも、雲雀さんと桃凪、知り合いだったよな……)
いやでも、雲雀と桃凪は同じ並中生という共通点があったが、骸にはそれがないし。
想像をどうにか否定したくて、必死でツナはそのための材料を探した。
「と、とにかく、ちょっと部屋見てみるよ。桃凪も、割とすぐに体調がよくなって出かけただけかもしれないし……」
そう言って桃凪の部屋に入っていったツナを、リボーンは止めることはせず見守っていた。
……しかし、こうやって妹の部屋をじっくりと見たのはいつ以来だろうか。昔は双子で同じ部屋に住んでいたけれど、思春期になったのだからと奈々が気を利かせて二階にあった空き部屋を桃凪の部屋に改装したのだ。桃凪がツナの部屋に遊びに来ることはよくあったけれど、ツナが桃凪の部屋に行ったことはほとんどない。たまに夜遅くまで本を読んだせいで朝起きられなくなった桃凪を起こしに行く時くらいで、その時はじろじろと部屋の中を眺めたりはしなかったし。
試しにクローゼットを開けてみると、上着はそのまま残っていた。まあ、今はそこまで寒くはないから着ていかなかったのかもしれない。
いつも桃凪が寝ているベッドは、ピンク色の毛布がパジャマと一緒にぐちゃりと丸まり、半分ほど床に落ちていた。いつもの桃凪にしては珍しいだらしなさだ。
本棚はいつも通り整頓されている。少女漫画から歴史小説まで、相変わらずジャンル問わず色々な本を読んでいるようで……。
「……? これ」
本棚を眺めるために屈んだとき、机の下にきらりと光る何かを見つけ、ツナはそれに手を伸ばす。手の中に収まった物はひやりと冷たい、金属の塊。
それは。
「……桃凪が、いつもつけてたやつ、だ」
ほんのりとピンク色に光る、二枚貝の形のペンダント。いつも、どんな時だってチェーンに繋いで首にかけていた、桃凪の宝物だ。そんなものがなぜ、机の下なんかに落ちているんだろう。
ペンダントに見入っているツナの肩にひょいと飛び乗ったリボーンが、小さな手をそれに伸ばす。
「ちょっと貸してみろ」
「えっ、あ、おいっ」
止める間もなく小さな貴金属はリボーンにとり上げられて。どこからかルーペなどを取り出し、様々な角度からリボーンはペンダントを眺めまわす。
「……これは」
何かに気づいたらしいリボーンが、ルーペをしまい両手でペンダントを包むように持ち方を変えた。手首を捻ると、カチッという小さな音が鳴って。
「開いたぞ」
「こ、これ開くやつだったのか……」
滑らかな流線型を描くそれは一見するとそのような仕掛けを感じさせる継ぎ目など見当たらない。もしかしたら所持者の桃凪ですら気づいていないかもしれなかった。
貝の蓋が開くように、ぱかりと開いたそれの中入っていたのは。
「…………指輪?」
「こいつは……」
中に入っていたのは、星空を描いた円盤ような装飾を持つ、ひとつの指輪だった。全て金属でできているようで、質感からして値打ち物のような雰囲気が漂っていたが、ツナにはその価値はよくわからない。
だが、リボーンは。
「……こんなところにあったのか」
「リボーン?」
普段と変わらない表情ではあったが、どこか驚いているような顔をしたリボーンが台座に嵌ったその指輪を取り出して、光にかざす。きらりと光るそれをしばし眺めて、ひとつ頷いた。
「間違いねえ。これこそ、大空を包む宇宙を現した指輪、
「は、はぁあああああああああああ!?!??」
「ツナ、うるせーぞ」
「いや、だって……!!」
唐突に告げられた衝撃の事実に、先ほどまでの焦りや不安が一瞬だけ吹っ飛んだツナが盛大な叫び声を上げる。まさか、妹がいつも持っていたペンダントが、ボンゴレの宝だったなんて。
「つーか、六年前!?」
「おそらくは、だがな」
リボーンの話によると、元々この指輪を持っていたのは九代目の側近であり、従姉であるソフィアだったらしい。
「ソフィアは優しい女だったが、それと同時にとても病弱だった。八年前、ボンゴレで大きな抗争があってな。多くの犠牲が出たんだ。ソフィアはそれに大層心を痛めたんだろう、その時の心労が祟ったらしく、二年後に帰らぬ人となった」
その時、彼女の遺品を整理したのだが……宙のリングだけが何故か見つからなかったらしい。
ボンゴレの秘宝であるリングが無くなったなどと通常なら一大事なのだが、九代目は指輪を探すことをやめさせた。――昔から、仲の良い従姉弟同士だった。彼女の遺品という意味でも、宙のリングは欲しくて仕方がなかっただろうに、だ。
「その時の九代目の決定に異議を唱える奴らもいた。だが、聡明な九代目が下した判断だ、間違いないだろうという声の方が大きかった。だから、リングの在処はわからないままとなった――」
風の噂によると、なくなったというリングを巡りそれなりの騒動が起きたらしい。軽いものではなく、人の生き死にに関わるような。それでもなお、九代目はリングを探させなかった。
「もしかしたら、九代目はリングがどこにあるのかわかってたのかもしれねーな。だからこそ、探させなかった」
「でも……」
この指輪を巡る物語を聞いていたツナは一言、とても率直な疑問を口にした。
「なんでそんなものを、桃凪が持ってるんだよ?」
「それはオレにもわからねーな。桃凪はいつ、このペンダントを持ち始めたんだ?」
「え? えーと……」
そう聞かれると、いつだろうか。気が付いたら持っているという感じだったような。ああでも、一度だけ、桃凪がこのペンダントをツナに見せに来た時があったような気がする。それは確か……。
「……大体、七年前くらいに。『おばあちゃんからもらった』、って……」
桃凪は近所に住んでいる老人たちと仲がよかったから、そのうちの誰かから貰ったのだろうと、特に気にしていなかった。けれど今思うと、桃凪の言っている『おばあちゃん』とは、まさか。
「七年前、か。ソフィアの具合が悪くなりだしたのも、それくらいだったな」
「その、ソフィアさんって人から、桃凪がこの指輪を貰ったってことか?」
「桃凪自身にその自覚があったかはわからねーがな。なんせ巧妙に隠されていた。オレじゃなければ見つけ出せなかっただろう」
あるいは、オレが見つけることをわかっていたのかもしれない。とリボーンは言った。
ツナは複雑な面持ちでリボーンの持つ指輪を見る。
桃凪は、自分と同じくマフィアなどとは関係ないと思っていた。血生臭い世界とは隔絶された、自分に日常を見せてくれる存在だと。けれども、ツナが知らないところで、桃凪はボンゴレと関わっていた。それに対するショックは勿論ある。けれど、一番ツナに堪えたのは。
(……オレ、なんにも知らなかったんだ。桃凪のこと……)
知らないことなどないと思っていた妹は、ツナの想像以上に謎だらけだった。自分の知らないところで、知らない縁を結んでいて、それは普通のことのはずなのに、なぜかすごく、心が苦しい。
簡単な話。
桃凪は一人の人間だった。ツナとは違う、人間だ。
一緒に生まれてきたからと言って、同じ存在というわけではないのだ。
感傷に沈んでいるツナの顔を、おもむろにリボーンが引っ叩く。
「! ぶっ!?」
「なに落ち込んでんだシスコンダメツナ」
「い、いや別に……って、その呼び方やめろ!!」
「落ち込んでる暇があるなら現状を理解しろ」
リボーンは手に桃凪の日記帳を持っていた。どうも、それの面で思いっきりビンタをしたらしい。進められるがまま受け取ってしまって、リボーンの様子をうかがうと、読め、と言われる。
他人の日記って勝手に読んだらまずいんじゃないか、プライバシーとか……。と思いつつも渋々ページを開いた。最初のページに、三行ばかりの文章が載っている。
気が進まない様子で目を通していたツナであったが、一行、二行と読み進めているうちに、その顔が驚愕に染まっていった。
「これ……」
そこにあったのは、ひどく端的で、とても日記と呼べるものではない。
桃凪の、ツナにあてたメッセージ。
つなへ
私、行かなきゃ。
大丈夫、ちゃんと帰って来るから。心配しなくてもいいよ。私の帰る場所は、つなの所だから。
だから、
「……『いってきます』、って…………」
短いそれを読み終わりまず最初に思ったのは、驚愕でも悲しみでもなく。
「……なんだよ、それ」
純粋な、怒りだった。
「いつもは……なにも言わなくたって、勝手に喋ってくるくせに。なんで、……なんでこういう時に限ってなんにも言わないんだよ!!」
ムカついた。とてもとてもムカついた。
そりゃあ、自分は頼りがいのある兄だと口が裂けても言えない。つい少し前まで自分で自分の事をダメツナだと自虐するような奴だった。
けれども、たとえそうであったとしても。
「オレは――――お前の、お兄ちゃんだろ……!!」
そうであったとしても、ツナは桃凪の兄なのだ。
兄だからこそ、言ってほしかった。こんなメッセージを残すくらいなら、朝話した時に。
つな、助けて。と。
「桃凪の……大バカ……!!」
「そんで、どうする?」
「どう、ってなんだよ!?」
「桃凪が骸のところに居るのは恐らく決定事項だ。お前だってわかってんだろ」
ああそうだ。もう、ツナは否定できなくなっている。桃凪が何よりも大切にしていた宝物をこんなふうに放り捨ててどこかに行くわけがないと。そうせざるを得ないほどの何かがあったのだと、書き置きを見た時点で嫌というほどわかってしまった。
「桃凪のことだけじゃねえ。奴らがお前を見つけるためにしでかしたことを忘れるなよ」
それも、わかっている。
ボロボロの了平を見た、涙を流す京子を見た、自分を庇って傷ついた獄寺を見た。自分が知らないところでも、何人もの人が傷ついているのだろうと。それも全てわかっている。六道骸がやっていることはおかしい。そんなことをする奴らに対して、憤りを感じているのも本当だ。
けれども、
「……オレに、なにができるんだよ。ダメツナの……妹にも頼られなかったオレにさ」
だからといって、立ち向かうことができるのか、この、自分に。相手が凶悪な殺人犯だと思っただけで、足がすくんで動けなくなりそうな自分に。
感情はある、けれども決意がないツナに対して、リボーンはニッと笑いかけた。
「おまえはそう思っているみたいだけどな、お前の周りはそう思ってねーみたいだぞ」
「え?」
ツナがその言葉にとぼけた声を上げた、数秒後。
「十ーーーーーー代目ーーーーーーーー!!!!!」
窓の外から御近所圏内100mに響き渡りそうな大声が聞こえてきた。慌てて窓の外を見るとそこには。
「ご、獄寺君!?」
「敵のアジトに乗りこむんスよね!? 俺も行きますよ!!」
「アジト!? 乗りこむ!? ちょ、ちょっと待って今下に行くから!!」
先ほどまで動けないほどの重体であったはずの獄寺が威勢よく大声を上げて手を振っていた。急いで下に降りて玄関まで走ると、新しく着替えたらしきシャツの下に生々しい白い包帯を巻いた姿の獄寺がにこやかにツナに話しかけてくる。
「先ほどはちっと後れを取りましたがね、今度はそうはいきません! あの眼鏡ヤローの息の音、バッチリ止めてやりますよ!!」
「獄寺君、ケガは!?」
「あんなのかすり傷ッスよ!」
そうはいっているが、顔色はあまりよくないし時々ふらついている。やせ我慢なのはすぐに見て取れた。というか、いつの間に乗りこむことになっているんだ。
状況についていけないツナをさらに混乱させるかのように、新たな人物がツナに朗らかに話しかける。
「よっすツナ。チビから「学校対抗マフィアごっこ」って聞いてやってきたぜ」
「……山本!?」
「チッ……ウゼーのが来やがって……」
背にバットを入れる専用の細長いバッグを背負い、学生服のままの山本がまた斜め上に間違えていることを言いながら現れた。ツナの隣で獄寺が小さく悪態をつく。
「あれだろ? 桃凪が捕らわれのお姫様役で、勝ったら助け出せるって話じゃねーか。凝ってるよなー」
「いや山本、それ違」
「っっっっなにぃ!? 桃凪さんが!? 攫われた!? 十代目、確かなんですか!?」
「いやまだそうと決まったわけじゃ」
「その通りだぞ。よく来てくれたな」
「り、リボーン!!」
混乱を極めていく状況を落ち着かせようとしたツナを遮るようにリボーンが獄寺と山本を煽る。いけない、このままでは流れに流され敵のアジトに乗りこむハメになりそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! オレは」
「奴らは新国道が通ってから人通りの少なくなった旧国道にある廃墟を拠点にしてるらしい。乗りこむための準備を30分取るから、準備できたら出発だ」
「無視すんなよー!!」
いつもの如く、ツナの意思を華麗に無視して物事は勝手に進んでいく。今回くらい尊重してくれてもいいじゃないか。
「リボーン! オレまだ行くって一言も言ってねーぞ!?」
「だらしねえな。腹くくれ、桃凪に会いたくねえのか」
「ぐっ……」
桃凪に会いたいのは、事実だ。
だが、乗りこむ。乗りこむんだぞ。
先ほど感じた命の危機がぶり返してきてまた総身に悪寒が走り始めたツナにさらに畳みかけるように、状況がトドメを刺してきた。
「待ちなさい! 隼人が心配だもの、私もいくわ」
「び、ビアンキまでぇ……!?」
遠くからツカツカと歩いてきたビアンキが至極まっとうなことを言いながらリボーンの味方につく。そんなに獄寺が大事ならばベッドに縛り付けてでも療養させてほしい、と思うのだけれど。とうの獄寺はビアンキの姿を見た瞬間に倒れているし。
「よーっし、じゃあちょっくら家帰って準備してくるわ! 30分後にツナんちなー!!」
「では十代目、俺も行きます! 迅速に! 姉貴のいないところで!!! 準備してきますね……!!」
「……久しぶりね、リボーンと一緒に一つの目標に向かうのも。ふ、ふふふ……」
「なっ……」
こうして、
「なんで……こうなるんだよぉおおおおおおおおーーーー…………!!」
ツナは望まずして敵との最終決戦に挑むことになってしまったのだった。
頭の中が混乱しきっていたから、しばらく何も考えないでひたすらにぼーっとしていた桃凪。しばらく大空を眺めていたら、ちょっとだけ心が落ち着いた。
(……頭、もう痛くない)
心理的な意味では非常に痛いのだが、先ほどのように物理的な意味での痛みは、もう治まっていた。それはつまり、拒絶反応がなくなったということでもあった。
骸は幻術と言っていた、桃凪に頭痛を贈り続けたこの力には、恐らく骸特有の波長が宿っていたのだろう、と桃凪は予測している。血液の中にある遺伝子情報のような、その人特有の波だ。それを叩き付けられた桃凪の体は自分と違う波長に対して強い拒絶反応を起こし、その結果頭痛を誘発した。治まったのは、なんのことはない、あまりに大量に浴びせられすぎて感覚が麻痺したのだ。
(あとは、少し混ざったから、かな)
思いだすのは、深い深い意識の底で見せられた、凄惨なる骸の過去。
骸はかつて、マフィアの行う人体実験の被験体だったらしい。
常に死と隣り合わせの現場。周りにいた自分と同じような年の子どもたちは、明日には一人死に、次の日には二人死に、明々後日は自分かもしれない、そんな場所。骸はそんな場所で生きてきた。
そうしてある日行われた実験の際、周りのマフィアを全員皆殺しにして、生き残った子どもたちと一緒に……残っていたのは自分を入れて三人だけだったけれど、脱出した。
生きていくために他者を利用し、使い捨て、玩具のように弄び、壊しながら生き抜いた。幼い子供の必死さと言うには、あまりに残酷な悪意がそこにあった。
彼はこの世界が嫌いなのだ。醜くて醜くて仕方ないのだ。聞いたことはないけれど、そうだと桃凪は確信している。
だって彼の過去を見た時に、自分も同じ気持ちを抱いたから。
それはその時の骸の感情が桃凪にも流れ込んできたからなのか、それとも、桃凪自身がそう思ったからなのか、いまいち桃凪にはわからない。だから起きた直後は自分が桃凪なのか骸なのかわからなくて、すごく混乱して、自分を襲った犬に対してまるで骸のように接してしまった。
犬に、「お前は誰だ?」と聞かれた時、電流が走るような感覚であった。そう問われて、すぐに答えを返せなかった。
自分は骸なのか、桃凪なのか。桃凪だったとしても、今の桃凪はかつての桃凪と同じものなのか。コーヒーカップの中で混ぜられたミルクとコーヒーは果たして混ざる前のコーヒーと呼べるのか。
わからなかった。わからなかったけれど。
骸と同じように、世界を憎みマフィアを殺せるかと聞いたら、それはNoになるので。たぶん自分は、まだ桃凪だ。
「私は桃凪、大丈夫」
自分で何度か呟いて、自己を確認する。
自分は桃凪で、ツナの妹。
きっと、そのはずだ。
それが自分に無理やり言い聞かせているものだと内心では気づきながらも、あえてそのまま押し通す。そう思ってないと耐えられそうになかった。
それに、考えようによっては今の状況はプラスに受け取ることもできる。
第一に、頭痛がなくなった。今までこれのせいで行動をかなり制限されていたわけで、煩わしい痛みから解放された今は頭の中も前よりは明瞭になっている。……悩みは依然、尽きはしないけれど。
目が覚めてからすぐに骸に会いに行ったりはしなかったけれど、それで今追いかけられたりはしてないからこれも問題はないのだろう。つまり、この黒曜センターの中限定で桃凪は自由を手にしていることになる。まあ、骸の監視付きという制限はあるが。用心深い彼のことである、施設のあちらこちらに盗聴器などを仕掛けていてもおかしくはない。
ここまで考えて、だいぶ骸の考えていることが予測できるようになってきたな、と思った。これは混ざった弊害か、否か。
できることを、考える。
ツナたちは恐らくここに来るだろう。外に出れない自分にはそれを止めることはできない。この施設の中で、桃凪一人というちっぽけな力で、できることはなんだろう。
骸はきっとツナが来るまで桃凪を殺したりはしない。人質として使うつもりなら、恐らく。だから多少派手に動いても問題はないだろう、ある程度は痛い目に合うかもしれないけれども、それは、もう、仕方がないと覚悟を決めた。
戦う力のない自分は、骸には手も足も出ない。だから骸を害することはできないし……あまり、やりたくない。一度でも彼に同情してしまった故の、躊躇いもあった。
それでも戦わなきゃ、と先ほどまでの自分は思っていたからあんなにも追い詰められていたのだけれど。考えれば考えるほど無謀なのだ、無理がある。
(……そういえば)
雲雀はどこにいるのだろう。骸の話が正しければ、まだ生きてここにいるはずだ。酷い怪我をしていた。治療道具とかそういうものは全部家に置いてきてしまったから自分になにができるわけでもないが、やはり心配ではあるのだ。
雲雀には会ってみた方がいい、そんな気がした。
ただ、
(きょーやなぁ……話しかけられたくなさそうだよね……)
生まれて初めてだろう敗北に、プライドの高い雲雀が苛立ってないわけがない。最悪、会った瞬間に咬み殺される。
でも、なんだろう、ホームシックだろうか。かつての桃凪を知っている人と、少し話がしたかった。
雲雀の目から見て、自分は変わってしまったのか、否か。それが知りたい。
そう思ったから、桃凪は今まで寝そべっていた屋上から起き上がり、のろのろとセンターの中へ戻っていく。
(きょーや、どこに、いるんだろ……)
雲雀がどこにいるのかより、骸だったら雲雀をどこに閉じ込めるか、そう考えた方が早いかもしれない。そのくらいは予想できる。
自分の思考回路の一部が骸になっている違和感に小さく笑いながら、桃凪はセンターの地図を頭に思い浮かべ、やがてひとつの場所を予測した。
骸に痛めつけられた後、雲雀は地下にある小さな部屋に閉じ込められた。奴の考えることなど想像するのも嫌だから深い意味など知らないが、申し訳程度にかけられた錠などすぐに破壊できる。むしろ、闘志を回復させるのに必要な静寂と時間があるここは、雲雀にとって何の苦にもならない場所であった。
そうして小部屋の中央で片膝を立てじっと座りこみ、一撃を放つ機会を待ち望んでいた雲雀の耳に、小さな足音が聞こえてくる。それが彼の興味をわずかに外界へと向けさせた。
しかしそれは立てた膝に預けた彼の顔を上げさせるほど好奇心を刺激するものではない。やってきた人物の気配が、骸の関係者ではないとわかっていたからだ。
錆び付いた錠を解くのにしばらくの時間を要しているらしく、不愉快な雑音を立てながら扉の前の人物が錠と格闘しているのが聞こえてくる。悲鳴のような金属音が数回鳴り響いた後、軋みを上げて部屋の扉が開かれた。
「…………きょーや」
かけられたのは、やっぱり予想通りの少女の声だった。
返事をするのが面倒で、こちらに目もくれず顔を下げ座りこんでいる雲雀の傍に少女の足音が近づいてくる。扉の向こうから少しだけ差し込む光が、小柄な影を映し出していた。
「だいじょう、ぶ?」
雲雀の傍にしゃがみ込んだらしい。少女の声が近くなった。返事をするほどの価値も感じなくて、やはり無視する。
「……には、見えないね。ごめん」
勝手に雲雀の状態を診断した少女は、そのまま雲雀の隣に座りこんだ。せっかくの静寂と暗闇がなくなったのが苛立たしくて、それでようやく声が出る。
「……邪魔」
「ごめん」
何の得にもならない謝罪が返ってきた。それに雲雀の思考は少しだけ固まる。この生き物が謝罪をすると思わなかったから。
俯いたまま目だけをわずかに少女の方へと移動させて。……その後すぐに、見なければよかったと心底後悔した。見なければ、余計な力を使うはめにはならなかったというのに。一度見てしまったら、あまりにも不愉快すぎてなにか言わずにはいられない。
「あの、きょーや」
「ねえ」
いつもの表情に、少しだけ疲れたような雰囲気を滲ませた少女に一言。
「その草食動物みたいな顔、やめて」
咬み殺すよ、と。
それを言われた方の少女はかなりびっくりしているらしく、自分の手で自分のほっぺたをしばらくムニムニと伸び縮みさせていたが、やがて困ったようにこちらを向いた。
「……そんな顔してた?」
「今すぐどっか行くかやめるかしないと、咬み殺したくなる」
「そ、そこまでか……」
眉を下げてこちらを見てくる顔は、やはり雲雀が嫌いな草食動物特有の『怯え』が見て取れた。この生き物は、今までどれだけ無謀であろうと決して恐怖だけはしなかったというのに。
「……少しね、わからなくなった」
ぽつりと、俯いた少女が言葉を漏らす。雲雀に返答してほしいわけではないのだろうと思った。ただ、誰かに聞きたくて、言いたくて仕方がなかった思いが、ふと漏れてしまった。そういう雰囲気だと感じた。
「私ってなんなのかな」
「……」
「考えれば考えるほど、本当の自分がすごくダメな子に感じるんだ」
聞いてやる義理はない。ただ、勝手に聞こえてくるだけだ。
「いつまでもぐだぐだ悩んで……決められなくて、すごくみんなに迷惑かけてる」
「……」
「私は邪魔な存在なのかもしれないね」
誰かに迷惑をかけている、と呟いた時はひどく痛ましそうな様子であったのに。自らの存在を不要なのではないかと呟いている時、彼女の顔はどうでもよさげな無表情であった。
「つなも心配してるだろうし、むくろもたぶん私のこと呆れてるだろうし、……これできょーやにも嫌われちゃったね」
自らの弱さを雲雀に吐露した。
それは彼女にとって、雲雀に嫌われる理由としては十分なものであったようだ。いやむしろ、今まで好かれていたと思っていたのか。そちらの方が雲雀には驚きである。
ああ、しかし。
「むくろの気持ちもね、今はちょっとわかるの。わかるけど……やっぱり、私はむくろみたいにはなれないなって」
隣で喋る少女の声は、もう耳に届いてはいなかった。
そろそろ、限界だ。
脳内で燻っていたものが一気に爆発して、頭の中で弾けたそれは瞬時に命令として指先まで走り抜ける。力なく座っていた体がそれに従い放棄していた運動を再開させた。その命令はただ一つ。
隣に座ってる小動物を、死なない程度に蹴り飛ばせ。
一切のためらいなく忠実にその行為を実行した体は、軋むような激痛を発するがそんなことは気にならない。小さな部屋だから、すごい勢いで飛んでいった小さな体はすぐに壁にぶち当たり、跳ね返ってなんと雲雀のところに落ちてきた。小さいとはいえ人間一人分の体重なので、二人して床に転がる。少女の下敷きにされてしまったのはひどく不満だが、激痛で声すら出なさそうな少女の様子が少し留飲を下げさせる。
しばらくの後、ようやく上に乗っている少女が口を開いた。
「……急に咬み殺しに来た……驚いた……けほっ……すごく、嫌われた感じ」
だから別に好いてもいない。
……認めては、いたのだけれど。
草食動物のように群れの中で弱さを舐めあう唾棄すべき生き方ではなく。
肉食動物のように強さを極め他者の屍の上で孤高を貫く生き方でもなく。
弱さを持ちながら、傷つける以外の強さのために孤独に選んだ生き方を。
認めてやっていたというのに。
お前はいつの間に、自らを草食動物だと思いこんだのか。
「小動物、が」
「っ……ぇえ……?」
「草食動物に、なれると思ってるの」
上に乗っかる生き物の、長い髪の毛が鬱陶しい。動く腕で上の生き物を思いっきり押しのけると、小さく悲鳴を上げて横に転がり落ちた。今まですぐに潰れそうだったのであまり殴ったりしなかったが、この様子だと結構丈夫そうであった。これならもっと早くに始末しておけばよかった。
「君は、そういうの向いてない」
「そういう……の?」
「自分の事を、強くない、って思いこもうとしてる」
ぽかん、と。絵にかいたような間抜け面だ。
「擬態するのは勝手だけど、自覚を忘れてもらったら困るんだよね。僕がイラつくから」
弱い弱い草食動物の中に住んでいる故の錯覚だろうか。自らをその仲間だと思われると、非常に困るのだ。なぜならとても苛つくから。咬み殺さなければならない相手がいるのに、余計な体力を今は使いたくなかった。
「さっさとその間抜けな面を隠しなよ。早くしないと――咬み殺すよ」
言いたいことは全部言いきったので、これで多少はすっきりした。
今度こそ雲雀は桃凪の存在を完全に意識から消し去ると、壁にもたれかかり目を閉じたのだった。
渾身の一撃を、あの嫌敵に撃ち放つために。
『自分の事を、強くない、って思いこもうとしてる』
雲雀にそう言われた時、頭の中ではそんなことない、と思っていた。
だって自分には現状を打破するすべはないし、骸と戦ったって瞬殺されるし。そもそも運動音痴だし。
だから、強くなんて、全然ないと思うのだけれど。
その言い方だとまるで、雲雀が自分を強いと認めているようではないか。
問いただしたくても雲雀は今度こそ桃凪を意識の外に追いやったようで、壁にもたれかかったまま動こうとしない。だから自分で考えるしかなかった。
否定から入ってはいけない、まずは雲雀の言葉の意味を読み解こう。
(きょーやは……私のこと、小動物って言うんだよね)
それは桃凪の見た目からだと思っていたのだけれど、どうにもそれだけではないらしい。
雲雀にとって草食動物は咬み殺す対象で、肉食動物は自分と同類、小動物はどれでもない、という感覚なのだというのはぼんやりとだが理解できる。『小動物が草食動物になれると思ってるの』、この言葉はようするに、桃凪は小動物なのだからどうあがいたって草食動物――群れを作る弱い生き物にはなれないということだ。自分の事を草食動物だと思いこんで、小動物だという自覚をなくさないように、と雲雀は言いたいのか。
ここまで考えて、もしかして、これは雲雀なりの叱咤なのではないかと思い至る。
いやまさか、あのきょーやが。
真実はすでに応えを返さない雲雀しか知らない。雲雀の方も、桃凪がどう受け取るのかなど気にしてないのだろう。自分の言いたいこと全部言いきって満足した様子だったし。
そう、受け取ってもいいのだろうか。
それが許されるだろうか。
自分を信じられなくなった桃凪を、まだ信じてくれる人がいる。
そう思ってもいいのだろうか。
(ねえきょーや、きょーやには……私が、誰に見える?)
そう聞きたかったけれど、聞くタイミングを逃してしまった。
でもなんだろう、雲雀はきっと「小動物は小動物でしょ」と、そう言ってくれる気がする。そう信じる自分の心を、もう一度信じてもいいのだろうか。
だから桃凪は、雲雀に一言だけ。
「……ありがとう、きょーや」
雲雀は何も答えなかった。
しばし考えて、桃凪は一つ、雲雀にお礼をしようと思った。これがお礼になるかはわからないけれど。
少し息を吸いこんで、ささやかな声で歌いだす。
彼が一番好きな歌を。
彼の愛する、並盛の校歌を。
雲雀は、うるさいとも邪魔ともいわなかった。
小さく暗い小部屋の中から、子守唄のような優しい旋律が響いてくる。
買い物から帰ってきた奈々に少し遊びに行くと嘘をついて、ツナは家を出た。
山本は完全に行楽気分で、差し入れに寿司とお茶を持ってきてるし、獄寺はビアンキを恐れて近くによらないし、ビアンキも何故か山本とすごく張り合ってるし。前途が多難すぎて、もう頭を抱えたい気分だった。
「……こんなんで大丈夫なのかな、オレら……」
「こんにちは」
「あ、リータさん……」
もう少しで出発というところで、リータがやってきた。
「えーと、オレ達これからちょっと出かけるんで……」
「知ってるわ。私、それについてこようと思ってきたから」
「え、じゃあ……!」
「一応言っとくが、リータは戦闘には参加しねーぞ」
リータの実力を知っているツナは一瞬喜色ばむが、すぐにリボーンの声にがっくりと肩を落とす。そうまでして九代目は自分を戦わせたいのか。
「な、なあ……本当にオレ達だけなのか? リボーンも……」
「そうだぞ。オレは家庭教師だからな、生徒の戦いには手を出せねーんだ。できるのは死ぬ気弾を撃つことだけ。……ま、あと一発しか残ってねえんだが」
「えっ!?」
なんでもないことのようにリボーンに言われた一言がツナを驚かせる。今リボーンが手に乗せている一発以外、死ぬ気弾のストックはないというのだ。なんでも、死ぬ気弾を精製できるレオンが尻尾が切れたことにより繭と化してしまっていて、この状態のレオンでは死ぬ気弾を精製できない、らしい。
一発しか撃たれないのは嬉しい、嬉しいが、生身の自分だけでこの状況を乗り切れるのか。
「大丈夫よ」
優しいリータの声がツナの耳を癒す。
「貴方たちなら、きっと大丈夫」
でもツナの口から出たのは、感謝でも泣き言でもなく、
「あの、リータさん……大丈夫ですか?」
「え?」
「あ、いや、その。なんか……暗い顔してた、ように、見えたっていうか――」
なんとなく、彼女が無理して笑っているようにツナには見えたのだ。一瞬だけだけれど、そんなふうに感じた。
「……す、すいません! 急にそんなこと言われても困りますよね、アハハ……」
なんだか気恥ずかしくなってしまって取り繕ったツナの言葉に、しばし茫然としていたリータはハッと我に返った。
「いえ、ありがとう。心配してくれて、嬉しいわ」
「と、とにかく! いてくれるだけでも心強いです!!」
こちらにお礼を言うリータの顔はやはり柔らかな笑みが見えて、先ほどの印象は何かの錯覚だったのだろうとツナは考え直す。
「おいお前ら」
場の空気を切り替えるようなリボーンの声。
「行くぞ」
こうして、決戦への火蓋は切って落とされた。
この先がどうなるのかは、まだ誰も知らない。
お久しぶりです。
新人社員として全てを犠牲に働きすぎて死にそうになり、こちらに戻ってきました。
私は小説を書かないと死んでしまう人種だった。
出来る限り続けていきたいと思います。
皆さま、お待たせして申し訳ありませんでした。読んでくれて、ありがとうございます。