【本編完結】もしも、幸平創真が可愛い女の子だったら 作:ルピーの指輪
「こ、困りましたわね。そんなことを言われると思ってもみませんでした……」
「そ、そうだよね。俺もいきなり過ぎたと思ったよ。よく考えたらなんてこと言ったんだ……。しまったなぁ……、どうしよう……」
司先輩は大胆なことを言われたという認識をなさったのか、頭を抱えておりました。
プロポーズをこんなにあっさりされるものではないと気付いたみたいです。
「あ、あのう。先ほどの言葉は、その、総帥の指示で仰られたのですか?」
「いや、まさか……。俺は今まで自分の調理を他人に任せるなんて絶対にしたくなかったんだ。でも、君は完璧なサポートをした。驚いたよ。もう一人の自分が支えてくれていると感じるほどだった」
「は、はい。ありがとうございます」
「君のその能力が俺の調理を研ぎ澄ませてくれる。それを確信したら、学園を卒業するまでじゃなくてずっと側に居て欲しいと思ったんだ。俺の料理の為に」
どうやら、彼はわたくしのサポートする力を買ってくださったらしいのですが、それで結婚に飛躍する理由が全くわかりません。
「ええーっと……、それでしたら、将来のご自分のお店で雇いたいとか仰れば良いのではありませんか?」
「…………あっ!? そうか!」
「竜胆先輩が司先輩を放っておけない理由が分かったような気がしますわ……」
わたくしが従業員でもサポートくらいされると申し上げると彼は手をポンと叩かれます。
なんだか、司先輩が少しだけ心配になってきました。
「でも君の人生を貰うなら、責任はちゃんと取ろうと思ったんだけどな。生活を不自由にさせないために」
「申し上げにくいのですが、わたくしは司先輩の元に行けません。実家である“ゆきひら”を離れる気がありませんから」
「そうそう、竜胆から聞いたけど君って実家が定食屋なんだよね? 悪いけど君の実家のお店は無くなってると思うよ。近いうちに」
「むっ、先輩。さすがにそれは失礼ではないでしょうか?」
司先輩がさも当然のように“ゆきひら”が潰れるというような事を仰ったので、さすがにわたくしも苦言を呈します。
いくら定食屋の印象が悪いからってその言い草は聞き流せませんでした。
「ああ、ごめんごめん。別に君の店がどうとかじゃなくて。セントラルの今後の目標が日本中の料理店を潰すことだからさ。ちゃんした美食を出す店はもちろん潰さないけど、総帥も“料理”とも言えないモノを提供する店は潰すべきだと言っていたから」
「だから、わたくしの実家の“ゆきひら”や洋食の三田村みたいな大衆料理店はいらないと仰るのですか? それを楽しみにしている方が居られても?」
「う、うん。それは仕方ないと思ってる。日本の美食を前へと進めるために。だから、セントラルは優秀なコックが必要なんだ」
「司先輩は純粋に自分の料理のことだけを考えてますね。ここまで悪意がなく真っ直ぐだと議論をするのも意味がないような気がしました」
司先輩は自分の信じる美食のために日本中の料理店を潰したいと心の底から願っているみたいです。
薙切薊さんの思想を深く信仰している彼の目は純粋でまったく悪意が感じられませんでした。
「だから、君と結婚して将来の責任を持つと言ったんだ。幸平さん、君の能力が欲しい。俺に付いてきてくれ」
「「結婚――!?」」
「「――っ!?」」
「あら、えりなさんと緋沙子さんではないですか」
司先輩がもう一度、結婚という言葉を仰ると、えりなさんと緋沙子さんが声を揃えてその言葉を復唱されました。
恥ずかしい場面を見られましたね……。
「ソアラ、あ、あなた、け、結婚するの? つ、司先輩と……、というより、せ、先輩とそんな関係だったの?」
「えりな様、動揺しすぎです。どういうことなのだ? ソアラ」
「いえ、それは……、司先輩がいきなり仰ってこられて……」
当然のようにわたくしはえりなさんと緋沙子さんに質問攻めに遭います。
とはいえ、わたくしもついさっき言われて驚いている最中でしたので、混乱していることしか伝えられませんでした。
「司先輩、失礼ですがソアラに、ひ、一目惚れをされて求婚をされたのでしょうか?」
「そうだな。調理の技術には一目見てこれだと思ったよ。使えるな、と確信できた」
「「
「うん。一生、俺の調理のために側に置いておきたいと思うくらいにね」
司先輩から感じられたのはわたくしを女性としてではなく道具として見ていることでした。
ここは怒るところかもしれませんが、料理人とは何処までもワガママな存在。
自分の美食を極めるために他人の人生をも手に入れたいという彼は確かに身勝手ですが、一ミリも悪意がありませんので、怒気を向けても無意味です。
「こ、この方は……」
「司先輩、わたくしはセントラルの思想はどうしても受け入れられません。相容れない者同士が共に居ても苦しいだけですよ。料理はもっと自由なモノですわ。正解がない――だからこそ、わたくしは料理を愛しているのです」
「それが真の美食の妨げになっているんだよ。料理に正解はある。誰が食べても等しい評価が下されるような。王道がね」
わたくしは料理というものは自由なものだと語ると、彼は一本の道しかないと反論されます。
やはり彼とは意見し合っても平行線になりそうです。
「確かに司先輩なら素晴らしい品を作り出し多くの人にその魅力を伝えることが出来るのでしょうが。だとしても、誰もが等しい評価を下したりはしないですよ。それを知っていただければ、今回は諦めて下さいますか?」
「どうやって、それを俺に伝えるんだい?」
「えりなさんと緋沙子さんにわたくしたちの料理を食べ比べてもらうのです」
わたくしは料理は自由なもので正解などないことを証明するために、各々の料理をえりなさんと緋沙子さんに召し上がってもらうことを提案しました。
彼とは皿で語り合った方が早いと思ったからです。
「えっと、君は俺よりも実力が上だという自信があるのかな? 思ってたより大胆な提案に驚いたよ……」
「いえいえ、わたくしの実力はまだまだ司先輩には及びません。だからこそ、証明できることもあるのです」
「うーん。わからないけど、料理で決着がつくなら願ってもいないことだ。俺が納得しなかったら、一緒に来てもらうよ」
「わかりました。司先輩のお嫁さんになるのは、遠慮したいですが……」
「面と向かって言われると傷付くな……」
「す、すみません」
司先輩も料理で決着をつけることに乗り気になってくださいました。
彼の実力はわたくしよりも遥かに上です。それは認識しております。
しかし、実力差があるからこそ示せることもあるのです。
「じゃあ、テーマだけど鹿肉はどうかな? 本来さっきの授業で使うはずだったみたいでさまざまな部位が用意されてるから。他にも色々とコース料理用の素材は用意しているみたいだから、材料には不自由しないと思う」
「なるほど、異論はありませんわ」
「あとは料理ジャンルや品目の縛りだけど……」
「フレンチで行きませんか?」
「……いいよ、それじゃ始めようか。調理開始だ」
鹿肉を使ったフランス料理を作ることに決まったので、わたくしたちは調理を開始しました。
学園祭のとき司先輩の模擬店で食べたフランス料理――今でも思い出します。とてつもない衝撃でした。
わたくしも四宮先生に教えて頂いております。それでも、まだ自分の実力が彼には及ばないことはわかっていました。
しかし、未熟だからこそ、わたくしのフレンチで司先輩に伝えたい――料理には無限の可能性があることを――。
自由で正解などないということを――。
さて、鹿肉ですか――どのような料理を作りましょう?
「幸平さん、先に始めてるよ」
司先輩は巨大な鹿肉の塊を掴みながら調理を既に開始されています。あれは、鹿の背肉ですね……。
そして、司先輩は卓越された包丁捌きで高速で肉を切り分けます。
「塩・胡椒をすりこんだ肉を上火オーブンでゆっくり優しく加熱してく」
フライパンには角切りにした油とスジを並べ……、肉がフライパンに直接ふれないようにしていますね。
そして時々取り出し“アロゼ”する事で溶けた脂を回しかけ表面の乾燥を防ぐ事にまで神経を注いでいます。素材へのいたわり方が凄いですね……。
「どこまでも食材を慈しむような……、まるで食材と静かに話でもしてるみたいですね」
「それが第一席たる所以なのよ……、いま彼は本当の意味で食材と“対話”をしているの」
「よしよし、ほらこっちだもっと近くへ来てごらん……。そうだ……、おいで、さぁ俺の皿に宿っておくれ」
司先輩の素材を活かした調理は、それだけで芸術と言えるほどでした。
現に、わたくしたちは彼の織りなす調理風景と香りだけで食欲が掻き立てられております。
「んんっ……、す、すごい……! 肉汁が身の中で静かに波打っているかのようだ……、あの食材が持ちうる最高の状態へ今まさに高まっている……、か、香りだけで、こんな……、くっ…! 食べてもいないのに……、香りと見た目だけでくらってしまう! あの素材が持つエネルギーを!」
「その感性と技術はもはや人間業を超えたもの……。司瑛士は美食をつかさどる神々の領域に踏み込んでいる」
緋沙子さんもえりなさんも既に彼の調理から目が離せないみたいでした。
特にえりなさんがここまで手放しに称賛されるなんて今までに見たことがありません。
「
「やはり、これでいきましょう。四宮先生にも褒めて頂けましたし」
置かれている素材を吟味して、わたくしは作るメニューを決めます。鹿肉の部位もそうですが、他にも色んな素材がありますね……。
「ソアラのやつ、もも肉を選択したようだが、ミンチを作っているのか? 一体、どんな料理を……?」
わたくしは鹿肉のミンチを作るべく、包丁を握りました。鹿肉の脂は牛や豚の脂とは質が違うので、手でこねても粘りが出ません。香味野菜等と混ぜながら、包丁で叩き切るようにまとめていきます。
「さて、そろそろ揚げますか」
「メンチカツ〜!? 貴様、何をやってる!?」
鹿肉のミンチを揚げる作業と並行して、わたくしはバターライスを作り、さらにソース作りを開始しました。
鹿肉はカレーやブラックペッパー等と相性がよいです。付け合せのソースにスパイスを用いるとジビエの野生臭が風味に変わります。
なのでわたくしはカレーソースを作ることにしました。
出来上がったのはメンチカツにカレーとバターライスを添えた品です。
「じゃあ、俺から出しても良いかな?」
「ど、どうぞ、まだ少しかかりますので」
司先輩が先に料理を完成させてえりなさんと緋沙子さんの前に皿を持っていかれます。
「お口に合いますように、名付けて“ふたつの表情を見せる鹿のロースト”だ」
司先輩の料理はまるで宝石のように輝いているように見えました。見た目から彼のセンスの高さがわかってしまいます……。
えりなさんたちは彼の料理の完成度に見惚れておりました。
「――っ!」
「切り口は一面見事な薔薇色……、まるで肉自体が輝いているみたい……」
緋沙子さんがナイフを入れると軽く肉が切れます。おそらく、ナイフの重みだけで切れたのでしょう。それだけで肉の食感が極上のモノだということが予測できます。
「――っ!」
そして、肉をひと口召し上がった彼女は全身を震わせます。
「何だこの肉は……! 全く濁りのない肉汁が香ばしくもさっぱりとして赤身肉からじゅわじゅわとあふれる! これがあの慈しむような火入れの効果か! そしてそれ以上に恐ろしいのはこの二種類のソース!」
彼女に続けてわたくしもひと口頂きます。
「凄いですね。このソースは……。おそらく数種類の果実がとんでもなく精密に計算され尽くされた配分で構築されているのでしょう……。まさに絶品です」
「右側は“ソースポワヴラード”……、鹿などのガラをベースに作る。荒々しくもすうっと伸びるような透明感を持つソースだ。そしてそれに数種類の果実を加え酸味と爽やかな甘味を演出したのが左側“ソースポワヴラード・ベリー”。ポワヴラードとはフランス語で胡椒という意味の“ポワヴル”から来てる言葉だね。ピリリと胡椒の効いたこのソースが鹿肉のすっきり淡白な肉質に重層感をもたらしてくれる……。果実の種類は――」
「ブルーベリーに赤スグリとブラックベリー、そしてカシスリキュール赤ワイン、ブルーベリーヴィネガー、ラズベリージャムといった所ですか?」
見事にソースに使われた果実を言い当てたえりなさんに対して司先輩は拍手されます。
さすがは神の舌――わたくしは半分くらいしかわかりませんでした……。
「すごいな……、全部言い当てた! でも薙切なら当然かもな」
しかし、話はそれほど単純ではないです。このソースは混成酒、ワイン、ヴィネガー、そして果実そのものの状態と異なった状態に加工された果実が組み合わされ、かけ算されています。
だからこその奥深さなのですが、材料それぞれが持つ特性と合わせた時の相性を完璧に掴まなければ、必ず苦味や雑味が出てきます。
これは司先輩でなければ成し得ない人間離れした調理です。風味の異なる二つのソースで鹿肉の雄々しさと優美さ――両極端の味を見事に表現しているのですから……。
「いや、参りましたね……。想定以上でした」
「貴様はすぐにそんな弱音を……! と言いたいところだが、これだけの品を見せつけられるとそう思うのも仕方あるまい」
わたくしは司先輩が格上だということは認識しておりましたが、今日彼の品を食べて力の差が思った以上だと感じてしまいました。
今のわたくしには、第一席までの距離が果てしなく遠いですよ、四宮先生……。
「でも、これで諦めるあなたじゃないんでしょ?」
しかし、想定以上ではありましたが、想像以上ではありませんでした。
まだ、希望はあります。わたくしは自分の品の力を信じて、えりなさんたちに料理を出しました。
「それはもちろんですわ。おあがりくださいまし。わたくしの新しいフレンチ――“鹿メンチのジビエカレー”ですわ」
「貴様! 四宮シェフの店で何を習ってきた! これのどこがフレンチだ!?」
緋沙子さんは奇抜な見た目のわたくしの品を見て怒ってしまいました。
見た目はちょっとだけ、型破りかもしれませんね……。
「いえ、きちんとフランス料理になっていますから。召し上がってください」
「――っ!?」
しかし、わたくしは当然フレンチを作っています。
皆さんもひと口メンチカツを召し上がった瞬間にそれを認識されたみたいです。
「このメンチカツ――“ロニョナード”が原形になっているわね……」
「“ロニョナード”……、ミンチ肉のパテで腎臓などの内蔵を包んだフランス料理……。なんだ、このメンチカツは!? 驚くべきは食感と溢れ出る旨味……! どうしてメンチカツからこのような――」
そう、わたくしは四宮先生から習った“ロニョナード”というメニューをヒントにしてこの品を完成させました。
この品は食感が命のメニューです。
「焼き目を付けてキューブ状に切った鹿肉と白レバーを、鹿肉のミンチで包み、衣を付けて揚げたのね……。メンチと呼ぶにはあまりにも贅沢な皿に仕上がっているわ。カリカリした衣とトロトロの白レバー、そして鹿肉のモッチリした食感が口の中で混ざり合い、調和している」
「添えられているのも単なるカレーソースではないわね。煮込んだ野菜スープをカレーやその他のスパイスで味付けし、血の多い鳩の内臓でコクを出しているのね。まさか、あなたがこれほどのフランス料理を出すなんて……」
えりなさんはふた口食べる頃にはわたくしの調理を全て丸裸にされました。
異なる3つの食感と素材を活かした旨味をさらにスパイスで引き立てたわたくしの渾身のフランス料理――彼女に褒めて頂けて光栄です。
「驚いたな。一見、フランス料理のレシピとは程遠い見た目なのに、深い味わいのあるフレンチになっている。カレースパイスは確かに鹿肉と相性が良いし、絶妙な配分で素材の強さをそのままに香り付けされているね。何よりこの食感は天性のセンスを感じるよ。しかし、このソースにはカレースパイスだけでは織り成せない風味がある……」
「コーヒー豆を使ったのね」
「さすがはえりなさん。正解ですわ。四宮先生にコーヒー豆やカカオがジビエには合うと教えられたので、深いコクと渋みを出すためにソースのジョイントとして使ってみました」
えりなさんはわたくしが隠し味としてコーヒー豆を用いたことまで簡単に看破されました。
四宮先生からフランス料理を叩き込んでもらえて本当に良かったです。
「見た目も製法も自由過ぎる発想から生まれている。でも、間違いなくフレンチと言える一皿ね。本当に驚いたわ……、あなたの成長速度には……。それにこの味わいは――」
そして、えりなさんはこの品の一番の秘密まで辿り着いていそうでした――。
「それでは判定だ。美味しかった方の皿を前に出してくれ」
「「…………」」
「緋沙子……あなたはもう決まったかしら?」
「……はい」
実食が終わり、判定の時がやって来ました。えりなさんと緋沙子さんは互いに美味しかったと感じた方の皿を前に出します。
「「――っ!?」」
「票が割れた? 薙切は俺の皿を選んだが……、き、君は……、幸平さんの皿を選んだのかい?」
「緋沙子、あなたまさか……、ソアラに……」
えりなさんは司先輩の皿を、緋沙子さんはわたくしの皿を前に出しました。
えりなさんと、司先輩は信じられないという顔をされて緋沙子さんをご覧になります。
「み、見損なわないでください。えりな様……、私は幾ら友人であろうと自分の舌に嘘はつきません。ソアラは恐ろしい料理人です。技術、素材の活かした方は司先輩の方が明らかに上なのに――それでも私は彼女の皿の方が美味しいと感じてしまった……」
「確かにソアラの品からは技術や経験の差ほど、司先輩の品に劣っているような気はしなかったけど」
「ごめんな。幸平さん。俺は正直言って、君の品を食べたとき自分の品をかなり厳しめに見ても票が割れるなんて思ってなかった。君の友達が舌に嘘をついてないとするなら、何が起こったのか全く理解出来ないのだが……」
緋沙子さんが自分の舌に偽りはないとはっきりと仰って、えりなさんもわたくしの皿に違和感を感じられたと仰ってます。
そして、司先輩はなぜ緋沙子さんがわたくしの皿を選んだのかまったく理解が出来ないと仰りました。
「いえ、簡単な話です。緋沙子さんがわたくしの友人だから、こちらの皿を選んだのです。司先輩の品の方が何歩も先を行っていましたわ」
「ソアラ、貴様! なんてことを! 私は貴様に気など使って――」
「読めたわ。あなたは緋沙子の
そう、緋沙子さんがわたくしの友人だからこそ、この皿の価値は相対的に高まったのです。
えりなさんの仰るとおり、わたくしは緋沙子さんの味覚がどのようなものを好むのか殆ど理解しております。
「はい。緋沙子さんとはスタジエールから特に仲良くさせてもらっていますので、彼女の好みは把握しております。えりなさんも頑張ってみたのですが、鋭敏過ぎてまだ完全には把握しきれませんでした……」
緋沙子さんと過ごした日数が増えたのはスタジエールからでして、学園祭でアリスさんの白レバーの料理を気に入っておられたり、葉山さんのスパイスの効いたカレーや吉野さんのジビエ料理に対する反応を観察したり、色々と彼女のことを知ることが出来ました。
「じゃあ君は、まさか新戸さんの味覚に合うように鹿肉のフレンチを作ったというのか? 俺のフレンチよりも美味と感じさせるように。そんな器用なことが出来るなんて……」
「これが定食屋のやり方なんです。わたくしは自己中心的な人間ですから、世界中の人に美食を、とかそんな気持ちはありません。ただ、手の届く大好きな方たちに昨日よりも美味しいと言ってもらえるように、そう思って料理を作っています」
定食屋として常連さんの好みの把握はいつも気を使ってました。味の濃さから、好き嫌いから始まって、油分の量や固さや食感まで、人間ですからみんな違うのです。
好きな方には、より美味しいものを食べてもらいたいのは当然です。だから、わたくしは“ゆきひら”では相手の好みによってレシピは変えますし、それで喜んでもらってました。
「そ、ソアラ……、恥ずかしいことを言うな! まったく……」
「…………」
緋沙子さんは何故か頬を赤く染めて恥ずかしそうな顔をされていました。
そして、えりなさんは少しだけ悲しそうな顔をされております。どうされたのでしょう……?
「それが君の能力か。食戟では役に立たないが……、初めて恐ろしい奴に会ったと思ったよ。だが、新戸さんが俺の品より君を評価したのは、俺の品がまだ完璧でなかったからだ。だから君の言い分は到底納得は出来ない」
「ええーっと、そう来ましたか。なるほど」
わたくしとしては人それぞれ好みが違うのだから、料理に絶対的な正解などないことを証明したつもりでしたが、司先輩はそう考えませんでした。
自分の調理が甘かったと思われたのです。
あれ? 困りましたわね……。
「なるほど、ではない! 馬鹿者! なぜ、そこまで想定してなかったんだ!?」
緋沙子さんも、これ以上はノープランだということを見抜いて、呆れた顔をされていました。
このままでは、わたくしはセントラルに……。どうしましょう……。
「でも、一本取られたのは事実だ。試合で無くても堪えたよ。これは……。今回は君のことを諦めるとしよう」
「温情を与えてくれるのですか?」
「というより戒めさ。今度は逆に俺が正しいって君を納得させる品を作ってみせるよ。ふぅ……、初めてだなぁ。ホントにこんな感覚になったのは……。何だろう? この気持ち……。じゃあ、俺はこれで……」
しかし、司先輩はわたくしの勧誘を諦めると仰ってくれました。
そして、次は自分の主張が正しいことを証明されると言い残して去って行かれました。
もしかしたら、今度は彼と食戟をするかもしれないですね……。
もし、この食べ比べが食戟だとしたら、わたくしの完敗でしたから、さらに腕を磨かなくては――。次は見逃して貰えないでしょうし……。
◇ ◇ ◇
セントラルの残党狩りの2日目、郷土料理研究会の食戟には恵さんが出ました。
彼女はドンコ汁という青森県の郷土料理で深海魚のドンコ(正式名称はエゾイソアイナメ)を使った魚汁を作り熊井繁道先輩に勝利しました。
かぜ水という塩ウニを作る過程で取れるウニのエキスを隠し味に、ドンコの肝がメインなこの品は強烈な磯の風味で審査員の方を虜にされたのです。
さらににくみさんは染井メア先輩に海鮮丼にレア牛肉を見事に調和させた肉ドレス海鮮丼という新メニューを作り出し圧勝されました。
丸井さんも何とか小古類先輩に勝利し、わたくしたちは彼らの勝利を祝います。
しかしそんないいムードの中、セントラルはわたくしたちを反逆者と称して次の一手を打ってこられました。
「え、えりなさん……、どうされましたの?」
「ご、ごめん。ソアラ……、今晩だけ……、この部屋で一緒に居させてもらってもいいかしら……?」
弱々しい表情でえりなさんはわたくしを上目遣いで見つめております。
極星寮は今、絶望感に打ちひしがれておりました。
ことのきっかけは、“進級試験”の概要がテレビ中継されたことです――。
今回ばかりはどうにもならない――そのようなムードが漂っておりました。
めちゃめちゃ久しぶりにソアラの好みを把握するインチキ能力を披露しました。
作者もちょっと忘れていたこの設定のおかげで司先輩にも一本取ることが出来て良かったです。
しかし、ソアラのメニューのカレー率の高さよ……。これ、別に意識してないんですけどね……。