【本編完結】もしも、幸平創真が可愛い女の子だったら 作:ルピーの指輪
「三人のお題も決まりましたね。えりなさん」
「ええ、アリスと斉藤さんは“バター”、緋沙子と叡山さんは“牛肉”、そして田所さんと茜ヶ久保さんは“りんご”……。茜ヶ久保さんはスイーツが得意だから有利なお題を引いたと言えるわね」
アリスさんと緋沙子さんのお題と比べて、えりなさんは恵さんのお題は彼女にとって不利だと仰られました。
確かに茜ヶ久保先輩は遠月随一のパティシエです。りんごを活かしたスイーツもお手の物でしょう。
「先日の紀ノ国先輩も得意料理の練度は凄まじいものでした。第三席である茜ヶ久保先輩が得意とする料理となると――」
「厳しくはなるはずよ。でも、この試合は実力以上の力が出るはず。アリスと緋沙子と田所さんは、よく三人で組んで私とあなたのチームと模擬戦をしていたから」
「ええ、アリスさんたちのチームワークはばっちりですよね。きっと誰が相手でどんなお題でも対応出来るはずです」
しかし、恵さんは一人ではありません。アリスさんと緋沙子さんも付いております。
堂島シェフ曰く、料理人としての波長はこの三名が非常にバランスが取れて合うとのことでしたので、特訓の合間に繰り広げていました模擬戦ではわたくしとえりなさんがチームを組み、彼女たちと勝負をすることが多かったのです。
「新戸さん、いい手際だな」
「見事な針生姜!」
「緋沙子さんは乾シェフから和食全般の技術を伝授されてますので」
「おお! あの霧の女帝からか! 頼もしいなんてもんじゃない!」
「生姜の風味、それは細くて均一なほど料理に行き渡らせることができる。新戸さんのそれは特に見事だ」
まずは、緋沙子さんの正確無比な調理技術が光ります。彼女が生姜を刻んでいるのは自分のためだけではなさそうですね……。
そして、恵さんは、卵をほぐして、和三盆を泡立てないよう溶かしております。そこに、蜂蜜とみりん。さらに――。
「田所さん! 計量済みの薄力粉だ。こちらの作業のついでにやっておいたぞ」
「ありがとう!」
「そしてこれも受け取るがよい!」
「うん!」
恵さんに緋沙子さんは薄力粉と先ほどの生姜を渡していました。
恵さん、一体生姜を使って何をされるのでしょう……。
「はい、秘書子ちゃん! 大きさ揃えといてあげたから! この私がミスをするはずないけど、チェックしても良くってよ」
「はいはい、手間を取らせてありがとうございます。アリスお嬢様……」
「アリスさん! 例のもの少し待っててね!」
「いいわよ。ゆっくりで。こっちは余裕があるから」
そこから先も三人は抜群のコンビネーションを魅せてくださいました。
瞬時にお互いをサポートし合う――アリスさんは最初は苦手とされていたのですが、この組み合わせで模擬戦をする内に、いつしか他者との呼吸を上手く合わせられるようになっていました。
「長きに渡り阿吽で仕事して来た熟練の厨房を見ているようだ」
「短い時間でも協力し合うことで一人では到底抱えきれない作業量も可能だと言える」
「この連携は十傑側にハンデを押し付ける状況になるかもしれません」
審査員の方々も一糸乱れぬこの連携に舌を巻いておられました。
彼女たちはこの連隊食戟というルールを一番活かしていると言っても過言ではないでしょう。
「十傑なんかぶっ飛ばしてやれ!」
「いちいちはしゃいでんじゃねーぞ反逆者共! あいつらも全員退学に決まってんだろーが!」
「口悪ぃなおい……」
「川島、あんた段々短気になってるねぇ」
反逆者側の応援に対して川島さんが厳しいことを言われます。
彼女はこのようなことを口に出すタイプではないのですがエスカレートしていますね……。
そのときです。何とも芳しい香りがこちらに漂ってきました。
「――っ!? な、何でしょうこの香りは――」
「こ、この香り……、茜ケ久保ももの鍋からだ!」
「さぁ。双方とも存分にお見せなさい。林檎の可憐な美しさをその一皿に彩るのです」
その香りを嗅いだ途端、川島さんの表情がガラリと変わりました。
荒々しい感じが無くなり、清々しさが感じられるほどにまで変化したのです。
「香りだけで!?」
「超腹黒い川島麗の毒気が抜けやがった!」
「なんか心身共に麗しくなってるー!? あの鍋で何を仕込んでるの?」
「ももの極上スイーツ、みんなメロメロになっちゃうね。ねー? ブッチー」
「私は今までなんて卑しい女だったんでしょう。これからは新しい私になるの!」
「さぁブッチー……、仕上げだよ」
香りだけで川島さんの性格が変わるほどの、茜ヶ久保先輩の品は完成が間近のようです。
彼女は目にも止まらぬスピードで調理の仕上げに入ります。
そして、彼女は料理を完成させました。
「薔薇の花束……」
「何かの演出か?」
「確かに一見薔薇……、しかしよく見れば!」
「花一輪一輪がタルト生地に乗せられている!」
「この薔薇こそが林檎で作られたスイーツなのですね!」
「ゴージャスでありながら可憐な香り!」
「既に夢見心地……」
茜ヶ久保先輩の出したメニューは“女王さまのりんごタルト”――ダマスクローズ、つまり薔薇の香りをたっぷりと染み込ませた上で、りんごの食感を楽しむことが出来き、なおかつ甘みや酸味を存分に引き出した品になっておりました。
これは、りんごというお題において満点の回答と言っても過言ではない品ですね……。
しかし、恵さんの目は決して諦めていませんでした。そして、彼女は自分の品を審査員の方々にお出しします。
「お待たせしました。召し上がって下さい」
「茜ケ久保先輩の華がありまくりの一皿……」
「それに対抗できるインパクトのある一皿を!」
「ぶちかましてよー! 恵ー!」
茜ヶ久保先輩のスイーツの実食が終わり、次は恵さんの品の審査となりました。
彼女の繰り出す品はどのようなものでしょうか……。
「恵さんの品は――どら焼きですわね」
「ど、どら焼きー!?」
「ザ……、素朴……」
「恵らしいわね……」
「見た目の派手さは完璧負けてる……」
「いや! 大事なのは味だ! 味で勝負だ!」
恵さんの品はどら焼き。見た目の華やかさでは茜ヶ久保先輩に軍配が上がりますが、味で勝れば問題ありません。
「中身は白あん。その中に角切りした林檎があえてありますね」
「おお……、林檎のみずみずしく爽やかな香りに包まれる」
「だが……、今の所はさっきの林檎タルトの方が香りも見た目も勝っている」
「いやいや! 日本で800年前から伝わっているどら焼き。生地を2枚で包み込む形は西洋のパンケーキをヒントに成立したとも言われている! 文化的に興味深い」
「ああ。君はそういうの好きだもんね」
恵さんのどら焼きは一口食べると、りんごの風味がまろやかに広がって炸裂するような、強いインパクトのある味わいみたいでした。
最大の特徴は“りんごバター”――果実の旨味に塩気と酸味、さらにコクをプラスすることが出来るのですが、水と油という相反する性質を融合させるのは非常に難しいのです。
それを可能としたのは、モンテ・オ・ブールという、フランス料理の技法。四宮シェフとの特訓の成果が出たみたいですね。
さらに食べ進めると彼女の仕込まれた魔法が芽吹きます。
りんごと生姜のコンフィチュール――要するにジャムがどら焼きの中心部に入っており、甘い餡を食べた後に酸味が広がることでより深い味わいなるのではと、彼女は思いついて実践されたのです。
この狙いが完璧にヒットしていれば恵さんの勝利は間違いなかったとわたくしは断言出来ます。
しかしながら、結果は1-2で惜しくも敗れてしまいました。どうやら、コンフィチュールの微妙な渋味が僅かに雑味として働いてしまったみたいでした。
結果は残念ですが、この状況でリスクを背負ってチャレンジをされた恵さんは見事だと言うほかありません。
彼女の力強い意志を残りのお二人が受け取ってくれると信じています。
「ごめんね……、新戸さん、アリスさん……、負けちゃった……」
「んもう! バカね。そんなことで謝らなくったって良いのに。あとで食べさせなさいよ」
「針生姜のアイデアには唸らされた。胸を張って私たちの戦いを応援してくれ。田所恵の戦いは無駄ではないと証明しよう」
一緒に戦っているアリスさんと緋沙子さんは恵さんを咎めるようなことを仰ったりしませんでした。
そして、彼女の分まで頑張ろうと心に決めたみたいです。
「そ、ソアラさん。えりなさん……。ごめん……、本当に……、その……」
「わたくしは尊敬しますよ。恵さんの精神力を。見習いたいと思いました」
「えっ?」
恵さんは悔し涙を流しながら負けたことを謝罪されました。
しかし、わたくしは彼女の成したことに感銘を受けています。
「やっぱり! 止められないですよね! もっと美味しくなる可能性を見つけたら! 見ていて、なんと言いましょうか……、厨房に立ちたくなっちゃいました。ですから、わたくしから、かける言葉は一つです。ありがとうございます。恵さんは料理の新しい可能性を切り開いたんです。それはとっても価値のあることだと思います」
「ソアラさん……」
恵さんの凄いところはもっと美味しくなる方法をこの土壇場で試そうとしたことです。
りんごの酸味によってさらに餡の甘みを引き出そうとチャレンジされようとリスクを背負って勇敢に一歩踏み出すことはセントラルのやり方では到底不可能だとわたくしは思いました。
もちろん、ミスしないことも大事なのですが、彼女の失敗から得られるモノと比べればそれは些細なことでしょう。
「田所さん、私からは特にかける言葉はありません。――ソアラ、少しは私の言いたいことも残しておきなさい」
「す、すみません。えりなさん。恵さんの料理があまりにも素晴らしかったので……」
「クスッ……、ありがと。ソアラさん……、悔しい気持ちでいっぱいだけど……。乗り越えられそうだよ。――頑張れー! アリスさん! 新戸さーん!」
恵さんは気丈に笑ってみせて、アリスさんと緋沙子さんの応援をされます。
茜ヶ久保先輩はそんな恵さんを不機嫌そうな表情で見つめておりました。
「緋沙子さんが牛肉の調理に入られましたね。あれはすじ肉です……。それに大根とにんじんやこんにゃく……、そして生姜も……。白味噌も用意されているみたいです」
「緋沙子が作ろうとしてるメニューはどて焼きかしら?」
「どて焼き……、牛すじ肉を味噌やみりんで煮込んだ、大阪の方で親しまれている料理だね」
緋沙子さんが作ろうとしているのはどて焼き――それも白味噌仕立てのものみたいです。
ちなみに東海地方にも同じ名前のメニューがありますが、あちらは“どて煮”という名前で特に知られており、モツなどを赤味噌で煮込んだ料理でこちらのメニューとは別物です。
「緋沙子さんとも一緒に郷土料理の研究は色々とやりましたからね」
「うん。新戸さんは自分の視野を広げたいって、研究熱心だったよ」
「緋沙子……、見せてあげなさい。あなたの持つ力は、私の秘書なんかじゃ収まらないって!」
緋沙子さんは自らの調理の見聞を広げるために郷土料理についての研究もわたくしや恵さんと共に積んでおりました。
「対する叡山先輩はローストビーフ……。王道ですね」
「牛本来の旨味を引き出すことが出来ると余程の自信があるのでしょう」
叡山先輩がどのようなローストビーフを出すのか気になりますが、それ以上に彼が何かを仕掛けてこないかどうかが気になります。
なんせ、彼は外側から仕掛けることを好んでいますから……。
「どうした? 新戸緋沙子……、随分と睨んでくるじゃねぇか。ああそうか。そういや、お前って、愛しの薙切えりなお嬢様をあの寮に匿っていたんだっけな。それでこの俺を恨んでるってか?」
「別に……、私はいつまでも敗北を根に持っている先輩と違ってそんな感情は持ち合わせていません。私が今回勝ったら、先輩は恨みを持つ相手が増えて大変とは思ってますが」
「けっ……、秘書みたいな露払いをやっているだけあって。口は達者みてぇだな」
「……えりな様が見ている前だ。あなたと舌戦を繰り広げて醜態を晒すつもりはないです」
緋沙子さんと叡山先輩は何やら会話をしているみたいですが、あの先輩の表情には覚えがありました。嫌な予感がします……。
「緋沙子さん、仕上げに入りましたね」
「ええ、あとはすじ肉がトロトロになるまで煮込めば完成ね。白味噌の甘みが肉の旨味を引き立てるでしょう」
「くっくっく……、白味噌で煮込んじまってんだもんなー。その美味しそうな――“どて焼き”だっけか? 終わったぜ、お前……」
「くだらない挑発は止めて欲しいのですが……」
叡山先輩はニヤニヤと笑いながら、緋沙子さんの料理が終わったというようなことを言われました。
「いいことを教えてやろう。俺の特製クリームソースに使う材料はもう一つある。アーティチョークだ! この野菜にはシナリンという苦味成分が多く含まれている。その最大の特徴は人の舌にある味覚レセプターを阻害し味を錯覚させその直後に食べたものをより甘く感じさせる効果を持つことだ」
「相変わらずですわね。叡山先輩らしいと言うか……」
「ええ、審査員がシナリンを摂取すれば、甘みはクドいような甘ったるさに変わってしまうでしょうね」
彼は自分の料理で相手の料理の味覚を変えるという妨害の方法を取りました。
美味しい料理は作れるのに……、この方のこういう部分は理解に苦しみます。
「わかるだろ? 俺の調理がどう考えたって早く終わる。その後審査されるお前の“どて焼き”は甘くて仕方ねぇバカみてぇな味に大変身。うまさのランクがガタ落ちするってことだ!」
そんな叡山先輩の策略を聞いた吉野さんは、審査員に抗議しましたが、アンさんは彼は勝つために最善を尽くしているとして取り合って頂けませんでした。
「さーて。じゃあ調理の仕上げをさせてもらう。アーティチョークを大量にぶち込むぜ! 新戸緋沙子……! やっぱりお前は二番手がお似合いの女だな。薙切えりなの金魚のフンをやっていて、葉山アキラと幸平創愛との試合も二番手……。なぜだか分かるか? その甘さがお前を上へ行かせないんだ。二番に甘んじる、その性根がお前を弱くしている」
「…………」
叡山先輩はそれはもう上機嫌そうに緋沙子さんを煽っておりました。
彼女は彼のセリフを特に気に留めずに黙っております。
「もしお前じゃなくてあの女だったら……。幸平創愛だったら、憎たらしい笑みを浮かべながら乗り切ってただろうに! お前と違ってなぁ!」
「ソアラ、叡山さんはああ言ってるけど」
「叡山先輩って、表情豊かですよね。感情に素直というか」
「さぁ完成だぜ! “魅惑の牛ロースト――Etsuya・E.Edition”だ!」
叡山先輩のローストビーフの味は審査員の方々に好評でした。
アーティチョークの苦味とシナリンの効果で余計な甘さを消し去り、ホワイトソースの味を尖らせるという発想で、嫌がらせをしつつ美味を生み出すことに成功されたそうです。
そんなところも含めて、
「新戸よ。浮かない顔だな。そうだ! 今のうちに審査員に水でも飲ませるか? 少しはシナリンの効果を拭えるかもしれねぇぜ~?」
「ガブ飲みさせろ~!」
「いいえ、このままで構いません」
「そうだな。諦めは大事――」
「なぜなら、勝つのは私ですから」
「――っ!?」
勝利を確信している叡山先輩に対して緋沙子さんは自らの勝利を宣言します。
そう、彼女は諦めてなどいませんでした。きっと勝算のある手立てを打っているのでしょう。
「お待たせしました。“どて焼き――白味噌仕立て”です。半分くらい召し上がったあとに、そちらのスープを加えてみてください」
「緋沙子さん、鍋を2つ使っていると思いましたが、もう一つスープを作られていたのですね」
「そうね。味を変えることが目的……、かしら?」
緋沙子さんはどて焼きに加えて別のスープを用意していました。
どうやら後で加えるもののようですが、どんな秘密があるのでしょう……。
「この牛すじ肉トロットロだ。本来なら極上の美味しさになっていただろうね」
「勝負なら致し方なしなのです」
「「はむっ……、――っ!?」」
審査員の方々もシナリンの効果は承知の上で彼女の料理を口に運びましたが、一口食べた瞬間に驚愕した表情をされます。
「ふわぁ〜〜! し、舌が溶けるかと思いました……! こ、このすじ肉……、とてつもなく上質な美味なのです!」
何と、シナリンで味覚が変わった審査員の方々はどて焼きを美味しく感じられているみたいです。
緋沙子さん、やはり何かを仕掛けていますね……。
「実はこのどて焼きは白味噌とみりんの量を出来るだけ減らして、ゴーヤと梅をすり合わせたものを一緒に煮込みました。これによって、酸味、苦味、そして渋味がプラスされます。叡山先輩のローストビーフを召し上がったときに限って美味しさが引き出されるように――」
「こ、このアレンジによって、どて焼き単体よりも、より深い味わいになっている」
「最初のローストビーフがまるで前菜だな」
「素晴らしいです。相手の料理まで自分の料理の味方につけてしまわれるなんて――」
緋沙子さんはアーティチョークのシナリンによって審査員の味覚が変わることを想定されて調理をされたみたいです。
彼女は酸味と苦味を含んだ渋味をプラスして、シナリンの効果を逆に利用して自分の料理をより美味にさせていました。
「ば、バカな。そんなバカなこと、あり得ん!」
「バカなことだと? 叡山先輩、私のことを調べたのではないのですか? 私の得意料理は薬膳。薬膳とはすなわち、東洋医学に基づき酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味の五味を司ることに他ならないのです。あなたの小細工程度に対応するなど、造作もないことですよ」
そう、薬膳の知識が豊富で“神の舌”を持つえりなさんの側に長年居た緋沙子さんにとって、味を任意にコントロールすることは難しいことではありません。
つまり、味覚という土俵で細工をされた叡山先輩の謀略は失策と言えます。
「そんなことを言ってるんじゃねぇ! あらかじめ味を変えるようにアレンジしただとぉ! 俺は白味噌を見た後でアーティチョークでの妨害を決めたんだぞ! 注意深く悟られないようにな! なのに俺がアーティチョークを使うとなぜ読めた!?」
「まだ気付かないのですか? 別に私は赤味噌で仕立てても良かったのですよ。あなたはアーティチョークで妨害したと思ってますが、それは違います。妨害するように仕向けられたんです。なんせ、叡山先輩は相手を妨害して勝つことがお好きみたいですから」
「くっ……、俺のことを調べてやがったのか!?」
緋沙子さんの話を聞くと、叡山先輩がアンティチョークを使うように彼女が誘導されたような感じみたいでした。
つまり、心理戦でも緋沙子さんは彼の完全に上を行ったのです。
「当たり前です。あなたはえりな様を危険に晒した暴漢も同然な人間。あの方に仇を成す人間を私は許しません。徹底的に調べ上げますよ。私はえりな様をお守りする使命がありますから」
「緋沙子さん、カッコいいですね」
「も、もう。緋沙子ったら恥ずかしいじゃない」
緋沙子さんがここまで叡山先輩を警戒出来た理由は思ったとおりえりなさんの為でした。
彼が寮を潰そうと躍起になられていた代償がここに来て現れたみたいです。
「シナリンの効果を逆手に取るとは……」
「この美味に食がもう……」
「「止まらない――!」」
「審査員の皆さん、それでは最後にそちらのスープを足してみてください」
緋沙子さんのどて焼きの秘密はまだあります。
彼女は審査員の方々に別に作っていたスープを入れるように促しました。
「味が変わるのかな? どれ、やってみよう」
「「――っ!?」」
「体がポカポカして温かいです」
「う、嘘だろ……? 審査を始める前よりお腹が空いてきた」
「スパイシーで、より素材の味が際立つように感じるね」
審査員の方々が緋沙子さんに促されるようにスープを入れてから再びどて焼きを召し上がると、彼らは体の至るところに変化が現れたと口にされました。
これはまさか――緋沙子さんの得意の――。
「スープには胃腸の健康を保つオレガノやコリアンダー、クミンの他、血行を促す唐辛子、体をじんわり温めるクローブなどの香辛料が入っています。我々の料理を昨日からずっと召し上がっておりますし、これからも審査は続きますので、薬膳を扱う者として皆さんの内臓環境を整えておきたかったのです」
緋沙子さんは審査員の方々の内臓などの健康を気にされて、体内環境を整えられるような香辛料を使ったスープをどて焼きに加えさせようと試みたようです。
「このような美味を提供するだけでなく、我々の体まで気遣ったというのか!?」
「シナリンの効果が薄れる瞬間を見極めての味変も見事です。さすがは“神の舌”に長年仕えているだけはありますね。新戸緋沙子という人物が如何に周りを気遣える方なのかがわかります。思いやり続けるということを突き詰めた彼女は、一個の料理人としてそれだけで自分の料理を完成させたと言っても過言ではないでしょう」
味を変えるタイミングをも読み切って品を完成させる至難の業を成し遂げた緋沙子さんは、彼女にしか出来ない調理をされたとわたくしも思います。
その上、食べてもらう方の健康促進までも高いクオリティで実践されたことも彼女らしさが出ておりました。
まさに
「3rd BOUT、第2カードの勝者は――反逆者連合、新戸緋沙子!」
「えりな様、務めを果たして参りました」
「よくやったわ。緋沙子……。あなたのような努力家が
「え、えりな様……、ら、ライバルだなんて……、まだ、今の私には畏れ多いです。しかし……、いつかはそう胸を張れるように精進するつもりです!」
緋沙子さんはえりなさんにライバルだと言われて、頬を赤らめて目を潤ませておりました。
彼女の普段の努力が実を結ばれたからでしょう。
「ふーん。
「食の魔王の血族――薙切アリス……、なかなかの強者のようだな」
「むぅ〜、気に入らないですわ! 斉藤先輩の上から目線……」
「ぬっ……!?」
「その余裕な表情を私の料理で蕩けさせて差し上げます――」
緋沙子さんの勝利が確定した頃――アリスさんと斉藤先輩の試合も佳境を迎えておりました。
アリスさんは冷たい矢のような視線を斉藤先輩に送っております。いつもは飄々とされている彼女ですが、獲物を狩ろうとするときはあのような目をされるのです。
相変わらず料理がお粗末ですみません。
これで秘書子の十傑入りは間違いないでしょう。叡山先輩はアウトで……。
次回はアリスが主役の回です。