胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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10.守るもの

水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨(かんてんのじう)

 

 

「……は?」

 

何故か近くの木に向けて"干天の慈雨"を打ち込んだ義勇。

切ったはずではあるのだが、今でも木は微動だにせずその場に止まっている。しかし珍しくかなり集中した一撃のようで、『ふぅ』と一息をついて義勇は刀を鞘に収めた。

 

「え、なにしたんです?」

 

「久しぶりに使った」

 

「いや別に冨岡さんの技事情については聞いてないです。一体なにをしたのか聞いてるんですけど」

 

「……もう少し走れ」

 

「だから貴方のこと嫌いです」

 

「う"っ」

 

お前は嫌われている、と言われることは偶にあるが、直接嫌いと言われたことはそんなになかったため、この一言は義勇にとってはかなりの大ダメージだった。

それでもこの場においての上司は義勇。しのぶは不満はあるがとりあえず彼の言う通り走る方角を少しだけ変えて獣道を走っていく。

そうして暫く経った頃、背後からミシミシという音と共に木々が連続して倒れる音が聞こえて来た。あまりの騒音に周囲の音が殆ど聞こえなくなるが、ここでようやくしのぶは義勇の意図を理解する。

 

「……なるほど、これが狙いでしたか」

 

「ああ」

 

義勇が言葉足らずなので全く説明がされていないが、時間差で木を倒すことでこちらの位置想定を崩すのが目的だった。ただ木を倒しただけならば様々な想定が出来過ぎて、むしろこちらの意図が読み辛くなる。特に頭の弱い鬼ならば混乱させられることは間違い無いだろう。

敵の位置は常に雪那が捉えているが、こちらの位置は向こうには正確には分かっていない。

これで混乱してくれるのなら雪那が教えてくれるはずだが……

 

「はなれてく」

 

「……そうか、逃げ切れたか」

 

敵は見事に義勇の策に掛かった様で、木々が突然倒れた方に意識を引っ張られたらしい。自分達が転換する前の方角へと走っているらしく、どんどん距離が離れていく。もう完全にこちらを見失っていることが確定した。

 

「もう、いい……?」

 

「ああ、よくやった」

 

それだけを言うと雪那は寝息を立てて義勇の腕の中で眠り始め、周囲の降雪も普段と変わらない程度のものになっていく。それだけで彼女がどれだけ頑張っていたのか分かるというものだ。

義勇も珍しく彼女を労う様に頭を撫でる。

 

そもそも今日使った雪との同調は雪那がカナヲにあって自分にない鋭敏な感覚を補う為に会得したばかりのものだった。こんなに範囲を広げて使ったことはなく、少しでも気を抜けば情報処理が追い付かずに気を飛ばしてしまう。まだまだ鍛錬が必要なこの技をこの土壇場で完璧にこなし、同時に降雪のコントロールまでしていたのだから彼女は十分に褒められてもいい。

最初に嫌な山頂の気配に雪那が気付けたのも雪との同調の副産物のようなものであるため、間違いなく彼女が今日のMVPだった。

 

「胡蝶」

 

「…………」

 

義勇はそんな彼女を「男性が女性にこうも触れているのはよくない」という理由を全く説明せず、まるで押し付ける様にしのぶに引き渡す。

そんな彼にしのぶは微妙な目を向けるが、大事な愛弟子をいつまでもこの男に預けておきたくもなかったので素直に引き取る。

カナヲは何故か眠ってしまった雪那の頰をぷにぷにとつついていた。

 

「とにかく、すぐ近くに小さな町があります。夜明けも近いですし、そこで休息をとりましょう」

 

「ああ、鴉も飛ばす。逃げたとは言え、鬼舞辻に近付くこの機を逃すわけにはいない」

 

「鬼舞辻がこの山に来ていた経緯も気になります。一度この周辺を調査する必要もあるでしょう」

 

「いやぁ、けど久しぶりに面白かった!上から見下ろす鬼ごっこってのもなかなか乙なものだよねぇ!」

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

血鬼術 枯園垂り(かれそのしずり)

 

 

 

この瞬間、辛うじて攻撃に反応できたのは義勇だけだった。

突如として背後に現れたその鬼としのぶの間に割って入るように刀を差し出し、冷気を纏いながら振るわれる扇子の一撃に抗う。

 

「はい、ひと〜り」

 

「胡蝶!!」

 

しかし、胡蝶しのぶは避けられない。

避けるより先に腕の中の雪那を庇ってしまったから。

大切に思うあまり、判断を誤った。

義勇の刀は威力を下げることも敵わず粉々になって吹き飛んでいく。

その胸の中に庇い込んでいる雪那ごと引き裂こうとせんばかりの勢いで正体不明の鬼の一撃は、しのぶの背へと迫っていた。

 

 

 

「あ、え……?」

 

「……ああ、やっぱり君だったんだね!やあやあ、また逢えて嬉しいよ!俺はずっと君を探していたんだ!」

 

しのぶの体に扇子が当たる寸前、体ごと吹き飛ばそうとしていた勢いは瞬く間に完全に停止した。扇子の周りを覆っていた冷気は今や扇子から鬼の体ごと氷漬けにしてその動きを疎外している。足から胸上にかけて彼の身体を拘束し、それでも飽き足らずまるで全身を氷に閉じ込めるかのように冷気は容赦なく彼の身体を蝕んでいく。

しかし彼の口は止まらない。

両目に上弦、そして弐という文字を持つ頭から血をかぶったようなその鬼は、自分自身が凍り付いていくにも関わらずその口を閉じることは全くない。

 

「前に見た時よりすこし大きくなったかな?うんうん!とても可愛いらしい女の子になったね!女の子の成長って本当に早いんだね!これならアレみたいに寿命が尽きるまで手元に置いておくのも面白いかもしれないなあ!」

 

「っ、こいつ……!」

 

「胡蝶!このまま街まで走れ!ここは……」

 

「君の相手はこの子達にしてもらうよ」

 

 

血鬼術 結晶の御子

 

 

「くっ……!」

 

手筈通り冨岡が上弦の鬼の相手をする為にしのぶ達の前に立つと、彼の目の前に敵とよく似た氷像2体が立ち塞がる。

自分を縛る氷を易々と破壊して何事もなかった様に扇子を広げ、上弦の弐を眼に示した鬼は義勇のことなどまるで目にも入らない様に嗤った。

 

「気絶しちゃってるからかな?反射的な感覚でしか俺の血鬼術に作用は掛けられないみたいだね。……あ、ちなみにその子を素直に渡してくれれば何もしないで帰ってもいいんだけど、どうかな?」

 

「戯言を、雪那は渡さない……!」

 

「う〜ん、残念だなぁ。そういうと思ったよ」

 

しのぶは雪那をカナヲに任せ、まだ未完成のその刀を抜き構える。

自分では敵わないことは分かっている。

これと比べれば先程の鬼など赤子同然。

……だが、勝てないと分かっていても引けない時がある。

 

「……ん?あれ?その羽織、なんか見たことがある様な気がするね。待ってね、今思い出すから。」

 

姉から聞いた通りの外見、口調、性格。

その全てが目の前の男と一致している。

 

「あ、ああ!君はもしかしてあの花の呼吸を使ってた女の子の妹とかかな?直ぐに死ぬと思ってたのに突然走り出して逃げちゃったんだよねぇ、あれには流石にビックリしちゃったよ。イタチの最後っぺっていうのかな、ああいうの」

 

「………っ」

 

姉を傷付けた憎しみは今でも忘れていない。

仇をとりたいと願った日のことを忘れたことはない。

 

「どう?あの後あの娘、死んじゃった?流石に死んじゃったよね?惜しかったなぁ、あんなに優しくて可愛い子。ちゃんと俺が食べて幸せにしてあげたかったのに」

 

「っ!!」

 

歯を食いしばらなければ爆発しそうになってしまう。

仮にここに居たのが自分だけなら、仮にあの日本当に姉が死んでしまっていたのならば、とうの昔に爆発して飛びかかっていただろう。

けれど、今は自分の後ろに守らないといけない者達がいる。

自分の命を犠牲にしてでも守らなければいけない者達がいる。

姉の仇を取るよりも、あの日抱いた憎しみを忘れてでもしなければならないことが、今の自分にはある。

 

チラリと横を向けば義勇が氷像に囲まれてジリジリと追い詰められていた。あの氷像一体一体が目の前にいる鬼と変わらない威力の技を放っているのを見ると、きっと義勇の助けを借りるのは難しいだろう。

 

手元にあるのは未完成の刀と入れ替え用の毒が2本。

この毒が目の前の鬼に通じるとは正直な話思えない。

けれど、これ全てを相手の体に打ち込むことができればもしかしたら……2種類の毒を同時に打ち込めば例え上弦の鬼であっても……

 

「師範……」

 

「カナヲ、雪那を守りなさい。手出しは不要です。どんな手を使ってでも、その子を敵に渡してはいけません」

 

「ええ、酷いなあ。まるで俺がその子に酷いことをしようしているみたいだ。俺はただその子を幸せにしてあげたいだけなのに」

 

「口を閉じろ、この下衆が」

 

刀の先端を左手で触れ、毒の注入量を最大まで引き上げる。

零れ落ちる程に液体が滴っているが、この試作品で出来るのはこれが限界だ。1本目をこれで刻み込み、2本目を突きの最中に打ち込む。

何度も何度も練習した動き、当てさえすればなんとかなる。

 

「へぇ、毒の使い手かぁ。それは俺もまだ戦ったことがないから、なんだか楽しみだなぁ」

 

「………」

 

「でもそんな刀じゃ首を切れないでしょ?鬼を倒すには首を切らないと意味が無いって知らないのかな?ほらほら、試しに一度だけ喰らってあげるから試してみなよ」

 

「っ……!」

 

挑発につられる訳じゃない。

怒りに支配されている訳ではない。

やるしか今しかない、この機を逃すわけにはいかないのだ。

愛する弟子達を守るために、なんとしてでもここで……!!

 

 

蟲の呼吸 蜻蛉の舞 複眼六角(ふくがんろっかく)

 

 

敵の体に複数の突きを高速で繰り出す連撃で大量の毒を打ち込む技、蜻蛉の舞 複眼六角。

最中で毒を切り替えることで何種類もの毒を相手に与えることができ、その突きの速度も弛まぬ鍛錬によって例え上弦の鬼でも全てを捌くのは困難な領域にまで達している。

目の前の鬼も例に漏れずこの瞬撃に一瞬ではあるが反応が遅れた様に見えた。

6連撃が全て鬼の体に命中する。

ありったけの毒もこの瞬間に全て体内に注ぎ込んだ。

下弦の鬼相手ならばこれだけでも十分に勝負がつくはずのもの。

その筈だった。

 

「……うん、うん!うん!!いやぁ、君、すごく速いんだね!吃驚したよ!今まで会ったどの柱よりも速かったかも」

 

だが……

 

「けど、この程度の毒なら……ほら、分解できちゃったみたい。これじゃあ駄目だね、効かないや」

 

「くっ……!」

 

毒よりもその突きの速さを褒める鬼。

それはしのぶにとってあまりにも侮辱だった。

しのぶにとって突きとは、毒を打ち込むための手段でしかない。確かに鍛錬は嫌というほどに積んだが、肝心なのは毒の方だ。そちらが先にあるからこそ突きの意味が生まれてくる。

にも関わらず、毒は全く効いていない。あれほど試行錯誤を重ねたにも関わらず、僅か数秒でそれを無にされる。

 

「いやぁ、ほんとに。毒じゃなく首が斬れたら良かったのにね。それだけ速かったら勝てたかもしれない……あー無理かあ、君体が小さいから」

 

そう言ってケラケラとしのぶを嘲笑う。

けれど、そんなことは知っている。

そんな後悔は何度も何度もした。

姉のようになれないこと、鬼の首を切れないこと、そんなことは自分が一番よく知っている。

 

『多分しのぶではあの鬼には勝てないわ』

 

生きて帰った姉があの日自分にそう言った。

いつもポジティブな彼女にしては珍しくそう断言して、「あの鬼は首を絶てる人間でないと勝てない」そう昔から自分がずっと悔しく思っていることも気にせず姉は自分に伝えてきた。

 

ああ、そうかもしれない。

自分ではこの鬼には勝てないだろう。

きっとこの先、どれだけ毒の精度を上げたところでこの鬼には敵わない。それこそ自分の命を犠牲にしてでも、自分の手だけでは戦えなくなった姉の仇を取ることはできないだろう。

 

「……けど、私にとって今一番大切なのは、姉さんの仇を取ることじゃない!」

 

 

 

蟲の呼吸 螳螂の舞 撫鎌掻裂(なでかまかさき)

 

 

 

瞬間、上弦の鬼の首に半分ほどまで深い切れ込みが入る。

寸前までまた毒を打ち込んでくるかと思い込んでいた鬼はしのぶのまさかの行動とその尋常ではない速度に反応が遅れ、首への攻撃をまともに受けてしまった。

 

「……へぇ、そんな刀と体格でどうやってここまで斬ったんだい?教えてくれないかな?」

 

「愛弟子の技を参考にしただけなので、詳しい原理はあの子に聞いてください。まあ、そんな機会は絶対に与えませんけど」

 

「ふぅん、けどこうなったらあの子だけじゃなく、君にも少しだけ興味が湧いて来ちゃったなぁ」

 

しのぶの一撃によって鬼の目の色が変わった。

 




蟲の呼吸 螳螂の舞 撫鎌掻裂(なでかまかさき)

『雪の呼吸 弐ノ型 筒雪』を参考に忍が作り出した新たな技。雪那の筒雪が刀の切れ味、天性の技術、そして奇襲によって鬼の首を斬り落とす技ならば、この技は刀の切れ味と突きの速度を真正面から利用する。
弟子に出来ることが師に出来ない筈がない、弟子とは違って半分程度までしか切れないけれど。今の所は殆ど威嚇か追撃用。理論上刀の長さが今の2倍あれば完全に首を斬り落とすことができるが、そもそもそんなふざけた刀を持って戦えるなら普通に首を斬り落とせる。
ただし、1対1ならまだしも、複数対1の乱戦となることが多い上弦の鬼との戦闘では、弱点である首に真正面から最速の深い切れ込みを入れられる事がどれほど重要な要素になるか、しのぶはまだ気付けていない。

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