胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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義勇さんの誤解は胡蝶姉妹がちゃんと"どうせいつもの口下手が原因だろうな"と予想してるので大丈夫です


13.止まない雪

生まれた時からずっと、私の周りには雪ばかりが降っていた。

 

「おかあさん……?」

 

雪しかない雪原にぽつりとたたずむ小さな小屋で、私と母は2人で暮らしていた。

 

「ごめんね、雪那。強い身体にしてあげれなくてごめんね。弱い母さんでごめんね。ずっと側にいてあげられなくて、ごめんね」

 

母はよく謝る人で。きっと自分も満足に動ける様な丈夫な身体では無かったのに、生まれてきた私がその母よりも弱い身体に生まれてきてしまったことに負い目を感じていたのだろう。

自分の命が尽きる最後の最後まで、彼女は私に謝り続けていた。

 

けれど、私は生まれてからこの身体しか知らない。

確かによく体調を崩すし、昼間には満足に外には出られないけれど、それが当たり前だったのだから辛さを感じたことなど一度もなくて。だから当時の私は母が謝る理由がよく分からなかったことを覚えている。

私からすれば日に日に弱っていく母の方にこそ強い体が必要だと思っていたし、原因の分からない病に体を侵されながらもそれを仕方がないと諦められていたことの方が分からなかった。

 

「どうしておかあさんはあやまったの……?」

 

母が亡くなってから数日後。知り合いが殆どいなかった母のために葬式など開かれるはずもなく、けれど母を失い1人となった自分のことを引き取ってくれたとある行商人の女性に私はそう尋ねた。

 

「それはお前の母さんがお前のことを本当に愛していたからだ。人は愛している人には、誰よりも健康で、誰よりも笑顔で、そして誰よりも幸せでいて欲しいと願うものだからな。お前が病気がちだったのを自分のせいだと、お前の幸せを奪ったのが自分なのだと思い込んじまったのさ」

 

「……わたしのせい、なの?」

 

「違うよ、全部あたしのせいだ。何もかも中途半端なままフラフラして、結局お前達2人に苦労ばかりかけちまった無責任なあたしのせい。……ごめんな。あたしのせいでこんなことに……ごめん、本当にごめんよ」

 

彼女は数週間に一度の頻度で年中雪が降っている様な寒い山中にまで登ってきて、私と母のために食料を持ってきてくれる様な人だった。母とも歳が近いからか仲が良く、昔からの馴染みだと言うこともよく聞いていた。実際に母も彼女が来る日は普段にないくらいに嬉しそうにしていたし、彼女が来る日は家の中が暖かくなった気がして私も好きだった。

彼女は幼い私に色々な話を聞かせてくれたし、町で流行りの玩具を持ってきたりしてよく遊んでくれて。私達親子じゃできない様な力仕事も軽々とするし、普段は行商人の仕事をしながら母の病を治そうと方々を走り回っていたりと、私にとっては頼りがいのある姉の様な人だったのだ。

 

「ごめんな、雪那……ごめんな……」

 

……けれど、母が亡くなったその日を境に、まるで母と入れ替わりになるかのように彼女は私に向かって、そして死んでしまった母に向かって謝りだすようになってしまった。

ごめん、ごめん、と。

何度も、何度も、何度も、何度も。

私に何について謝っているのかも説明せずに。

 

母も、姉も、一体そんなにも何を心の中に抱えているのだろうか。

まるで母の後追いをするかのように日々やつれていく彼女の姿。

時折私を通して誰かを見ているような顔をして泣き出して。

"もうあやまらないで"と言葉で伝えても、彼女はその言葉にまた涙を流し、私に縋り付く様にして謝りだす。

 

そうして彼女は結局、実家の行商を弟に任せて、私と共に私と母が以前暮らしていた雪に包まれたちっぽけな小屋に移り住むことを決めた。

たくさんの必需品と食料を持って、今でも変わらず母との思い出が残るその冷たい小屋の中に引きこもった。

 

「……こんなに簡単にここに来られたのなら、もっと早く決断しておくべきだったんだ」

 

母が死ぬ前よりもすっかりと憔悴しきってしまっていた彼女は、そこで様々なことを教えてくれた。

雪女という種族のこと、外の世界の出来事のこと、自分の病についてのこと。

そして、これから先、雪那という小さな子供が生きていく方法のこと。

 

「雪那、私の生命力を吸え。そうすればお前は人として十分な体力が手に入る」

 

「……どうして?」

 

どうして、そんなことを言うのか。

もう自分には貴女しか居ないというのに。

 

「私はこれでも体力はある。多少衰えているとは言え、まだ若い。今の私の生命力を全て取り込めば、お前はある程度普通の人間と変わらない生活が出来る様になるはずなんだ」

 

違うのだ、そんなことが知りたいわけではないのだ。

そうして生きられるようになったとしても、たった1人でどうすればいい。

どうして、どうしてもうそんな風に既に決心を固めてしまっているのか。

 

「……日に日に分かるんだ、私の中で何かが壊れ始めているのを。私の人生は後悔で満ちていて、そして私はとびっきりのクズだった。本当は死んだお前の母の代わりにお前を愛して見守らなければならないのに、クズな私はお前を見る度に自分の愚かしい過去を思い出して後悔で頭がいっぱいになって、おかしくなりそうになる。きっと近い将来、私はお前に取り返しのつかないことをしてしまう。そんな気がしてならないんだよ」

 

おかあさん、どうか彼女を止めてあげてほしい。

どうかこの人を助けてあげてほしい。

私では救えない、私では止められない。

この人の気持ちを、私では動かせない。

この人の目の濁りを、私では覚ませられない。

おかあさん以外には……絶対にできないんだって。

 

「だから、私がまだお前の役に立つうちにやって欲しいんだ。お前の母の、雪蘭(せつら)との思い出が残るこの場所でなら、私は喜んで眠ることができる。お前に与えられるべきだった丈夫な体を返すことができると考えれば、私は喜んでこの命を差し出すことができる。頼む、お願いだ。私にまだ価値があるうちに……それすらできなくなってしまえば、私は本当にゴミクズになってしまう」

 

彼女は私の両肩に手を置く。

逃げられないのは私だった。

母以外にこの人を救える人はいない、この人を救う手段はこの世にはもうない。きっとここで私が拒絶したところで、この人が壊れてしまうのが早まるだけだ。

 

「……ああ、考えれば考えるほど私はクズだな。まだ小さなお前にこんな決断を迫って、母を亡くしたお前に最後の身内の命まで奪わせて、1人にさせて、しかもそれも全部私のわがままなのだから。雪蘭に合わせる顔がない……いや、会う資格すら私にもない……ああくそ、こんなことを雪那の前で話すことないだろう。馬鹿か私は。本当にクズだな私は。救いようがない、愚かで、中途半端で、こんな私が雪蘭に近付くべきではなかったんだ。あの時、素直に死んでおけばこんなことには。あの時、雪蘭に出会うべきだったのは私なんかじゃなくて、もっと別のまともな人間が……っ!」

 

私は彼女のそれ以上の言葉を封じるようにして、唇を重ねた。

これ以上この人を生かしておくことは、今自分が命を奪うことよりも酷いことなのだと私は分かってしまって、決断をしてしまった。

これ以上この人が母との思い出を汚さないように、少しでも幸福な思い出を残したまま終わりを迎えられるように。

必ずしも生きることが幸福なことではないのだと……この人の命を自分の糧にすることこそが、この世界で唯一残されたこの人が解放される手段なのだと、私は理解してしまった。

 

「……ありがとうな、雪那。愛していた」

 

嘘だ、この人は私の事を愛してなんかいない。

この人が愛していたのは私なんかじゃない。

この人が愛していたのは母だけだ。

だってこの人自身が言っていたではないか。

 

『人は愛している人には、誰よりも幸せでいて欲しいと願うもの』なのだと。

 

本当に私のことを愛していたのなら、こんなことにはなっていない。

本当に私の幸せを願ってくれているのなら、死んだ母を忘れてでも私の側にいることが出来たはずだ。

貴女がこの世界の誰よりも母のことを愛していたからこそ、貴女が他の何も見えなくなるくらい母のことを愛していたからこそ、貴女はこうして苦しむことになってしまったんだ。

 

 

「……ありがとう」

 

 

そして、ごめんなさい。

貴女の救いになることができなくて。

 

口を通して火傷しそうなほど熱い何かが私の体の中に流れ込んでくる。けれど反面、彼女の体はどんどん冷たく力弱くなっていく。

それなのに、彼女はずっと私のことを抱き締めていた。

 

そうして数分ほどで彼女の身体からは完全に力が失われ、雪のように静かになった抜け殻と、以前よりもずっと軽くなった自分の体だけがそこにはあった。

健康な身体はそれだけで私の負担を和らげてくれたけれど、胸の辺りから感じる裂くような痛みだけは一向に和らげてくれない。喉を締め付ける様な感覚とか、全然開きそうにない両の手とか、目や鼻から何か熱いものが流れ出てくるし、言葉も上手く話せない。

けれどそれを相談できる相手はこの世界のどこにも居らず、この疑問や混乱は自分の胸の中に仕舞い込んでおくしかない。

 

 

『雪那。実はな、雪女の血はもうお前にしか残っていないんだ。それでも人の血が混じって薄くなり過ぎて、もう殆ど普通の人間と変わらなくなってる。

……なぜ雪女はここまで数を減らしたか、分かるか?

 

雪女はな、愛情が強過ぎるんだ。

人間が人間に尽くす情とは比較にならない。

愛する者の為なら自分の命だろうと簡単に犠牲にするし、どんな苦痛にもどんな長い時間でも耐えることができるし、裏切られても変わらず愛し続けることができる。

そんな悲しみを抱えたまま他者に尽くし過ぎるという性質があったからこそ、お前達一族は数を減らしたし、逆に言えば妖の類で唯一この時代まで生き残ったんだ』

 

前に彼女が教えてくれたことを思い出す。

雪女という一族の、どれだけ血が薄れても変わらない呪いのような性質を。

 

『雪那、きっと将来お前にも自分の命より優先したくなるような人が現れる。それは間違いない。

だけどな、これは雪女じゃない私からの、そんな重たい愛を受ける側の人間になった私からの忠告だ。絶対に忘れるなよ』

 

 

 

(……ごめんなさい、わすれてた)

 

 

 

『好きな人間にはちゃんと好きって伝えろ。お前の母さんはそれはもうこっちが奇妙になるくらい奥手だったんだ。そのせいでどれだけこっちがヤキモキさせられたことか……ちゃんと言われないと分からないからな。手遅れになる前に言っておくようにしておけ、約束な」

 

 

 

 

「……やくそく、まもれなくてごめんなさい。わたしはおねえさんのこと、だいすきだったよ」

 

 

その言葉を彼女が力尽きる前に伝えることができていたら、もしかしたら何か変わっていたのだろうか。

そんな小さな後悔を残したまま、雪那は彼女が生前亡くなった母にしたようにして彼女を埋葬した。

 

ここから数年の間、雪菜は一人でその小屋で生活することとなる。

雪山で生き物達から生命力を分け与えて貰いながら、誰とも話すことなく、誰にも心を打ち明けることなく、甘えず、助けてもらえず、誰にも存在を知られることもなく……心の内で悲しみだけをひっそりと育て続けながら、ただ一人、孤独に。

 


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