「………」
雪那が目を覚ますと、目の前にとても綺麗な女性の顔があった。
何度見ても見慣れることはない、この世界で一番大好きな人の顔だ。
彼女の姉もとても整った容姿をしているが、やはり雪那は目の前で目を閉じて寝息を立てている彼女の方が好ましい。
だが、それも当然だろう。
引きこもっていた雪那が数年越しの決心をして山を降りてきた理由こそが、偶然見かけた彼女に見惚れて付いてきてしまったという、なんともお粗末なものなのだから。
途中で見失ってしまってあてもなく彷徨っていたりところで彼女の姉であるカナエの命を救うことになったのは、それこそただの偶然でしかない。
つまり雪那がしのぶの何がそんなに好きなのかと聞かれれば、まず間違いなく最初に『顔』と答えるし、次に『容姿』と答える。その次にやっと『性格』が来るし、『剣の美しさ』とかも入ってくるかもしれない。しのぶのことはどこもかしこも全部好きだが、順序を付けるとそうなる。
……とは言え、相手の顔が好きということは実際世間一般が思っているほどに悪い事ではない。
なぜなら、顔が好きなのだから例え周囲が疑問を抱く様な特殊な趣味を持っていても顔の好み度に打ち勝つほど酷くなければ受け入れられるし、どんなに酷いことをされても顔が好みなら印象は緩和できてしまう。美人は3日で飽きるとは言うが、それが自分の好みにドンピシャどストレートならば話は別だ。
そしてもう一度言うが、雪那にとってしのぶは顔も含めて全部が好みなのである。つまり、悪い印象が緩和されるどころの話ではない。彼女の良いところが好みの顔によって全てブーストされてしまう。毎日毎日一目惚れをしているようなものだ。彼女の種族の性質も相まって、心深に潜んでいるしのぶに対するド感情はもう凄まじいことになっている。ちなみに先程目を覚ました瞬間にも一目惚れをしたので、無表情ではあるものの心ではうっとりとしながら今も彼女を見つめていた。
「……ん……」
(……かわいい、かわいい。すき、すき、すき。)
普段は隊服を着ていることが多く、硬いイメージの強いしのぶ。
しかしこうして眠る時にはもちろん寝巻き姿をしている。
しかも姉と揃いの蝶の髪留めを外し髪を解いた彼女の姿はまた普段とは違うやわらかな雰囲気。いつも額にシワを寄せている彼女のこんな無防備な姿をこうして満足するまで見ていられることは至上の幸福だと雪那は心の内で語る。普段一緒に眠る時にも雪那は絶対に彼女より先に起きるようにしているが、それはこの至福の一時を満喫するためであった。これを見逃すなんて勿体ないことを雪那はしない。
「ん、すき……」
しのぶは今もぐっすりと眠っている。
雪那は途中で気絶してしまったが、色々と疲れる1日だったのだ。
多少深く眠ってしまうのも仕方ないだろう。
そんな善の心と、もしかしたら今なら少しくらい甘えてもバレないのではないだろうかという悪の心が雪那に同時に芽生えてしまう。
雪那は悪の心に秒殺され、つい魔が刺して寝ている彼女に引っ付いてしまった。
いくらなんでも抱き着いたりはしないが、これくらいなら許してくれるのではないだろうかとついつい自分に甘くなってしまい、彼女の腹部に顔を埋めるようにして縋り付く。
「すき、すき……」
目の前の人が起きている時には決して伝えられない言葉を何度も何度も呟く。こんなにも近くに居て自由に甘えられる状況に居てしまえば、普段は心の内にとどめている感情が溢れてしまうのも仕方がない。
雪那がしのぶに甘えることは多いが、こうして声に出して言葉でも甘えることは滅多にない。
もともとカナヲ程ではないが雪那も言葉は少ない方の人間だ。
幼少期に2人の女性以外と話す機会が無かったこともその原因の一つではあるが、なによりその後に数年の間ふるびた小屋で一人暮らしをしていたというのが大きい。
雪那が過剰に接触的な甘えを求める原因もそこにあった。
まあ実際、親しい者同士。
小さな少女が姉のような存在に甘えていると考えれば何ら問題のある行為ではない。
怖いものを見てしまって眠れなくなった子供が誰かに抱き付いて眠ろうとするなど、よくある事だ。それと同じような状況だと考えればこれは誰から見ても愛らしい光景だと言える。
ただ、問題を一つ上げるとするならば……
(……起きれない)
しのぶが本当は既に目を覚ましてしまっているという点だろうか。
(雪那、流石にそれだけ顔を押し付けられたら私も起きるから。ただでさえ寒くなってきたのに、その体温の低さは私のお腹冷えるから)
夢中になり過ぎた雪那はしのぶに甘えたいあまりに、どうやら自分の頭を押し付け過ぎたらしい。腹部に感じた謎の圧迫感に目を開けてみれば視線の下辺りでなにやら揺れる白い髪。
ギュッと服を掴んでグリグリと顔を押し付けながら『すき、すき』と呟く弟子の姿。
可愛い弟子に好かれているのはとても嬉しいことではあるけれど、目覚めて直ぐにこんな光景を見せつけられてはいくらなんでも照れ恥ずかしい。
(前からよく引っ付いてくる子だとは思ってたけど、ほんとはこのくらい甘えたかったのかしら)
誰かに甘えられるという経験の少なかったしのぶは雪那から求められても照れてしまい、冷たくあしらってしまう事も多々ある。その度に悲しげな雰囲気を出すものだか結果的に受け入れてしまってはいるが、求められた事に素直に返せてはいないだろう。その事に関しては鬼殺隊に入るのだからいつまでも甘えられていては困るという気持ちと同時に少しの罪悪感としてしのぶの中に残り続けていた。
(……まあ、私は今寝ているから。好きにさせてもいい、かな)
とは言え、いつまでも腹部に重点的に攻撃を受けているのは流石にきつい。しのぶもまだ寝足りないのだ。甘えてくれるのは別に構わないが、せめてこちらが眠れる姿勢で甘えて欲しいという本音はある。
「ん……」
「ぴっ……!?」
この状況で起きている事を伝えるのはあまりにも酷なので、寝たふりをしながら腹部で動く雪那の頭を自分の胸元まで引き上げる。小柄な体格の割にそこそこ豊満な自身の胸の合間に彼女を押しつけ、そしてまたモゾモゾと動かれて起こされても敵わないので、こちらから抱き締めて動けないようにしてやる。
すると雪那はおかしな悲鳴を上げた後すっかりと動かなくなってしまったので、しのぶの思惑はバッチリ成功したと言えるだろう。
むしろ適度に冷たい抱き枕が手に入ったので、快適感は増した。
眠っていた間に軽く胸元が緩くなっていたりはするが、そんなことは些細な問題である。雪那が素肌に触れて頭がおかしくなりそうになるだけで、たいしたことではない。
(……カナヲ?)
雪那が大人しくなったのでふと視線を上げると、カナヲがパッチリと目を開けてこちらを見ているのに気が付いた。彼女が起きている事に全く気付いていなかったので多少驚いたが、彼女はこちらを見るばかりで何の言葉も発しようとはしない。
相変わらず無表情でこの光景を見てどう思っているのかは分からないが、しのぶもそろそろ眠くなってきている。今の状態で彼女にしてあげられることなど、一つしかない。
(カナヲもこっちにおいで)
言葉には出さず口を動かして手招いてあげれば、彼女は素直にこちら側へモゾモゾと動きはじめ、雪那の背中へピタリとくっ付いた。
雪那と纏めて抱き込むようにしてやれば、カナヲはもう一度目を瞑る。
(私の弟子達は本当に可愛いなぁ……)
可愛い弟子達に慕われて、しのぶもまた満足感に溢れながら眠りに落ちた。
いつも額に寄っているシワも今は無く、幸福に満ちた顔をしている。
雪那が顔を真っ赤にして爆速で鼓動を鳴らしていることに気付いているのはカナヲだけであるが、カナヲもまた特に問題ではないと判断して眠りについた。
雪那はこの後一睡もすることができなかった。