胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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19.導く背中

「っ」

 

「……大丈夫?」

 

「……ん」

 

弾かれた木刀、飛ばされた自分の小さな身体。

10戦10敗……今日も1度も勝てずに鍛錬が終わる。

 

雪那は思い悩んでいた。

日に日にカナヲとの実力差が広がっていくことに。

体格と体力では決して敵わず、それを今までは技術だけで埋めていたが、その技術の差すらも縮まり始め、にも関わらず体格と体力の差だけは一方的に広がっていく。

 

それに加えて、カナヲの花の呼吸は既にカナエによって殆ど完成されているものだ。だが雪那の使う雪の呼吸はその全てを雪那自身が0から作り出している。

目に見える完成形があるのと無いのでとでは鍛錬の効率が大きく変わる。

その証拠としてカナヲの花の呼吸の完成度はもう既にかつてのカナエの域にまで手をかけようとしているが、雪那の雪の呼吸は型の数が少ないだけではなく、既にある型のどれもがまだ完全な完成とは言い切れない。

 

より残酷なことを言えば、雪那には呼吸の伸び代はあってもそれ以外の伸び代が殆どない。

恐らく常中は時間をかければいつかは習得することができるだろう。だが、きっとそれ以上の優れたものは望めない。

単純な力でさえも師であるしのぶと変わらない程度にしか成長は出来ないはずだ。それでも、しのぶの様に特別突きの筋力がズバ抜けて強いという特徴がある訳でもない。蟲の呼吸を少し齧る事はできても、完璧にモノにすることは出来ない筈だ。

 

この様に、雪那には剣士として雪の呼吸以外の強みが無い。剣を扱う技術があったとしても、押す引く振る力がなければ出来ることは限られてくる。

 

カナヲに置いて行かれたくないという感情はあっても、日々辛い現実だけを雪那は突きつけられていた。

 

「……どうしたらいいのかしら」

 

そして、雪那が思い悩んでいることには、当然であるが常に2人を見ているカナエだって分かっている。

ようやく蟲の呼吸と専用の刀が完成し、柱となるためあちこちを走り回って鬼を狩っているしのぶ。彼女に変わって雪那への指導をしているカナエだが、こうして教えていると彼女には剣士として必要な要素が致命的に足りていない事はどうしても分かってしまう。

 

なんとかしてあげたいという気持ちはあっても、妹とは違い、ある程度の剣士としての才能を持っていた自分では悩む雪那に本当に意味のある助言をすることができなかった。

 

今日も雪那は一瞬だけ暗い顔をするが、直ぐに首を振って気持ちを切り替えるとアオイの手伝いへと向かっていく。

皮肉な事に、彼女の看護師としての才能はピカイチだった。最近ではしのぶの研究にも理解を示し始め、いずれは研究者としても結果を残せるだろうと妹は誇らしげに話していた。

そんな才のある彼女に最も過酷な道を勧めた、というよりは、了承したからとは言え半ば強制的に剣士の道を歩ませてしまっていることもあり、カナエは強い責任を感じてしまっていた。

 

「……少し、相談してみようかしら」

 

自分では力になれない。

だが、他の人ならもしかしたら……カナエは殆どダメ元で、ある人物に相談してみる事にした。

 

 

 

「……だから、なぜ俺なんだ……」

 

長期の任務からの帰宅。

ヘトヘトのクタクタになり、ふらふらになりながら自宅の扉に手を掛けた瞬間に、どこからともなく現れた胡蝶姉に拉致された人物。

 

それはもちろんこの人、被害者担当柱こと冨岡義勇である。

 

「だって……義勇くん、意外と努力の人じゃない?雪那ちゃんに興味も持ってたみたいだし、いい助言を貰えるんじゃないかと思って……」

 

「助言……」

 

もちろん、ただ拉致してきた訳ではない。

蝶屋敷の広々とした浴場で汗を流す事もできたし、こうして昼食までいただいている。

しかも自身の好物の鮭大根を料理上手のカナエにわざわざ作って貰ったとあれば、これはもう多少眠気は辛くとも協力する意外の選択肢を導き出すのはなかなかに難しい。

 

(なるほど、そういった事情があったのか……)

 

確かに義勇には彼女を水柱の後継者にしたいという感情があったが、それは彼女がこれからも順調に成長し、きっと体格もそれなりになると思っていたからと予想していたからだ。

しかし、彼女はしのぶと同様にあまり身体の成長は見込めないという。身長も体重も、もしかしたらしのぶを下回る可能性まであるというではないか。

そうなるときっと、彼女は自分が想像していた様な大剣豪になるのはとても難しいだろう。歴代最強の水柱として仕立て上げることも現実的ではなくなってしまった。それは義勇にとってはとてもとても残念なことである。

 

 

……だが、

 

「……次の任務までの間ならば、引き受けよう」

 

「ほんとに!?雪那ちゃんの悩みを解決できるの!?」

 

「多少は、な」

 

その事実を知った今でも、義勇の頭の中では雪那が柱になるイメージが少しも薄れてはいない。

 

「確かに筋力が無ければ出来る事は限られる。だが、それでも出来る事はある」

 

変幻自在の歩法が特徴の水の呼吸。

ぶっちゃけ壱〜伍ノ型と捌ノ型が雪那には使えない事が確定してしまっているが、他の型ならば状況が限られる事はあっても使う事はできる。これは柔軟さを売りにしている水の呼吸だからこその強みである。

 

そして義勇は知っている。

雪那の本当の強みは彼女の技術力や雪女としての性質ではなく……雪の呼吸という自身に合った新たな派生を僅か1時間で作り出した、あの柔軟性であることを。

 

「俺に任せて欲しい」

 

合法的に彼女を水の呼吸に染め上げることのできる最高のチャンス……義勇は心の中で密かにガッツポーズを決めながらこの依頼を引き受けた。

 

 

 

 

雪の呼吸 壱ノ型 深雪(みゆき)

雪の呼吸 弐ノ型 筒雪(つつゆき)

雪の呼吸 参ノ型 雪の声(ゆきのこえ)

雪の呼吸 肆ノ型 細雪(ささめゆき)

 

ここまでが雪那の作り出した型であり、ここから先のものは全てまだ構想段階だ。そしてそれも日々没ばかりとなっている。

加えて上記の型もまだまだ改良の余地があり、特に"肆ノ型 細雪(ささめゆき)"は『最小限の動きの超高速の連撃』という形で作ったものの、攻撃速度も連撃数もしのぶの使う"蟲の呼吸 "の技には遠く及ばない不完全なものだ。

技を作っては没にし、作っては没にし、良い案を思い付いても自分の身体能力では再現することが出来ず、雪那はカナヲとの焦りもあり、どんどんと負の循環に染まりつつあった。

 

「今から見せる水の呼吸を全て覚えろ」

 

「………?」

 

雪那が行き詰まっていたそんな中、突然目の前に現れた水柱がそんなことを言い始めた。

いったいどんな意図があるのか、なぜ自分にそんなものを見せようとするのか。しかし雪那が疑問を口にする前に彼はなんの事情も説明することなく、5つの型を彼女の前で披露し始める。

 

陸ノ型 ねじれ渦

 

漆ノ型 雫波紋突き(しずくはもんづき)

 

玖ノ型 水流飛沫

 

拾ノ型 生生流転

 

拾壱ノ型 凪

 

柱というだけあり、どの技も素晴らしく洗練されたものだった。

一つたりとも文句の付けようが無く、改善の余地もなく、その目に水飛沫の1滴1滴が見えるくらいに呼吸法として完成されている。威力も速度もまるで空気を切り裂く様な必殺のものであり、これを前にすればきっとどんな強固な鬼の皮膚でも豆腐の様に簡単に引き裂く事ができるだろう。

思わず見惚れてしまうほどの剣技と歩行術は、自然と雪那の目と脳に焼き付いていく。

 

「やってみろ」

 

「……ん」

 

義勇の目的は分からない。

彼に対してはしのぶのことで嫉妬したこともある。

だが、実力が確かな柱である彼がわざわざこうして自分のために時間を割いて直にその技を教えてくれるというのならば、今正に行き止まりに直面している雪那はその1秒たりとも無駄にするわけにはいかない。

 

「っ……!」

 

初めてみた技しかなかった。

水の呼吸については患者からの話で知識はあったが、こうして実際に目にするのは初めてだった。

特に最後に見せた拾壱ノ型に至っては存在すら知らず、相応に難易度が桁違いで、ただ動きを真似した紛い物でさえもできる気がしない。

だがそれでも、習うより慣れろ、言葉で説明するのは向いていない、そんな義勇から学ぶには彼が目の前で実際に披露してくれる技を見で学ぶしかない。

 

「ほう」

 

……それでも、雪那にとってはそれでさえも大きなものだった。

なぜならば、目指すべき完成形が既にそこにあるのだから。これまでのように先の見えない真っ暗な道を自分が先頭になって歩いていくのではなく、既にある道を良く知っている者が照らして導いてくれている。これまでの苦悩と比べれば何倍も恵まれた環境だ。

 

 

"水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦・改"

 

 

「……そうだ、それでいい」

 

自分の身体の筋力では再現できないと判断し、直ぐ様に改良を加えて十分な威力を引き出そうと試みる雪那。義勇はそれを期待していた。

本来の姿勢からではない為に使える状況は減ってしまうだろうが、そもそもその技を使えるか使えないかで選択肢の数は変わってくる。

 

確かに様々なものが常人より劣っている雪那は出来る事は少ないだろう。しかしそれならば出来る事は全て出来る様にしておけば、結果的に普通の者と選択肢の数自体は大きく変わらなくなる筈だ。

そして彼女ならば、再現するに際して現れる多少の障害程度ならば持ち前の機転で改良し、乗り越え、自分のものにする事ができる。

義勇が雪那は柱になることができると確信していたのは、それが1番の理由だった。

 

 

"水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き・改"

 

 

"水の呼吸 玖ノ型 水流飛沫・改"

 

 

彼女は妥協をしない。

分からなければ何度でも義勇にもう一度技を見せて欲しいと言ってくる。

そして義勇の見込み通り、彼女は次々と見せたものを自分のものへと直していった。オリジナルには遠く及ばない劣化版ではあるが、筋力の無い彼女でも使える近い性能の技へと、確実に自分の中での選択肢を増やし始める。

 

(歩法が生命線かつ初撃が弱過ぎる彼女に、"拾ノ型 生生流天"は必要無かったか……しかしこれだけの短時間で3つの型を自分のものにした、やはり彼女には才能がある。)

 

昼から日が暮れるまでの時間で、これほどまで出来上がれば上出来どころの話ではない。ここまでの成果を上げてくれるならば、眠気を我慢しながらも求められるがままに型を披露し続けた甲斐もあったというものだ。

初日であるにも関わらず、義勇は大満足である。

 

しかし問題は……

 

(……やはり"凪"か。作った自分が苦労しただけに、そう簡単に身につけられても困るが、これを習得するにはかなりの時間がかかるだろう)

 

義勇が作り出した"水の呼吸 拾壱ノ型 凪"。

刀の届く範囲のものを完全に無力化する水の呼吸の到達点の一つであるが、これを見ただけで再現するというのは殆ど不可能に近い。

そもそも義勇の斬撃自体が殆ど不可視のレベルの技であるため、その一瞬の間に何が起きているのかを把握できるのは使用者である義勇以外にはほとんど居ない。加えて相応の筋力が必要な技でもあるため、繊細なこの技を雪那の身体でも使える様に改良するのは至難の業である。

真似するだけでも難しいのに、それを自分に合った改良までするとなると、最早それは義勇が1から10まで教えれば済むという話ではない。普通の者ならば諦めて別の技を覚えるだろうし、実際そうした方が確実に効率はいいだろう。

 

(だが、これができるだけで真正面からの戦闘が随分と楽になる。彼女には必須の技術だ。これが出来る様にならない限り、柱にはなることは難しい)

 

覚えてしまえば強力な武器になることは間違いない。それに自分の継子では無いとは言え、水柱の後継者とするならばこの技は是非彼女に覚えて欲しいという欲もある。

そして義勇の考えていることと同じことを、雪那もまた考えていた。

これは自分にとって常中と同じくらいに必要な技術であると。

この技を覚えなければ自分は鬼狩としてはやっていけないと。

彼女はそう確信していた。

 

「また明日も来る、分からないことがあれば纏めておけ。任務でいなければ文を投げればいい」

 

「……ありがと」

 

「!……構わない、気にするな」

 

雪那からの心からの感謝の言葉と尊敬の混じった眼差し。

それは思いの外、義勇の心に響いた。

なんとなくではあるが、継子を育てる柱達や、自身の師である様な育手の気持ちがわかった気がした。

 

しかし、義勇は一つ失念している。

教えた技を改良し続ければいずれ全て雪の呼吸の技となり、雪那は水柱ではなく雪柱になってしまうということを。

 




次回から最終選別まで時間が飛びます。
ようやく本編の主人公と会えます……

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