とは言え最終選別編での試練は基本的に炭治郎にしか及ばないので、少し駆け足で進んでいきます。
「しのぶ……資料、置いとく」
「ありがとう、今日の鍛錬はもういいの?」
「ん……今からしのぶと、勉強」
「ふふ、少しは自分の好きなことをする時間を作らないといけませんよ?」
「しのぶと一緒が、いいから……」
「……やれやれ、2年とちょっとが経っても、甘えん坊は抜けませんね」
雪那と胡蝶姉妹が出会って2年と少しが経とうとしていた。
以前はカナエの半分ほどしかなかった雪那の身長も今ではしのぶより少し小さいくらいまで成長し、よく笑い、よく話すようになった。
しのぶもまた鬼を殺す毒を完成させ蟲柱として認められ、この一年で姉と2人の弟子達に影響されたのかすっかりと丸くなった。
柱として、人の上に立つ者として、芽生えた自覚と密かに憧れていた姉の雰囲気を目指して言葉遣いを徹底的に直したことも、大きな変化の1つだろう。
時折以前の面影が垣間見えることもあるが、毒の開発によって自身のコンプレックスが解消されたこと、自分を心から慕う弟子が2人も居ること、自分を支えてくれる姉がいつでも側に居てくれることで、彼女もまた以前よりも笑う様になった。
4人もの美女が迎えてくれる今の蝶屋敷は、正に鬼殺隊員達にとっての楽園である。
「雪那、カナヲと姉さんは今どこにいるのかしら」
「風柱が逃げようとして……私が落ち着けたから、カナエは後片付け。カナヲは庭でシャボン玉……」
「はぁ、柱ともあろうものが……雪那、次からは手加減をしなくてもいいんですよ?仮にも柱ですから、多少やり過ぎても死にはしません」
「殆ど吸ったから……今は気絶してる」
「……えっと、死んでませんよね?」
「ん、大丈夫」
理想的な師弟の関係。
しのぶ18歳、雪那16歳。
実は僅か2つしか歳の離れていなかったこの2人は僅か2年の間に確かな絆を結んでいた。
「雪那、カナヲ、準備はいいですか?」
「ん」
「はい」
蝋燭に照らされた部屋でカナヲと雪那の2人は少しの荷物を手にそれぞれの師と対面していた。
……とは言うものの、胡蝶姉妹は2人にそれぞれの型が確定してからは時間がある方が両人の稽古を見ていたので、2人にとってはどちらも自身の慕う心からの師である。
カナヲはカナエに、雪那はしのぶに特に懐いているために形としてはこうなっているだけで、2人がどちらの師匠も大好きであることは間違いない。
今でも口数が少なく指示待人間の気質が抜けないカナヲでさえも最近は手を握る程度の甘えを見せており、胡蝶姉妹は日々嬉嬉としている。
「さて、明日からはついに7日間の最終選別です。常中を身につけた2人ですから心配はしていませんが、何事にも万が一ということはあります。気を引き締めて臨むこと、いいですね」
「はい」「はい」
遂に明日から始まる最終選別。
7日の間とある山中に鬼と共に閉じ込められ、生き残って帰ってきたものだけが鬼殺隊への入隊が許可されるという最初の関門。
入隊率はそれこそ年によって大きく変わり、大半が生き残ることもあれば全滅してしまうこともある凄まじく運要素の強い試験だ。それ故に、例えどれだけ実力を身に付けていても確実ということはない。
2人が今や柱候補として十分に推せる程の力を身に付けたにも関わらず、胡蝶姉妹がこうして改めて緊張した面持ちで2人を呼んだのも仕方のないことだった。
「山中では必ず2人で行動すること。それと1日目はまず日の当たらない安全な場所を探すことを優先するように。特に雪那、貴女の敵は鬼だけではない事をくれぐれも忘れてはいけませんよ」
「ん、大丈夫」
「カナヲも、昼間の間は雪那のことを助けてあげてね。その代わり、ちゃんと困った時には雪那ちゃんにも頼ること。いい?」
「はい」
それぞれの師の言葉に頷くカナヲと雪那。
最終選別の内容については2人も以前から聞いていた。
雪那が胡蝶姉妹と共に作った当日の動き方についても既にカナヲは頭に入れているし、山中での生活も何度か実際の訓練を行なっている。怪我や食事の対処についても学び、今日までにやれることはやり尽くした。
なぜそれほど必死になったかと言えば、胡蝶姉妹の以前の継子にこの試験を突破できなかった者が居たからである。
胡蝶姉妹の継子はもう自分達以外には残っていない。
死にたくないという気持ちは勿論あるが、それ以上に恩人である2人を悲しませることを絶対にしたくないという気持ちが強かった。
必ず生きて帰り、出来れば怪我も少なくして2人を安心させたい。そのためだけに現実的な対処を詰め切った。
「あの山には基本的に弱い鬼しか居ないとされていますが、何事にも例外はあります。決して油断をしないように、いいですね」
「「はい」」
……ただし、胡蝶姉妹は知らない。
この2人が今回の選別で設定している最大目標が"敵の殲滅"であるということなど。
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雪那とカナヲが旅立った日、蝶屋敷に珍しい客人が現れた。
その珍しい客人の来訪に驚いた姉妹は、しかし会合以外では基本的に任務で帰ってこないその人物との久しぶりの邂逅にとても喜んだのだった。
「あの日、お前が上弦の鬼と戦闘をしていると聞いた時、私は酷く絶望したのを覚えている」
蝶屋敷の縁側で岩柱:悲鳴嶼行冥は、自身がかつて一時ではあるが同じ時を過ごした2人の姉妹に対して静かにそう告げた。
3人の目線の先には今は藤襲山へと旅立った彼等の継子達が使っていた暗い鍛錬場があり、姉妹はその場所を様々な感情のこもった表情で見つめていた。
「それはまた……私が負けると予想していたのですか?」
「……そうだ。最後に上弦の鬼の討伐に成功したのは遥か昔、歴代の柱達であっても上弦の鬼には敵わなかった。私はあの日、お前達2人が死んでしまうと思ったのだ」
「私達、2人……?」
悲鳴嶼の言葉に首を傾げるしのぶ。
姉が死んでしまうというならば分かる、実際に雪那が居なければ死んでいたに違いないのだから。だが自分はそうではない、そもそも姉の戦っている場に走るには到底間に合わない場所にいたのだから。
しかし、その言葉に姉のカナエだけは理解を示していた。悲鳴嶼の言葉に無言で俯く。
「お前達姉妹の絆は深い、その繋がりの強さは心の強さに繋がる尊きものだ。だがお前達は互いを自身の命よりも重視してしまうあまり、片方が欠けてしまえば命はあっても心の方の命を落としてしまうことになると、私は以前から危惧していたのだ。例え生きて帰ったとしても、しのぶの心には癒えることのない傷が残るだろうと、確信していた」
その言葉に、2人は確かに思い当たる節があった。
自身の死が寸前まで迫ったあの時、カナエはなにより自身の妹の行末を思い描いていた。
きっと妹は自分が死んでしまったことを酷く悲しむだろう。そして同時に、両親を失ったあの日から抱えていた憎悪が膨らみ、きっと1人では抱え切れず破綻してしまうことになるだろうと。
自身を殺した鬼を討つ為にその身を犠牲に奔走し、きっと自分が死んでからそう時が経たないうちに妹は追いかけてきてしまう。妹が幸せを掴むことは決して無いし、きっと女としての幸福さえ拒絶して、全てを復讐に費やしてしまう。
自分の死が結果的に妹の死へと繋がってしまうことに命を落とす寸前になって気付き、カナエは酷く後悔したのだ。
そしてそれは、しのぶもまた想像したことがあった。もしあの日、姉が生きて帰ってこなければ自分はどうなっていたかと。
きっと全ての感情を塗り潰すほどの憎悪に染まり、姉を殺した鬼を討つために凡ゆる手段を尽くしていたに違いない。確かに今も必死に努力はしているが、それはあの鬼を殺す為の努力ではなく、あの鬼から家族を守る為の努力だ。自分を慕って愛してくれる者達が居るのに、自分を犠牲にすることは許されない。
正直なことを言えば姉が一生治らない傷を受けたというだけで酷く心が荒れ狂った。姉を傷付けた鬼に対して憎しみを抱いたことは間違いない。その鬼を倒す為ならと我を忘れかけたことだってあった。
「だがお前達は生きていた。以前と変わらず、どころかこうして以前よりも幸福を噛み締めて生きている。私はそれが嬉しい。この屋敷からお前達の楽しそうな声を聞こえるだけで、こうして涙が溢れ、止まらなくなるのだ……」
そう、それでも今しのぶの心は生きている。
憎しみに支配されることなく、鬼を殺すことよりも最愛の姉と愛おしくてたまらない2人の弟子達と日々を過ごすことに人生の意味を見出せている。
そしてそれはきっと……
「……妹達に、恵まれました」
「……そうか」
「私があの時道を間違えることなく済んだのは、間違いなくあの子達のおかげです。
戦えなくなった姉さんを見ても、昼間の間は"幸せそうならいいか"と思えた。けれど夜になるとどうしても心が乱れてしまって、私と同じ思いで戦ってきた姉さんの気持ちを考えるととても苦しくなった。
……でも、あの子達はそんな私を知っているかのように1人にはさせてくれなかった。あの子達にはそれぞれちゃんと眠る場所を用意したのに、カナヲは姉さんの所に、雪那は私の所に毎晩わざわざ潜り込んできた。私がどうしてもダメになって抱き締めてしまっても、見ないふりをして受け入れていてくれた。
どんなに寒い夜でも姉さんの側にカナヲが居てくれる、どんなに静かな夜でも雪那が側にいてくれる。たったそれだけで……私は救われた」
身長が変わらなくなった今でも変わらずそうなのだ、習慣とは恐ろしい。
以前、"今日は一緒に寝ません"と言った時の雪那の本当に悲しそうな顔を思い出すと、今でも面白くて笑みが溢れてくる。
もしかしたら雪那はそこまで考えておらず単純に自分と一緒に寝たいだけなのかもしれないけれど、もしそうだとしても嬉しいのだ。
誰かに求められているということは。
「私もしのぶも、あの子達には幸せになって欲しいと思っています」
「できるなら普通にお洒落をして、普通に好きな人をつくって、普通に子供をつくって……おばあちゃんになるまで笑って生きて欲しい。こんなことは鬼殺の術を教えた張本人が言うことでは無いかもしれませんが……」
「それは私も同じだ」
悲鳴嶼は立ち上がり、その見えない目を2人に合わせる。
「お前達が彼等の幸福を願うように、私もまたお前達の幸福を願っている。お前達が何のしがらみにも囚われず、刀を振るう必要もなくなり、何を恐れることもなく、明日を、明後日を、まだ見ぬ未来を、ただ幸福に過ごせることを心の底から望んでいる」
止まることなくその両目から溢れる涙に、その言葉が彼の心の底からの願いだということが伝わってくる。彼が自分たちの幸福を真に願ってくれているのだと、分かってしまう。
「しのぶ、カナエ。お前達はお前達の弟子達と共に必ず普通の幸福を掴み取れ。鬼舞辻は私が必ず討ち取る。確かにお館様の言う様に、上弦の弐との戦いは避けられんかもしれん。だがそれでも、必ず4人生きて帰ってこい。お前達の描く今の蝶屋敷の姿こそが、私の望んでやまない未来の姿なのだ」
そこに悲鳴嶼は居ない。
その未来に悲鳴嶼は存在しない。
鬼舞辻との決戦は彼の避け様の無い死を意味している。
そんな彼の事情は知らなくとも覚悟を感じ取った2人は、ただただ唇を噛み締めてその言葉を受け入れるしかなかった。