それからの日々は早かった。
隊服と刀が届くと同時に任務の指令も入り、雪那はその日に蝶屋敷を出ることとなった。
想定外の事態に十分な別れをすることも出来なかったが、しのぶもまさかその日に出ることになるとは思ってもみなかったため、久しぶりに取り乱して雪那に素直になってしまった。
そのせいもあって雪那もある程度満足して任務に向かう事ができたのは良かったことだろう。
カナエやカナヲとも一度だけ抱き締め合い、アオイや3人の新人看護師達に引き継ぎを任せ、彼女は足早に求められた地へと走っていく。
当然それは夜間の移動だった。
夜空の下で段々と遠のいて消えていく白い影を、蝶屋敷の面々は彼女が見えなくなるまで見届けた。
しかし任務と言っても雪那の場合は大抵は他隊士の補助である。
殆どは着いた頃には終わっており、間に合わずに後処理をするか瀕死の隊士の傷の治療をするか。
その戦闘中に加勢できるほどタイミングの良いことは滅多にない。
鬼の現れた現場は柱でさえも間に合わず、現場に居た大半の民間人が犠牲になることが多いのだ。
ある意味で後出しの後出しという役割にいる雪那が間に合わないことはもっともっと多い。
『増援、だと……?ふっざけんな!!遅ぇんだよ!もう終わったよ!見りゃ分かんだろ!!テメェがなァ!テメェがもう少し早くこれば!こいつは死なずに済んだんだ!
そんなことも何度も言われた。
けれどその言葉の全てが少しの否定もできるものじゃなくて、雪那はその度にその罵倒を全て受け入れた。
何度もそんなことがあったからか、次第に他隊士の補助という役割ではなく、周辺の隊士と同時に任務の指令が出されるようになっていった。
しかしそうすると今度は一般隊士よりも雪那の移動速度の方が遥かに早く、他隊士が駆け付けた頃には既に全部が終わっているということが増えた。
結局任務をするうちに、新入隊士であるにも関わらず雪那の扱いは殆ど柱と変わらなくなってしまい、偶に休憩代わりに他の経験の浅い隊士や実力の無い隊士の任務に保険として投入される以外は、殆ど1人で活動することになってしまう。
当初想定していた雪那の使い道が、思いの外うまく機能しなかったのだ。
そして、想定以上に単体での雪那の実力があったために、想定していなかった問題が密かに起き始める。
「なんで……なんでもう少し早く来てくれなかったんだ!あと少しでも早く来てくれれば、子供と女房は助かっていたのに!!」
「遅いのよ!私だけ、私だけ生き残っても仕方ないじゃない!!殺してよ!もう私のことも殺してよ!!ねえ!!」
……一人で柱と同等の活動をすることは、思いの外雪那の心にダメージを与えていた。
間に合わず命を落とす者が居るのは当然だ。
そんなことは医療現場でも起きることだし、どんな隊士でも一度は経験することだ。
しのぶやカナエも言っていた、鬼殺隊士として長く活動するならば、その問題から逃げることは不可能だと。
しかし雪那はその性質上、怪我人の出やすい場所……つまり人口があり、間に合わなかった場合に多くのものから非難を受けやすい場所に派遣されることが多かった。
大切な者を亡くした者達に冷静な思考などありはしない。その激情を解消するためには例え相手が小さな少女であろうと、容赦なく責め立てる。
人間なのだから、それは仕方ない。
だが、それと同時に、それを受け取って酷い後悔や懺悔の気持ちに苛まれるのもまた、人間ならば当然のことだった。
そして、その時に自身を慰めてくれたり、気持ちの処理の方法を教えてくれたり、同じ感情を共有してくれる者が居るか居ないかはとても大きい。
雪那は基本的に一人だった。
1人で複数の役割を持てることがウリだったのだから、当然そうなる。
そしてその小さな体に全ての激情を受け、溜め込み、解消の方法すら誰からも教えられることのないまま、自分の身体を酷使して夜の間だけでいくつもの任務を処理していく。
全ての責任をたった1人で背負いながら。
自分が昼間に動けない体を持っていたことをここまで後悔したことも、これまでには無かった。
自分がもし昼間も動けていたら、一体どれだけの命を救うことができたのだろうか。
そう考えてしまうと眠ることすら難しくなってしまう。
彼等が死んでしまったのは自分のせいで、自分が彼等の大切な人を殺したのだと思い込んでしまう。
感謝されることなどない。
労われることすらない。
どれだけ頑張っても報われることなどない。
助けられたものより、助けられなかったものばかりが増えていく。
鬼への憎しみは増していくが、それ以上に自分の無力さに対する憎しみが増していった。
鬼を殺しても気持ちよくなんか無いのだ。
痛みに嘆く鬼を見ても愉悦など覚えない。
例え相手が殺人鬼でも、心の中にしこりは残る。
倒しても、助けても、守っても、雪那の心が晴れる事はない。
「お兄ちゃんが……お兄ちゃんが僕を庇って……!」
「……ごめんね。もう、どうにもならない」
「なんで!お姉ちゃんお医者さんなんでしょ!?なんで助けてくれないの!?お兄ちゃんを助けてよ!!」
「……ごめん」
「なんでだよ!!助けてよ!そんなにいっぱいお薬あるのに、なんで助からんないんだよ!!ねぇ!!助けてよ!!お姉ちゃん!」
仮に雪那が一度でも大きな怪我をしていれば、蝶屋敷に戻る機会を得ることができ、この状況も少しは改善されたかもしれない。
仮に雪那が知っている誰かと同じ任務を受けることがあれば、彼女の変化に気付いて、異変を誰かに知らせることもできただろう。
しかし、雪那は滅多に怪我をしなかった。
そもそもが守りに特化して鍛錬を積んできたのだから。
したとしても軽いものなら自分で直ぐに治せた。
そして彼女と一緒の任務に着く者は大抵が初見や新入の者で、彼女の異変に気付くことは全くない。
そして雪那はなにより、藤の花の家紋の家で休むということが殆どなかった。なぜなら、彼女は昼間は殆ど強制的に宿屋に泊まって睡眠を取らねばならず、それを必要以上に休んでいると思い込み、長期の休養を拒否していたからだ。
極め付けに……彼女自身のカラスは彼女の側を離れることは絶対にない。
定期的に来る黒カラスは任務を告げると忙しそうに直ぐに何処かへ行ってしまう。
無口な白カラスは黒カラスに何も話すことはない。
そして、任務を指示する産屋敷はその異変を見落としていた。
彼女と同時に動き出したある2人の兄妹の動向の大きさ故に。
白いカラスが動かない限り、雪那には何の問題もないと思い込んでしまっていた。
全てのことが悪循環を形成していく。
全てのことが悪い方向へと繋がっていく。
想定していたことが全てうまくいかず、その場で決めた方針によって悪い偶然ばかりが繋がっていく。
(だめ、こんなことしてる暇ない……早くしないと、早く助けにいかないと……夜しか動けないのに……!)
胸の内には常に焦燥感があり、自分の休息の時間を極力まで削って雪那は次の任務へと向かっていく。
蝶屋敷に文を送る暇も惜しんで、けれどいつも辛くなると大好きなしのぶの顔を思い出して膝を叩いて。
次に会う時までに何か一つでも自慢できる事を作っておかなければと、今の何も救えていない自分では顔すら見せられないと悪い思い込みを抱えて走る。
蝶屋敷を出て僅か1ヶ月のうちに、雪那は既に30を超える任務をこなしていた。
夜に行動することが多いため、任務外でも鬼を討伐することがあった。
病等で困っている人達にその真っ白な容姿を警戒されながらも、薬を調合して分け与えたりもした。
出来る事が多かったから、必要以上にたくさんのことをした。
そしてこれは誰も知らない事実ではあるのだが、この1ヶ月の間に鬼による死傷者数はおよそ2/3ほどにまで減っていた。
そして、一般隊士達の間で"白い幽女"という名前で彼女の噂が広まり始めていることなど、当の本人は知る由もなかった。
「"白い幽女"……?なんでしょう、それは」
「しのぶ様、ご存知無いんですか?最近隊士達の間で流行り始めた噂話ですよ。なんでも鬼に襲われた民間人や隊士達の前に現れて、鬼を殺して怪我人を治すと、直ぐにその場から消え去るんだそうです。実際、その少女に命を救われた隊士は何人もいます。白い服を着てるので鬼殺隊士じゃ無いっぽいんですけどね」
「へ、へぇ、それは初めて聞きました(めちゃくちゃ心当たりがある)。……それにしても、幽女は無いんじゃないですか?いくらその場から直ぐに居なくなってしまうからといって、流石に酷いのでは?」
「いやぁ、それが幽女って呼ばれるのはそれだけが理由じゃないんですよ」
「………?どういうことですか?」
「いや、その子なんですけどね?助けられた奴が共通して言うには、いつもずっと暗い顔をして笑ってるらしいんですよ。しかもこっちが怖くなるくらい色の悪い顔で。髪が白かったり眼が赤かったりした特徴もあって、それがまるで不気味な幽霊みたいだって話でして」
「………本当の話なんですか?それは」
「まあ、俺も聞いた話なんでなんとも言えないんですけどね。助けられた奴が居るのは本当の話ですよ。……もしかして、しのぶ様その子のこと知ってるんですか?俺の同期が何人か助けられてるんで、機会があったらお礼を言いたいんですけど」
「………今度また連れてきます、その時にでも言ってあげてください」
「流石しのぶ様!お願いしますね!」
(雪那……自立のためにと思ってなるべくこっちから文は出さない様にしていたけど、今どこで何をしてるの……?)
雪那が屋敷を出てから1月と少し。
ようやく掴んだ雪那に関する情報はそんなもので、得体の知れない不安だけが無意識のうちにしのぶの中に積もっていく。
そしてそんな時、雪那の元に一つの指令が舞い降りた。
『アー!アー!那谷蜘蛛山ァー!那谷蜘蛛山二急ゲェー!沢山ノ隊士ガ戻ッテコナイー!那谷蜘蛛山二急ゲェー!』