胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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27. 那谷蜘蛛山-4

「しくじった、しくじった……!早く殺さないと私が塁に殺される……!」

 

姉の役割を持たされ、これまでずっと上手いこと生きてきた。

自分だけはしくじることなくやってきたのに、ついにやってしまった。

だが、まだ顔を切られた程度で済んでいる。

これから挽回すればきっとまだやっていける。

 

姉蜘蛛はただひたすら自分のことだけを考えて獲物を探し山中を走り回っていた。

今、弟であり実質的な主人である塁は額に痣のある隊士と戦っている。

しかし、恐らく塁に敵うことはないだろう。

塁の強さは他の誰よりも近くで見てきた姉蜘蛛自身が知っている。

鬼舞辻無惨のお気に入りである塁の実力は尋常ではない、

家族達に鬼の力を分け与えてさえも、普通の鬼が何体纏まって襲いかかっても敵わない様な凄まじいものだ。

 

あの戦いは確実に塁が勝ち、そのあと直ぐにでも自分への仕置の続きが始まる事を姉蜘蛛は確信していた。

あの隊士と一緒に居た女が新しい姉に加わるとしても、姉が1人でなければいけないという道理はない。

山中にはまだまだ鬼殺の隊士がいる。

彼等を差し出せば塁の怒りもきっと少しは収まるだろう。

 

……しかし、探せど探せど隊士の影すら見当たらない。

1人くらい居てもいいものだが、見当たらない。

母蜘蛛が操り人形にしていた者達すらもここには居ない。

見つけるのは既に力尽きた者か、その残骸くらい。

どうしても、生きているものだけが見当たらない。

 

「なんで、なんでどこにもいないのよ!このままじゃ私が……私が殺されちゃうじゃないの!!」

 

姉蜘蛛は悲鳴のような叫び声を上げて助けを求める。

しかし、生きている隊士が見つからないのは当然の話だ。

ほとんどの隊士は既に雪那が外へと逃していたのだから。

母蜘蛛に囚われていた隊士もその全て救出し、辛うじて動ける隊士達が協力して彼等の治療と運搬に当たっている。

既に残っている鬼は2人だけで、そのどちらも手下を引き連れたり遠方から他者に影響するタイプではなく、今や彼等はこの山でもある程度好きに活動できるようになっていた。

 

この周囲にいるのは炭治郎と伊之助くらいだ。

そして丁度、炭治郎の元へと向かうために走り出していた少女が1人。

そのようやく見つけることができた生きている隊士は、けれど姉蜘蛛に幸運をもたらす様な相手では無かった。

 

 

"雪の呼吸 弐ノ型 筒雪"

 

 

「……え……?」

 

姉蜘蛛があれほど拒んでいた死は、想像していたよりもすんなりと訪れた。

突然音もなく現れた白い閃光は自身の体をまるで透き通る様にして後方へと飛んでいき、直後、自分の視界は反転していた。

見下ろすのは自分の身体。

首を斬られたことで力が抜けて膝を突き、本来頭があるはずの首元にはあまり綺麗ではない断面が映し出されている。

 

現実を受け入れるのに数秒の時間がかかった。

死ぬ覚悟なんてこれっぽっちもしていなかった。

もし自分が死ぬのなら、塁の怒りを買って殺されると。

それでも死ぬのはずっと先の話だと、そう信じてやまなかった。

 

「嘘、嘘よ!こんな、こんな死に方いや!死にたくない!死にたくない!死にたくない、のに……」

 

自分の目の前で灰となっていく身体を見させられ、自分の消滅を嫌でも自覚させられる。

自分を殺した相手の顔すら見ていない。

こんな事故の様な死に方、どうやったって認められない。

 

……しかし、ふと考える。

もしかしたらこれは鬼としては幸せな部類の終わり方なのではないだろうか。

少なくとも、自分が見てきた兄弟姉妹の役割を持たされた者達は塁によってそれは無惨な殺され方をしたものだ。

彼等に比べればこうして首を一閃され、痛いことも苦しいこともなく終わりを迎えられるのは、ずっとマシな方だろう。

 

……それに、これでもう塁の機嫌を取り、日々彼の言動に恐れながら生きていく必要がなくなる。

そう考えると、この死も何故か悪いものではない気がしてくる。

 

(塁も、きっと殺される。……地獄でもあいつと一緒になるのは、嫌だなぁ。あの子にも、合わせる顔がないのに。)

 

命の終わり際になって思い出すことは嫌なことばかり。

自分を信じてくれた子を裏切り、塁に売り付けたりした。

もし今あの子に会ったら、自分はどんな顔をすればいいのだろう。

死んだ後にもまだ杞憂があるということに自分が後悔していることを、彼女は我ながら意外に思った。

 

 

 

 

 

「……これは」

 

「胡蝶、どうした」

 

人が蜘蛛になっている。そんな異様な現場に義勇としのぶは居た。

側ではカナヲが慣れたように隠に指示を出しており、逃げ遅れた者達を捜しながら山の中の死体や蜘蛛なら変えられてしまった者達を運ばせている。

相変わらず彼女は最低限のことしか話さないが、他人に指示をする程度のことは完璧にこなしてみせた。

隠達もまた彼女を信頼し、彼女が居るならば自分達も周囲から襲ってくるかもしれない鬼に恐怖することなく、安心して作業に集中することができると背中を任すことができていた。

それは決して柱の継子という看板に対する信頼ではなく、カナヲがこの一月の間に勝ち取った彼女自身に対する信頼である。

 

そしてカナヲのそんな姿に頼もしさを覚え、この場を彼女に任せてこれから戦闘が起きている場所に向かおうとしていた義勇としのぶ。

しかしそんな矢先に、しのぶが蜘蛛にされかけている患者達を見てある事に気付いた。

 

「この方達、もう何かしらの薬品が施されていますね。恐らく応急処置的な対処でしょうが、それでも蜘蛛への変化は完全に止まっています」

 

「……雪那がやったのではないのか?」

 

「ええ、まあ。こんなことが出来るのは私か雪那意外に有り得ません。ですが……どうにも、手馴れ過ぎている感が否めないんですよね」

 

「手馴れ過ぎている……?」

 

「ええ、以前の雪那にはここまでのことをこの短時間でこなせる様な力量はありませんでした。この1ヶ月で成長したにしては、あまりにも過剰すぎます。これは最早薬師としても熟練の域ですよ」

 

「……つまり、先を急いだ方がいい、ということでいいか?」

 

「ええ、端的に言えば。……何か嫌な予感がします。雪那の状態が気がかりです、急ぎましょう」

 

この場の後処理をカナヲに任せて、しのぶと義勇は走り出す。

よくよく考えればこの山の状態だってそうだ。

これだけの惨状にも関わらず、生存者が何人もいる。

そしてその全員に最低限の治療を施され、しのぶと義勇が来た頃には既に彼等の中で生存者を逃すための手筈が確立していた。

もしその全てを雪那がしていたとすれば、1月前の彼女ではあり得ない成長だ。

 

そしてあり得ない成長というのは、必ず何かしらの対価をもって成される。

何の犠牲も出すことなく人が劇的に成長することは有り得ない。

もし雪那が薬師として、医師として、そして鬼殺隊士としてこれほどまで成長しているとするならば、果たして彼女はどれほどの対価を支払ったのか。

考えれば考えるほどに悪い想像しか出てこない。

 

(……白い、幽女)

 

蝶屋敷で怪我の治療を行なっていた時に患者から聞いたその単語が、何度も何度もしのぶの頭の中を過っていく。

もしあの噂が何の誇張もない事実で、今正にそんな状態の彼女が十二鬼月と対峙しているとしたら……

 

「っ!胡蝶!」

 

しのぶは全速力で今も嫌な雰囲気を醸し出している方向へと走り抜ける。

義勇もなんとかそれについて行くが、彼女の目にはもう前しか映っていない。

2人がどの段階で間に合うことができるのか、それが重要な分かれ目になることを、しのぶはなんとなく直感していた。


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