「俺と禰豆子の絆は誰にも……引き裂けない!!」
炭治郎のヒノカミ神楽:円舞、
禰豆子の血鬼術:爆血、
互いに互いを思い合う兄妹によって生まれた奇跡の一撃。
その2つによって下弦の鬼:塁の武器である糸はおろか、その糸よりも硬質だと自負していた首すらも完全に飛ばされた。
何度も何度も死を覚悟して、それでも諦めずに掴み取った勝利。
しかし炭治郎の戦いはこれで終わりではない。
まだ伊之助が戦っている。
必ず戻ると約束した、ならばこんなところで安堵感に浸っている場合ではない。
コンディションは最悪だが、それでも自身の父親が言っていた正しい呼吸を行えばなんとかなるはず。
敵を倒した今なら十分な集中を行える……そう、思っていたのに。
「っ!?」
倒れた炭治郎に背後から迫り来る強烈な濃い血の匂い。
いる筈がない、確実に首を飛ばしたのに。
そんな思いとは裏腹にもう2度と聞きたくなかったあの声が、再び自分たちを責め立てる。
「僕に勝ったと思ったの?可哀想に哀れな妄想して幸せだった?僕は自分の糸で首を切ったんだよ、お前に首を斬られるより先にね」
「っ……!」
「もういい、お前も妹も殺してやる。こんなに腹が立ったのは久しぶりだ……今ならなんの未練もなくお前たちを刻めるよ」
(立て!早く立て!呼吸を整えろ!正しい呼吸ならいくら疲弊していても関係ない!急げ!早く!!)
"血鬼術:殺目篭"
炭治郎の努力も虚しく、彼の身体は上がらない。
呼吸も整わず、身体を動かすことすら敵わない。
彼を囲む様にして系が包み始め、じっくりと、しかし確実に彼の命を奪おうと縮み始めた。
塁ももう手加減をするつもりは無いらしい。
ここに来て殺すための確実な術を仕掛けてきた。
(落ち着け、落ち着け……!焦るな!息を乱すな!できる、俺ならできる!)
間に合わないことは分かっている。
間に合ったところでどうにもならないことは分かっている。
けれど、諦めることだけはしたくない。
それだけは許されないし、許さない。
なぜならば自分の目の届く直ぐそこに……
守るべき妹の禰豆子がいるのだから。
(だから、だから……間に合えぇぇえ!!)
「間に合った……!」
"雪の呼吸 伍ノ型 雪華(せっか)"
今正に炭治郎を刻もうとしていた赤い糸の篭が、その一突きによって糸くずのように吹き飛んだ。
炭治郎は首元を掴まれ、直ぐ様その場所から引き離される。
まるで2人の関係を全てを知っていたかの様に炭治郎は禰豆子の側に横たわらされ、自身を助けたその少女は兄妹を隠す様にして鬼の前に立ち塞がった。
「君、は……」
「……お疲れ様。よく、頑張ったね」
「け、けど……」
「あとは私に、任せて」
白い髪を靡かせて、彼女は一度もこちらを見ることなく目の前の鬼と対峙する。
助けるために追ってきた筈の少女が、今は自分を助けるためにそこにいた。
(……なんだろう、この感覚)
普通に考えれば、救援に安堵するところだ。
自分よりもずっと強い彼女が、この危機を助けに来てくれたのだ。
さっきよりもずっと事態は好転したはず。
どころか彼女ならこのまま倒してくれるかもしれない。
……けれど、彼女から香ってくる微かな疲労の匂いが炭治郎を惑わせる。
彼女には炭治郎でさえも殆ど臭いを感じられないという特徴がある。
しかし、あの時は微かにだが彼女から悲しみの臭いを感じた。
つまりそれは彼女が隠せないほどの悲しみを背負っていたということだ。
それならば、この微かな疲労の匂いが意味することはなんだ……?
(……そうか!この人、ほんとはもう限界なんだ……!)
考えてみれば、この山に入ってきた時よりも今の彼女の顔色はずっと悪い。
こちらに自分の顔を見せまいとしている節があるが、息が少しだけ荒くなっているのも間違いない。
彼女はあとは任せて欲しいと言うけれど、今の彼女に素直に全てを任せられるようには、どうしても炭治郎には思えなかった。
「俺も、戦います……」
「いいから、下がって……君はもう、限界」
「うっ」
彼女の言う通り、自分の体はもう殆ど動かない。
禰豆子も今は起きる気配がなく、力にはなれないだろう。
どうあがいても今は彼女に任せる以外の選択肢が存在しない。
ただ黙ってここで蹲っていることが最善手であることを、否定することができない。
「次から次に……!僕の邪魔をする屑どもめ……!!」
"血鬼術:刻糸輪転"
複数の糸が中央に円を作るように重なり、3人の元へと迫る。
1本1本が殺傷能力の高い硬質な赤糸。
もし炭治郎が戦っていた時にこれを出されていたら、彼はなす術なく肉片と化していただろう。
「……っふぅ……」
それに対し、雪那は息を一つ吐いて集中力を高める。
気を抜けば刀が手を離れてしまいそうになるのを堪えて、刀を握り直し、その技を再現するために思考を集中させる。
背中に2人が居る状態で避けるという選択はあり得ない。
正面からの戦闘は苦手だが、こういう時のために身につけた技がある。
"水の呼吸 拾壱ノ型"
(水の呼吸!?それも拾壱ノ型!?)
炭治郎の知らないその型。
雪那がこの一年でようやく再現までにたどり着き、しかし新たな型への昇華までには及ばなかった、3人目の師から教わった技の劣化版。
"凪・改"
その瞬間、彼女に迫っていた全ての系が切り落とされた。
彼女の範囲内に入った糸が一つ残らず全てだ。
その剣筋を視認することができたものはここにはおらず、塁でさえも目の前で起きた事をほんの少しも認識することができない。
そしてその混乱のあまり、彼は大きく致命的な隙を見せてしまった。
"雪の呼吸 弐ノ型 筒雪"
(しまった……!)
しかし、雪那の凪はここまでである。
本来の義勇のものほど継続することができず、集中力と体力を大幅に削られてしまうため連発はできない。
歩いたり動いたりして使うなどもっての外だ。
本当に一時的な再現にしか過ぎないため、隙を作ってとどめを刺すには別の技を使うしかない。
とは言え最高速で放たれた筒雪。
多少反応できたとは言え、一瞬でも隙を見せた塁がその攻撃を完全に避け切ることはできはしない。
塁は自身の首が円を描く様にして刃を入れられていることが分かってしまって、それなのにそれを止めることができない。
あれほど硬い事を自慢していたにも関わらず、まるで豆腐の様に裂かれていく自分の首に最早苛立ちすら感じる。
今度また自分の糸で切ったところで、そのあと無防備になった首を念入りにもう一度切られてしまえば意味がない。
2度目のチャンスはないだろう。
塁は雪那の攻撃によってここで死ぬ……
その筈だった。
ピシッ
(っ!?)
筒雪の最中、突然、雪那の刀の先端部分にヒビが入った。
そして同時に、彼女は受け身すら取れずに崩れ落ちてしまう。
刀からは手が離れ、彼女はそのまま無防備に地面を転がっていく。
筒雪は完成していない。
完成する寸前で何か想定外の事態が起きた。
塁も、炭治郎も、雪那も、何が起きたか分からない。
ただ一つ、今この場における事実を述べるとすれば……
塁は首の全てを飛ばされることなく、生き残った。
「幽女さん!!」
名前も知らない彼女だが、その様子はかなりおかしい。
必死に起きようと身体を動かしているが、その目は何も写していないかの様に焦点が合っていない。
四つん這いになるだけでも難しいのか、きっと彼女自身が自分の身に何が起きたのか理解できていないのだろう。
匂いがしない筈の彼女から集中しなくとも分かるくらいに濃い負の感情の匂いを感じた。
彼女はそんな状態になっても離れた所に転がっている自身の刀をあちこちに手を伸ばして探しており、時折強い頭痛がするのか急に頭を抱えて蹲る。
こんなのはもうただの疲労が起こす様な症状ではない。
そんなことは医療を知らない炭治郎にだって分かる。
彼女は今も全く見当違いの方向に手を伸ばしながら、頭痛を抑える様に右手で頭を抱えたまま地面を這う。
『はやく、はやく、はやく、はやく!しんじゃう、しんじゃう、しんじゃう!!また、また、また!まもれなくなる……!』
そんな言葉を何度も何度も呟きながら、見えない目を必死に動かす。
ようやく見つけた刀ではなく木の枝を手で掴み、鬼を背にしながら必死になって立ち上がろうとする。
幾度も立ち眩みを起こす様にして崩れ落ちながらも、それでもまだ何かに突き動かされる様にして足を立てる彼女。
そんな彼女の姿を、どう見るべきなのだろうか。
悲しい?みすぼらしい?辛い?無様?
そのどれでもない。
炭治郎はなんとか彼女を助けたかった。
ついさっきまで自分が助けられる側の立場にいたが、本当に助けられるべき人間は自分ではなかった。
炭治郎は今も回復していない身体を無理矢理動かして助けに向かおうとするが、それよりも早く彼女の元へ塁が辿り着いてしまう。
彼女はそのことにすら気付けていない。
それでもまだ、立ち上がろうともがき続ける。
「……本当に死ぬかと思ったよ。いきなりやって来て好き勝手して、僕は今とても腹が立っているって言ったよね?お前、肉片1つも残ると思うなよ」
"血鬼術:重刻糸輪廻"
再びあの系が数を重ねて彼女に迫り来る。
しかし今の彼女はそのことに気付くことも出来ず、ようやく立ち上がろうとした瞬間に完全に崩れ落ちた。
あの体勢からではきっともう、今この瞬間に全てを取り戻したとしても逃げられやしない。
自分を守るために目が見えなくなっても奮闘し続けている彼女を、当の本人である自分が見殺しにすることしかできないのだ。
炭治郎はただただ声を荒げて叫び続ける。
「やめろ、やめろォォォ!!!!」
"水の呼吸 拾壱ノ型 凪"
"蟲の呼吸 螳螂の舞 撫鎌掻裂"
瞬間、周囲にあった全てのものが完全に無へと返された。
先程彼女が使ったものとは比較にもならない、まるで音や匂いすらこの場から消え失せたかのような完全な静寂。
そしてそこに一際大きく鳴り響いた、肉を引き裂く悍音。
辛うじて繋がっていた塁の首は完全に引き裂かれ転がされ、少女に迫っていた糸の大群はチラチラと雪のように周囲に舞い落ちていく。
「……また、邪魔者が、ふえ、て……」
「……失せろ」
呟く塁の首を、半々で模様の違う羽織をした青年が八つ裂きにする。
炭治郎はその姿に見覚えがあった。
冨岡義勇、鬼となった妹を処分しようとし、その後自身を鱗滝の元へと紹介したあの隊士だった。
「雪那……!!」
しかしもう1人、もう1人の女性については見たことがない。
蝶の様な羽織をしたとても綺麗な女性だが、彼女は悲痛に満ちた表情で例の少女の方へと駆け寄っていく。
"雪那"という名前すら今初めて聞いたが、どうやら彼女とその女性は知り合いらしい。
何が起きたかも分からず、炭治郎は近くにいた冨岡義勇に話しかける。
「あの……冨岡さん、ですよね?」
「っ!お前、は……!」
その少年と隣にいる鬼の少女を見た瞬間、彼は全てを理解した様だった。しかし、同時に鬼の妹がここにいるのはあまり良くないと思ったのか、難しい顔をして2人を見る。
『アー!アー!竈門炭治郎!鬼ノ禰豆子!両名ヲ拘束シ!本部へ連レ帰ルベシ!繰リ返ス!アー!竈門炭治郎!鬼ノ禰豆子!両名ヲ拘束シ!本部へ連レ帰ルベシ!』
しかし、直後のカラスからの連絡によって、とりあえず禰豆子は箱に入れて、そのまま義勇が2人を拘束もとい連行することとなった。
この場で最もこの2人のことについて尋ねて来そうだった彼女は……今はもう、それどころではなかった。