「雪那!!」
しのぶが義勇を伴ってその場所に現れた時、目の前には最悪の光景が広がっていた。
様子のおかしい雪那と、それにとどめを刺そうとしている鬼の姿。
義勇はとっさに雪那の前に立ち攻撃を防ぎ、それを見たしのぶは鬼の首を問答無用で切り飛ばした。
鬼の首の大半が既に切られていたからこそ、しのぶにもできたことである。
彼女は本当に珍しく鬼の首を斬るという手段で鬼を殺した。
……だが、この状況ではそれは大した問題ではない。
「雪那、雪那!落ち着いて!私よ、しのぶ!もう大丈夫、大丈夫だから……!!」
自分の状況が全く理解できておらず、鬼を倒した今も必死になって落とした木の枝を刀と信じて探す雪那の姿。
目どころか耳すら殆ど聞こえていないらしく、しのぶが声をかけても全く反応を示さない。他者からの攻撃を受けたわけではなく、何か他の原因でこうなっていると考えるべきだろう。
目でも耳でも伝えられない。
だからしのぶは、雪那を必死になって抱き締めた。
感覚がいくつかダメになっていても、5つあるうちのどれかで自分がいることが分かれば、きっと落ち着いてくれるだろうと。
そう思ったから。
「しの、ぶ……?」
「っ!そう、私よ!雪那、聞こえてる!?」
「しの、ぶ……どこ……?しのぶ……」
「ここ、ここに居るから!大丈夫だから!もう離れたりしないから!」
どうやら触覚すらも殆ど機能していないらしく、辛うじて働いていた若干の嗅覚で雪那はしのぶを認識した。
そしてそれと同時に彼女は刀を探すのをやめ、けれどしのぶの腕の中でしのぶを探すという行動をとりはじめる。
(幽女の噂は聞いていたけど、まさかここまで酷いことになっているなんて……!)
白い幽女の噂は聞いていた。
それの正体が雪那であることも、予想はついていた。
けれどそれはきっと彼女の容姿が原因でそう呼ばれているだけで、悲しいことや辛いことはあっても、そこまで深刻な事態に陥っているとは想像していなかったのだ。
「しのぶ……しの、ぶ……ごめんなさい、ごめんなさい。わたし、ひと、たすけられなくて……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝らなくていい、もう謝らなくてもいいから……私こそごめん、ごめんね雪那。貴女がそんなに追い込まれてたなんて私、知らなくて……」
しのぶの声は届いていない。
1月ぶりに素の口調で話すしのぶの言葉も、雪那は認識できていないのだろう。
けれど、抱きしめて背中を叩いているうちに段々と彼女は落ち着き始め、今度は涙と嗚咽を流し始める。
微かな匂いであっても、自分から離れていかないことがなによりも彼女を安心させたのだろう。
周囲は義勇と炭治郎も含めてその場を離れ、隠達も空気を読んで近付かないようにしていた。
「師範……雪那……!!」
そんな中、隠達の指揮を取っていたカナヲが2人がここにいるという話を聞いて慌てて駆け付けた。
雪那の様子がおかしいと聞いてはいたのだが、2人の様子を見ただけでカナヲはその深刻さを理解する。
「師範、雪那を貸してください……!」
「何かわかるの!?カナヲ!」
「………多分、生命力がほとんど、尽きかけてます」
「っ!どうしてそんなことに……!!」
これまで誰よりも一番近くにいたカナヲだからこそ分かる、雪那の今の状態の深刻さ。
しのぶから離れようとしない雪那の口元に自分の腕を持っていき、カナヲは彼女の口を広げて強引に噛ませる。
しかしある程度噛ませているとカナヲにも直ぐに限界が来てしまい、それでも雪那の顔色は殆ど回復しない。
「……っ、どうして……!」
何度も何度も雪那に自分の体力を分け与えてきたカナヲ。
普段ならばどれだけ疲労しても一度分ければ大抵回復した。
それなのに今は少しも良くならない。
単に足りないのか、それとも他に何か原因があるのか。
今この場では何も分からないし、しのぶにさえ前例が無い以上は手の施しようがない。
「とりあえず、一度蝶屋敷に運ばないといけません。雪那は私が抱えていきます、カナヲは後始末の指揮を任せてもいいですか?」
「はい、師範」
「疲れているのにごめんなさいカナヲ、お願いね」
その言葉を残すとしのぶは雪那を抱えて全力で蝶屋敷へと走る。
腕の中の雪那は気を失っており、まるで死んでしまったかのようにピクリとも動かない。
途中、柱合会議が開かれることを知らせるカラスがきたが、それすら無視して蝶屋敷へと走った。
当然だ、そんなことよりも家族の方が大切なのだから。
「しのぶ!……雪那ちゃん!?」
「雪那!?」
2人を真っ先に出迎えたのは、患者の受け入れ準備を始めていたカナエとアオイだった。
最後に見た時から変わり果てた雪那の姿に2人は驚いたものの、直ぐにやるべきことを理解して各々に手配して雪那の部屋に彼女を連れて行く。しのぶはカナエに雪那の症状について相談してみたが、彼女も全く見当がつかないとのことだった。
そもそも生命力が枯渇しているというのも雪那の雪女に関する性質の上に成り立っている可能性が強い。だとすれば、普通の人間の治療しかしたことのない自分達では分からないし、治療方法だって普通では無いのかもしれない。
今できることは彼女を安静にすること以外には無いという判断のもと、彼女の汗や汚れを落としベッドに寝かせる。ある程度のひと段落がつくと、しかし直後に那谷蜘蛛山からの患者が雪崩れ込み始め、アオイとカナエは今度はその対応に追われ始めた。
いま、雪那の側にいるのはしのぶだけ。
1ヶ月ぶりに見た愛弟子は、やつれて酷い顔をしていて、自分が大好きだった常に引っ付いてこようとする可愛らしい少女の姿はどこにも無い。
「雪那……」
久しぶりに撫でた彼女の体温は思っていたよりも低い。
しのぶはこの1ヶ月、雪那がどこでどのように過ごしていたのかを全く知らない。
元々旅立つまでにはもう少し時間があると思っていたら直ぐに旅立つことになってしまい、たまには帰ってくるだろうと思っていたら、遂に今日この日まで一度も帰ってこなかったのだ。
雪那ならばこちらから送らなくとも文が来ると思っていたら結局一度も連絡が来ず。彼女の動向を知ったのがまさかの例の噂話が最初だったというのは、本当に想定外の事態だった。
雪那が選別を抜けてから、しのぶは彼女を1人の独立した女性として見るようにし、あまりお節介を焼き過ぎず、甘やかし過ぎないようにと心に決めていた。
しかし、その結果がこれである。
彼女を1人にしたら、たった1月でこうなってしまった。
自分の判断は完全に間違っていたのである。
……けれど、よく考えればそうなることは事前に予想が付いたはずだった。
雪那が常に人の温もりに飢えていることを。
雪那が1人になるのを嫌がっていることを。
雪那が母親を亡くしてから1人で生きてきたことを。
しのぶは知っていた筈だったのだから。
「……雪那。ここまで導いた私が言うことじゃないけど、やっぱり貴女は鬼殺隊には向いてないわ」
そんなことは分かっていた。
自分が柱になろうと各地を飛び回る前の辺りで、既に雪那は行き詰まっていた。突きという長所があっただけ自分はマシだと思えるほどに行き詰まっていた。雪那がカナヲに追いつく事は絶対に無理だと分かってしまって、しのぶもあの時彼女にかける言葉が思いつかなかった。
だってしのぶは知っていたから。
彼女は剣よりも医術の才に溢れていることを。
彼女に教え続けたしのぶは誰よりも知っていたから。
剣士として生きるのは自分よりも困難な道になる、一度は挫折しかけた自分だからこそ分かってしまっていた。
本音を言えば、あの時点で剣士としての道は諦めて欲しかったのだ。
確かに雪那には上弦の弐を討伐するという目的はあるが、それだって彼女よりもっと剣の才に溢れた者が頑張ればいい話だ。
彼女がその分医術に詳しくなれば、それでマイナスは無くなる。
そうなることを、しのぶは期待していた。
それなのに、彼女は冨岡義勇から他の可能性を受け取り、それからの歳月で教わった全てを身につけた。水の呼吸の歩法を徹底的に研究し、何度も何度も義勇に教えを求め、誰がどう見ても再現するのは不可能だと思っていた"凪"でさえも劣化したとは言え身に付けた。
しかし、しのぶは見抜いていた。
それは決して剣の才能による結果ではないと。
彼女の血の滲むような努力と、研究という面で花開こうとしていた才による結果だと。
『雪那、どうして鬼殺隊になるのを諦めないのですか?』
上手くいかない修練に辛そうな表情をしていた彼女に一度だけそう聞いたことがある。
そもそも彼女にはこちらからお願いをして鬼殺隊に入って貰ったのが最初のきっかけだ。
諦めるための口実だったり逃げ道だったりはいくらでもある。
その時点でも大抵の隊士よりは強いのだから、柱にならなくとももう十分だろう。
それなのにどうして彼女はそんなにも強くなりたいのか。
ただカナヲに置いて行かれたくない、それだけが目的ではない様に思えて仕方なかった。
『……1人は、寂しいから』
『……?』
『みんな元気で、生きてた方がいい。みんな、死なないで、欲しい』
『……強くなるのは他人を守るため、と?』
『ん……家族が死ぬのは、悲しいから。それだけ』
彼女が鬼殺隊として強さを求める理由を聞いた時、それはとても尊いものではあるけれど、同時にとても危険なものだと思った。
個人がどれだけ強くなろうとも、救えない命はある。
柱になるほどの力をつけたとしても、救える様になった命の数はそうそう変わらない。
自分達は鬼殺隊として生きる限り、必ず他者の命を溢し続けることになる。
きっとそれは雪那の根底にある願いで、看護師として経験を積み、自分に他者の命を救える力があるという一種の傲慢から生まれたものだ。
そして、その傲慢は他者ではなく自分を蝕んでいくことになる。
しのぶは雪那に外回りの任務で救えない命があることを知ってもらい、その傲慢から解放されることを密かに願っていた。
(救えた命が、あったのね……)
本来ならば、普通の隊士ならば、そこで現実を知り諦めることができただろう。
しかし、雪那はきっと救えてしまったのだ。
普通では助からない様な命だって雪女としての力で救えてしまって、鬼の仕業だけではない病や毒からも人々を守ることができてしまった。
彼女の傲慢はむしろ任務に就く前よりも肥大化してしまい、諦めることができるラインが人よりも高くなってしまったのだ。
雪那はどう足掻いた所で根本的に鬼殺隊に向いていない。
彼女は本来ならばその頭と手先で医師として人を救う側の人間だ。
決して鬼を殺して人を守る側の人間ではない。
「師範、柱合会議の時間です」
「……欠席……とは、いかないでしょうね」
「……大事な議題なので、必ず出席するようにと。雪那については、私が変わります」
「……お願いね、カナヲ」
「はい」
後のことをカナヲに任せ、しのぶはその場を立ち上がる。
未だ目を醒さない雪那の手が自分の手から滑り落ちるのを感じてしまって、しのぶは酷く寂しい気持ちを抱えながらその場を離れた。