胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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31.雪女の歴史

「胡蝶……」

 

「……なんだ、冨岡さんですか」

 

「なんだとはなんだ」

 

柱合会議の後、しのぶは結局1日寝ずに雪那の看病をしていた。

カナヲはその間も何度も雪那に以前と同様の方法で生命力を分け与えたが、やはり変化は無かった。

今も雪那の隣でカナヲは力尽きて眠っている。

 

耀哉は確かに雪那についてはそのうちに回復すると言っていたが、その詳細までは分からないとも言っていた。

放っておけば勝手に回復するとは言っていないし、自分達が何らかの手を尽くしてこそ治るという可能性だってある。

 

しかし、どうしたらいいのか全く見当もつかない。

こんな症状は見たことがないし、いくら怪談話が好きなしのぶと言えど、雪女の病なんて話は一度も聞いたことがない。

どころか、きっとどんな書物にもそんな話は乗っていないだろう。

雪那自身なら何か知っているかもしれないが、その本人がこの状態なのだから意味のない仮定だ。

視力だけじゃなく聴力まで失ってしまっている今の雪那と言葉を交わすのはまず不可能。

何より一番混乱しているのは雪那自身なのだから、出来れば今は無理に起こさず眠らせておいてあげたい。

 

「それなのに……なんですか、また厄介事でも持ち込んできたんですか?冨岡さん」

 

「俺に八つ当たりをするな、炭治郎の件については謝るつもりはない」

 

「……分かってますよ、これが八つ当たりだなんてことは。

というか、ほんとに何しに来たんですか?ただ雪那の顔を見に来たというわけではないのでしょう?」

 

「ああ……これをお前に渡しに来た」

 

しのぶの軽口を受け流しながら、義勇は一冊のとても分厚い本をしのぶへと手渡す。

それはかなり埃が被っていたようだが、誰かの手記のようだった。

その本いっぱいに文字が書かれており、古びてはいても状態自体はそこまで悪いものではない。

 

「これは?」

 

「……那田蜘蛛山での一件。俺が召集に遅れた理由を、お前は聞いているか?」

 

「いえ。お館様から直々にお願い事があったとは聞いていますが、その内容までは」

 

確かに義勇はあの時、お館様からの召集に遅れてきた。

彼にしては珍しく、それでもかなり急いで来たのが分かるような有様で屋敷へと参上していた。

お館様から直々に頼まれたということならば自分が首を突っ込む必要はないと思いあの時は何も聞かなかったが、今思えば気にはなる。

例えばあの時、どうして防寒具のようなものを背負っていたのか、とか。

 

「……俺は、お館様から雪那の故郷を探すよう命じられていた」

 

「なっ」

 

「そして俺は飛騨の山中に降雪が決して止む事のない地域があると聞き、そこへ向かった。それはそこにあった廃れた小屋の中で見つけた書物だ。他に大したものは残っていなかったが、その本だけが床下に厳重に保管されていた」

 

「飛騨の、山中……」

 

実はしのぶには、その場所に聞き覚えがあった。

2年以上前、それこそカナエが童磨に襲われるより少し前の話になるが、しのぶはとある任務で飛騨の山奥を訪れていた。確かにそこは凄まじい豪雪地帯であった。

その時には森の中で鬼の相手をしていた為にそのような小屋を見つける余裕も無かったが、偶然にもそこに雪那が居たという。

当時雪那の母親が生きていたかは分からないが、その偶然を考えるとなんだか感慨深いものを感じる。

 

「それで、この本は一体……?」

 

「……ある"人間達"が代々残してきた雪女という種族に関する調査書、と言ったところか。それも一部は何かしらの原本を書き写したものなのか、古く難解な文字が多く俺にはよく分からなかった。これはお前が持っておくべきだろう」

 

「人間、達……?雪女ではなく、人間が残したものなのですか?」

 

「その辺りの事情は知らないが、雪女というくらいだ。子を残すにも人と交わる必要があったのではないか?事実、後ろの項には全ての代の雪女と人間の名前が記されている」

 

「……それは、確かに」

 

義勇の意外にも的確な言葉にしのぶも思わず納得してしまう。

雪女という話はあっても、男の話はなかなかない。

それにそもそも雪女は物語の中では人間と子をなすものだ。

物語の中では雪女としての自身の正体を隠しているものだが、この時代まで続いてきたというならば例外だっていくつもあるだろう。人間達が相手が雪女だと知っても寄り添っていたことだってあった筈だ。

 

そしてきっと、その全ての答えがこの本の中に記されている。

雪女という種族と共に過ごした人間達が、ただの1人も途切れさすことなく脈々と受け継いできたこの本の中に、全ての答えが詰まっている。

 

……だが、

 

「本当に、この本を私が受け取ってもよいのでしょうか」

 

「……どういうことだ」

 

「この本はきっと、雪女という女性達と生涯を共にした方達が代々引き継いで来たものなのでしょう?それを私なんかが受け取ってもいいのかと思いまして……」

 

ふとそんなことを考えてしまったのは、真面目過ぎるしのぶの悪い癖なのかもしれない。

けれどそんな話を聞いてしまえばこの手の中にある一冊がなんだかとても神聖なものに見えてしまって、そのような考えが過ぎってしまった。

それを言葉にしてからそんなことを義勇に言っても仕方ないと思ったが、意外にも義勇からの返答は為になるもので。

 

「……?お前はそのつもりではないのか?」

 

「は……?」

 

「……違うのか?」

 

相変わらずぬぼーんとした表情でそう言う義勇。

それが当然のように、むしろなぜそうしないのかと不思議に思っているような顔で、あっさりとそんなことを言う。

けれど、考えればそんな簡単な話なのだ。

自分が生涯この子を見ているならば、その覚悟さえできるなら、自分だってこの本を受け継いで来た人々の中に名を連ねる権利はあるだろう。

むしろここまで大切に思っている愛弟子を、今更手放すつもりなど自分には更々ない筈だ。

こんなこと、悩む必要すらなく答えを出せることだった。

 

「……ふふ、冨岡さんは時々すごい方ですよね」

 

「何か含みを感じるのだが」

 

「気のせいです♪……本、ありがとうございました。今度その雪那の故郷の場所も教えてくださいね」

 

「ああ、描いて渡そう。あとは頼んだ」

 

義勇はそう言ってその場を後にした。

 

しのぶはもう一度その本を見つめる。

きっとこの古びた本は、自分が新たに書き直し、書き足すことになるだろう。

いや、それが彼女達"雪女"という種族と生涯を共にする決意を固めた者の義務だ。

後世のためにも他でもない自分がやり遂げなくてはならない。

 

恐らく雪那の母親に当たる先代の"雪蘭"という名前と、その隣にある"芙美(ふみ)"という名前。

この女性こそが雪那の母と生涯を共にすることを誓った人物。

この次の欄に雪那と自分の名前が記され今後もずっと残っていくと考えると少し照れ臭い気もするが、必ずしも男性の名前を書かなければならないという訳ではないことを知り、しのぶは少しの安堵感を得る。

 

「……あれ?」

 

そういえばと、その欄に書かれた名前を追っていくと、しのぶはあることに気がついた。

かなり古い代から続いているのか、今の日本では使われていない様な文字も見られる名前の列。

右側の名前にどれも"雪"という文字が使われているので、間違いなくそこには雪女側の名前が書いているのだろう。

つまり左側、こちらには人間側の名前を書いている筈だった。

だがそこには、しのぶの想定の中ではあり得ない、ある共通点が存在していた。

 

 

「最初の代の人以外、全員女性の名前……?」

 

 

しのぶの疑問の答えは、全てその手の中にある。

 

 

 

 

 

 

蝶屋敷の大部屋の一つ。

多くのベッドが並んでいるここには今、炭治郎と善逸、そして伊之助の3人が寝かされていた。

全員そこそこの重症で今は休息することしか出来ないが、患者慣れしたカナエによって薬嫌いの善逸でさえも順調に回復し始めていた。

 

「……そうか、善逸も伊之助も雪那さんに助けられたんだな」

 

「ってことは炭治郎もか……」

 

「ゴメンネ、弱クッテ」

 

「伊之助は雪那さんの話を出すと直ぐ落ち込むんだな」

 

「それを聞き出すのも苦労したんだぜ?助けて貰ったってことしか教えてくれなかったけど」

 

ずっと寝かされていれば話すことも尽きてくる。なんとなく彼女についての話題は避けてはいた炭治郎だが、善逸から次第に彼女についての話が出てくるのも仕方のないこと。

そしてそうして話していると、あの時彼女がどれだけ奮闘していたのかということを知ることになる。

 

「それで、あの人今どうしてんの?俺お礼言いたいんだけど」

 

「……この屋敷の何処かに居る。けど、今も目を覚さないって」

 

「は!?なんで!?」

 

「分からない。蟲柱のしのぶさんが手を尽くしてるけど、一向に良くならないってカナエさんが言ってた」

 

「そうなのか……一回くらい話してみたいんだけどなぁ。言い方はキツかったけど、あの人絶対いい人だし」

 

「それは分かる。禰豆子が鬼だと知ってても守ってくれたし……あ、そうか。そのお礼もしないと」

 

「なんかお礼ばっかりされても困りそうだな」

 

結果的に言えば今回炭治郎達は時間稼ぎとしては十分な成果を果たしたと言える。

しかし、

もし炭治郎が下弦の鬼:塁を斬れていたら。

もし伊之助があの父蜘蛛を倒せていたら。

もし善逸が毒に侵されることなく勝てていたら。

もう少し彼女の負担を減らせていたかもしれない。

 

階級:癸の新規隊士にしては3人で2体の鬼を倒したり、下弦の鬼をあと一歩のところまで追い詰めたりと十分な働きをしたと言えるが、個人個人としてもう少し頑張りたかったという思いが出てくるのは仕方ない。

今回の件で自分達がまだまだ弱いということを再認識したが、もっともっと上があるということもまた知ることができた。

 

悔しいという気持ちと情けないという気持ち、今度は自分が助けに入る側になりたいという男の子の意地。

それは確かな燃料として3人の中に溜まっており、体さえ動けば今直ぐにでも鍛え直したいという欲求をもたらしている。

 

「……よし!寝よう!」

 

「え、どうした炭治郎いきなり」

 

「寝る子は育つ!寝れば治る!とにかく寝てはやく怪我を治す!」

 

「いや治んねぇよ、たくさん寝れば治るってらもんじゃねぇよ。どんだけ怪我してると思ってんのお前」

 

「おやすみ善逸!伊之助!」

 

「いや聞けよ!まだ昼間だよ!今から寝たら夜寝れなくなるだろ!」

 

善逸の言葉を無視してその場のテンションで眠りについた炭治郎。

もちろんこの日の夜、彼は全く眠れなかった。

 


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