胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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32.試される覚悟

「……先代の方々の熱い心遣いを感じる」

 

「師範……?」

 

「あーいえ……なんでもありませんよ、カナヲ」

 

義勇から手渡された調査書を読み始めて半日ほどが経った。

カナヲが目覚めカナエが運んできた夕食を今はモサモサと食べているが、しのぶはこのまま二徹する勢いで読み進めている。

そうしてひと段落をすると同時に、彼女はそんな感想を漏らしたのだった。

 

(1枚の文章に対して、それを自己解釈した文章がその後に何枚も何枚も続いてる……最後についてる名前も全部違うし、初代の人が書いてなかった項目もたくさん追加されてる。これだけで歴代の筆者さん方がどれだけ相方の雪女のことを大切に思っていたか分かるわね)

 

それは正に愛を形にしたと言うべきものだった。

先代の芙美(ふみ)という女性もこれを生涯に渡り書き続けてきたようで、炭の薄れ具合から一番古い文字から新しい文字まで数十年の年月の差を感じる。

 

そして、そんな彼女が最も最後に書き記し、歴代の者人間達が最も追記を重ねている項目。それこそが"雪女の病"という項目だった。

目次を見て一番最初に目についたこれから読み始めていたしのぶだったが、追記まで含めて読んでいた結果、半日経っても2つの病のうち1つ目までしか把握することができなかった。

 

それでも芙美と歴代の者達が最も重点的に記しているのは2つ目の病。

想像するに雪那の母親が苦しんだという病はこの2つ目に当たるのだろう、しかし今回の雪那の状態は1つ目のものだ。

とは言え、2つ目についてもいずれは読んでおくべきなのは間違いない。雪女である以上は雪那もまたこの病に襲われる可能性が高いのだから。

 

「カナヲ、雪那の治し方が分かりました。手伝って貰えますか?」

 

「はい。勿論です、師範」

 

しのぶとカナヲは雪那を治すために動き出した。

 

 

 

「冬の植物、ですか……?」

 

「ええ、どうやら雪那は生命力が枯渇している状態のようです。ただ、雪那は人から生命力を補充するのを拒んでいて……カナヲからは体力を分けて貰ってるだけみたいなの」

 

「……別に、少しくらいいいのに」

 

「そう言わないであげて、雪那もカナヲのことが大切なのよ」

 

雪那の病……それは"枯渇"と呼ばれる雪女特有の症状だった。

生命力を他者に分け与えたり等して枯渇した結果起きるものであり、その癖、他者から生命力を受け取ることは拒むという雪女の厄介な性質から生まれるものらしい。

だが、人から生命力を受け取るのを拒むのならば、人以外から与えればいい。

そこで人以外で最も彼女達に効率良く生命力を与えられるのが、冬の植物ということだという。

 

「おじさま?ここにある花、ここからここまで全部くださいな♪」

 

「おうよ!まいどあr……って全部!?」

 

「お金ならありますから問題ありませんよ?」

 

「え、あ、いや、それならいいんだが……嬢ちゃん、こんなに花買ってどうする気だい?なんかお偉い方でも来るのかい?」

 

「いえ、ある女の子への贈り物です」

 

「ちょ、ちょ〜っと過剰じゃないかい?……いや、まあ嬢ちゃんがそれでいいなら俺はいいんだけどよ」

 

……とは言え、どの植物が雪那に最も効果的に活力を与えることができるのかは分からない。

それならば質ではなく数で解決すれば良いではないか。

そんなこんなで、しのぶは金にものを言わせて花屋にあった花を殆ど全部買い占めた。

普段は姉に対して無駄遣いを注意する立場だが、雪那の為ならばしのぶの財布の紐は簡単に緩む。

雪那を助けるためならば全財産を費やしたとしても安いものだ……二徹しかけていることもあり、しのぶはもう全力だった。

 

「……師範、これはどう雪那に与えればいいのでしょう」

 

「単純に口元に持って行くだけで大丈夫だと思うわ。……あ、でも口に直接触れさせる時には気をつけるのよ?軽くとも毒性のある花もありますし、私が確認します」

 

花屋に借りてきた荷車に乗せて大量の花を蝶屋敷に持ち運んできた2人は、早速雪那に花を与えて見ることにした。

勝手がよくわからないので、とりあえず1本ずつ雪那の口元に当ててみる。

 

「っ……」

 

すると変化はみるみるうちに現れた。

彼女の口元に当てた花は一気にその色を茶に変え始め、花弁も葉茎も水分すら奪われる様に枯れ果てていく。

そんな変化はカナヲでさえも初めて見た。

普段は自分の身体を噛ませて体力を吸わせているが、これを見ていると確かに雪那はこれまで自分から体力以外のものは吸っていなかったことが分かる。

その何もかも奪い取るという様な有様には少しの恐怖さえも抱いた、雪那がその気になれば人の命すらも自分の糧にできるということなのだから。彼女が間違いなく只人ではなく雪女という妖の類だということを再認識してしまう。

 

「……花を束にするにしても5本が限度ですか。どの花が効率良く吸収されるかは明日から調べるとして、とりあえず今日は雪那が命の分配をどれくらい使えるかだけでも把握しておかないといけませんね。花ごとに比率を作って回復までにどの花が何本必要だったかを出せるようにして、あとは植物以外の可能性も模索してみましょうか。植物もいくつか取り寄せて、育った環境による違いも考慮しないと」

 

そんなカナヲを他所にブツブツと呟きながら研究者魂に火をつけているしのぶの姿。

とりあえず10回目で雪那は命の吸収を行わなくなった。

回数的にはこれが限界なのだろう。

 

今回与えた本数的には40本程度になるが、それでも雪那の顔色は前よりは良くなっていた。

なんとなく苦しそうだった表情も和らぎ、今もまだ目は覚さないものの少しだけ楽そうに見える。

 

その事実が何よりも2人にとっては嬉しかった。

何をしてもどうにもならず、何をしたらいいのかも分からなかった以前と比べれば、少しずつでも回復してくれているだけずっとマシだ。

 

しのぶもそんな雪那の様子を見てとても安心した表情を見せている。

雪那が回復する日も近いだろう。

 

(……ただ、この本だけは早めに全部読んでおかないといけませんね。

特に枯渇とは異なるもう一つの病、"雪溶(ゆきどけ)"について……この項目だけ他の項目とは桁違いの量の追記がなされている。

もし雪那の母親がこの病が原因で亡くなったのなら、先代でさえも結果的には治すことができなかったということ。

治す方法がまだ見つかっていないのか、治す方法がとても困難なものなのか……何にしても間違いなく今回の様に発症してから対処しては手遅れになってしまう。)

 

今回の件でこの本に書かれている内容が如何に詳細なものかが分かった。

そして雪那が教えてくれなかった雪女の"厄介な性質"についても知ることができた。

 

きっとこの本は雪女と共に過ごす為に必要なものであり、雪女と付き合う覚悟をこちらに試すためのものでもあるのだ。

 

(……つまり、私はまだ雪那の隣に名前を並べる資格は得ていない。この本の内容を全て理解し、雪女という種族を真に理解し、それでもなお彼女と居たいと願った時に初めてそこに名を残すことができる。)

 

今回"枯渇"についての項目を理解する為だけにこの本の中身を覗いてみたが、それでも自分が知らない事実に多くの驚愕を得た。

例えば、雪女がその気になれば自分の命さえも他者に譲り渡すことができるということ。

 

一見すればそれは人を生き返らせることが出来る素晴らしい能力にも見える。

 

……しかし同時に、それはとても恐ろしいことだ。

 

チラリと見ただけだが、やはり過去に何人かその力によって命を助けられて"しまった"相方が居たらしい。

相方にしてみればそんなことは地獄でしか無いだろう。

こんな書を残すほどに愛していた者が自分の為にその命を費やした、生き返ったとしても生きる意味がない。けれどその命を無駄にすることは決してできない。

 

今のしのぶが、もし雪那がそうしてしまった時のことを想像しただけでこんなにも苦しくなるのだ。生涯を共にすることを誓った彼等がどんな気持ちで後の生を全うしたのか、考えるだけでも恐ろしい。

 

……きっと、これからこの本を読むにつれてもっと動揺させられる様なことを知ることになるだろう。

それは試練だ。

自分は試されているのだ、歴代の者達に。

 

しのぶの目に表紙の裏に書かれていたある言葉が目に入る。

それは先代の芙美という女性が残したものだ。

雪那を知り、雪那の母親を知る女性の言葉。

 

『愛したことだけは後悔したくない』

 

彼女は一体どんな気持ちでこの言葉を残したのだろう。

たくさん悩んで、たくさん後悔して、きっと彼女は生涯に渡って試され続けたのだ。

 

この本を見ていれば分かる。

彼女がどれだけ雪蘭と呼ばれる雪女を愛してしまっていたのかが、どれだけ彼女を想って行動していたのかが。

だが、そんな彼女でさえもこんな言葉を残すくらいに苦悩した。書き殴る様にしてこんな言葉を残さなければならないほどに、深い悲しみを抱くことになった。

 

……それならば私は、本当に生涯に渡って雪那を見守る覚悟ができるのだろうか。

 

しのぶの心に一抹の不安がよぎった。

 


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