「っ、師範!雪那が……!」
「!?雪那、大丈夫!?私のこと分かる!?」
いつも通りカナヲが雪那の側で本を読み、しのぶがそんな2人の様子を見にきたその時に、変化は起きた。
「……しの、ぶ……?カナ、ヲ……?」
雪那が目を覚ました。
柱合会議から1週間ほどが経った日の事だった。
「視力が戻ってる……!耳は!?聞こえる!?」
「ん……しのぶの声、聞こえる……」
「よかった……!よかった……!!」
しのぶに抱き付かれ、雪那はその時になってようやく心からの安堵の表情を見せる。
この時ばかりはカナヲも照れを隠さず嬉しさを表に出して雪那に対して抱きついた。
久しぶりに感じる2人の体温はとても暖かくて、雪那はそれだけで涙が出そうになってしまう。
「もう、ばか!どうしてこんなになるまで無茶したの……!」
「……私が、頑張れば……助けられた、から……」
「それで雪那が死んじゃったら意味無いでしょう……!ずっと連絡待ってたのに、一人で無茶して!私がどれだけ貴女のことを心配してたか分かってるの!?」
「……私も、しのぶに、あいたくて……でも、あわせるかお、なくて……」
「私達は家族でしょう!合わせる顔なんて必要ないじゃない……!貴女がこうして帰ってきてくれるだけで、私はこんなにも嬉しいのに!」
「っ、……ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ほんとよ……こんなにも私に心配させて、謝ったって許さないんだから」
雪那の前ではどうしても昔の自分が顔を出してしまう。
けれど昔は嫌いだったかつての自分のその口調が、今は以前の雪那との生活を思い出すことができて嫌いじゃない。
人前で涙を見せるのは嫌いだが、今はそれすら気にならないくらいに嬉しい。きっととても酷い顔をしているだろうが、そんなこともどうでもいい。今はこの感情に身を浸していたい。
「全く、2年経っても子供なんだから。家に帰ってくることも1人でできないだなんて……もう1人で外になんて出してあげないからね」
「……無事で、よかった」
「……ごめん、なさい………」
カナヲと自分の腕の中でしがみ付く様にして啜り泣く雪那に、しのぶはぎゅーっと顔を押し付ける。
ずっと心配していた。
ずっと不安だった。
顔色は解消していくのに一向に目を覚さない彼女に、何が足りないのかと何度も病の項目を読み返した。
溜まりに溜まっていたフラストレーションが今まさに爆発してしまっている。
怒りと嬉しさと愛おしさが混ざりに混ざってこの過剰なスキンシップに昇華されていた。
「し、しのぶ……くるしい、かも……」
「1ヶ月も放っておかれたのよ?これくらいは我慢して受け入れて欲しいわね」
「……う、うれしいから……いい、けど……」
「〜〜っ!可愛いなぁ、もう……!」
「ふぎゅ」
「わ、私も……」
「むぎゅ」
しのぶとカナヲによって両側から押し潰される雪那。
しかし、その顔は心からの幸福に満ち溢れたものだった。
「……そう、そんなことがあったのね」
「私、どうなる……?」
これまで自身の身に起きたことを、雪那は包み隠すことなくしのぶに報告した。
雪那とて迷惑をかけた自覚はある。
目を覚ました時の2人の表情を見れば誰にだって心配をかけてしまったことは分かるだろう。
特に、しのぶは本当に珍しく涙まで流していた。
彼女のことをずっと見てきた雪那がそう思うのだから、どれほどの心労をかけてしまったのかということも察せてしまう。
「多分、任務の与えられ方が変わるわ。基本はここで過ごして、雪那の力が必要な任務だけお願いされることになると思う」
「……でも、それだと」
「勘違いしないの。今まで雪那がこなしてきたことは、他の人にだって出来ること。けど、これからは雪那にしかできないことを求められる様になるの。それは決してサボってるわけじゃないの」
「……うん」
「まだ何か悩みごと?」
「……他の人はずっと続けてられるのに、たった1ヶ月でダメになった自分が、情けない」
雪那の気持ちは、なんとなく分かる。
他の人間が日々当たり前にこなしていて、その他の人間という対象も数多くの者達だ。
それなのに自分だけが早々にリタイアしてしまい、周囲に迷惑をかけてしまった。
自分だけができない。
自分だけが続けられない。
これはただの甘えではないのか?
自分は我慢が足りないだけではないのか?
考えが甘かっただけではないのか?
そんな自分への否定の言葉が妙に説得力をもって自分の心の中に揺蕩っているものだから、雪那の気分はどうしても晴れることがない。
そしてなにより、期待してくれた者達を裏切ってしまったような気がしてしまい、雪那はしのぶの顔さえも真っ直ぐに見られなかった。
……そんな雪那の気持ちも、しのぶにはよくわかる。
「雪那、この世界は誰にだって平等なわけではありません」
「……?」
しのぶはわざと普段の様に言葉を戻して、雪那に語りかける。家族としてではなく、鬼殺隊の先達として彼女に助言を授けるために。
「他人にとってどれだけ快適な場所でも、ある人にとっては地獄であったりもします。他人にとって幸せな出来事でも、本人にとっては不幸せなこともある。どうしてだと思いますか?」
「……考え方が、違うから?」
「惜しいです。答えは、貴女に自分があるからです」
トンと雪那の胸に指を立てる。
とても優しげな顔で、しのぶは言葉を続ける。
「他の人ができることができる、他の人が幸せなことが同じ様に幸せに感じる。きっとそれは凄く安心することで、違えば凄く不安になること。雪那は今感じているのはそういうことでしょう?」
「……うん」
「けど、それは本当におかしいことでしょうか?例えば雪那、岩柱の悲鳴嶼さんは富岡さんの服を着られると思いますか?」
「……無理」
「そうです、同じように私達が冨岡さんの服を着ようとするとぶかぶかになります。その場合、雪那はどうしますか?」
「……他の服を、探す?」
「よくできました。……一般的と呼ばれる大きさの服を、必ずしも皆が着れるわけではない。それなら、自分に合った服を探さなければならない。それと同じことです。
鬼殺隊の任務を全員が同じ形で続けられるとは限りません。私も、アオイもそうでした。それなら、どうすればいいと思いますか?」
「……自分に合った形を、探す」
「そのとーり♪……そう、ただそれだけの話なんです。雪那は今回、たまたま着ることができない服を与えられてしまった。だから別の服を試してみることにする。これはただそれだけの話で、雪那が思っているほど深刻なことではないんです」
しのぶの言葉は、なんというか、詭弁のようにも聞こえた。
だが確かに、そう考えれば大したことのないようにも聞こえる上手い言葉の使い方。
……今の雪那にとってはそれがなにより必要なものだと、しのぶは知っていたからそう話した。
今の雪那に一番大切なのは、慰めの言葉でも叱り飛ばすことでもなく、その考えの処理の仕方。根本的な解決法にならなくてもいい、真面目な雪那に逃げ道を与えられればそれでいい。
そしてしのぶは今、考え方という逃げ道を用意した。
「もし、それでもどうしても責任を感じてしまうのでしたら、その分この蝶屋敷でたくさんの隊士達を助けてあげて下さい。ここは万年人手不足ですから。雪那の力がここには必要なんですよ」
しのぶの言葉に雪那は一つ頷きを見せる。
そんな雪那をしのぶはまた抱き締めた。
悩めばいい、考えればいい、もっと頼ってくれていい。だって愛しているから。彼女のためなら、どれだけだって付き合ってあげられる。
「私はいつでも雪那の味方、いつだって助けてあげる。だから、雪那も私が困ったら助けてね。それが家族なんだから」
「……好き」
「私だって大好きよ、雪那」
互いにその言葉がどういう意味を持つかはまだ理解できていない。
けれど、互いに互いをおもい合っていることだけは確かで。
しのぶは仕事に追われ、まだあれから例の本を殆ど読むことができていない。
あの一冊の次第によって2人の今後は変わってくるだろう。
……けれど、どうなったとしても、2人のおもいは変わらない。
そう、信じている。