胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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37.しのぶの決意

訓練を始めて1月あまり。

蝶屋敷の住人達の協力もあり、ようやく3人は怪我の完治と全集中の呼吸・常中の習得まで漕ぎ着けた。

最初は諦めていた善逸と伊之助も炭治郎の成長を見たことで奮起し、カナエとしのぶに上手いこと乗せられたことで短期間でなんとかやりきったのだ。

……結局3人は最後までカナヲと雪那に訓練で勝つことはできなかったが、それはまあ別にどうでもいいこと。

3人のプライドが粉々になっただけである。

 

そして、そんな3人の完治を見越したかのようにいつものカラス達が炭治郎達の元に指令を届ける。

それは同時に、個室で薬を調合していた雪那の元へも……

 

『無限列車ー!無限列車に走レー!人ガ消エテ居ナクナルー!竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の3名と共に炎柱:煉獄杏寿郎ヲ追エー!』

 

「……行かなきゃ」

 

雪那はその指令を聞くと、手早く薬を作り終えて予め用意しておいた荷物を背負う。

行く準備だけはとうの昔にできていた。

雪那はそのまましのぶのいる小部屋へと向かう。

 

「……もう、来ましたか」

 

「ん、いってきます」

 

「そんなに急いでも炭治郎くん達の準備ができてませんよ。……こっちに来なさい、雪那」

 

「……ん」

 

しのぶは全てを知っていたかのようにして雪那のことを待っていた。

1カ月の癖が未だに抜けず任務と聞けば足早に向かおうとする雪那を引き留め、その胸の内にある焦りの感情ごと彼女の身体を包み込む。

 

「………」

 

「しのぶ?」

 

「……ごめんなさい、どう声をかけたらいいか分からなくなってしまったんです。忠告しておきたいことはたくさんあった筈なのに、こうしてしまった途端に全部頭から消えてしまいました」

 

そう言って笑うしのぶ、雪那は久しぶりにしのぶのこの口調を聞いた。ここ最近は基本的に自分の前では以前の口調に戻っていたので少し違和感もあるが、彼女の中でも何かしら決まりがあるのだろう。それとも単に自身の感情を隠すために使っているのか。

とは言え、こうして顔が見えなければ雪那でもしのぶの心は分からないので、雪那はただ彼女の後頭部をじっと見つめる。

 

「……本当のことを言えば私はもう貴女をここから出したくありません。自分の目の届かない所に行って欲しくないし、もう戦いの場に送り出したくもない」

 

「でも……」

 

「ええ、分かっています。知ってしまった以上、もう見て見ぬ振りはできない。救える命があるのに、引き篭もっていることはできない。雪那がそういう優しい子だということは、私が一番よく知っていますから」

 

「………ん」

 

そう、しのぶは知っている。

可能なら雪那だってずっとここに居たいと思っていることを。

雪那な優しい子ではあるが、決して強い子ではない。普通の子だ。どれだけ隠していても内心では普通の少女の反応を示している。

自分が今この子と離れたくないと思っているということは、彼女はもっともっと強くそう思っている筈だ。彼女はとても寂しがり屋だから。

 

それでもこうして他人のために旅立とうとするのは、彼女のその優しさ故なのか、それとも雪女としての性分なのか。

きっとそのどちらもか。

 

でも、そんな彼女だからこそ大好きなのだ。

そんな彼女の尊さを愛しているのだ。

ならばここで止めてしまえば、しのぶは自分が大好きな彼女を否定してしまいことになる。

 

「……ねぇ雪那?帰ってきたら何かして欲しいことはありますか?」

 

「なんでも、いいの……?」

 

「もちろんです、何かご褒美があった方が雪那も頑張れるでしょう?」

 

「……」

 

雪那は考える。

しのぶがここまで言うということは、恐らく大抵のわがままは許してくれるのだろう。

とは言え、ぶっちゃけしのぶは普段から雪那の大抵のお願い事は聞いてくれる。そもそも雪那には物欲というものがほとんどない。

考えても考えてもしのぶとイチャイチャしていたいくらいのことしか思い付かず、非常に困る。しのぶは"なんでもいいのよ?"と笑って待っていてくれるが、ここで何も無いというのも彼女の好意を無碍にするようで……

 

「……!」

 

「何か思いつきましたか?」

 

「しのぶと、遠いところに行きたい」

 

「遠いところ?……つまり、どこかに旅行に行きたいと?」

 

「ん、2人で」

 

「……なるほど、旅行ですか」

 

思い返せば、確かに雪那と遠出をするという経験がしのぶには全くなかった。

姉のカナエとは現役だった頃に任務で、カナヲとはこの1ヶ月で様々な場所に行ったことだが、雪那と出掛けたのはせいぜい近くの町程度。

それに旅行というのも鬼殺隊に入ってからは全く無縁のものだった。偶にある休暇中に遠出をして薬の材料を集めがてら温泉に入ることなどはあったが、それもある意味では仕事の一環だ。自ら休みに、遊びに行こうと遠出をした覚えは一切ない。

 

「うん、そうですね。分かりました、そうしましょう!ちなみにですが、雪那は具体的にどこに行きたいとかはありますか?」

 

「えっと……海、海が見たい!芙美が言ってた、水がたくさんある場所って……!だから、えっと……」

 

「……分かったわ、海ね。私に任せて」

 

芙美(ふみ)、しのぶはその名前を知っている。

例の本の中にあった、雪那の母親に生涯を誓ったとされる女性。

彼女の追記の中に雪那の名前が何度か出てきたことからも2人が親しくしていたのは知っていたが、雪那の口から彼女の話を聞いたことが無かった。

こうして彼女の名前を聞いたこともそうだが、なにより雪那がその彼女から聞いていたという海にこれほど強く主張するほど興味を抱いていたということに驚いた。

 

(そういえば私、雪那の過去のことはまだ何も聞けていないのよね。雪那が誰と、どうやって過ごしてきたのかとか)

 

どれくらい休みが取れるかは分からないが、できるならば彼女にとって良い思い出になるようにしたいとしのぶは思う。

そして、彼女のその思い出の中で隣に居られるのが自分なのが本当に嬉しいと……

 

(……また変なこと考えてる。雪那の側に居続ける覚悟もできてない私がそんなこと考える資格なんてないのに)

 

「………?」

 

しのぶの表情の変化に雪那は疑問を持ったが、当のしのぶがそれを隠すようにして立ち上がる。

しのぶが何について悩んでいるのか雪那は知らないし、彼女が自分達の家にあった筈の本を持っていることすら知らない。

ただ自分に何かを知らせたくないというしのぶの意思だけは感じ取り、追求はしない。

 

「雪那が帰ってきたら直ぐにでも行けるように用意しておきます。ほら、そろそろ任務に行く準備をしましょう?雪那に渡したいものもありますので」

 

「……分かった」

 

今は黙ってしのぶの後ろをついていく。

あまり自分のことで悩まないで欲しいと雪那は思う。

雪那は本当に、しのぶの隣に居られるだけでいいのだ。他には何も望まないから、側に居させてくれるだけでいい。

いつまで続くか分からないこの暖かで幸福な日々を、変わることなく終わりの日まで浸らせていて欲しい。

 

 

 

 

しのぶが雪那のために用意していたもの、それは日除けの為のものだった。

日傘にかなり深めの帽子、首隠しに"さんぐらす"と呼ばれる黒の眼鏡。どれも例の服屋に取り揃えて貰ったものばかりで、かなりの値段の品々だ。

フル装備してしまえば西洋から素性を隠して来日した令嬢か何かかと思ってしまう様な見た目になるが、もともと雪那の容姿は目立つ。同じように目立つならばこちらの方が街中等では何倍も立ち回りやすいだろう。

 

また、鬼殺隊は日頃から刀を隠しておかなければならない立場だ。一部の無頓着共は置いておいて、しのぶも外出の際には布袋に包んで持ち運んでいる。

しのぶは雪那にも自身の使っているものと同様の布袋を手渡すと同時に、彼女の持っている日傘の手元の部分をカチリと回し引き抜いて仕込み刀を見せたりもした。

これはしのぶのお手製である。

 

そんなこんなで治療用の器具などもあり一気に荷物の増えた雪那だが、昼間に十分に動くためには仕方ないと諦める。

雪那がこのように炭治郎達と任務に行くのは、彼等に足りない部分を補う為だ。

それは世間的な常識や警察や住民との関わり、他にも治療役や行動方針の助言など。

基本的にはサポートとして働き、主導は炭治郎達に任せることになるが、それでもサポートとして出来ることが多いに越したことはない。

 

大きなかばんに布袋で包んだ刀を括り付け、刀を仕込んだ日傘を片手に雪那は夕暮れ空の下をしのぶと共に歩く。

もしかしたら緊急時は仕込み刀を使うよりもこのかばんでぶん殴った方が早いかもしれない。

そんなことを考えながら雪那は鍛錬場の方に目を向ける。

 

「……カナヲと、炭治郎……?」

 

「え?」

 

雪那の言葉にしのぶも2人に気付く。

そこでは縁側に座っているカナヲに炭治郎が何かを話していた。きっと今日までのお礼か何かを言っているのだろう。

 

あれから炭治郎はカナヲに常中のコツや戦闘時の技術等を聞いていたため、2人はそれなりに話すようになっていたのだ。

炭治郎は相変わらずの笑顔で彼女に話しているが、驚くべきはそれを聞いているカナヲの方が薄らとではあるが確かな笑顔を向けていることか。

それは決して作り笑いではなく、彼女が本当に嬉しい時に見せる心からの笑顔。

 

「……カナヲ」

 

 

よかった、雪那がそれを見てまず最初に抱いた感想はそれだった。

蝶屋敷の者達以外とあまり関わろうとしないカナヲ、雪那はそれを以前からどうにかならないものかと気にしていた。そんな彼女が、今は炭治郎という蝶屋敷の外からやってきた人物と心からの笑顔が見せられる様になるほどに打ち解け始めている。

ずっと自分のことばかりを気にかけてくれていた彼女が、ようやく自分の人生の幸福を探すことができはじめたように感じて、雪那は本当に嬉しかった。

 

「しのぶ、先に行こ」

 

「え、でも……」

 

「カナヲの邪魔しちゃだめ、行こ?」

 

「……ええ、分かったわ」

 

そう言ってしのぶの手を引いて門の方へと早足に歩いていく雪那の姿。

しかし雪那がカナヲの成長を嬉しく思っている一方で、しのぶは全く別のことを考えていた。

前を見ている雪那に気付かれないように、悲しげな表情を隠しながら。

 

 

 

ねえ、雪那?

私はね、もし炭治郎くんが貴女を選んでくれたらなって思ってたの。

そうすればあの欄に名前を刻むのが私ではなくなるから。

 

ねえ、雪那?

私はね、もうこれ以上あの本を読みたくないって思ってるの。

あの本を読み終わった時に.私の貴女への気持ちが少しでも変わってしまっているんじゃないかって怖くなって。

 

ねぇ、雪那?

私はね、貴女のことが本当に大好きよ。

貴女は私に助けられてるって言うけれど、私の方がずっとずっと貴女に助けられてる。

だからずっとこうしていたい。

ずっと貴女の側で貴女を見守っていたい。

 

炭治郎くんに貴女を選んで欲しいって思おうとしてたけど、本当は心の底でホッとしてる自分もいるの。

自分でも醜いと思う。

貴女を見守る覚悟もできないくせに、中途半端な気持ちで中途半端な事しかしていない。

 

ねえ、雪那。

私は本当に本当に貴女のことが大好きなの。

貴女を、ずっと離していたくない。

貴女が側に居ない日が辛くて辛くて仕方ない。

永遠に会えなくなる日なんて考えたくもない。

 

……だから、そろそろ私も変わらないと。

変わらないと貴女の側に居られない。

変わらないと貴女の手を掴めない。

変わらないなんてことは許さない。

 

ねえ、雪那。

私、頑張るから。

貴女の側に居られるようになるために、貴女の全てを受け入れられれように、強くなるから。

 

……だから、もう少しだけ時間を頂戴。

貴女が次に帰ってきてくれる時までには、絶対に全部を受け入れられるようになるから。

 


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