「雪那……相談、したい」
「……?カナヲが相談なんて、珍しい?」
ある日の朝、雪那は突然カナヲからそんな言葉を受けた。
雪那は3日後に迫ったしのぶとの旅行の為に色々と準備や薬の作り置きなどをしている所だったが、どうやら今のカナヲの様子を見ている限りでは相当な悩みがあるらしい。
彼女は珍しく深刻な表情をしていた。
「ん、どんな相談?私でも答えられる?」
「多分……あ、あのね」
まだ互いにまともな会話も出来ない頃から側に居た2人だ。今更この2人の間に隠し事なんてほとんど無いし、しのぶにも話せていない事をカナヲだけが知っていることだって沢山ある。
だからこそ、そんなカナヲがこんなにも話すことを躊躇っていることに雪那は気になった。
温かいお茶を彼女に出し、一旦落ち着かせてから気長に話を待つ。
「あ、あのね……胸がね、ぎゅってなるの」
「……狭心症?」
「わ、わかんない……もしかして病気なのかなって思って、雪那に見て欲しくて」
「ん……ちょっとこっち来て、調べてみる」
「ありがとう、お願い」
雪那は早速様々な器具や方法を用いてカナヲの身体を調べていく。
蝶屋敷の住人は定期的に健康診断を行なっているため大きな病気は大抵そこで分かるはずだが、こうして実際に症状が出ているのなら油断はできない。
それにもしカナヲが大病を患っているとすれば、旅行など行っている場合ではないのだ。病気の家族を残して遠出をするなど、雪那には決してできない。
「……どうしよう、わかんない」
「そんな……」
しかし、今回ばかりは雪那にも原因は分からなかった。
カナヲはどう調べても何の問題も無い健康体。
自分の知らない症状なのかと関連書物を見てもその様な記述は無いし、そもそも今の雪那の知識量は相当なものだ。雪那でも分からないと言うならば、しのぶにだって分からないだろう。
雪那は手掛かりを掴む為、色々と彼女に質問をしてみる。
「その胸のぎゅっは、いつ頃から?」
「えっと、雪那が炭治郎達と出かける少し前くらいから……」
「どれくらいの頻度?」
「わかんない……けど、最近は多い」
「最初のきっかけとか、分かる?」
「ん……炭治郎と話したあと、だったと思う。炭治郎が銅貨を使って、私に"心のままに生きればいい"って言ってくれて。その後に」
「……ん?」
その瞬間、ピコーンと雪那の頭の中で何かが閃いた。
しかしまだ結論を出すには早い。
雪那は更に詳細な質問をカナヲに投げていく。
「その胸のぎゅっは、戦闘の時には起きない?」
「う、うん。それは大丈夫」
「それが起きる時、嬉しい時とかぽかぽかしてる時が多い?」
「えっと、そうかも」
「もしかして、近くに炭治郎が居る時に起きてる?」
「っ!確かに、そうかもしれない。すごい、どうして分かったの?」
「原因が分かったから」
雪那はその時ようやく胸を撫で下ろす事ができた。
どうやらカナヲの病は危険なものではないらしい。
むしろこれは祝うべきものだ、カナエに伝えてしまえば直ぐにでも赤飯を炊こうとしてしまうだろう。
勿論、そんなことはしないが。
「カナヲ、よく聞いて」
「うん」
「それはね、病気じゃない。人が健全に成長すれば、必ず一度は体験する約束事みたいなの。だから、カナヲは大丈夫」
「そうなの……?雪那も?」
「ん、私も。3年くらい、ずっと」
「そんなに?大丈夫……?」
「うん、大丈夫」
心配してくれるカナヲに、雪那は笑顔で答える。
彼女は雪那にとっては姉妹も同然。
姉でもあるが、妹でもある。
そんな彼女が健全に成長してくれているということが、雪那はなによりも嬉しかった。
彼女の手を取り、少しだけ背中を押してみる。
「その胸のぎゅっ、嫌?」
「……そんなに嫌じゃ、ないかも」
「それならね、もう少し我慢。何が原因なのか、自分で考えることが大切。たくさんぎゅってなれば、カナヲもたくさん成長できる」
「ほんと……?じゃあ、炭治郎のところに行っても大丈夫?」
「ん、いっぱい行こ。大丈夫だから」
「そっか……よかった」
カナヲがとても可愛い、雪那はニコニコである。
そのぎゅっの正体は雪那からは決して明かさないし、明かさない様にしのぶを経由してカナエにまで徹底させるつもりだ。
別に自分で気付くことがそこまで大切なことだとは雪那も思っていないが、自分の淡い気持ちに気付いて悶えるという経験はなかなか出来る事ではない。
できるならカナヲにはその経験をして思い出にして欲しいと雪那は思ったのだ。
考えて、悶えて、恥ずかしがって、嬉しくなって、勇気を出して、それこそが醍醐味と言えるのだから、その一つ一つをカナヲにはしっかりと味わって貰いたい。
雪那はその日、このことをしのぶとカナエにも報告する事の了解だけ取ってカナヲを部屋へと送って行った。
もし相談事があれば遠慮なく言って欲しいし、気軽に文も出して欲しいと伝えて。
そして雪那はその足で早速しのぶの元へと向かっていく。
「ゆ、雪那!それは本当!?」
「ん、間違いない。まだ自覚してないけど、芽は出てる」
「な、なるほど、炭治郎くんはそっちを選んだのね……ま、まあ今となってはそれで良かったというかホッとしたというか……」
「……?何の話?」
「っ!な、なんでもないのよ!?ほんと!ほんとに!!」
しのぶが何故か情緒不安定になっているが、それもカナヲの成長が喜ばしいからだと雪那は判断して流すことにした。
そして雪那はこのことをカナヲに自分で気付いて欲しいということと、カナエを興奮させないように手伝って欲しいという事をしのぶに相談する。
「……ああ、それは確かに雪那の言う通りね。この事を知れば姉さんは絶対に大暴れするでしょうし。3日くらい赤飯が続く未来が想像できるわ」
「あんまり意識させて気まずくさせたくない」
「そうね、私もそう思うわ。ただ、私も珍しくうるっとしてきてるくらいだし、それを知った時の姉さんを私達だけで抑え切れるかどうか……」
「でも、早く言わないとカナエが気付いちゃう」
「う〜ん、こうなったら助っ人を呼びましょうか」
「義勇……?」
「いや、富岡さんは無いです。あの人は姉さんに逆らえませんし、なにより恋愛事にはからっきしですから」
「じゃあ誰にするの?」
「ふふふ、恋愛と言えばもちろんあの人です♪」
しのぶは早速筆を取り、恋の専門家を呼ぶのだった。
「カナヲちゃんが恋をしたって本当!?」
「か、甘露寺さん……は、早かったですね」
「当たり前じゃない!すっごく遠い所に居たんだけど、全力で帰ってきたんだから!!」
「えっと、3日以内で良かったのですが……」
「何言ってるのしのぶちゃん!恋は1分1秒が大切なのよ!?呆けている暇なんて無いわ!」
文を出してから僅か半日ほどで彼女は蝶屋敷に駆け付けた。
髪も服も汚れているところを見ると、本当に全力で走ってきたのだと分かる。疲れている様だが、彼女の瞳には明らかな炎が宿っていた。
「ええと、とりあえずお風呂に入って来てください。お話はそれからにしましょう」
「分かったわ!それじゃあみんなでお風呂に行くわよ!」
「え……?」
「みんなでお風呂に入れば時間が短縮できるもの!ほら!しのぶちゃんも雪那ちゃんも行くわよ!」
「え、えぇ……」
「ちょっと甘露寺さん!?」
これについては義勇もそうであるが、彼女も蝶屋敷の浴場については常連であり、彼女は慣れた足取りでそこに向かって歩いていく。
しのぶと雪那を同時に担ぎながら……抵抗しても無駄だと分かりきっている2人はされるがままに連れて行かれ、服を脱がされるのだった。
「もう、強引過ぎますよ甘露寺さん。まあ時間的にも夕方なので構いませんが……」
「えへへ、ごめんね。ちょっと興奮し過ぎちゃったみたい♪」
「ん」
「あ、ごめん雪那。目に入った?」
「大丈夫……」
「2人は本当に仲良いわよね〜♪」
雪那を座らせて後ろから髪を洗うしのぶ。
これももう何年も続いている2人の習慣の様なものだ。
元々は雪那の髪の洗い方が下手で、その白い髪が痛むのを見ていられなかったしのぶが始めたことだが、これの変わりに雪那はしのぶの背中を洗ったり流したりもしている。
雪那とてもう自分で自分の髪くらいは洗えるのだが、止める決心など付くはずもなく今もズルズルとこうして続いていた。
「へ〜、炭治郎くんかぁ♪確かに情熱的でいい子よね!カナヲちゃんは彼のどんな所に惹かれたのかしら?」
「ん、そこまで詳しくは……けど、"心のままに生きればいい"って言われたって」
「あ〜、それは状況によってはカナヲに突き刺さる言葉かもしれないわね」
「けど、炭治郎くんは今は禰豆子ちゃんのことで精一杯だし、それが解決するまでは進展は難しそうね」
3人は身体を洗い終えて湯船に浸かる。
雪那はいつも通り、しのぶの足と足の間に座り、彼女にもたれかかる。
そんな雪那をしのぶは慣れた様に受け入れて後ろから彼女を抱き締めた。
もう一度言うが、これもいつものことである。
特に普段と違う点は無い。
「別に焦る必要は無いのよ、恋の在り方なんて人それぞれだもの。カナヲが相談して来ない限りは干渉する気はないですし……ねぇ、雪那?」
「ん、カナヲのやり方で頑張るのが大事」
「え、そうなの?そ、それじゃあ私はどうして呼ばれたの!?」
「姉さんにも忠告しておこうと思ったのですが、私達だけでは止められそうにないので」
「恋愛相談役じゃなくて押さえ付ける役!?」
「蜜璃、恋愛得意……?」
「うっ!……そ、それを言われると何とも言えなくなっちゃうんだけど!でもでも!私仮にも恋柱なんだよ!?」
「普通の恋愛相談なら宇髄さんかその奥様達にお聞きするのが一番無難ですから。お館様やあまね様もこういったお話はお好きなようですし、お二人に相談するのも良いかもしれませんね」
「既婚者には勝てない……!」
日々忙しく働いている産屋敷一家であるが、基本的に方々から聞く話の大半がよろしくない事ばかりであるため、彼等はこういった幸福な話が大好きであったりもする。
きっと輝哉ならばそんな話を嬉しそうに聞くだろうし、あまねならば普段の無表情を崩して優しく色々なことを教えてくれるだろう。
しのぶはそれに気付いてから、柱合会議の中で一度は本当に小さな事であっても幸福な話題を出す様にしている。
それはしのぶから他の柱にも伝わり、彼等も最近ではお館様に提供できる様な幸福な話題を探している節が見られる。
少しずつではあるが、会議の雰囲気も柔らかくなってきていたりもする。
「大体!雪那ちゃんもしのぶちゃんもイチャイチャし過ぎなのよ!私だってしたい!ずるい!」
「イチャイチャって、いつも通りよね?雪那」
「ん、いつも通り。……しのぶ、頭撫でて?」
「はいはい、これでいい?」
「うん、これ好き……」
「ふふ、その代わり私にもほっぺ触らせて?」
「みゅあぁ……」
「ほらイチャイチャしてる!またイチャイチャしてる!!いいな〜!私も甘えて欲しいなぁ!」
「例え甘露寺さんにも雪那は渡しませんよ?甘露寺さんも自分の継子を取りましょう」
「うぅ、私の恋の呼吸は特殊過ぎてできる子が……」
「まずは弟子を探すところからですね」
「もう!私だって絶対絶対可愛い女の子を弟子にしてみせるんだから!」
武器から動きから筋力まで、果たして彼女と同じくらい恋の呼吸に適合できる女性が居るのかどうか……そもそも女性の隊士の少ない鬼殺隊においてその条件に合う人間を見つけるのは、彼女が結婚相手を見つけるよりもずっとずっと難しいかもしれない。