「じゃあ、行ってくるわ。カナヲ、アオイ、姉さん、後はお願いね」
「ええ、任せて」
「お気をつけて」
「雪那、師範、気をつけて……」
その日の夕方、雪那としのぶは蝶屋敷を出ようとしていた。
長い長い旅行の始まり。
少しだけ遠い海を見て、そのまま最終目的地まで向かう。
途中で出会さない限り、鬼と戦うこともないだろう。
極力、鬼舞辻達に見つからない様に雪も霧散させて歩く。
その代わり雪那の消耗を防ぐために休憩もかなりの頻度で取るつもりだ。
近くの任務に参加することも無いし、雪那には常中の呼吸すら使わせることはない。
本当に戦いから距離を置いた旅になる。
「しのぶちゃん」
「……大丈夫、姉さん。分かってるから」
「……?」
雪那はカナエとしのぶが妙に真剣な顔付きでそんな言葉を交わしていたことが不思議で仕方なかったが、これからの事が楽しみで特に気にはしなかった。
屋敷の住人達に見送られ、2人は手を繋いで歩き出す。
「雪那、体調は大丈夫?」
「ん、元気。今日はどこまでいくの?」
「目標は2つ向こうの小さな町よ。平凡なところではあるけど、行商人が多くてね。珍しいものとかもよくあるの」
「珍しいもの?」
「うん。例えば不死鳥の羽とか、山神の牙とか♪」
「……偽物?」
「ふふ、流石に雪那は騙されないわよね。ようするに、それが一見本物に見える様な加工品が売ってたりもするの。偽物ではあるけど、一つの芸術作品として意外と需要があるのよ?」
「……奥が深い」
なんて。
何の変哲もない会話をしながら真っ暗な山道を進んでいく2人。
雪那も遠出をしたこと自体はあるが、そのどれもが任務関連でのものだったため、こんなにも平穏な気持ちで歩き続けるのは初めてだった。
……それこそ、最初に山を降りてきた時も。
目的を持って降りて来て、世間に目を向ける余裕なんてこれっぽっちも無かった。
「しのぶ」
「ん?なあに、雪那」
「私、色んなものが見たい。色んなことを知りたい。……できる?」
「……当たり前じゃない。そのためにたくさんお休みを取ったんだから。雪那が満足して、もう帰りたいって言い出すくらい連れ回しちゃうんだから」
「……!うん、楽しみにしてる」
その言葉に偽りはない。
しのぶが休みをいつまで取ったか……実は具体的な日数を彼女は指定していない。
本当は1月のつもりだったが、姉との対話の後に直接輝哉の元へ向かい、事情を話した。
引継ぎはもう済ませている。
柱としては失格で、今も戦っている者達のことを考えれば許される事ではないだろう。
けれど、そんな非難の声すら受け入れる覚悟で彼女は今ここに居る。
カナエが言った様に、しのぶの覚悟はまだまだ足りなかったのだ。
姉の言葉を聞いて、本音を言えばまた苦悩した。決めた筈の覚悟の中に微かにではあるが自分の鬼への憎悪が入っていたことに気づかされてしまったから。
そして、雪女に寄り添って来た人間達の抱いていた苦悩の本当の意味について理解した。
自分が今持っている何もかもを捨てて、本当の意味で彼女達に自分の人生を捧げることができるのか……
大切な人間をなによりも優先するのは当然のことだ、と簡単に言い切ることができるのは彼等について何も知らない人間だけだ。
しのぶはもう知っている、彼女達の隣に居ることを選んだ者達がどれだけ悲しい思いをしたかということを。
「ねえ、雪那?雪女の話を聞かせてくれないかしら?」
「……どうして?」
「そういえば雪那からそういう話を聞いたことってあんまり無いなぁ、と思って。だめ?」
「……分かった」
本当は、全部全部知っている。
けれどしのぶは直接雪那の口から聞きたかった。
彼女が考える自身の種族についてを。
こう聞いた時に、彼女が何から話そうとするのかを。
「……雪女の監視者の話とか、聞く?」
「雪女の、監視者……?」
ただしのぶが予想外だったのは、雪那が話し始めたその話が、あの本のどこにも書いていなかった様な内容だったことだろうか。
雪女の監視者、そんな言葉はあの本のどこにも記されていなかった。
雪女のことについては本当にその全てが記されている筈の、あの本にだ。
「それは、なんなの……?」
「雪女が生涯を共にする相手を見つけた時に現れる人のこと……これまで全ての代で現れた」
「雪女を、監視してるの?」
「分からない。彼等はただ2人の前に現れて、問答をして、消える。それだけの存在」
「……雪那は会ったことないの?問答の内容とかも知らないの?」
「ない。お母さんはあるって聞いたけど、問答の内容については誰にも教えたらいけないって」
「……そう、なんだ」
それが本当のことなのかは分からない。
ただ、もしそれが本当の話だとするならば、なんで残酷なことをするのだろうと、しのぶは思った。
雪女の監視者?
馬鹿を言うな……その話が本当ならば、彼等はそんな生優しいものではない。
その問答とやらは確実に、雪女ではなく、側に寄り添う人間を試すものだ。
生半可な気持ちでそこに立ってはいないか。
お前は本当の意味で覚悟ができているのか。
それをこちらに突きつけるためのものだ。
心で決めて、言葉に出すだけでは許されない。
雪女の前で、監視者の前で、自分の覚悟と気持ちを晒さなければならないということだ。
そこまでしなければ『生涯を共にする』などと口にするな、という人間側への脅迫だ。
雪女が相手に選ぶような人間だ、その脅迫の効き目は桁違いになる。
「……?どうしたの?」
「っ!う、ううん、何でもないの。……えっと、他の話とかも聞きたいわ。何かない?雪那」
「えっと、じゃあ雪女の支援者とか。雪女が危機に陥った時や生活に困った時に手助けをしてくれる、顔も姿も隠した謎の人のことなんだけど」
「……それって監視者と同一人物じゃないの?」
「……そうかも」
鬼を狩る組織があるように、雪女を監視する組織ももしかしたらあるのかもしれない。
そう考えた時、そんな最後の雪女である彼女を鬼狩として危険な目に合わせていた自分は、もし彼等と会った時に一体何を言われるのだろう。
しのぶは自分に選択を迫る要因がまた一つ増えたことに動揺を隠せなかった。
「お館様」
「カナエ……しのぶと雪那は、行ったのかい?」
「はい……あの、あまりご無理をなさらずに」
「今日は少しだけ調子がいいんだ。こういう日に話しておかないと、2度と伝えられなくなってしまう」
しのぶと雪那が旅立って直ぐに、カナエは輝哉の元へと向かった。
用件は一つ、事前にカラスで送っていた探し物の件についてだ。
「カナエ、君の手紙を読ませて貰ったよ。雪那の今後についてもね」
「………はい」
「これから私は2つほど、君に、いや君達にとってかなり酷な話をしなければならない。どちらも当然よくない話だ」
「どちらも、ですか」
「そうだ、まず一つ目。雪那が初めてここにやって来た時、私は君達に言ったはずだ。雪那は上弦の弐を犠牲無しで倒すのに必要不可欠な存在だと」
「ええ、ですが……」
「実はあの時、私は直感していた。雪那が上弦の弐と戦う未来を。そして、その直感は今なお変わっていない」
「そんな……!!」
輝哉の言葉にカナエは驚愕と絶望の表情を隠せない。
そしてそれを話した輝哉さえも悲しげな表情をしていた。
「しのぶがどう決断しようとも、雪那が例え何を選んだとしても、彼女は必ず上弦の弐とぶつかる。恐らくこれは、避けることのできない運命のようなものだ」
「でも、それじゃあ……!」
「そしてもう一つの悪い話。これは今の話よりももっと深刻な話だ」
「っ!」
これ以上に辛い話があるのかと、カナエは思わず聞きたくないと思ってしまった。
雪那が上弦の弐と戦うことなど、今のカナエにとっては絶対に起きて欲しくないことの一つだ。それ以上の最悪の話と言うのならば、それはもしかしなくとも探し物の話で……
「雪女が苦しめられる病の一つである"雪解け"。歴代の人間達が生涯を費やして探し続けたものの、ただの一度も見つけることが叶わなかった治療に必要なある素材。……私は、それについて知っている」
「っ!……ですが、最悪の話なんですよね?」
「ああ。"雪解け"の治療に必要な材料である『青い彼岸花』は、鬼舞辻無惨が自身の不死のために千年間探し続け、それでもなお見つからない幻の存在だ」
「そん、なっ……」
「鬼舞辻はこの千年間、多くの鬼を使いそれを探し続けたが、それでも少しの情報すら掴めていないという。正直、雪那の話からこの単語が出て来た時には私も驚いたよ。そこに繋がるのか、とね」
「でも、それでは雪那ちゃんを救うことは……!」
「……絶望的、としか言いようがない。それに仮に見つけてしまえば、それが鬼舞辻の不死に繋がってしまう可能性もある。何の手がかりも無いという現状こそが、鬼舞辻と対する上で最高の環境なんだ」
「つまり、捜索はあまりしたくないと……?」
「……鬼舞辻は近いうちに必ずここを攻めてくる。せめてその後、そうでなければ本当に最悪の事態になりかねない。もちろん、探したところで何の手がかりも得られない可能性もあるけどね」
「………」
輝哉の言葉は一件冷たいようにも見える。
だが、もし鬼舞辻が完全な不死を手に入れてしまえば、この国はお終いだ。本当に手が付けられなくなってしまう。
雪那1人のためにそんな危険を犯すことはできない。
カナエはそれを分かっていて、分かっているからこそ何も言えなくなってしまった。
妹に覚悟を迫った癖に、自分が覚悟できていなかった。
そしてそもそも、カナエは半分諦めてしまっていた。
鬼舞辻無惨が千年もの莫大な時間をかけて探したにも関わらず、情報の一端すら掴めていない。そんなものをこの僅かな時間で探し出せる筈がない。相当に自惚れてでもいない限り、誰だってその結論に達する。
雪那を救う方法は、無いということに。
「お館様、雪那は……」
「……しのぶから受け取ったこの報告を見る限り、長くは生きられるないだろうね」
「今からでも!今からでも上弦の弐を倒せば!」
「無理だよ、カナエ。それは君が一番知っている筈だ。義勇達がまとめてかかっても傷一つ付けられない程に強大な血鬼術、柱だった君でさえも気付かぬうちに刀を取られてしまう程の身体能力。生半可な対策ではあの鬼は倒せない」
「でも、お館様……!!」
「………」
カナエの悲痛な叫びに、普段ならばどんな質問に対してもスラスラ答える事ができる輝哉でさえも答える事ができない。
それがそれほどに深刻な事態であるとカナエは知ってしまい、彼女の表情はより暗くなった。