その村は確かに異様な場所になっていた。
どこにでもあふような何の変哲もない外観、しかしそこに住んでいる人だけが異質。
額から突き破る様に1〜2本の角や鋭く尖った歯を持った恐ろしい形相の者達が、普通の人間と変わらない生活を送っている。
外部からここへ来る者は居ない。
ここに住んでいる者達すらも表情は暗い。
この静かな村は不安に満ち溢れている。
「つまり、貴女方はこの病を治せると……?」
「私というかこの子がこの病について知っているようで」
しのぶはまずその村の村長を訪ねた。
村長もまた額から1本の角を生やしているが、変化はそこまでまだ進んでいないようだった。
しかし村の長として誰よりも不安と恐怖を抱えており、雪那が治療法を知っていると聞くや否や、身を乗り出して問いかける。
「本当に!本当に治せるのですか!?」
「ん、直ぐにでも」
「よかった……!よかった……!」
どうやら村長の話では、もうここには医者ですらも足を踏み入れようとしないらしく、先日この村で最も最初に病に罹った1人の男が我を失って暴れ出したのをきっかけに村民達の不安は更に加速したという。
その男は結局自身が死ぬまで暴れ続けた。
いずれ自分達は迫害の対象になるか、被害を食い止めるために全員が殺される、そうでなくとも我を失って暴れてしまうのだろう。
治療法の一つもないこの病に、村民達は限界に近くなっていたらしい。
「えっと、雪那?結局この症状の原因はどういうものなのか分かるの?」
「ん、原因は妖気」
「妖気……?」
雪那はそう言うと村長の指を軽く噛む。
すると、村長の額に生えていた角がポトリとその場に落ち、みるちるうちに肌の色や歯の形が正常なものへと変化していった。
村長は久しぶりに見た自分の正常な肌色に嬉しさと驚きを隠せない様にして喜ぶ。
「人間が強い妖気を継続して浴びると、こうなる。治すには妖気を取り除くしかない」
「つまり……雪那は今それを吸い取ったのね?」
「ん、だから治すのは簡単。問題は原因の方」
「原因……人をこんな風にしてしまうくらい強い妖気を持ってる妖が居るってこと?」
「ううん、それはない」
雪那は今度は村長にこの村の地図を持ってくる様に頼み、大方の方角を指定して尋ねる。
村から見て山の方角、この辺りで最近何か起きたりしなかったか、と。
「……そう言えば、先日の地震で土砂崩れが。最初に角の生えた男もその山の直ぐ近くに住んでいました」
「多分、その時に埋まってた何かが出てきた」
「何か、とは……?」
「殺生石、みたいな」
「ひえっ……」
「また物騒な単語が出てきたわね……」
殺生石と言えばあの有名な九尾の狐が自身の死際に残した、人々に災いをもたらす毒石のことである。
しのぶは確かその石は那須野の方にあったと思い返す。現存しているその石は砕いた破片の一つに過ぎず、他の破片は全国各地に飛散したらしい。もしかしたらそれはその一部なのかもしれない。
久しぶりにしのぶの怪談話好きの血が騒ぐ。
「それで、私共はどうすれば……」
「石割りの道具を貸して欲しい、私なら壊せるから。……あと、今日泊まれるところも」
「そ、それくらいなら勿論ご用意させて頂きます!人が逃げてしまって部屋だけならいくらでも空いていますから、ご自由にお使いください!」
「ありがと。……えっと、村の人治すから、集めて欲しい」
「はい!よろしくお願いします!」
それからは早かった。
村長の家の前に30人程の異形の人間達が並び、治った人間から山とは真逆の方角にある集会所の方へと避難していく。
夜も近いものの村民達は互いに協力し合い、僅か1時間ほどで全員の治療が完了した。
雪那の顎は疲労しているが、多くの人々からお礼を言われたことで本人はとても嬉しそうにしていた。
そして雪那としのぶはそのまま村長から灯りと石割り道具を受け取り、土砂崩れがあったとされる山へと向かう。
「……そういえば、私は殺生石の近くに行っても大丈夫なの?雪那」
「ん、近くの妖気は私が吸ってるから。むしろ近くにいないと危険」
「えっと、それを吸ってる雪那は?」
「……多分、大丈夫」
「雪那?今、多分って言った?ちょっと、こら!待ちなさい……!」
雪那としのぶが土砂崩れのあった場所に辿り着くと、やはりそこには異質な雰囲気を漂わせている真っ黒な丸石がそこにあった。
妖気なんて分からないしのぶですら嫌悪感を催す様なそれに、しのぶは自然と雪那の影に隠れる様に身を引いてしまう。
「……っ、しのぶ。後ろにいて」
「え、ええ……雪那は、大丈夫?」
「ん、ちょっとどきどきしてる」
「あ、その程度なのね……」
「早く割っちゃお」
雪那は鞄から石槌とクサビを取り出し、呼吸で筋力を向上させて石に打ち付けていく。
槌を打ち付ける度に周囲の空気が震える様な、そして悲鳴のようなものが聞こえてくるため、しのぶはもう完全に雪那の背中にしがみ付いて震えているが、雪那は淡々とそれを破壊していった。
周囲に濃密に広がっていた妖気の雰囲気は石の小さく細かくなっていく程に薄くなっていき、大気の振動と悲鳴の様な音もどんどん小さくなっていく。
そうして残ったのは核のような、一際黒い小さな玉のようなもの。
雪那はそれを摘み出すと何の躊躇いもなく口元へと持っていく。
「ゆ、雪那!?大丈夫なの!?」
「ん、大丈夫……だと思う」
「だからその"だと思う"やめてってば!」
パキンっと雪那はその核を噛み砕いた。
直後、周囲に漂っていた妖気は完全に消え失せ、悲鳴は情け無い声と共に消えていった。
雪那が吐き出した黒い核の破片は灰となって飛んでいき、周囲から先ほどまで全く聞こえていなかった虫や鳥の声がし始めた。
なにもかもが元通りになったのだと、しのぶは分かった。
「……終わった、の?」
「ん……終わっ、た……」
「雪那!?」
しかしその直後、雪那が背後にいたしのぶの元へと倒れてきたことで事態は一変する。
雪那の息はとても荒い。
熱も多少あるらしく、顔も真っ赤になっていた。
しのぶが雪那を抱き抱えると、雪那はしのぶにしがみ付いて小さく震える。
頭と体をぎゅ〜っと押し付けて、その様子は尋常ではない。
「雪那!ま、待ってて!直ぐに村に戻るから!」
「お、願い……」
しのぶは雪那を抱えたまま、予め村長に用意されていた村の中にある今は使われていない一軒家に向かって走り出した。
医療道具も全部そこにある。
そこまで行けば大抵は何とかなる。
村民達は今夜は集会場で過ごすことになっているため村の中には居ないが、むしろこれはよかった。
余計な邪魔が入らず、治療に集中できるということなのだから。
「雪那、大丈夫……?何が必要?何か欲しいものある?」
「……側に、居て」
「雪那……」
宿に着き既に敷いてあった布団に雪那を横たわらせようとしたしのぶだったが、雪那はどうしてもしのぶから離れようとしない。
ただ何かを堪えるようにふるふると震え、しのぶにしがみ付いている。
しのぶは妖気など知らない。
あの本にもそんなことは書いていなかった。
何をどうすればいいのか分からず、とにかく自身も布団の上に座り雪那を抱き抱えていた。
時折大きく雪那が身体を跳ねさせる度に、しのぶの心臓も跳ね上がる。
「雪那……そろそろ話して?妖が妖気を摂取しすぎると、一体どうなるの?」
「………」
頑なにそれを話したくないと言った様子の雪那。しかし、しのぶとていつまでもこの状態では恐ろしくて仕方ない。
しのぶは視線を逸らす雪那の顔をジッと見つめ、話すまでこうしていると無言の圧力をかけていく。
雪那も必死に抵抗するが、時間ならたっぷりとある。しのぶは無理矢理視線を合わせるかのように雪那の顔を覗き込む。
……すると、だいたい5分ほどで雪那は観念したのか、必死に顔を見せないようにして言葉を発し始めた。
相変わらず、顔を真っ赤にしたままに……
「……百鬼夜行の、長は、んっ……一番、妖気の強い妖が、なる」
「……?う、うん」
「妖気を、浴びても、んぅっ……妖は、強く、ならない。回復も、しない……ひぅっ……」
「それなら、どうして?」
「………昂る、から」
「昂る?」
「……そう」
「昂る……昂る……?……あっ」
瞬間、しのぶの脳内に電流が走った。
「あ、ああ……あ〜……なるほど」
「……ぅぅ」
確かにそう言われてみれば今の雪那の状態は正しくそれで、つまりきっと彼女は今そういう辛さを必死に堪えているのだろう。
それは言い難いはずだ。
しのぶは軽く謝りながら雪那の頭をポンポンと撫でてやるが、どうやらそれすらも辛いようで、余計にしがみつく強さが増した。頭を撫でられただけでピクピクと過剰に反応する様子は言っては悪いがとても可愛らしい。
「えっと……大丈夫よ、雪那。私は全然そんなの気にしないから」
「うぅ、もうやだぁ……」
「ほら、もう恥ずかしがらないで存分に甘えなさい。思いっきりぎゅ〜ってしてあげるから」
「あっ、やっ、それだめ……!」
「はい、ぎゅ〜っ!今の雪那、と〜っても可愛いわよ?頭も背中も、い〜っぱい撫でてあげるからね〜♪」
「うぅ……くぁっ、ひぅ……!」
「大丈夫、大丈夫♪大好き、大好き、大好き〜♪」
「ううぅ……!しのぶ、意地悪ぅぅっ……!」
「はいはい♪時間はあるし、気が済むまでこうして撫で撫でしててあげるからね〜♪」
「むぅぅ!もうやだぁ……」
結局、この後朝が来るまでずっとしのぶに抱き締められながら背中をさすられていた雪那は、しのぶの肩に染みをつくるくらいに服に噛み付いていたのだから、幸福に殺されるというのはこのことだったのかもしれない。
そのままもう一泊その一軒家を貸してもらったのだが、雪那の昂りはその日の夕方まで治ることがなかったという。
「本当に、本当にありがとうございました!」
「いえ、こちらこそ2日もお世話になってしまって。とても助かりました」
村を出る日、2人は多くの村人達に見送られることとなった。
子供から大人までその変化のせいで未来を憂いていた多くの人達が、今やそこに少しの不安もなく、みな笑顔に満ち溢れている。
気付けば頭を下げてお礼ばかりする村長に、雪那は少し困ったような笑顔で言葉を返す。
「もしまた何かあったら、陰陽師の末裔を頼って。衰退してるけど、軽傷程度なら治せる筈」
「貴方様に助けて頂くことはできないのでしょうか……?」
「……来れたら来るけど、確実なのはそっちだから。重症化する前にそっちを頼って」
「は、はい……どうかお気をつけて。またお会いできる日を村民一同楽しみにしております」
「ん、私も。……行こ?しのぶ」
「そうね、行きましょうか」
結局のところ、あの凄まじい妖気を放つ石のようなものの正体はわからなかった。
丸石という形的に九尾の殺生石の破片という訳でもなければ、この周囲に有名な妖が居たという記録もない。
あれほどのものを人間が生身で処理するのは殆ど不可能に近い、近寄るだけで発狂してしまうレベルだ。もしあれと同様のものが他にもあるとするならば、それはそれで鬼と同じくらいの脅威になるかもしれない。
自分には鬼を倒す以外にもやるべき事がある。
雪那はその事実に少しだけ気合を入れ直し、輝哉にあてる手紙の文面を考えながら歩き始めようとする。
「………っ?」
「雪那、どうかしたの?」
「ん……ちょっと、立ちくらみしただけ。もう大丈夫」
「そう?きつかったら言うのよ?おぶってあげるから」
「……ありがと」
目的の海が少しずつ近づいて来る。
しかし雪那の直ぐ後ろからもまた、何か薄暗いものが這い寄ってきていることに、2人はまだ気づいていない。