胡蝶の雪   作:ねをんゆう

51 / 86
51.家族のために

「カナエ様、よろしいでしょうか?」

 

「ん?あら、アオイちゃん?どうしたの」

 

「いえ、もう朝食の時間でしたので……今日も一睡もされなかったのですか?」

 

「ふふ、まあまあ」

 

普段よりも少しだけ静かな蝶屋敷。

しのぶと雪那は居らず、カナヲも任務で外に出ている。

炭治郎達は吉原へと向かい、騒がしくする人間はここにはもう居なかった。

 

「はぁ……あまり無理をなさらないでください、今は多少落ち着いているとはいえ」

 

「違うわ、アオイちゃん。無理はできる時にしておかないと駄目なの。これからはその無理もできなくなるくらい忙しくなるんだから。やるべきことならいくらでもあるのだし……」

 

「……鬼の治療薬に雪那の治療薬、そして鬼舞辻への対抗薬の開発ですか。どれも頭の痛くなる問題です」

 

「もともと私は薬の開発方面には力を入れてなかったから、なかなか上手くいかないのよね。しのぶちゃんと雪那ちゃんには敵わないわ」

 

アオイの持ってきた温かいお茶をカナエは啜る。2人が旅立ってからかれこれ1週間ほどこうしているが、どの薬に関してもこれっぽっちの成果も得ることができていない。

 

鬼舞辻への対抗薬は、まず敵の抵抗力が分からない上に投薬方法から考えなければならず、今はとりあえず後回しにしている。これは様々な人間の意見がいると考えたからだ。輝哉にも相談したが、彼からは『もう少し待って欲しい』と言われている。きっと今はその機ではないと言うことなのだろうと、カナエは解釈した。

 

次に鬼の治療薬、これはカナエが以前から研究していたものだが、どうしてもサンプルが足りない。元凶となる鬼舞辻無惨の細胞を多く持っているサンプルが欲しいが、それは十二鬼月からしか得ることが出来ず、知っている限りでは比較的扱いやすい下弦の鬼は殆ど壊滅してしまっている。上弦の鬼を相手に細胞をとって来るのはほぼ不可能に近い。普通の鬼の細胞から情報を取り出そうと奮闘してはいるが、やはりなかなか上手くいかない。

 

……そして、最後に雪那の治療薬。

最優先で進めているこちらの研究が1番の問題だった。

 

「アオイちゃん、お願いしたものはどうだったかしら?」

 

「……あまり良い報告はできそうにないです。飛騨の辺りに居を構える育ての方々にも鴉を飛ばしてみたのですが、雪女を含めた妖の情報は得られませんでした。あとは現存する陰陽師の末裔とされる者達ですが……鬼の活動が活発になっているからか、数ヶ月ほど前からの消息が一切掴めず」

 

「そう……実は私の方も良い報告はできそうにないのよね」

 

カナエはそう言って一つの木箱の中身をアオイに見せる。

それは身の芯まで完全に凍りついた子供の鼠の死体。

今もまだ冷気を放っているそれを、アオイは息を飲んで覗き込む。

 

「カナエ様……これは……」

 

「……1週間ほど前、雪那ちゃんの皮膚の一部を生まれたばかりの鼠に移植してみたの。完全に生命反応が無くなったのは2日ほど前ね。本当は私の皮膚にする予定だったのだけど、これを見たら中止せざるを得なくって」

 

カナエが試しにその死体に熱いお茶を一滴垂らすと、その滴は一瞬にして氷の飛沫と化す。

まるで空気すら凍り尽くそうとするようなその有様は、こうしえ見ているだけでも恐ろしい。

 

「しのぶちゃんが読み解いたこの本によると、今の雪女は生まれた直後は普通の人間の赤ん坊と変わらないそうなの。姿も性質も、それこそ体温だって同じ。……ただ、彼女達は大人になるにつれて段々と雪女の性質を発揮し始める」

 

「それが、これですか……?」

 

「ううん、これはきっとその性質を加速度的に早めた結果よ。鼠の子供に移植したことで雪女の細胞の成長速度が宿主に合わせるようにして跳ね上がった。これはつまり、雪女がいずれは必ずこの異常な存在になるということの証明ね」

 

雪女の死体は必ず飛騨の奥地にある雪原に埋めるようにという記述があったのは、きっとそのせいだ。雪女は死んだ後もこうして時間と共に周囲のものを凍らせる異物になってしまう。

彼女達の死体を弄ばせることのないように、そして決して世界に悪影響を及ぼす事のないように、そうするように定められているのだろう。

 

「……まさか、雪女の"雪解け"という病の正体って!」

 

「そう、正に目の前のこれよ」

 

本当に小さな皮膚の欠片ではあるが、雪女の細胞は子供の鼠を支配し、宿主はその変化に適応することが出来ず命を落とした。

ならばこれが人間だった場合にはどうだ。

人の体と共に成長する雪女の細胞、直系であるが故にそれなりの適応をしているとは言え、人間にとって体温というものはどれだけ対策を講じたところで必要不可欠なものだ。

ある一定の時期に達した時に直系の存在である彼等でさえも耐えられなくなる程に体温が低下してしまうとするならば、それは正しく彼女達の寿命とも言える。

 

「で、でも!雪那の母親は30近くまで生きていたと雪那本人が言っていたじゃないですか!それなら雪那だって今焦らなくても……!」

 

「違うわ、アオイちゃん。しのぶならとうの昔にここまでの結論に至っていた筈だもの。それでもあの子は雪那ちゃんに時間が残されていないって言った。他の雪女と違って、雪那ちゃんにだけある特別なもの。それが何か分かる?」

 

「………まさか、全集中の呼吸、ですか?」

 

「ええ、呼吸法は一度に大量の酸素を血中に送り込んで身体能力を活性する技術。心拍数を上げるだけではなくて、その人物の体温も上げてしまう。……そして、悪いことに雪那ちゃんはそれを常に続ける常中を会得してしまっていた」

 

そもそもある程度の体温を維持していなければ人の体は十全に動くことはできない、呼吸法とはその極地の話だ。自分の身体が最も良く働く適温に保ち続ける技法でもある。

 

雪那がなぜ自分に適応した呼吸法をわざわざ作り出したのか、どうして習った呼吸法を自分の使いやすいものに作り直し、原型のまま使おうとしなかったのか……

それは技術や体格の問題だけではなく、体質としてそもそも使えなかったからだろう。

従来の呼吸法はあくまで普通の人間に合わせて作られたものであり、普通の体温を持たない雪女では使えない。

だから自分の形として新たに作り出す必要があり、彼女はその才覚故に作り出すことができてしまっていた。

 

「呼吸を使う人間は普通の人間より病にかかりにくかったりするけれど、それは呼吸を使うにつれて身体がその状態を維持しようとし始めるからよ。……つまり、使い続ければ体温も上がるし、それを保とうとしてしまう」

 

「本当はむしろ下げないといけないのに、上げたまま保とうとしてしまったら……!」

 

「この鼠のように移植されただけなら雪女の細胞を死滅させるだけで済む……けれど、雪那ちゃんの身体には雪女の細胞と人間の細胞が混合して存在してる。どちらの細胞を殺してしまっても、あの子は命を落としてしまうの」

 

体温を上げれば人間の細胞は生き残るが雪女の細胞は死ぬ、体温を下げれば雪女の細胞は生き残るが人間の細胞は死ぬ。

2つの細胞の適温の幅は時間と共に狭くなっていき、呼吸によってバランスの乱れた雪那の場合は更に狭くなってしまっている。

その進行が具体的にどれくらい進んでいるのかは分からないが、少なくとも彼女のことをずっと隣で見てきたしのぶは楽観的には考えていない。

彼女がこれほど急いで旅の準備をしたのも、海という何処でも達成できそうな目的地にかなり遠い場所を選んだのも、必ずその辺りの事情が関係しているに違いない。

 

「カナエ様、私達は一体どうすれば……」

 

「……正直に言えば手の出しようがありません。それこそあの子の身体をまるごと別のものにでも変えたりしない限りは」

 

「た、例えば身体の成長を止める薬とかはどうでしょう?今のまま維持できれば少なくとも普通の生活はできますし」

 

「考えられるならそこですが、これもほぼ不可能に近いです。全ての細胞の成長を止めるということは、病や環境に対する適応変化に相当な影響が生じます。それに雪那ちゃんは先天性の白皮症。今は呼吸によって健康な生活ができていますが、元々の抵抗力は普通の人よりもずっとずっと弱い」

 

「……寿命よりも病で命を落としてしまう方が早いってことですか」

 

鬼化を治すよりもずっと可能性が無い。

助けられる方法が見つからない。

医療の現場だ、これまでも助けられないことなんて何度もあった。

けれど、自分達の家族がただ衰弱していき、それに何も手を出すことができないということほど無力を感じることはないだろう。

 

「……しのぶの報告を待ちましょう。その間に私達は少しでも情報を集めるのよ、私も引き続きこの細胞の性質について調べてみるから」

 

「はい、私ももう少し情報網を広げてみます。雪那が山を降りてきたように、他にも人里まで降りて来ていた雪女が居るかもしれませんし。それについての記録も探してみます」

 

諦めることはしない、ただ絶望するだけではいられない。

血が繋がっていなくとも、雪那は2人にとって妹であり娘であり大切な家族だ。

どんな手を使っても、どれだけ困難な道であっても、必ず助けてみせる。

それだけは譲ることができない。

 

「ですが、取り敢えずは朝食にしませんか?私達が倒れてしまえば元も子もありませんし」

 

「……ふふ、それもそうね。アオイちゃん、食事のついでに集まった情報を少しでもいいから共有して貰っていいかしら?」

 

「はい、任せてください」

 

未来には不安しかない、絶望だって数多く待ち受けているだろう。

それでも、あの少女が居たからこそ誰も絶望することなくここまでこれた。

だったら、あの子のせいで絶望することは何よりもあの子のこれまでに対する侮辱になってしまう。

だからカナエも、アオイも、しのぶだって、あの少女の前で絶望はしない。

絶対に諦めることなく、希望だけを求めて進んでいく。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。