胡蝶の雪   作:ねをんゆう

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53.ある女の話

「ふぅ……ようやく飛騨の国まで来れました。想像していたよりも時間がかかりましたね」

 

「……ごめんね、しのぶ。私、歩けなくて」

 

「何を言ってるの雪那、謝るのは私の方。私のわがままでここまで付き合って貰ってるんだもの、もう少し眠っててもいいのよ?」

 

海に辿り着いたあの日から、もう5日が経つ。

雪那は宿部屋の中を少し歩く程度ならまだしも、旅を続けられる程の余裕はもう無くなっていた。

荷物を減らし、夜のうちに雪那を背負いながらしのぶは目的地へと移動する。可能な限りの距離を稼ぎつつも、必ず宿屋で1日を終えるようにしているからこそできることだ。

 

柱として活動できるほど呼吸を極めている彼女からすれば、体重の少ない雪那を背負って走るなど造作もない。

下手な荷物より軽いのだからとしのぶは思うが、そうだとしても雪那は少しだけ気にしているようだった。

 

「大丈夫……それに、この町なら少しは案内できる」

 

「雪那、この町を知ってるの?」

 

「ん、芙美の住んでた町だから。私も少しの間はここで住んでた」

 

「ということは、雪那の住んでた山も……?」

 

「ん、あれ」

 

朝日が少しずつ顔を出そうとしている今、雪那の指差すその先にある山はなんとか視認できた。

周囲の山が季節通りに緑に染まっている中、何故か山頂部分だけが真っ白に染まっている山だ。

 

不快な訳ではない、異様なわけでも、異質なわけでもない。むしろ偶然その山の辺りにだけ雪が残っていると考えれば、まあそういう山もあるだろうと納得できるくらいのものだ。

 

(……それなのに、見ているだけで胸が苦しくなるのは何故なのかしら。あの場所からは、なんでか強い"悲しみ"を感じる)

 

ずっとその場所を見つめているしのぶを見て、雪那は言葉を挟んだ。解説をするように、しかし目を閉じて、殆ど無表情で。

 

「……もともと、あの山はあんなに高くなかった」

 

「えっ?」

 

「噴火の影響で窪地になっていた所に、人々が町を暮らして住んでいたの。そこを最初の雪女が一晩で雪の下に沈めた」

 

「それって、今見えるあの白い部分は、それどころかその下の部分まで含めて、全部全部雪で作られてるってこと?」

 

「ん、そう。あそこにはその時の町と、人と、生き物と……お母さんを含めた雪女達が、埋まってる」

 

「………」

 

「しのぶ、もう行こ?もう直ぐ、太陽が出てきちゃう」

 

「………そう、ね」

 

いつかは雪那もあの悲しい場所に埋められることになってしまう。

それを知ってしまっているからこそ、その場所に対するしのぶの寂しさは一層増すのであった。

 

 

 

 

 

「なに?姉ちゃんあの山に登るのかい?」

 

「え、ええ。ですから防寒具を2つほど頂こうと思いまして……」

 

「やめときなやめときな!あんな山、姉ちゃんみたいなか細い女っ子が入れる場所じゃないっての!遭難して死んじまうよ!」

 

「……そんなに凄い場所なんですか?」

 

夕方、いつも通り先に目を覚ましたしのぶは書き置きを残し、今も眠っている雪那を宿の女主人に任せて、宿屋の正面の店々に防寒具の買い出しに向かっていた。

本来ならば、常中の呼吸がある程度できれば多少の吹雪程度は問題ない。しかし以前あの場所を登った義勇曰く、柱としての実歴が比較的長い彼でさえも防寒具が必須な場所であったとのことだった。

その為、しのぶはある程度は覚悟してこうして買いに来たのだが、どうやらそこは地元の人間ですら近付かないような厳しい所らしい。

しのぶを見て店の親父は本気で心配をしてくれているようだった。

 

「あの山は山頂に行くにつれて吹雪が強くなるんだ、女子供じゃ文字通り吹き飛ばされちまう。雪に慣れた俺達でさえもあの山には近付かねぇし、登りきった奴もここ数年は見てねぇくらいだ」

 

「以前に登ってる人が居たんですか?」

 

「あぁ……まあ、一人だけな」

 

そう言うと親父は気まずそうに視線を逸らす。

どうやら話し難いことらしいが、しのぶはそんなことはお構いなしとばかりに彼に詰め寄る。

それだけ強く問い詰められてしまえば、なかなか断るのも辛い。

 

「まあ、あの子のことはここらでは結構扱い難い話になってんだよ。末路が末路だけに、後悔してる奴等も多くてなぁ」

 

「教えて下さい」

 

「……はぁ、あんまり言いふらすんじゃねぇぞ?」

 

そうして彼は渋々とこの町のタブーとなっているある女の話をし始めた。

救いも幸福もない、ある悲しい女の話を。

 

「ほら、あそこにボロボロの大きな建物があるだろ?あそこには少し前まで、ある有名な商人の一家が住んでたんだよ。俺達がこうして生活していけるくらいに商売できてんのも、あの人達にイロハを教えて貰ったからだ」

 

「……商人の一家」

 

「ああ、だがその一家には一つ困っていたことがあってな。まあ、端的に言えば後継ができなかったんだよ。子宝に恵まれず、夫人が38の高齢で何とか生まれた子供も女だった。商人にとっちゃあ、それは深刻な問題だ」

 

「まあ、基本的に長男が継ぐことにはなるでしょうが……」

 

「それに大きな商家には体裁ってのもある。本人達がそれで良くとも、女を上に据えれば周りが良くは思わねぇ。商人は信用と評判が全てだ、悪い噂や不安な話があっちゃいけねぇ。……だから両親は考えたんだ、生まれた女子を男として育てればいいってな」

 

「そんな……!」

 

「幸い、その子には才能があった。教えれば大抵のことは覚えるし、身体も丈夫。人当たりも良ければ、体格も良かった。……俺達も気付かなかったよ、あの子が女の子だったなんて。それでもまだ良かったんだ、あの子はそれでも楽しそうに生きていたから」

 

楽しそうに生きていた。

その奇妙な過去形に、しのぶは眉を潜める。

 

「あの子が12の頃の話だ。……生まれちまったんだよ、弟が」

 

「えっ」

 

「普通なら絶対有り得ない、50での出産だ。そんなこと、だれも予想していなかった。ご当主様や夫人本人でさえも……ここまで来たら、その子が辿る道は、もう分かるよな?」

 

「……女の子は、必要がなくなる」

 

「そうだ。後継ができちまった以上、もうその子が男の振りをする必要が無くなっちまう。どころか、次に求められるのは有力な商人の息子との婚約だ。商家に生まれた以上は避けられねぇ」

 

「でも、そんなこと……」

 

「ああ、そうだ。それまで男として生きてきた子が、今更女として生きられると思うか?そんなのは絶対に無理だ。化粧すら知らねぇ女が、どうやったら商家の嫁になんざ行けるものか。

……毎日毎日ご当主様や夫人と喧嘩して、泣きながら山に走っていくのを見た。けど、俺達はそんなあの子に何もすることができなかった。俺達はご当主様に生活させて貰ってるようなものだったからな」

 

「………」

 

「けど、18の頃だ。身も心もズタズタになっていたあの子に、一つの出会いがあった。

……ある日、あの子が見知らぬ女を連れて山から帰って来てたんだよ。ここらじゃ見かけねぇ顔だが、町中の男が見惚れちまうくらいの美人な女だった。

そんでご当主様に言ったんだ、『私はこの子と結婚する』ってな」

 

「それはまた、豪胆と言いますか……」

 

「聞けばその女はあの山に住んでいて、女同士の子供が産めると言いやがる。だが、そんなことを信じるわけも、信じた所で認めるわけもねぇ。一家揃って大反対だ、俺達商人もその女を疑っていた。商家の財産を狙った悪女なんじゃねぇかってな」

 

「けれど、彼女は折れなかったんですね」

 

「そうだ、あの子はそれでも認めて欲しかった。受け入れて欲しかったんだ。

……その女は兄弟も居らず、親も幼い頃に亡くしたとかでな。ずっと一人だったんだよ。だからあの子は、その女に家族を作ってやりたかった。家族の温かさを知って欲しかった。まあ、結果としてはそれとは真逆のことになっちまったんだが」

 

「………」

 

「俺もさ、一回その女と話したことがあるんだよ。噂を信じ込んでた俺は滅茶苦茶疑ってかかったのに、彼女はただ悲しそうにするだけだった。今思えば、馬鹿なことをしたと思う。結局こうして、誰も幸せになることができなかったんだから」

 

誰も幸せになれなかった、それはそのボロボロの屋敷が何よりも証明しているだろう。

誰も彼もが、幸せを取り逃がしてしまったのだ。

 

「……あの子が20の頃、連れてきた女が突然体調を崩した。急に倒れて、歩けなくなった。

ご当主様はまだ2人の婚約に反対していて、あの子はそれを機に遂に説得を諦めて屋敷を出て行った。勿論、向かった場所はあの山だ。あそこに居れば誰も探しに行けない、逃げるにはうってつけだ」

 

「登れたんですね……?」

 

「どうにも、その女が通る時には吹雪が止むらしい。

ただ、予想外だったのはあの子が直ぐに1人で山を降りてきたことだ。そして、降りて来ると直ぐにそれまで身に付けた商売の技とコネを駆使して、"青い彼岸花"って奴を探し始めた。

月に一度は大量の物資を持って必ずあの山を登ってたが、それ以外の日はあちこちを飛び回って探し回ってた。ご当主様の話には無視を決め込んで、あの女も山を降りては来ない。

……いや、一度だけ降りてきたことがあったか。2人の子供が生まれた時に」

 

「その子供は、どんな子でしたか……?」

 

「……真っ白で、身体の弱い子だったよ。太陽の光にも当てられないような、そんな子だ。

娘の行動に怒り狂っていたご当主様は、挨拶に来た子供を見るや『どうせ他の男の子供だ』『その子は呪われている』『そんな弱い子供は必要ない』なんて酷いことを言ってな。

それ以来、あの子は屋敷には近寄らなくなって、子供も女も姿を見せなくなった。俺達の中でもご当主様に不信感が生まれ始めてた」

 


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