『己の異なる今を見ろ』
しのぶが目を開けると、気付けばそこに墓石は無かった。
それどころか雪も氷もそこには無く、先程まで必死に繋いでいた右手にあった大切なものの感覚も無くなっていた。
「雪那!?ど、どこ!?雪那!?」
周囲を見渡すが、どこを探しても雪那は居ない。
だが、自分の居る場所はよく分かった。
蝶屋敷だ。
遠く離れた場所に居たはずなのに、どうしてか自分はこの蝶屋敷に戻ってきてしまっている。
「なんで戻って……じゃあ雪那は!?まさかあそこに一人で置いてきて!?」
今からどれだけ全力で走っても1〜2週間はかかる。その間も雪那は弱っていくだろう。場所が場所だけに彼女の体への負担は少ないだろうが、何より一人にするのが嫌なのだ。可能な限りあの子の側に居たい。
……しかし、その瞬間雪那の目に異様な光景が映り込んだ。
それは雪那とカナヲが頻繁に使っていたあの鍛錬場のことだ。
本来ならば内部に太陽の光が入らない様に窓を木板等で塞いでいたりしているのだが、今はそれすらない。カナエやカナヲが勝手にそれらを外す筈がない。
そもそもそれを言えば屋敷だってそうだ。
雪那の過ごしやすい空間にする様に改良し続けたこの屋敷から、その成果が完全に失われてしまっている。中には元に戻すことなんて不可能なくらいの改良を施した所もあるのに、それが戻っているのだ。そんなことはあり得ない。
あり得ないのに、そうなっている。
「ここは、一体……っ!」
しのぶが困惑していると、廊下の方から誰かの足音が聞こえてきた。
隠れる必要は無いかもしれないが、しのぶは咄嗟に近くの草叢に気配を消して隠れる。
自分の屋敷で隠れるなんて初めての経験だが、状況が分からない以上はとにかく姿を隠すようにしようと思ったのだ。
(あれは、カナヲ……?けど、少し雰囲気が違うというか……)
いつも通りの隊服を着て廊下を歩くカナヲ、向かう先はしのぶの部屋。
そこに自分は居ない筈だ、一体何の目的があってそこにいくのか。別にカナヲに見られて困るものは無いが、掃除でもしてくれているのだろうか?
そんな風に見ていれば、カナヲが何やらおかしなことを言い出した。
「師範、お戻りでしたか」
(え……?)
そこに自分がいるはずがない。
自分はここに居るのだから。
それなのに、中から聞こえてきた声は……明らかに自分のもので。
「師範、私はこれから風柱様の稽古に行って参ります」
「そう」
「師範の稽古は岩柱様の後でよろしいですか?」
「私は今回の柱稽古には参加できません」
「え……ど、どうして……」
何がどうなっているかは分からない。
分からないが、自分が何故かそこにいるらしい。
そして、柱稽古……それは確かに以前の柱合会議で実施の話が出ていたものだ。まだ始まっているとは聞いていないが、あそこに自分が居る時点でその辺りの細かい話は置いておく。
しのぶはとにかく二人の会話に耳を済ませた。
「あの……あの、私もっと師範と稽古がしたいです」
「!……カナヲも随分と自分の気持ちを、素直に言える様になりましたね。良い兆しです」
「うぅ……」
明らかに嬉しそうな自分の声。
気持ちは分かる、確かに自分だってカナヲからそんなことを言われれば嬉しい筈だ。
ただ、どうしてか違和感を感じるあの場にいる自分の雰囲気。その違和感は先ほどカナヲに感じたものよりも強い。
「やはり良い頃合いだわ」
「?」
そしてその違和感の正体を、しのぶは次の言葉で完全に理解してしまう。
「私の姉カナエを殺した、その鬼の殺し方について、話しておきましょう」
(っ!?)
この世界はしのぶの姉であるカナエが、あの上弦の弐に殺されてしまった世界。
そしてそれはつまり、雪那がカナエを救うことなく、どころかしのぶとも出会うことのなかった世界。
……しのぶが、鬼への復讐に取り憑かれてしまった世界。
あの場にいるしのぶから感じる違和感は、正しくそれが理由だった。
「まず姉を殺した上弦の弐と巡り合い、私とカナヲの二人で戦うことができたならば……まず第一の条件として、私は鬼に喰われて死ななければなりません」
「!?」
(!?)
あの場にいる自分のその言葉に衝撃を受けたのはカナヲだけではなかった。
だってそんな発想は、今のしのぶにはこれっぽっちも想像できない。
「どうしてですか?一緒に、戦えば、きっと、か、勝て……」
「そのような甘い考えは今すぐこの場で捨てなさい」
「っ」
「上弦の強さは少なくとも柱3人分の力に匹敵します。しかし姉からの情報によればその上弦の弐、女を喰うことに異様な執着があり意地汚らしい」
「……」
「身体能力が高く優秀な肉体を持つ"柱"。加えて女であればまず間違いなく喰うでしょう」
「……」
なぜ、なぜカナヲの前でそんなことを言えるのかが分からない。
あそこにいる自分は目の前に居るカナヲの気持ちが分からないのだろうか。
彼女はそんなことを望んでいない。
彼女は誰よりも家族を大切にする優しい子だ。
それが雪那もカナエも居ないこの世界でならば……尚更だ。
何があっても、どんなことをしてでも、しのぶに死んで欲しくないと思っている筈だ。
それなのに。
「現在、私の体は血液・内臓・爪の先に至るまで高濃度の藤の花の毒が回っている状態です」
「じゃ、じゃあ私も……」
「無理ですね、まず間に合わないでしょう。この状態になるまで1年半以上、藤の花の毒を摂取し続けなければならない」
あの場にいるしのぶは、事実を淡々と並べていく。
自分の命を犠牲にして敵に損害を与え、その隙に他の誰かに殺してもらう。
簡単に言えばそんなところか。
……確かに、雪那の居ないこの世界で取れる策としてはそれが現実的かもしれない。
こちらのしのぶは、過去に一度既にあの鬼と戦っている。
あれは正しく化け物であり、雪那が居なければ確実に全滅していたと断言できる。しのぶとカナヲ、義勇の3人がかりでも傷一つ付けられなかった相手だ。
こちらの自分がその考えに行き着くのも自然な流れだったのかもしれない。
(……それでも)
「それでも、命がけの毒でも、確実に上弦の鬼を滅殺できる保証はない。少なくともお館様は無理だと判断している。だから私に私が仇討ちできる確率を上げるために……鬼との共同研究をするよう助言をした」
(救えない、救われない、それでは誰も救うことができない……)
鬼への復讐に取り憑かれた自分は元より、その自分を慕うカナヲも、アオイも、看護師達も、炭治郎達や義勇、蜜璃だって、自分を愛してくれた姉にとっても救われない。
鬼を殺すだけならその選択は間違っていない。
けれど人間としてその選択は間違っている。
「仮に毒が効き始めたとしても油断なりません、やはり確実なのは首の切断」
「………」
「必ず私が鬼を弱らせるから、カナヲが首を斬ってとどめを刺してね」
(……貴女は、鬼殺としての道を選んだのね)
カナヲは、大きな衝撃を受けたまま、少しだけその後も言葉を交わしてトボトボとその場を立ち去っていった。
彼女の内心はあまりにも複雑だろう。
決心を固めた相手を説得するほど難しいことはないのだから。
「……ところで、そこに隠れているのはどなたですか?途中から気配を隠していた様子ですが、今もいらっしゃいますよね?」
「っ」
どうやらとうに気付かれていたらしい。
それを知っていてカナヲが去るまで待っていたのか、しのぶはどうしたものかと思考する。
だが、ここで逃げてしまえばそれこそ面倒なことになるだろう。それならば、姿を表して真正面から話し合いに応じた方がきっと丸く収まるはず。
幸い、荷物だけはそのまま手元にある。
刀を抜かれたとしても、負けるつもりは毛頭ない。
「……流石はこっちの私、きっと今の私は警戒心が足りていないのね」
「!?……わ、たし……?」
まあそうなるだろうという反応。
しのぶは慣れたように履物を脱ぎ、見慣れているが見慣れない自分の部屋へと入っていく。
向こうのしのぶは刀を手に持ち警戒してこちらを見ていた。
きっと何かしらの血鬼術だと思っているのだろう。
自分だって雪那や雪女の存在を知らなければ、まず最初にそう思っていた筈だ。
「貴女は、鬼、ですか……?」
「ううん、違うわ。私は一つの可能性。違う道を辿り、違う出会いを得ることができた……きっと幸せ者の私ね」
同一人物なのに対照的な2人の1人。
自分がどうしてここに来たのか、その答えこそがここにある。