「どういうことか、聞かせて頂いても?」
「私も正確な答えは返せないわ。急にここに飛ばされたと思えば、自分と話すカナヲが居たんだもの。驚いているのは私も同じ」
「鬼では無いということでしょうか」
「こんなことができる鬼が居るのなら、鬼殺隊はとうに滅んでいるもの。どうしてもと言うならこれを調べてみると良いわ」
「……日輪刀、それも特殊な構造の」
何の偶然か巡り合ってしまった2人のしのぶ、けれどその姿は対照的だ。
隊服と私服という違いもあるが、その表情が違う。
警戒に満ちた顔で睨むしのぶと、複雑な表情をして目の前の自分を見つめるしのぶ。
その2人を分けたのがたった1人の少女の存在だと考えると、こちらのしのぶは何とも言えなくなってしまう。
「……間違いなく、私のものと同じ機構です。ですが、細部が少しずつ異なっています。端的に言うのなら、私のものよりずっと私の手に馴染む」
「……ある子が完成した品に色々とダメ出しをして突き返したことがあるのだけれど、きっとそれが原因ね。"しのぶのこと全然分かってない!"なんて怒っていたけど、今やっとその意味が分かったわ」
全く同じ刀ならば疑いようはある。
単なるコピーを作るならば、そういう能力として考えられる余地があるからだ。
だがそれが自分のものより優秀で、かつ自分に合うように作られたものであるならば、目の前の女の話も少しは信じられるというものだ。
……なによりこの刀には、本当に細部まで自分の癖や体格に会うような"愛"のこもった工夫を感じる。それが分からないほど、こちらのしのぶも荒んではいない。
「私と貴女の違いは、そのダメ出しをした子が居るか居ないか。そういうことでしょうか?少なくとも、そんな風に怒る人間は私の周りには居ませんから」
「そうね……きっかけは間違いなくそれ。そしてその一つの出会いこそが、私と貴女を決定的に分けた」
「……こういう場合、一体どんな反応をしたらいいのでしょうね。自分に出会うという怪談話はいくつかありますが、実際にこうして体験してみれば反応に困ります」
「出会ったからと言って、心配する必要はないわ。だって、貴女は死ぬつもりなんでしょう?」
「……やっぱり、聞いていましたか」
「謝るつもりは、無いわ」
渡した刀を返される。
どういう反応をしたらいいのか分からないのは、こちらも同じだ。
そもそもここへ来た理由も、飛ばされたと目的も分からないのだから。なんとなく流れでここに居るだけで、今も一向にどうしたらいいのかが分からない。
「貴女はもう、私の境遇は理解しているようですね。私が貴女とどこで道を違え、どういう過程を通ってここに居るのかも」
「……ええ、あの子が居なければ私も貴女のようになっていたと思う。私も、姉さんがあの時に死んでいれば、間違いなく鬼への憎悪にそまっていたもの」
「姉さんが、生きてるの……?」
信じられないといった様子で目を見開く。
そうだ、そこが一番大きな分かれ道だった。
あそこで姉が生きていたからこそ家族との愛に気付かされ、反省し、もっと大切にしようと思えた。
だがあそこで姉が死んでいれば、それは反省ではなく後悔になっていたに違いない。そして抱いていた愛情は、大きな憎悪に変わり心を焼き尽くす。
「そっちの姉さんは、どんな感じなの……?」
「以前と変わらない、こともないわね。鬼との和解を諦めて、鬼の治療薬を作るのに必死になってる。相変わらず家族が大好きなのは変わらないけれど。甘露寺さんと悪巧みをしたり、冨岡さんを可愛がったり、呼吸が使えなくなっても楽しそうに過ごしてるわ」
「……そう、それならいいの。せっかく生き残ったのに悲しく生きてるなんて聞きたくありませんでしたから」
「でも私だって、自分がカナヲをあんな風に悲しませている姿なんて見たくなかったわ」
「っ」
その言葉を聞いた途端、向こうのしのぶから強烈な威圧感が放たれた。
それは完全に地雷だった。
踏んではならない、他でもないこっちのしのぶが絶対に踏んではいけない最大の地雷。
「……姉さんが居る私に、そんなこと言われたくないわ」
「カナヲの思っている事を、分からない私ではないでしょう」
「鬼への復讐を忘れた私に、そんなことを言う資格なんて無い」
「家族の愛を忘れて家族を捨てようとしている私に、そんな言い訳をする資格は無いわ」
隊服のしのぶが立ち上がる。
そして私服のしのぶは見上げて睨み返す。
相手が自分だからなのか、そこに容赦は一切ない。
「貴女は姉さんが居るから分からないのよ!私のこの憎しみが!怒りが!悔しさが!それだけを考えて今日まで生きてきた!今更それを無かったことになんかできるものか!!」
「そうした先に一体何が残るの!復讐をするのはいい、あれを殺すことに必死になるのはいい!けど、私が生き残らなければカナヲやアオイ達は笑って未来を受け入れられないじゃない!」
大切な人を奪われたという事実がここにある。
消えることのない憎悪と怒りがここにある。
復讐のために研ぎ続けた刃がここにある。
生きていくことの難しさを知っている。
生き残った先に広がる幸福を知っている。
生きていてくれることの喜びを知っている。
「これが一番あいつを殺せる可能性が高い!それは貴女だって分かるはず!だったらそれ以外の選択肢なんてあってないようなものじゃない!」
「そうやって言い訳をしているだけでしょう!自分一人で考えて、自分一人で結論を出して!それ以外の選択肢なんて無いみたいに思い込んで!その思い込みに巻き込まれるカナヲの気持ちになりなさいよ!!」
「……ふざけるな、ふざけるな!!」
引き抜いた細い刀を振り下ろす。
そしてそれを受け止めるのもまた同じ刀。
自分と自分が出会った時、冷静さを失い殺し合うなんて話はいくつかあるが、今は正にその状態だった。
目の前の自分から感じられる、普段から思って気にしている自分の嫌いな部分を嫌と言うほどに感じてしまう。
鍔迫り合いに込める力はどんどん強くなっていく。
「私だって……私だって死にたくない!生き残りたいに決まってるじゃない!ずっとみんなを見ていたい!鬼を殺したその先でも生きていたい!カナヲやアオイの晴れ舞台を見てみたい!せっかくカナヲが意思を見せ始めたのよ!?あの子が炭治郎くんに想いを寄せ始めてるのも分かってる!その先を見たいなんて当たり前の話じゃない!」
「だったら、本気でそう思ってるなら!どうして周りの力を借りないの!!上弦の鬼を倒すのに柱が3人は居るのなら!3人に頭を下げて頼みなさいよ!助けてくださいって!力を貸してくださいって!鬼だろうがなんだろうが!自尊心なんか捨てて!みっともなく縋り付きなさいよ!それが出来ないで何が生き残りたいよ!ふざけんな!!」
2人の実力は殆ど互角、戦闘において考えることも変わらない。
何度打ち合った所でどちらも引かない。
ただ互いに消耗をするだけ。
「私はそうした!違う、そうすることを選んだ!上弦の弐を殺す算段が潰れて!私の体には毒も無い!だから無理だからって!助けて欲しいって!冨岡さんや悲鳴嶼さんに頼み込んだ!甘露寺さんやお館様にだってお願いした!みんな笑って了承してくれた!!」
「そのせいで大勢の犠牲が出たらどうするつもりだ!あの鬼は普通じゃない!このままなら私1人の命で済むのに、私1人の命のために他の隊士の命を犠牲にすることなんてできない!柱を名乗る人間として、そんなことも分からないのか!」
「助けてくださいって言え!!」
「そんなことは絶対に言わない!!」
そもそも、こんなやり取りに何の意味もない。
例え互いが同一人物だったとしても、ここに至るまでの全てが違う。
価値観が異なるほどに分かれてしまった2人が互いの意見を理解することなどできやしない。
……ただ、そんな2人にも今もまだ共通して通じるものがあるとするのなら。
「師範!!もうやめてください!!」
カナヲの存在しかなかった。
「「カナヲ……」」
「……師範、私は今の状況がよくわかってないです。でも、話だけは聞いてました」
これだけ暴れていたのだ、その異変に近くに居たカナヲが気付かない訳がない。
彼女は比較的早い段階でここへと来ていた。
ただそこで争っている2人がどちらもしのぶという異様な状況に入り込むことができなかっただけで。
「師範……私、師範に死んで欲しくないです」
「っ!だ、だめ……やめて、カナヲ……それ以上は言わないで」
「私、師範のことが大好きです。1人にしないで欲しいです。もっとずっと、一緒に居たいです」
「やめて、カナヲ、やめて……」
「師範……師範が藤の毒で長く生きられなくても、側に居て欲しいです。どれだけ傷付いても、生きていて欲しいです。だからどうか、お願いですから……」
「カナヲ!もうやめ……!」
「死なないで、しのぶ姉さん」
「……っ」
カランッとしのぶの刀が落ちる。
それは勿論、隊服のしのぶのものだ。
彼女はその場に膝を突き、顔を両手で覆っている。
私服のしのぶは、そんな彼女を悲しい表情で見下ろしていた。
「だったら、だったらどうすればいいの?私のこれまでは無駄だったの?どうせ長く生きられないなら、この命をより有効的に使うべきじゃないの……?」
「違うわ、私。例え短い命であったとしても、側に居る人間にとってはかけがえの無い物なのよ。カナヲにとってその命の一番有効的な使い道は、ずっと側に居てくれる事なの」
「……なんで、なんでそれが貴女には分かるの。姉さんも生きてて、カナヲも居て、貴女に出会えた大切な子もいる幸せな胡蝶しのぶが。どうしてそんなにカナヲの気持ちが分かるのよ」
その問いに対する答えは一つしかない。
自分は間違いなく幸せな胡蝶しのぶだ。
けれど、これから先までずっと幸せだとは言えない胡蝶しのぶでもある。
「……その大切な子が、長くは生きられない身体を持っているからよ」
「なっ」
「私はね、その子を愛してしまったの。私を愛して救ってくれたあの子の想いに気付いて、自分の気持ちを自覚して受け入れた。‥‥けど、もうその時には全部が遅かった。今は丁度その辺りの気持ちと葛藤しているところ」
「……だから、カナヲの気持ちがわかったのね」
「ええ。けれど私は、貴女と、あの子の気持ちは分からない。後に残していく者の気持ちが分からない。あの子の気持ちが分かるのは、貴女だけ」
「……そういうこと」
隊服のしのぶが側に居たカナヲを抱き締める。
カナヲはそれを嬉しそうに受け入れた。
そんな様子を見て、より一層悲しい表情をしたのはどんな心故なのか、それはこちらのしのぶには分からないものだ。
「……死ぬのは、怖いわ。けど、家族が死ぬのはそれ以上に怖い。あの怖さを知っているから、私は全てを投げ出す覚悟が出来た」
「……あの子がね、延命するよりも皆の側に居たいって言うの。私がどうするべきか分かる?私」
「そんなのは貴女が決めることでしょう、少なくとも私が決めることじゃない」
「……そうね」
そんなことは分かっている、それでも自分だけでは答えを出すことができない。だからこうしているのだ。自分だけではどうするべきか分からないから、選べないから、選びたくないから、こうして聞いているのに。
「出会う人が違うと、こうも情けなくなってしまうのですね、私は……」
「……自分が情けないのは自覚しているわ。自分の復讐心をあの子に救って貰った時から、きっと私は弱くなってしまった」
「それを弱さと断言できるほど私も強い人間じゃないわ。私だって復讐という名目で残される人達のことから目を背けていたもの。……結局、胡蝶しのぶは弱い人間なのね。どうしようもない」
常に正しい選択をすることなんてできない、本当に正しい選択なんてそもそも無いのだから。
人はただ正しさと間違えの入り混じった選択をし続けて生きていく、そしてその選択をするのに必要なのは知識と環境だ。
隊服のしのぶは今正にそれを突きつけられ、選択を見つめ直す機会を得た。
ならば今度はこちらの番だ。
今ほど自分を見つめ直す機会はない。
「……私は多分、その子の気持ちが分かるわ」
「っ、教えて」
「考えればすぐに分かることなのよ。私が自分の死を受け入れられる理由は復讐という強い感情だった。逆に言えば、それくらい強い感情が無いとそうそう簡単に受け入れられるものじゃないのよ。死というのは」
「強い、感情……」
「その子が本当に求めていることは生きること?それとも他のこと?
思い出しなさい、胡蝶しのぶ。
その子は何を知って、何を見てきて、そして……本心では何を求めているのかを。貴女はその答えを持っている筈だわ」
「あの子は……雪那は……」
「出会った時から思い出しなさい。その子が生きる上で何よりも優先してきたものが、必ずそこにあるはずよ」
瞬間、しのぶの脳に走馬灯の様にこれまでの光景が蘇る。
『新しい子の面倒を見ている暇なんて無いんだけどなぁ』
『……おにを、たおせばいいの?』
『すき、すき……』
『その髪飾りも買って貰ったの?』
『おかえりなさい、雪那』
『……側に、居て』
『しのぶ、抱きしめて?』
『……一目惚れ、だったの』
『もう、1人はやだ』
『好きだから、しのぶのこと』
「……ああ、そうか。あの子は私への愛と同じくらい、1人になるのを怖がってたんだ
何をするにも、どんな行動にも、その根底には自分の存在があった。けれどそれと同じくらい、誰かの温もりを求めていた。
あの山で暮らすとしても、そこには自分も居るから。時折下の街に行くとしても、一人きりにするのはそれくらいだから。そんな風に思っていた。
けれど違うのだ。
その僅かな時間でさえも雪那は1人になりたくない。
誰かに側に居てもらいたい。
たくさんの人に囲まれていたい。
騒がしい空間で生きていたい。
彼女はそう願っていたのだ。
自分は彼女の孤独への恐怖を、本当の意味で理解することができてはいなかったのだ。
「……最後に聞かせて。貴女は、ここの私は、姉さんが居なくなった後、寂しかった?」
「それは……聞かなくても分かるでしょう。あの騒がしかった姉さんが、いつも面倒ばかりもってくる姉さんが、ある日突然居なくなったのよ?いきなり屋敷の中が静かになってしまった寂しさを、私は今でも忘れていない」
「……ありがとう」
しのぶの足元から光が溢れる。
元の場所に戻るのだと分かった。
この結論に辿り着くためにここに来たのだと、理解した。
「カナヲの側に、居てあげて。その子だってまだ、本当は誰かに甘えたい年頃なんだから」
「ええ……もう少しだけ、抗ってみるわ。それでも無理なら、決断はするけれど」
「それでいいのよ……考えることを止めることだけは駄目だってことは、私の方が知っているんだから」
この出来事が夢か現実かは分からない。
ただ、本当に自分と向き合うことほど、自分の成長に役立つものはない。
これがどちらにとっても救いであったのは、間違いのないことだ。