「……のぶ、しのぶ」
「……え?」
「しのぶ、どうしたの?大丈夫?」
「あ、れ……ここ……」
「しのぶ、ぼーっとしてたから。大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫よ」
気付けば、あの山に戻っていた。
何も変わらない、どころかそんなに時間も経っていない。
自分があの蝶屋敷に居た証明なんて出来なくて、ただの夢だったように、そんなことは起きていないとでも言うように、しのぶはここに座っている。
「……しのぶ?」
ただ、その記憶だけは無にはならない。
あそこに居た別の自分に気付かされ、抱いた思いだけはここに残っている。
「ね、雪那。……帰ろっか、姉さんやカナヲが待ってるわ」
「……!!う、うん!帰る……!」
自分の言葉に満面の笑みで返してくれる雪那、自分の決心が間違っていなかったのだとしのぶは感じた。
きっと、いつかこの選択を後悔する日も来るだろう。どれだけ決心したところで、時間と共にそれは薄れていくものだ。間違いなくこの日の、この決断をした自分を罵倒して、涙を流す日はやってくる。
……けれど、これで少しでも雪那がこの生を幸せに過ごせるのなら。同じようにやっぱりこの決断は間違っていなかったと思える日も来るはずだ。
少なくとも今は、この決断をしたことを後悔していない。
「雪那、屋敷に戻ったらみんなで写真を撮りましょうか」
「しゃしん……?」
「その場の人や物を絵の中にずっと残しておける機械のことよ。嫌う人も居るけれど、いつでも見返してその日のことを思い出せるから」
「と、撮りたい!私も欲しい……!」
「うん、じゃあ決まりね。みんなでたくさん撮りましょう。炭治郎くん達も居るといいのだけれど……あれ?」
雪蘭と芙美の墓石を後に最後にもう一度しのぶが改めて思いを伝えた後、2人は門の方へと歩いていた。
そこでしのぶが気付いたのは、門の外に立っている一つの人影。
和装と編笠、そして刀。
口元も隠しておりそれが誰だかは全く判別がつかないが、背丈と体格から男性であることだけは分かる。
なにより奇妙なのは、雪女が居なければ登ることすら難しいと言われるこの山で薄着でいることだ。義勇ですら防寒具が必要だと言っていたのに、その男は裸足に草履、羽織るものもなくそこに立っているのだ。
流石に門の中へは入ってこれないようだが、その姿はあまりにも異質。
「……お?やっと戻ってきたかい、お二人さん」
「雪那……知ってる人?」
「ううん、知らない。誰?」
その雰囲気はかなり異質だ。
人間とは言い切れない、けれど鬼ではない。もちろん雪女では無いが、それに似た雰囲気も感じる。
しのぶは警戒して日輪刀に手を伸ばすが、それを見ると同時に男は両手を上に上げた。
「別にやり合う気はねぇよ。俺はここに仕事しに来ただけだしな」
「仕事……?」
「ああ。今代の雪女の相棒に、その覚悟を見せて貰いにな」
「!……ということは、貴方が雪女の監視者?」
「雪女だけって訳じゃねぇが、まあそんなところだ。あ、俺との会話は書に残すなよ?問答の意味が無くなったまうからな」
男から殺気のようなものは全く感じない。
それどころかこの異様な状況を無視すれば、男からは一般の隊士よりも圧というものが無かった。
しのぶは警戒を解き、雪那の手を強く握る。
「……ほう、その感じじゃ迷いは切り捨てたってとこかい」
「ええ、まあ。貴方の問いに答え切れるかは分かりませんが、ここに来る前よりはマシかと」
「いや、別に問答つってもそんな気合い入れるもんじゃねぇからな?俺に権限なんざねぇし、答え聞いて帰るだけだ。それで勝手に心が折れたりする分には知らねぇが」
「それを一番怖がってるんですよ……」
「くくく、そりゃ悪ぃ」
男は声からすればかなり若いのだろう。
それこそ自分達と変わらないか、それより上か……ただ、どうにもその素性が掴みにくい。
雪那はもう全然まるっきり興味が無いのか、目線はそっちに向けていても、しのぶの腕に抱きついて頬を擦り寄せていた。
そんな雪那を見て、男は編笠の下で苦笑する。
「……全く、雪女ってやつはほんとに。お前の母親もそうだったけどよ、もう少し人目を気にしろっての。見せつけられる方が毒だっつぅの」
「お母さんのこと、知ってるの?」
「そりゃそうだ、お前の両母親にも丁度この場所で問答したからな」
「え、何歳なの……」
「103ってとこか、まあんなことは別にどうでもいいんだよ。次がつっかえてんだ、さっさと聞かせてもらうからな」
如何にも若い風貌ながら自身を103歳と言う男は、自分のことを話すのは好きでは無いのか、人差し指を立ててしのぶの方に顔を向けた。
雑談はこれでもうお終いらしい。
「鬼殺隊"蟲柱"胡蝶しのぶ、雪女の雪那、俺からお前等に聞くことは一つしかない」
「………」
「お前等は、雪女の子を残すつもりはあるか?」
瞬間、しのぶと雪那の体が同時に大きく跳ねた。
「…………」
「…………」
「…………」
「いや、なに固まってんだお前ら。恥ずかしがってんじゃねぇぞ、ガキつくるのかつくらないのかハッキリしろや」
「えっと、その……」
「ん、答えてしのぶ……」
「ゆ、雪那!それは卑怯よ!だって、それって……うぅ」
「12のガキかテメェ等は!!目背けてる癖に手だけはガッツリ握ってんじゃねぇぞ!答えなんか丸わかりじゃねぇか!!」
「だ、だったらそれが答えってことで……」
「う、うん……」
「いーや!こうなったら意地でも言葉で口に出して貰わねぇと納得しねぇ。オラ!言葉に出せ!胡蝶しのぶ!」
「わ、私!?」
「お前のが年上だろうが!産むのはお前なんだぞ!ここらで覚悟決めとけ!!」
「うっ……なにが監視者よ。こんなことなら勝手に予想してた怖い問いをされた方がずっとマシじゃない」
こう見ていると男は一見2人の桃色の空間をより盛り上げているだけの当て馬のようにも見えるが、実際彼もとい彼等にとってはそのことはとても重要な話なのだ。
雪女は基本的に1人しか子供を作らない。
子を産む段階になると、親の雪女の身体が弱くなっていることが多いからだ。
つまり、1人でも残すことができなければそこで雪女という種族は完全に途絶えてしまう。だから何があろうとも必ず子を残してもらわねば困る。
「実際、雪女がどんな相手を伴侶に選ぼうが俺達はどうでもいいんだよ。子を残して、その子が死なずに生きてくれりゃあそれでいい。それに関して言やあ那谷蜘蛛山の一件は流石に冷や冷やしたがな」
「そこまで……」
「それで?雪那の方はどう思ってんだ?ガキつくりてぇのか、つくりたくねぇのか、どっちだ」
「うっ……それ、は……しのぶが、いいなら……」
「だそうだが?」
「……わ、私だって、別に嫌じゃないというか」
「あんまり煮え切らないようならこっちで別の女を用意してもいいんだが?」
「しのぶがいい!」「私がする!!」
「「あっ……」」
「はぁ、そんでいいんだよ。ったく、芙美の時は胸張って断言してたぞ。ちったぁ見習え」
「うっ、ここに来て感じる先代の壁」
この旅に出てから至る所で聞く芙美の話。
そして知れば知るほど彼女という女の生き様と強さを見せられてしまう。
比較するべきものではないだろうが、人間どうしても同じ立場にいる人間と自分を比較してしまうもので。
もっと強くならねばと思ってしまうのだ。
「そんじゃ、俺ぁ帰るわ」
「えっ、もうですか?」
「こんでも忙しい身なんでな、もう会うこともねぇだろうよ。まあ俺が表出てくることなんざ無いのが望ましい……っ」
男が後ろを振り向いて歩き出そうとしたその矢先に、彼は足を止めて何かに気付いた。
腰元の刀に手を伸ばすと、何かを警戒するようにただ一点を見つめている。
「だからよぉ、俺ぁ忙しいっつってんだろうが。なんでこういう時に限って余計な客が来るかねぇ、気に食わねぇ」
「余計な、客……?」
瞬間、まるで覇気を感じなかったその男から足が竦むほどの濃い殺気が放たれた。